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「今、家だよね?」

「はい」

 右耳に、いつもの柔らかさや穏やかな空気を全く感じさせない、静かな声が響く。

 今日の昼休み。司月から、少し話をしたいので今夜電話をする、というメールが届いた。それを見た瞬間、彼は自分に関わる事をやめる決心がついたのだと分かった。当然の事であって、むしろ、もっと早くにそうしてもらうべきだったのだけれど。どうしても、午後の仕事に、身が入らなかった。

「そっか。・・・じゃあ、ちょっと僕の言う事、よく聞いて? 反論とか、そういうのは後でね」

「・・・はい」

 有無を言わせない口調には、素直に返事をする事しかできなかった。もっとも、反論なんてできる立場ではないのだが。それでも、彼のその珍しい物言いにはかなり面食らってしまう。

「僕はね、貴重な休日を無駄だと思う事に費やす趣味はないんだ」


 あっさりと、言い放たれた言葉。

 分かってはいたけれど、こうも簡単に出されたら。心臓が騒ぎ出す事を止められなかった。思わず吸い込んだ、息の音は、電話ごしに彼にも伝わってしまっただろうか。

「伊吹ちゃん」

 どうしようもなく、得体のしれない感覚が体の内側を痛めつける。呼ばれた名前は自分のものだけれど、どこか遠くで聞こえた気がした。

「伊吹ちゃん、聞いてる?」

「っ、はい・・・」

 泣いてしまえば、司月を困らせるだけ。だから、必死に返事をした。

「僕は伊吹ちゃんと一緒にいる時に、つまらないとか時間の無駄とか、そんな事を言った?」

 先程までとは違った、ゆっくりとした、優しい声。

 耳に響くそれは、うるさく鳴り続けていた心臓を、ふわりと包み込んだ。

「伊吹ちゃんからは、僕がつまらなそうに見えた?」

 彼は何を言おうとしているのだろう。

「答えて? 伊吹ちゃんはずっとそう見えてたの?」

 促されたその質問。司月の求めるそれの意図が判らなかった。

「・・・っ分かりません」

「僕がそんな態度をしてた事? 何が分からないのかな?」

 何をどう答えればいいか、焦って、頭の中が混乱して。唐突に飛び出した言葉に、司月は穏やかに問い返してくる。

「・・・・・・っ」

「伊吹ちゃん。さっきも言ったけれどね。僕は無駄な時間をわざわざ自分から作ったりしないよ? 伊吹ちゃんと一緒にいて、つまらないなんて思った事は無いし、そんな風に言った覚えも、ふるまった覚えもない」

 電話の向こうで、彼がすらすらと言葉を並べてきて。

「もし、伊吹ちゃんにそう思わせてしまったのなら、ごめんね」

「っっ、そんなっ、謝らないで下さい!!」

「うん。でもね、伊吹ちゃんはさ、僕が伊吹ちゃんの事を厄介だとかそう感じていると思ってたんだよね?」

「・・・は、い」

 答えなさい、と言っているような、どこかしら圧力を伴った問いかけ。

 正直に返事をすると、くす、と小さく笑う声が聞こえた。

 それは決して嫌な感じではなくて。右耳に届いたそれに、頬が熱くなる。

「違うからね。僕は少しもそんな事思ってない。言い方は悪いけど、伊吹ちゃんが勝手に思い込んだだけだよ?」

「はい・・・」

 彼の言う通り、確固とした証拠もないのに、自分は勝手に決め付けていた。けれど、そう思う方が自然だった。


「・・・そんなに(かしこ)まらないでもいいんだよ。もうちょっと楽にやろう? 伊吹ちゃんが嫌がらない限り、僕は自分から距離をおかない」


 何故。

 彼はそんな風に言っているのだろう。

 そう思ってから、違う、と感じた。彼が、言っているのではない。自分が、そう言わせているのだ。


「・・・・・・ごめん、なさい」

「何で謝るかなぁ。さっきのは、君に気を遣ってるとか、そういうのじゃないよ。本当にそう思ってるだけ」

 一刀両断。

 そんな感じで、勇気を出して口にした謝罪すら、すっぱりと切り捨てられた。

「伊吹ちゃんって、そんな風に常に人の言う事を信じないの? これは社交辞令だ、お世辞なんだ、とか」

 またしても、笑い声。面白いことを言ったつもりは、全くないのだけれど。彼の何やら楽しそうな声で、寒かった体に、暖かさが戻ってくる。みじめな気持ちになっていたはずなのに、そういうマイナスなもの全てがどこかに消えていく。

