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 右隣を歩く彼は、なんだか元気がないように感じた。

 二回しか会ったことのない、しかもかなり特殊な状況下で会った人物を元気がない、と形容するのはおかしいのかもしれないが、とにかく以前とは違うように思えたのだ。

 重い気分でいっぱいだった自分を、優しい笑顔で明るい場所まで引っ張り上げてくれた。そんな司月に、今まで誰とも付き合ったことのない自分の面倒を見てくれと、兄が無理やり頼み込んだ事は知っている。メールアドレスまで受け取ってしまって、彼は困っているのだろう。面と向かって嫌だとは言えずに、きっと何日か経過してしまったのだ。

 

「・・・あの」

 夜10時を過ぎたのに、一向に車の往来が減る気配はない。横の司月を仰いで、その流れが目に入った。

 と、思ったら。

 突然。彼は腕を伸ばして自分の肩を引き寄せた。

「っ、わ、え???」

 左サイドを自転車が通り過ぎる。

 あっという間に過ぎ去っていくそれを見て、自分が危うく衝突しかけるところだった事にようやく気付いた。

 

「・・・ありがとうございます」

 腕を放した彼を再度仰ぐと、そこには眉をしかめた表情。きっとなんて馬鹿な奴だとあきれているに違いない。

「危なかったね・・・緋天も以前に後ろから来た自転車にぶつかった事があるんだ。運が悪い事に、その時貧血を起こしていたから、自転車が来ていたのが分からなかったそうだよ」

「え、その後は大丈夫だったんですか?」

 司月がかなりの、いわゆるシスコンだという事を兄から聞いていた。実際彼が自分の家に来た時も、そのような事を話していたから、彼が今憤りを感じている事がひしひしと伝わってくる。

「捻挫で済んだから良かったんだけどね。犯人は謝りもせずにそのまま走っていったらしい。今の彼みたいに」

 もうほとんど見えなくなった自転車に視線をやって、司月が言う。自分がそれに気付かなかった事は、彼にとって責める要因にはならないようだ。余計な言い訳をしなくて済んでほっとした。

 

「そういえばさっき、何か言いかけていた?」

 ゆっくりと司月が歩き出して。それに続くと、彼は自分が横に並ぶのを待ってから、ちらりと見下ろしてくる。そこには先程はなかった微笑。

「え、っと・・・あの・・・」

 その笑顔に戸惑ってしまい、一瞬頭が真っ白になる。

「・・・あの」

「ん?」

 無理して自分の面倒を見なくてもいいのだと、そう言いたかった事を思い出した。けれども優しく問い返すその声に、そんなつまらない事をわざわざ言って、逆に彼に否定させてしまう可能性があると思い至った。

「・・・妹さんはおいくつですか?」

「今、二十歳かな。そういえばもうすぐ誕生日だ」

 苦し紛れの質問に、彼は嬉しそうに答える。とりあえず会話の糸口はできた。

「プレゼント、あげたりするんですか?」

「ああ、うん。毎年あげているんだけどね。今年はどうかな・・・ほら、前にも言ったと思うけど。彼氏ができたから・・・」

 彼氏、という言葉だけが苦い響きを伴う。

「何て言うか・・・そいつが完璧に緋天の欲しいものを用意する気がするんだ。そんなところに僕が何かあげても負けると思う」

 苦笑した彼に首を振ってみせる。

「そんな事、ないと思います。プレゼントって誰から貰っても嬉しいものですよ?」

「うん、緋天だって喜んでくれると思う。だけどね、今の緋天は奴から貰ったものを一番大切に感じるんだよ、きっと」

 小さいため息を吐く彼が、それ程大事にしている妹はどんな子なのだろう。そしてそれだけ大事にされていて、他の男性が目に入った彼女の気持ちを知りたい。なぜなら自分はずっと兄にべったりだったから。

「でも・・・あたしはお兄ちゃんから貰ったものをずっと大事に持っています。だって、彼氏とは別れるかもしれないけど、家族はずっと家族ですから。そう思いませんか?」

 

 寂しそうな表情の司月に、何か言いたくて。

 必死で説明すると、彼は小さく笑う。

「今の伊吹ちゃんはそう思ってるけど。彼氏ができたら考えが変わっていると思うな」

「そんなの、・・・欲しくないです」

 誰も彼もが恋人を作ることを自分に勧める。自分には必要ないのに。

「そう・・・じゃあ、ほら、誰かと手をつないで散歩したり、映画館に行ったりしたいと思わない?」

 彼の戸惑った顔に首を振る。

「映画は友達と行けるし、散歩だって一人で行けます」

 手をつないでもらわなくても、と付け足す。もう大人になったんだから、小さな頃のように先導してくれる人間がいなくても一人で街を歩ける。

 ふ、と笑い声が降ってくる。見上げれば満面笑顔の彼。

「君は・・・かなり大事にされてきたんだね。僕が言いたかったのはちょっと違ったんだけど」

「え、だって・・・」

 笑いを含めた声を出しながら、急に立ち止まった彼から一歩離れた距離で振り返る。笑みを浮かべたままの司月は右手を軽く振った。

「気をつけてね。お休み」

「・・・あ、はい。お休みなさい」

 気が付けば、駅の手前の横断歩道。何故彼はここで別れるんだろうと思い、青になった信号を渡らずに踵を返したその背中を見送った。ぐるりと半円を描く広場を歩いていく彼は、完全に駅から離れていく。

「あ・・・」

 そこでようやく、司月が車を持っている事に気付いた。きっと彼の行き先は会社付近の駐車場だったはずだ。ところが自分と会ったので、繁華街にいた同僚の妹をわざわざ駅まで送り届けてくれたのだろう。

 その優しさを素直に受け止めていいのだろうか。残業続きで疲れていたはずなのに、自分の為に時間を割いてくれた彼に申し訳なかった。

 

 

 

 

 居心地のいい自分の車の運転席に滑り込んで、暖機を始める。

 伊吹の言葉が耳に残っていた。思わず笑ってしまったが、あれは本気でそう思っていたのだろうか。

 携帯電話を取り出して時刻を確認する。メールの履歴から、数日前同僚から送られたものを開いた。そこに表示された、このアドレスに送れという短い言葉と、伊吹の名前と英数字の羅列。

 

 車内が暖まるまでの時間、携帯電話の小さなボタンを押した。


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