吟遊詩人の場合/中篇
「おかえりー。どうだったー?」
今のあたしたちの根城……「フレイン男爵」用に与えられた町中の邸宅に戻ってきたら、ジェフリーが声をかけてきた。あたしが宰相閣下に呼ばれて出かけてくるって話はすでに仲間全員が知っている。
「あー、うーん、なんというか、あたしだけへの依頼ってことだったわ。ちょっといろいろ考えなきゃならなくってさあ」
「じゃあ、俺たちに依頼ってわけじゃなかったんだ?」
首を傾げながらジェフリーが確認する。さすがに依頼の内容まで彼らに明かす気にはなれない。あははと笑ってひらひらと手を振りながら頷くだけにした。
「うん、そういうことー。ちょっとあたし寝るね。閣下の相手疲れたわ」
部屋にこもるなり、もういろいろ脱ぎ散らかして楽な格好になり、ベッドの上でごろごろと転がってあたしは悶絶した。
なんで結婚ー!? どういうことー!?
ちょっと落ち着こう。こういう時は音楽に限る。そうだ竪琴弾いて落ち着くんだ。音楽で心を穏やかにするんだ。
あたしは愛用の竪琴を抱えてベッドの上に座り込むと、一心不乱に、知ってる曲を全部かたっぱしから弾き始めた。
まあ、確かに宰相閣下の言うことはわかるわ。常套手段だもの。王族の結婚話とかで悪いニュースから目をそらして、なんとなーく国内を上向きムードにしてピンチを乗り切ろうって、そりゃ定番よね。うん、あるある。
ああでもめぼしい王族はみんな結婚してるし、残りはまだ子供かあ。王妃様ご懐妊もまったく気配ないし。うーんと、有力貴族は……あ、だめだ、メインになりそうな人は数年前に結婚済じゃないか。あとはやっぱりまだ適齢期前の子供かあ。
……いやあ、でもさ、だからってなんであたしとフレインの結婚……じゃなくて、フレインの結婚か。って、なんでそこに来るの? いや、あたしが断ればいいのか。でもしかし断ったとしても、フレインがどこぞの令嬢と結婚することになるし、決定事項だったし、何なのそれ。どうにもならないじゃない!
しかもそうすると間違いなく冒険仲間解散ってことよね? ……うそぉ。でも結婚しちゃったら奥さん放置して冒険連れまわすとかないわ。あたしの父みたいなことになっちゃうし、それって最低すぎる。けど、そもそもフレインが他の誰かと結婚ってありなの? どうなの?
竪琴かき鳴らしつつ悶々と考えてたら、アラインにうるせえって怒鳴られた……。
「で、何を言われたのさ。僕に話してごらんよ」
夕食のときもさえない顔色だったとかで、部屋に酒瓶持ってビットがやってきた。普段は空気読めない小人のくせに、そういうところは聡い。誰かが何か悶々と悩んでると、いつもビットが酒瓶持って現れて、黙って話を聞いてくれるのだ。
ビットって、普段からすごく穏やかで、にこにこしてて、なんだか一緒にお酒飲んでると、ついつい悩みを話したくなるのよね。
……あたしも、いいかげんもう飲まないでいられるかってくらい煮詰まってたから、これも渡りに船だと、さっそくビットとプチ宴会を開始した。
「で、何をそんなに悩んでるのさ」
ビットはにこにこしつつもズバッと核心を突いてくる。
「あー……なんていうか、あたしの今後の人生計画について考えないといけないというか、身の振り方をどうしよう的な……いきなり言われてもねえ。考えてもみなかったのにもうどうしろってのみたいな? 言われて話に乗るのも悔しいし、単に断るのもイラつくし、もうどうしたらってところ」
さすがのあたしも“結婚”の2文字はなかなか口に出せず、へんなぼかし方をしたまま意味不明に話してしまう。
「……ふーん、それってさあ」
なのに、ビットはわかってるよと言わんばかりににまーっと笑った。
「もしかしなくても、フレインとのことでしょ?」
「は? なっ、なんで知って……あっ!」
「ふふーん、語るに落ちたね」
「まさか……まさか、あたしにカマかけたの?」
あたしにカマかけるなんて、さすがビット! ……なんて言ってる場合ではなく、ぶわっと顔に血が上って心臓がばくばく言い始める。ぶんぶんと手を振り回したり首を振ってみたりと、あたふたしまくるあたしのようすに、ビットはお腹を抱えて笑いだした。
「リーラってさ、普段もそうだけど、酒飲むとさらにダダ漏れでわかりやすいんだよね」
「ええ、そんなことないよう」
あたし、そんなにわかりやすいのかなあ……。なんだかがっかりだと、眉尻を下げてちょっと上目遣いにビットを見てみたら、彼は笑いすぎて目尻に溢れた涙をごしごしこすってるところだった。
「どうせ、フレインと結婚しろとか言われたんでしょ? 宰相閣下が考えそうなことだよね。したくないならすぐ断ればいいだけじゃない、何を悩んでるのさ」
「そうなんだけど、そうするとフレインが他の人と結婚することになるじゃない? 冒険行けなくなるじゃない?
