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 エンディングロールを最後まできっちりと観終わって。

 横の伊吹を窺ったら。放心したような状態で、スクリーンに目を向けている。無言で立ち上がり、上着を羽織るので、彼女に倣って自分もコートを引っ掛けた。そして来た時とは逆に、彼女の後に続き、他の客の流れに従って外に出る。

 自分としてはかなりの高得点。それが今観終わったばかりの映画への評価。何も言葉を発しない彼女に、少々どころかかなりの不安を覚えてしまい、ざわめく人ごみの中で伊吹に声をかけた。

「伊吹ちゃん」

「・・・あ。あの、ちょっとパンフレット買ってきます!!」

 声をかけて、初めて自分がいる事に気付いたかのように。彼女が驚いた顔を自分に向けて、約二時間前とは明らかに違う元気のある声でそう言って、カウンターへと向かう。その言葉に自分も同じものが欲しくなって、彼女の後を追った。

 二人で目的の品を買って、そのまま外へ出る。映画の面白さにかなりの満足感でいっぱいで。それなのに、横を歩く伊吹の様子が気になった。嬉しそうに胸にそれを抱える彼女。

「・・・お茶でも飲みながら、それ見ようか」

 このまま帰るのもおかしい。頭はそんなセオリーを告げて、心は彼女の笑顔に反応して。そう口にした。

 ぱっと顔を上げた伊吹が、またしても嬉しそうに微笑んで自分を見て頷く。ようやく確信を得たが、どうやら彼女の先程からの少しばかり奇怪な行動の裏には、映画のあまりの面白さに自分の世界に入っていた、という理由が挙げられるらしい。

 

 

「すっごく面白かった!!」

 コートを脱いだ彼女が、すとん、と椅子に座るなり、全開の笑顔を自分に向けた。

 映画館のすぐ横に位置するカフェ。

 奥の席に通されて、店内の暖かい空気にほっとしているところへ。彼女がそう口を開いたのだ。

「うん。あそこが良かったね、ほら、女の子が主人公のところに笑顔で走るところ」

「あの笑顔がすーごく幸せそうで良かったですよね!」

 大きく頷きながら自分に答える伊吹は、どうやら緊張が解けているようで。その口調も、笑顔も。本来の彼女のものなのだろう。敬語はそのままなのだが、映画が始まるまでの硬さがどこにもない。

 にこにこする彼女をちらりと見ながら。若い男の店員が水とメニューを置いていく。それが彼女を我に返らせる合図となったのか、伊吹が恥ずかしそうに自分を見る。

「・・・伊吹ちゃん、甘いもの好き? ケーキがいっぱいあるよ」

 もう少しだけ、無邪気な彼女を見ていたかったのだけれど。それを隠してメニューを開く。

「わぁ、ほんとだ・・・美味しそう」

 ほんのり微笑んで、カラフルなケーキの写真を眺めて言う、その言葉は。本音だと思う。

「よし、決めた。伊吹ちゃんは?」

「えっと、これと、アッサムで」

 おずおずと指差す先を確認して、既に控えていた店員に自分の分を合わせて注文する。

「・・・司月さんも甘いの好きなんですか?」

「ああ、うん。男がケーキとか食べるのってやっぱり変かな」

「いえ、全然・・・」

 首を振ってそう言ってから、一拍置いて、彼女は目線を膝に落として、もう一度口を開く。

「・・・あの。だって美味しいものを食べるのに、男女は関係ないと思います」

 自信のなさそうな、そんな声。これは彼女なりの意見を、頑張って口に出してくれているのだ、とその様子から判った途端、ものすごく嬉しかった。自分と話をしようと思ってくれている、という事だから。

「ありがとう」

 嬉しいまま、当然のように飛び出したその言葉に。伊吹の顔が赤くなっていった。それがとても可愛く映ってしまう。口元が緩むのを止められない。

「パンフレット見ようか」

 そんな彼女をそのまま眺めてみようか、という自分の意地の悪い発想を抑え込んで、買ったばかりのそれを取り出しテーブルに乗せた。横にして、伊吹も覗けるようにする。頬を染めつつも、彼女は本来の興味を取り戻して写真に目を落とした。

 首元を覆うふわふわとしたセーターが暖かそうで。そこからのぞく白い顔も、会った時のように気分が悪そうには見えなかった。ただ、真っ白だった頬が今は自分の言葉で染まっているから、良好な状態に見えるだけかもしれないけれど。

「失礼します」

 ぽつぽつと映画のシーンなどの感想を交わしながら、パンフレットをめくっていった。二人でそれに見入っていたので、唐突に聞こえた店員の声に、同じく双方驚いて顔を上げる。

「・・・びっ、くりしたぁ・・・」

 注文の品を並べて去っていった彼を見送って。ようやく呪縛が解けたのか、伊吹がぽつりと呟いた。それについては全く同意見だったので、思わず頷く。そんな自分の行動がとても愉快に思えた。

