はじめに
エルンスト・ユンガー(Ernst Jünger)という名の作家がいた。1895年、ハイデルベルクにて生を受けたユンガーは、1998年の死に至るまでの102年という長い人生を生きた。ユンガーは、20世紀という激動の時代をその目で見つめ、その空気を肌で感じ、鉄と火の嵐の中で血を流した。彼は二つの世界大戦に関わった、軍人として。ユンガーの思想、そして作家としての彼の人生は、戦争から始まったといえる。現在ではユンガーはトーマス・マン、ブレヒトと並ぶ20世紀ドイツを代表する作家のひとりに数えられ、彼の作品、思想は、無数の人々に影響を与えている。ドイツ系ユダヤ人の哲学者カール・レーヴィットは、1940年に日本で発表された彼の論文『ヨーロッパのニヒリズム』の中で、ユンガーを「ニーチェの最も過激なる門人」と評している(1)。ジュリアン・グラックは彼の著書『偏愛の文学』の中で、エルンスト・ユンガーの『大理石の断崖の上で』のためなら、「最近十年間のほとんどすべての文学を捨ててもいい」と語った(2)。第二次世界大戦中に書かれた『平和』では、汎ヨーロッパ主義と反戦が訴えられ、ナチズムの打倒と後のヨーロッパ連合の結成に影響を与えた。現在のEUの中においても彼の思想は脈々と生き続けているのである。1982年にはゲーテ賞を授与され、今では全22巻に及ぶ全集も出版され、ドイツ文学界の巨匠のひとりとして、その名声を確固たるものとしている。21世紀を迎えたわれわれは、20世紀のドイツ、いやヨーロッパが生み出した最後の巨匠ユンガーを、改めて知る必要があるだろう。ここでは、世紀末のヨーロッパに生まれたユンガーが、作家、思想家としての道を歩み始めるそのきっかけとなった第一次世界大戦にどう関わったのか、ひとりの将校として最前線に立ったユンガーを取り巻いた状況とはいかなるものであったのか、述べたいと思う。
(1)『ヨーロッパ精神がまだ衷に生きてゐたドイツの最後の哲學者はニーチェであった。しかしニーチェは旣に古いヨーロッパから新しいヨーロッパへ移らんとする境界に立ってゐる。その新しいヨーロッパは、ニーチェの最も過激なる門人たるユンゲルによれば、「ドイツの特例」にすぎない』カール・レーヴィット、『ヨーロッパのニヒリズム』、柴田治三郎訳、筑摩書房、1948年、135頁。
(2)『たとえば私がもし実感に発するなまの偏愛をたてに、エルンスト・ユンガーのあまり知られていない小説「大理石の崖の上で」一巻のためなら、最近十年間のほとんどすべての文学を捨ててもいい、あるいは、解放後真に私の関心に触れた唯一のフランス小説はロベール・マルジュリの難解な作品「龍の山」のみであると主張するとしても、それをくりかえし言うことにはやはりたちまち疲れてしまうことであろう』ジュリアン・グラック、『偏愛の文学』、中島昭和訳、白水社、1978年、23頁。