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 自分の格好はおかしくないだろうか。

 道往く人々は、誰もが洗練されていて、とてもお洒落で素敵に見えた。大きなショーウィンドーの前で歩調を緩め、もう一度自身の姿を確かめる。オフホワイトのニットコート。ふわふわした起毛のクリーム色のタートルが襟からのぞく。黒のパンツとキャメル色のブーツ。不安そうな顔。

 なんて情けない表情をしているのだろうと自分でも思う。逃げ出したい気分でいっぱいだった。今すぐ回れ右をして家に帰りたい。お決まりのクリスマスソングが耳に届いて。仲の良さそうなカップルが何組も自分の傍らを通り過ぎていく。いつまでたってもこの場所を離れられない気がした。

 

 デートなんて初めてなのに。

 どう振舞えばいいのだろう。まだそれほど親しくない人の前で、数時間、何を話せばいいというのか。

 いいしれない不安を拭いきれず、足がなかなか前に進まなかった。

 

 

 

 

 人ごみの中に細い体を発見した。

 迷子の子供が、自分は迷子ではないと強がりながら周りを見回すかのように。彼女は硬い顔でこちらに足を進める。

「伊吹ちゃん?」

 その顔色があまり良くないように見えて。背をついていた柱を離れ、声をかけた。自分に気付いた彼女へ歩み寄れば、コートと同じ真っ白な顔。

「・・・お待たせしてすみません」

「まだ時間じゃないよ。僕が早く来ただけ。それより大丈夫? 気分が悪そうに見えるけど」

 彼女は小さな頃から体が弱いと聞いていたから。焦りながら問えば静かに首を振る。

「大丈夫です。お兄ちゃんからあたしが喘息だったって聞いたんですよね? もう治ってますから」

 

 小さく笑う彼女の頬が、あまりに白くて寒そうだった。そこに手を触れて、直に冷たさを確かめたくなるような感覚にしばらく陥る。治っていると本人は言うが、大人になった今でも年に一度程の割合で発作を起こしてしまう事があると、惺が眉をしかめながら、確かにそう言ったのだ。簡単に誘ってしまったが、本当に良かったのだろうかと思ってしまう。

 偶然夜の街で会ったあの日。

 彼女が無事に電車に乗れたかどうか、確認のつもりでメールを送った。初めて送るものがそんな内容だったのに、伊吹の方は驚いた様子も見せず、駅まで送った事について礼を述べてきたのだ。それに返事をして、さらにその返事が来て、という繰り返しを。ほぼ毎日続けて。


 気がつけば、それが日課になっていた。

 日課、と言えば義務感が強いが。他愛のないメールに仕事で疲弊している心身を癒されていた事は確かだった。

 

「本当に平気? 気持ち悪かったら言ってね」

 こっくりと頷いた、彼女の頬に。さらりと横髪がかかる。払ってやろうと手を出しかけて、ふと我に返った。

 そんな風に触れることは簡単なのだが、伊吹は驚いてしまうに違いない。それに自分としても、そうやって付き合ってもいない女性に気軽に触れるような神経は持ち合わせていないはずだった。それなのに、こんな数分の内に、二度も手を差し出しそうになってしまうのは、彼女が緋天と同じように、あまりに無邪気だからなのかもしれない。

「じゃあ行こうか? あと15分くらいで始まるよ」

「はい」

 

 取引先の会社の人間に、映画のチケットを二枚貰ったのが一昨日。

 それが封切りされたばかりの新作で、たまたまその前の日に彼女が観たいとメールで言っていたのを思い出して。シリーズものであるその前作を、自分もかなり気に入っていたので、ひとしきりその俳優やらについて小さく盛り上がって、メールというもどかしさの中、二人でちまちまとやり取りしていたのだ。こんな偶然はないと、かなり嬉しくなりながら相手に礼を述べ、すぐに彼女にそれを伝えた。