「・・・司月さんも、結構集中してました、よね・・・?」

「うん。ちょっと恥ずかしいかも」

 お互い苦笑してからフォークを手に取る。伊吹の着ているセーターのような淡い色のクリームで飾られたケーキの端を切って、それを彼女の皿に載せた。そうしてから、またもや気付く。何故こうも調子が狂ってしまうのだろう。彼女は緋天のような妹でもなく、ましてや愛を囁く恋人でもない。それどころか、そんな行動をすれば戸惑ってしまうような性格の持ち主なのに。

「あ、これ嫌いだった・・・?」

 一瞬、彼女の皿の上で手を止めてから、ようやく顔を上げる事に成功した。まずいと思ったのは事実だが、もはや引き返せないところまできていたから、そのまま大した事ではないのだという顔をする。

「っ、いいえ!・・・ありがとうございます」

「じゃあ、こっち貰うよ?」

 先程は赤い顔をする彼女を見続けようかなどと思っていたのだが、我が身の無意識的な行動、つまりは予想の範疇外の中で自分も驚いているのに、それを決定付けるように彼女が再び頬を染めるものだから。こちらまで熱が顔に上りそうになる。それを抑える為に、伊吹の皿から彼女のケーキを少し削って。何とか、自分の手を戻すことができた。

「・・・うん。美味しい」

 程よく酸味のきいたクリームチーズとスポンジが、口の上で溶けてから彼女の選択したケーキの評を述べる。暖かい紅茶を飲んで、本来の自分をやっと捕まえた気がした。テーブルを挟んで、赤くなって停止した伊吹を目に入れて、常に優勢でいなければ、と思った。今のように自分が戸惑えば、彼女は更に戸惑ってしまうのだから。

「伊吹ちゃん? 食べないの?」

「あ、はいっ、食べます!」

 慌ててフォークを手に取る彼女を見やって、こぼれた笑みは。

 どうやら伊吹には聞こえなかったらしく、どこかでほっとした自分がいた。

 

 

 

 

「どうだった? 司月様は?」

 家に帰り着いて。

 コートを脱ぎ、ベッドに腰を下ろし。自然と出てきた溜息の大きさに、自分で驚いたその時。兄から電話がかかってきた。まるで、家に帰り着く時間を把握していたかのようなタイミングの良さが、何か恥ずかしくて。開口一番、右耳に響いたそんな言葉にも答えを返せない。

「・・・あれ? 何? もしかして・・・最悪だった、とか?」

 黙っている自分に、彼は何か悪い想像をしたらしく急に声が潜められる。うわ、何したんだあいつは、と小さく毒吐く声が聞こえて。ようやく口を開く。

「司月さんは何もしてないよ・・・・・・ねえ、お兄ちゃん」

 誤解を消してから、思っていた事を口にする。駅で司月と別れてから、ずっと思っていた事。

「・・・あのね、司月さんはすごく優しかったよ。あたし、男の人にあんな風に優しく扱ってもらうのって、初めてだったから、すごく緊張したし、恥ずかしかったの」

「うん・・・?」

 自分の言う事を最後まで聞こう、と。兄の声は先を促していた。色々と、何かを言いたそうな、そんな空気。

「なんか・・・びっくりした。何であんな風にできるのかな? 映画を観たいって言ったあたしに、チケットくれて、あんなに優しくして。嫌じゃないのかな」

「伊吹、それはないから」

 淡々と出てくる、自分の声。それが少し、おかしくもあった。

「疲れないわけないよね? だって、あたしは何も話せなかったもん。面白い事も言えないし、気も利かないし。・・・司月さん、今日別れる時に何を言ってたと思う?」

「・・・何を、って・・・つまらない、って言われたのか・・・?」

 驚いているような兄に。電話越しだったが、首を振る。

「ううん。今日は楽しかったよ、って。予告でやっていた映画が面白そうだから、年が明けたらまた観に行こうか、って。今月はもう忙しくて時間が取れないんだって」

 

 とても優しい笑顔で。

 彼がそう言っていた。

 じゃあまたね、と手を振って。駅の改札前まで送ってくれた。

 

「・・・伊吹?」

「ねえ、お兄ちゃん。もういいよ。あたしはとても嬉しかったよ。司月さんのおかげで、今日は新しいものを見れた気がするの。・・・あんなに優しい人の時間をこれ以上無駄にするのは、もうしたくないよ」

 迷惑以外の何物でもないはずだ。

 彼の時間は彼のものであって、自分のような人間にボランティアをする時間ではない。

「遠慮しないで下さい、って言って。付き合って下さってありがとうございました、って」

「・・・・・・分かったよ。お前の言いたい事は分かった」

 静かに兄がそう言う。

「ちゃんと言ってね? あたしが言ってもね、そんな事ないよ、って言ってくれそうなの。お兄ちゃんは友達なんでしょ? その方が本音を言いやすいと思う」

「・・・そうだな。うん、分かった。ちゃんと話をするから」

 お願いね、ともう一度念を押して。電話を切る。

 切ったところで、メールの着信表示。発信者を見れば、司月の名前。

 

 無事に家に着いたか、という心配。

 今日の映画はとても良かったから、前作も含めDVDを購入しようかと思っている、という話。

 そして。

 今夜は寒いから暖かくして寝なさい、という気遣い。


 

 優しい文面に、心臓が小さく悲鳴を上げた。

 


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