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呟きの慈悲

天蒔てんまはいつ帰ってくるのだろう。

いつもそれだけを考えている。

天蒔と僕は、いつも一緒だった。

天蒔と僕は、ふたりでひとりだった。

僕の世界は天蒔でできていた。

それなのに、天蒔はいなくなった。その瞬間から、僕は半分になった。


天蒔がいなくなったのは突然だった。いつもの学校からの帰り道。いつもの坂道。その上にある小さな展望台。

その展望台からは僕たちが住んでいる小さな町が一望でき、夕方になると、きれいな夕陽が空を染める。僕と天蒔のお気に入りの場所だ。学校から帰る途中、僕らはいつもそこで夕陽を眺めながら休憩していた。

僕と天蒔、ふたりで学校に行って、二人で展望台で移ろいゆく空を眺め、ふたりで家に帰る。そんな幸せな生活がずっと続くと信じていた。

物心ついたころから、僕のそばには天蒔がいた。天蒔のそばには僕がいた。


でもあの日、天蒔はいなくなった。僕の前から姿を消した。

いつものようにその日学校で起こったことをおもしろおかしく話し合いながら、いつもの坂道をのぼった。そしていつものように展望台のベンチにふたりで腰かけ、ゆっくりと地平線に隠れていく大きな陽を眺めていた。その日は天気も良く、いつも以上に空が美しく焼かれていたから、いつもよりも長い間ベンチに腰かけていた。

太陽がほとんど隠れ、空が蒼く染まり始め、反対の空から半分に欠けた月が姿を現した。

天蒔は唐突に立ち上がり、展望台から身を乗り出した。

「あの星に手が届けばいいのになぁ」

そう呟いて空に右手を伸ばす。

天蒔の華奢な腕がまっすぐに天を仰ぎ、まるで星を捕まえるかのように手を握る。

「ねえ朝樹」

そう言って振り返った天蒔は僕を見て微笑んだ。

赤橙と藍が鮮やかに奏でるグラデーションを背に微笑む天蒔は、この世のほかのものに例えようもなくただ美しかった。

「うん、そうだね。きっといつか届くよ」

天蒔の微笑みをもっと見ていたかったから、僕はそんな風に答えた。

天蒔は再び天を仰ぎ、ぐっと背伸びした。

それにつられて僕も空を見上げた。そこには砂漠に光る一粒の宝石のように、青白くちいさな星が瞬いていた。

こんなに世界は美しいんだからあの星にだって本当に手が届くかもしれない。

気づけば僕も右手を天に掲げていた。人差し指と中指の間から覗くその星は、今にも僕の手の中に落ちてきそうだった。

一度目を閉じ、息を大きく吸う。初夏の夜独特のひんやりとした空気が体に流れ込み、その心地よさにしばし浸る。

そして目を静かに開いた。

目の前にいるはずの天蒔は忽然とその姿を消していた。


その次の日から、僕は天蒔が帰ってくるのを待ち続けた。毎日あのベンチに座り、天蒔を待ち続けた。

そしていつしか僕は、あの展望台で天蒔を待つことだけを目的に生き始めた。


あの時のことはよく覚えている。あの時の光景は目の前で再現できる。たとえ今があの黄昏時ではなく、真夜中であっても。たとえ今があのさわやかに風が流れる初夏の夜ではなく、肌寒い風が吹き抜ける初冬の夜であっても。

漆黒の空に雲が流れ始め、冷え込みも一層厳しくなってきた。

今日も天蒔は帰ってこなかった。

「でも、いいんだ」

そう独りごちて冷え切った腕を漆黒の空に掲げ、指と指の間から空を見上げた。

あの星は見えなかった。

天蒔は絶対に帰ってくる。それは疑いようのない確定未来だ。僕は兄らしく、帰りの遅い妹を待とうではないか。

でも、もうこんな時間だ。天蒔はこんな時間に外を出歩いたりしない。

「また明日、だな」

僕は立ち上がり、展望台を後にした。


僕のもう一つの日課、それはネットサーフィンだ。

もちろん目的は天蒔についての情報収集。僕はこれを展望台から帰った後に必ずやっている。おかげで僕の生活は昼過ぎに起きて展望台に行き、そのあと翌日の朝方までパソコンの前に座って情報収集、といった感じで、かなり不健康なものだ。天蒔め、帰ってきたら覚えていろよ。