 そして。

 一緒に観に行こうというメールを送ってから、しまったと思ったが、時すでに遅く。

 彼女にとっては、気楽に自分と出掛けられるような事ではなかったりするのでは、と。若干血の気が引いたまま、昼休みを迎えた頃。了解を告げるメールが返ってきてほっとした。

 

 隣を歩く伊吹をそっと窺うと。

 やはり、どこか緊張した面持ちのまま。クリスマスイブを明日に控えた街の華やかさとの対比に、少々困惑してしまう。

 気の利いた言葉も思いつかないまま、足を進めた。

 

 

 

 

 人の波がすごい。

 浮き足立った、とでも言うのだろうか。とにかく、どこもかしこも色彩豊かな空気の人々でいっぱいで。映画館に入ってもそれは変わらなかった。ゲートで二枚のチケットをスタッフに渡す司月をそれとなく見上げると。彼は穏やかな表情のまま。何も話し出さない自分を訝ったり、嫌がるような気配もなく、そのまま人々の流れに沿って、薄暗いホールに入った。前上映の客だろうか、逆流する人もいて慌しい。

「・・・どこがいい?」

 狭い通路の前方からやってきた男子学生の。その数人の波から庇うように、背中に暖かい手の感触。そのまま少しだけ彼に引き寄せられながら、上からそんな声が降ってきた。途端に体が硬くなってしまい、それを感じたのか、司月も手を離す。

「あ・・・えっと、真ん中の列の、真ん中あたり」

 はは、と間髪入れずに彼の笑い声が頭上で響く。

「いや、ごめん。真ん中の列の真ん中、ってのが可愛かったから」

 見上げたら、本当におかしそうな彼の笑顔。どうして、可愛いだなんてさらりと言ってしまうのだろう。薄暗いから分からないとは思うけれど。先程から熱の上った頬に、さらに熱が追加された。

「ちょっと待ってて。席キープしててね」

 ぼんやりしている内に、望みどおりの位置へ誘導され、いつの間にか座っている。コートを脱いでいると、右上からそんな声。

 返事をする間もなく、彼は素早く消えていた。失礼かもしれないけれど、ほっとして。深く息を吐く。彼は自分を誘ってしまった事に後悔しているだろう。この映画の前作が好きだという話で、少なからず盛り上がりを見せた次の日にチケットを手に入れたから。それだけで、自分を誘ってくれたのだ。子供にお菓子を与えるような感覚で。

 

「・・・はい。ココア飲める? コーヒーの方が良かった?」

 柔らかな声にはっとして。顔を上げたら彼が紙コップを差し出していた。

「え、あ、ありがとうございます・・・えっと、お金」

 すっかり慌ててしまって。財布を出そうとしたら、彼がカップを置いて笑う。

「いいよ。遠慮なく貰って? ついでだし。こういう時は年上に奢られるものだよ」

「あ、でもチケットだって頂いたのに」

「それはタダで貰ったからいいの。それともココア嫌い? コーヒーと換える? ブラックだけど」

 にっこりと微笑まれて、話を逸らされてしまい。もう、素直にお礼を言うしかなかった。

「いえ・・・ありがとうございます」

「どういたしまして。お菓子とか食べる? 緋天と行くとね、欲しいって言うくせに映画に集中して食べない時あるんだ。一度、緋天がスクリーンに釘付けになって、手に持ったポップコーンの箱、傾けて中身をばらまいた事があって。あの時は恥ずかしかったなぁ」

 司月が笑いながら、そうやって話している姿は。本当に妹の事を大事にしているのだと思う。その話の中の彼女の可愛さにこちらも自然と笑みがこぼれた。

「可愛いですね。仲が良くて羨ましいです」

 兄と映画に行くなんて、もうずっとしていない。司月の話は現在進行形のようなので、正直、彼女の事が羨ましかった。

「そう? もう、そんな風に行けないかもしれないけどね」

 苦笑する彼の顔に、以前も見た寂しさが混じる。

 どう返せばいいか分からないまま、上演を告げるブザーが鳴り、辺りは暗闇で包まれた。


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