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「お兄ちゃん・・・ちゃんと言ってくれたんだよね・・・?」

 受話器の向こうから、伊吹の疑いと戸惑いが混じった声が聞こえてきた。

 窓の外は強風、寒さも極まっている真冬だというのに、額ににじむ汗を拭わずにはいられない。

「あ、ああ、聞いたけど・・・」

 とりあえず出てきた言葉。本当は、妹の望んでいた事を実行するのをすっかり忘れてしまっていたのだ。

「じゃあ・・・何でまた誘ってくれるの・・・!?」

「そ、それはだな、お前の事を気に入ってるからに決まってんじゃん」

「・・・そんなの事ありえないよ。司月さんは迷惑してるもん」

「してないって。何でそうやって決め付けるんだよ? とりあえず、明日会って来い。そしたらお前も分かるだろ? 直接会って話さないと司月の考えてる事なんて、お前の想像だけで終わるだろ。本当は違うかもしれないのに」

「・・・・・・でも、あたしには気を遣って本当の事言えないだけだよ」

「だーかーら。それはお前の想像。そう思うなら、自分で聞いてみればいいじゃん」

「・・・・・・」

「とにかく行け。断るなよ!!」

「・・・」

「返事は!?」

「・・・わ、かった・・・」

「よし、じゃあ頑張れよ!!」

 

 ピ、と電子音をさせて通話を切る。

 一方的に終えた会話は、伊吹をその気にさせる事ができたとは思うが。

「やば・・・どうしよう・・・」

 年末の記憶が一気に甦って。焦った声が勝手に出てきてしまう。

 昨年末、約二週間前に。

 同僚である司月と、自分の妹の伊吹が初デートを終えた頃。様子を窺う電話を伊吹にかけたら、彼女は司月が無理をしているから、もう彼を自由にしてやって欲しいと言ってきたのだ。元々は、妹と付き合いの真似事をしてくれと、自分が司月をけしかけた訳で、こちらも彼がそれを忠実に実行してくれていると分かってはいた。

 だからこそ、伊吹が電話で司月と話をしてくれと言った事を、撥ね付けるような事もできずにいた。

 ところが、尋常でない年末の忙しさ、休み時間も満足に取れない流れ、連日の残業に。オフィスで司月とすぐ近くにはいたものの、そんな事を言い出す機会もなかったし、それ以前に頭からすっかり抜け落ちていたというのが事実。

 

 年末は少しメールが途絶えがちだったのだけれど、休みに入ってからは司月が以前と変わらないペースで連絡を怠らないものだから、伊吹がおかしいと思い始めていたところへ、明日の休日出掛けないかと誘い。それに驚いて自分へと電話をかけてきた彼女の戸惑いは放置して、司月がまだ嫌だと言い出さないならこのままでいいかと思い、妹の背中を押す兄は、悪魔だろうか。

 

 友人を利用してまでも、伊吹の目を外に向けさせたいと願う。

 自分が結婚という選択肢を手にした事がきっかけだったのだが、このまま彼女が誰かと幸せを分かち合う、そんな気持ちを知らないまま生きるのは、可哀想だという感情よりも、むしろ勿体ない、とそう思ったから。

 伊吹の手を、自分が引けなくなった今は。代わりに彼女を守ってくれる誰かが間違いなく必要で。

 それが司月であるならば、問題ない。

 司月であればいいと期待するのは間違っていないと、本能が告げていた。

 

 

 

 

 少し遅めの昼食を終えて、外に出た。

 途端に冷たい風が肌を刺して、思わず首もとのマフラーの存在を確かめる。隣を歩く伊吹は以前会った時ほど映画に夢中になってはいなかったようで、向かい合って食事を続ける間もどこか遠慮がち。見えない壁の向こうから言葉を返されているようで落ち着かなかった。

「・・・伊吹ちゃん・・・まだ時間ある?」

「え・・・あ、はい」

 伊吹の様子がおかしいからといってこのまま帰るのは、何か違う。本当はもう一度、彼女の笑顔を見たいと思う自分がどこかにいるから、そんな言葉が出てくるのだけれど。

「あのさ、良かったら・・・前に言っていた妹の誕生日のプレゼント、一緒に選んでくれないかな?」

 人波の絶えることない大きな通りの中で。彼女の姿は消えてなくなりそうだった。自分よりも背が低く、細い。何故こんなにも壊れそうなのかと目を疑ってしまう。この前は、それでも楽しそうに話をしてくれたのに、今日は何がいけなかったのだろうか。

「えっと、・・・あたしでいいんですか?」

 戸惑ったように返す伊吹に急いで頷く。

「伊吹ちゃんがいいんだよ。なんか緋天と趣味が合いそうだから」

 彼女は驚く顔を見せた後、小さく口元を綻ばせて。恥ずかしそうにうつむいてしまう。

 それだけで、充分だった。

 今の自分に活力を与えるには。

「色とか形とか、そういう意見聞かせてくれるかな? だいたい目星はつけてるから」

「・・・はい」

 返事をしてくれた彼女を、目の前の大手クラフト店へと誘導する。

 少しだけ。伊吹が近くに歩み寄ってくれて、ようやくほっとした。

 