そんなことを思いながら僕は今日もキーボードを叩き、マウスを操る。

きっと天蒔なら、僕が寂しくないように自分の居場所をどうにかして伝えようとするはずだ。

だから、たとえ今日見つからなくても落ち込まない。明日見つからなくても諦めない。 だって天蒔は必ず帰ってくるから。

モニターを長時間眺め続け、瞼が重くなってきたころ、ふとある文字が目に留まった。


どんな願いでも叶えてくれる神様


落ちかかっていた瞼をめいいっぱい開いた。

その言葉はとても魅力的だった。

もちろん僕の願いはあの日からただひとつ。天蒔が帰ってくることだ。天蒔の帰りを待つことは決して苦にはならないが、すぐに帰ってきてくれるというのであればもちろんそっちの方が嬉しい。あぁ、はやく天蒔に会いたいなぁ。

僕は惹かれるようにマウスを操り、その文字をクリックした。

すると画面はどこかの掲示板に飛んだ。

僕は食い入るように画面に目を走らせた。


 どんな願いでも叶えてくれる神様がいる。その名前は「呟きさん」

    正式な名前は誰も知らないらしいが、なんでもその神様が祀られている祠で願いを言うと、神様のつぶやきが聞こえるらしい。ワイは呟きさんにお願いして彼女をゲットしたお

   呟きさんにお参りすると、不治の病と宣告された母親の病気が、嘘のように完治しました。

ただし条件がある。

                                         死ぬかと思った

                        気持ちって大事だお


心が躍った。

決断するのに時間はかからなかった。


次の日、いつものように展望台で天蒔を待った。今日も天蒔は帰ってこない。

今日はこのあたりにしよう。

僕はいつもより早めにベンチから腰を上げた。

出発の前に、沈みかけの太陽を臨み見る。

肌寒い風が手すりの下に置かれたしおれた花束を、寂しげに揺らした。

「待ってるだけじゃ、駄目だよね。迎えにいかないと」

そのまま近くの駅まで歩いた。

すでに辺りはすっかり夜で、日に日に深さを増す冬の寒さが遠慮なく僕を襲う。

駅構内に既に人の姿はほとんどなく、蛍光灯に寒々しく照らされた時刻表を見ると、もう電車はほとんど残っていなかった。

僕はポケットから一万円札を引っこ抜き、切符を買った。余った金はそのままポケットに突っ込み、静かに電車に乗り込んだ。

今から天蒔を迎えに行くと思えば嬉しすぎて、思わず頬が緩んでしまっていた。それに気づいて僕はあわてて気持ちを引き締め直す。こんなに情けない顏を久しぶりに会う天蒔に見せるわけにはいかない。

移ろいゆく光の粒を車窓から眺めながら、はやる気持ちを落ち着かせた。


目的の駅に着いたのは日付が変わる寸前だった。僕が乗っていた電車が走り去ると、辺りは静寂に包まれた。虫の音すらしない。

無人改札を抜けて駅を出てみると目前には闇に染まった田園が広がっていた。外灯の類はほとんどなく、暗闇に生えたように浮かぶ駅舎はなんだか不気味だった。

僕はポケットから携帯端末を取り出し、地図を表示しようとした。しかしいつまでたっても地図が出てこない。不思議に思って画面をよく見ると、画面の端に「圏外」とあった。

まぁ、まわりがこんなだったら圏外でもおかしくないか。

昨夜調べた時の記憶と、携帯端末の光を頼りに細い畦道をすすんだ。

しばらく歩くと道は終わり、目の前に森と、それを横切る石畳の階段が姿を現した。多分この山の頂上あたりにあるはずだ。

僕は携帯端末を前方にかざし、頂上へと続く石段を照らした。

すると道をふさぐように張られたロープと立ち入り禁止の看板。何となく予想はしていたが、やはり普通は入ることは禁じられているようだ。

でも僕は何のためらいもなくロープを潜り抜けた。

長い間、ここに立ち入った者はいないのだろう。石段はあちこちが苔生し、崩れかけているところが多々あった。僕はそれらに足を取られないよう、慎重に足元を照らしながら進んだ。