「ああ、そうか」

 本格的に笑い出しながら、司月が先を続けた。

「伊吹ちゃんに、今まで彼氏ができなかった訳。何となく分かる。そうやって、言い寄る男の言葉全部、本気にしてこなかったんだ、きっと」

「ちが、」

「違わないよ。そうだって、絶対。それで、デートに誘いたい男の方は、一向に相手にしてくれない伊吹ちゃんを前にして、途方に暮れたんだ」

 小学校は、普通の公立校に通った。けれど、頻繁に学校を休み、体育の授業もまともに出席できない自分は、男子生徒の格好のからかいの対象にされた。それで、少なからず大泣きしては体調を崩してきたので、心配した両親の勧めで中学から短大まで女子だけの一貫校にいたのだ。だから、もともと男性との接点すらない。

 それを司月に説明すれば、またも明るい笑い声を返される。

「会社は女の子ばかりじゃないよね。短大の時だって、飲み会くらいはあったんじゃない?」

「・・・・・・」

 もう、本当に。何を言えばいいのか。いつの間にこんな話題になってしまったのか。

 楽しそうに笑う彼の声を聞きながら、黙って。司月の言いたい事を待つしかなくて。

「なんか・・・分かったよ。伊吹ちゃんが、どういう事気にするとか、そういう感じ。ちょっと緋天に似てる所もあるしね」

 笑い収め、といった様子でくすりと小さく響かせてから。

「うん、伊吹ちゃんは、とりあえず、僕の言った事を信じる事。信じられないのならすぐに言う事」

 一番初めに話していた時のように、静かな声。

「そうでなければ、伊吹ちゃんの負担になるだけだしね。そういう気持ちになれないなら、これは終わり。僕は役立たずって事で退散するよ」

 残念だけど、と付け足されて、司月が一瞬黙る。

「・・・そんな感じでどう? お返事を頂けるかな、伊吹ちゃん」

 頭に上る熱は最高潮に達していた。頬も、耳も、真っ赤に染まっているだろう。彼の言ってくれる言葉は全部、まるで自分が大切な人間であるかのように、心臓に響いてくる。何故、自分なんかの為に。そんな気持ちに押し潰されそうになりながらも、司月の言葉が嬉しくて、泣きそうになる。

「やっぱりまだ、ダメっぽい? それとも、良いのかな?」

「・・・っ、ぁ、はい」

 返事ができなかった自分を促す彼。答えは迷う必要もなく。

「ん? 大丈夫ってこと?」

「~~~っ、はい」

 あまりに恥ずかしくて、消えてしまう事ができたら楽なのに。そう思いながら出した言葉に、司月のほっとしたような、小さな吐息が聞こえた気がした。

「じゃあ、今まで通りだからね。またどっか行こうか。考えとくよ」

「はい・・・っ」

 今日はずっと、はい、と言う事ばかりだ。気付いた時に、司月も同じ事を思ったのか、くす、と笑う。

「長電話してごめんね」

「いえ、あの、なんか色々・・・面倒ですみません」

「またそういう事言う・・・僕は面倒じゃないからいいんだよ。あ、そうだ、ちょっと言ってみて」

「え・・・何をですか?」

「僕は面倒だと思ってない、って」

 なんだか、自信いっぱいな、その口調。

「はい、どうぞ」

「う、あ、・・・司月さんは」

 早く早く、と。急かされているみたいで。口に出す。

「あたしのことを、面倒だと思ってな、い・・・?」

「今ちょっと疑問系だったね。はい、やり直し」

「え!?」

「もう一回」

 先程言葉にしたそれは、確かに自分の中へと染み込んでいた。恥ずかしいのだけれど、もう一度口にする事は、とても大事な何かを自分へ与えてくれるような、そんな気がする。


「司月さんは、あたしの事を、面倒だと、思ってない」


「うん。思ってないんだよ、初めからね」

 言い切った途端、安堵して。全身から抜けていく余計な力。ものすごく、優しく優しく発せられた司月の声が、その後へと入り込む。

「また連絡するよ。・・・おやすみ」

 居心地の良い束の間の沈黙を破って、司月が優しい声のまま通話終了を切り出す。

「はい。おやすみなさい・・・」


 静寂が、部屋と自分の体内を包み込む。

 ベッドカバーや、机、目に見えるもの全てが、司月からの電話を受ける前と違って見えて。

 これは。この感じは。

 彼がこの部屋に来て、話を聞いてくれた時のクリアな感じと同じなのだ、と。


 そう気付いて、それから。少し違う点にも気付く。

 自分の心臓が高鳴っていて、顔も熱い、そんな事。




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