 

「・・・いいのあった?」

 かなりのボリュームで流れる音楽と、多くの人々の賑わう声。それらのおかげで、自分の声が彼女に届かなかったのだろう。自分のいる棚の向こう側で、真剣に小さなケースの中身を眺める伊吹は、こちらの呼びかけに気付いていなかった。手元を見つめるその横顔、白い頬にかかった細い髪。どれもがあまりに繊細で、兄の惺にはあまり似ていなかった。

「伊吹ちゃん」

 もう一度、少し声を大きめにして呼んでみたのだけれど。

 彼女は一向に気付いてくれない。

「伊吹ちゃん」

 足を動かして、棚を回りこみながら再度声をかけた。

 きれいに無視されているのだろうかと思うくらい、彼女は相変わらず手元を見たまま。

「・・・伊吹ちゃん?」

 今度は真横に到達して、顔を覗きこんでみる。

 びくり、と肩を震わせて、ようやく伊吹がその顔を上げた。

「っっ、あ、す、すみませんっ・・・・今、呼んでました・・・?」

 驚いていた表情が、何故かどんどん強張っていく。

「そんなに気にしなくても・・・ここ、うるさいから聞こえにくいよね」

 青ざめてひたすら謝る彼女の様子は、過剰な反応にも思える。何か悪い事をしてしまった気がして、居心地が悪かった。暖房がしっかりと効いているのに、顔色が悪くなってしまった伊吹も気になって。

「大丈夫・・・?」

「っはい、あの、えっと、これとかどうですか!?」

 何かを掻き消してしまうかのように彼女は少し声を上げて、自分の左側まで移動してくる。それから、手に持っていた小さなケースを差し出してきた。中には加工された小さな淡いピンクの丸い石がいくつも収まっている。

「・・・うん、いい色だね。緋天が好きそう」

「これと同じシリーズでいくつか色があるので・・・それで揃えたらどうかな、って」

「そうしようかな。あと、あっち側にあったのも見てくれる?」

「はい」

 彼女の提示した案を受けて、そのまま話を続ける。

 踏み込んではいけない領域が、すぐ目の前にちらりと見えたような感じがした。

 

 

 

 

 話がある、と口にして。

 連れ出した馴染みの食堂。目の前の司月は、先程からずっと押し黙ったままだった。

「あのさ・・・司月の事だから、おれの言いたい事、うすうす分かってるとは思うけど・・・」

 何とも歯切れの悪い言葉を口にすれば、彼は渋い顔を見せる。

「おれ、お前が律儀な奴だって分かってたから頼んだのもあるんだよな。でもさ、さすがに。お前の重荷だって知りながら放置しておくのはどうかと思った」

 一方的にまくし立てる。元はと言えば、自分が浅はかだったのだけれど。

 やはり少しでも希望があるならば、それに縋りたい。

「・・・ごめん。伊吹がお前の事、解放してやれ、って。あいつ相手じゃ、お前は優しさに邪魔されて、いつまでたっても言えないだろうから・・・おれになら、言えるだろ」

 後ろ髪は、引かれまくりだ。けれども、男として通しておく筋というものもある。

 司月の表情は、怖くて目にできずに。テーブルの上の、緑茶に目を落とした。

 

「・・・・・・お前、何言ってるの?」

 

「・・・は?」

 頭に降ってきた、司月の呟き。

「・・・何か、誤解が生じてないか・・・? 僕は伊吹ちゃんの事、重荷だとか思ってないけど」

「・・・え?」

「どこで何がそういう風に伝わってるんだ? 伊吹ちゃんは、僕が彼女と無理やり会ってると思ってる、って事? そんな風に言った覚え、ないけど・・・そういう態度を取った覚えもないし」

 顔を上げれば、司月は呆れたような、怒ったような、とにかく複雑そうな表情をしていて。

「・・・でもそう思わせたのが僕なら、それは謝るよ。・・・もしかして昨日、様子がおかしかったのはそのせいかな・・・」

 ごくり、と唾を飲み下す。

 いい奴だとは思ってはいたが、まさかここまでとは、と感慨が込み上げる。

「あの・・・司月様」

「・・・その呼び方やめろ。馬鹿にされているのが前面に押し出されてて嫌だ」

 めったにしないような目で、一瞥され。少なからず背筋を冷やしながらも口を開く。

「つまり・・・伊吹の事は面倒じゃないわけ? まだあいつに付き合ってくれるのか・・・?」

「ああ・・・うん、普通に面白いし・・・っていうか何でお前も早く僕に確認しないんだよ」

 苦笑しつつ携帯を手にする彼の姿が、後光に包まれているように見えた。

 面白いという答えは、自分の期待していたものとは違っていたのだが。

 

「じゃあ。これからも・・・伊吹のこと・・・頼む」

「・・・了解」

 

 ふ、と柔らかく笑った彼に。

 一瞬、目を奪われた。

 


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