ふと後ろを振り向くと、すでに石段の始まりは見えず、一寸先は闇。まるでずっとこの石段を登り続けているかのような錯覚。

と言うか、すでにかなりの時間が経過している。携帯端末の時計を確認すると、石段を登り始めてからもう二時間が経とうとしている。

「長いなぁ」

さすがに心細くなって、そう呟いてみるが、無論、返事を返す者はない。

でも、これも天蒔と会うためだ。

そう思うと足の疲労は嘘のように無くなり、俄然歩調が上がる。

天蒔、天蒔、天蒔…。

天蒔のことを思いながら、ひたすら頂上を目指す。

携帯端末の電池が切れて足元が見えなくなっても、普段動かしていない脚が痛み、きしんでも、決して登ることをやめなかった。

「天蒔、待ってて。天蒔…」

気が付けば僕は妹の名を口に出していた。

だんだん天蒔のこと以外を考えられなくなり、頭が天蒔でいっぱいになる。

自分の体の輪郭があいまいになり、すべての感覚が消えうせる。

それでも僕は足を止めない。止められない。

何かに憑りつかれたかのようにただ登る。

不意に視界が真っ白に染まった。

真っ白な空間の中に浮かび上がる、小さな祠。

その祠には奇妙な大蛇が巻き付き、その口で自らの尻尾を咥え、祠にしっかりとはり付いていた。

そして、誰かの呟き。

   居なくなった妹と…、それを想う一途な兄…。


   だが、妹は…、そうか…。

   

   妹に、会いたいかい?


その瞬間、僕のすべてが白に染まった。


うっすらと目を開けると、そこは見慣れた僕の部屋。床には空いたペットボトルやカップめんのごみなどが散乱している。

異常に眠たい。今は何時だ。

半分目をつぶったまま、手探りで携帯端末を探り当てる。それを頭上にかざして薄目を開けた。

「なんだ、まだ朝か…」

昼から展望台で天蒔を待つために、今はしっかりと寝ておかないと。

そう思って目を閉じかけたとき、掲げた左手の手首で何かが揺れた。

のっそりと起き上って確かめてみる。

「これは…バングル?」

おしゃれには疎いはずの僕の左腕には、なぜかバングルがはめられていた。

よく見るとそのバングルは蛇をあしらったもので、その蛇は自分の尻尾を咥え、僕の左腕に巻き付いているみたいで気味が悪い。

こんなものいつ手に入れたんだ?

記憶をたどってみるが、こんな趣味の悪いバングルを買った覚えなんて一切なかった。

腕から外そうとしたが、なぜか外れない。まるで本当に蛇が巻き付いているみたいに僕の腕を離れるのを頑なに拒んでいるようだった。

「なんだっ、これ」

いくらバングルを引いても無駄だった。それはよく見ると僕の体の一部みたいに腕の皮膚と一体化していた。

「くそっ! どうなってるんだ!」

いらだって思わず床を思いっきり蹴った。

と、階下から、どこか懐かしい軽快な足音が聞こえてきた。

なんだろう?この感じ。

落ち着きを取り戻した僕は、耳をそばだててその足音の正体を模索する。

その足音はこちらに近づいてきているようだ。そして聞こえはじめる機嫌のよさそうな鼻歌。

がちゃり。

部屋の扉が開いた。

「おっはー! 朝樹! 今日もねぼすけさんかね~?」

ちょっとからかうような口調で部屋に入ってきたのは見間違えようもなく、天蒔だった。



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