……あ、いやそれはいいんだよね。でもほら、いくら元仲間って言ってもあたしがフレインとこに遊びに行くとかしづらいじゃない」
腕を組んで唸るように考え込むあたしの顔を、ビットはにこにこしながら覗き込んできた。
「フレインが他の人と結婚した後、ひとりで遊びに行きづらいのなら、僕らと一緒に行けば問題ないよね? 伊達に長年一緒に危ない橋わたってきてるわけじゃないし、フレインならちゃんといつでも歓迎してくれるはずだよ」
「えー、うーん、でもさあ、あたしが行きづらいっていうかさあ……」
そういえばなんでだろう。
「なんで? 結婚してもフレインはフレインでしょ?」
あたしの心の中を覗いたかのように、ビットが畳み掛けてくる。
「そうだけどね、あたしが行くのを憚ってしまうっていうかね、行きたくないっていうかね……」
「なんで?」
──なんでビットはそんなにしつこく聞いてくるの?
「いや、そんなになんでって言われてもさ……」
「つまり、フレインと他の人の結婚生活にお邪魔するのが嫌ってこと? 結婚したフレインを見たくないのかな?」
なんだろう。なんでか知らないけど、すごくもやもやする。
「いや、見たくないっていうか……?」
「じゃあ、やっぱりリーラが結婚すればいいんじゃないかな」
「へっ?」
ビットの出した結論に、あたしはまたぽかんとしてしまった。ビットは胡座の上に頬杖を突いて、やけに楽しそうにあたしを眺めている。
「なんでそこに行くの? それがわかんないんだってば」
「わかんないはずないよね。だって、嫌じゃないんでしょ?」
……だんだんビットのにこにこ顔がムカついてきた。なんであたしがこんなにもやもやしなきゃいけないの。なにこれ、言葉責めってやつなの?
「いやいやいや、嫌じゃないっていうか、嫌じゃなきゃいいってもんでもないでしょ? だって結婚なのよ? 一生を共にしますかっていうアレよ?」
ぶんぶん首を振って否定すると、ビットは半眼になって、じっとりとあたしを見詰めた。なんなの、その目は。
「わかった。じゃあ、ちゃんと聞くよ。リーラはフレインをどう思ってるの? 正直なとこを聞かせてみてよ」
「どうって……」
穴が開きそうなくらいビットにじっと見られて、落ち着かなくなる。どうって言われても困る、すごく困る。
なんと言ったらいいのか迷って、口をぱくぱくして、両手の指先をもぞもぞと絡ませながら、あたしはちょっと目を逸らし気味に、思い切って、でも口の中でもごもごするように呟いた。
「……そりゃね、かっこいいやつだと思うよ。いつも先頭に立ってさ、みんなを庇って先陣切って突っ込んでくよね。騎士の中の騎士だと思うし、すごく頼りになる。フレインの背中見ると、絶対勝てる、大丈夫、みんなで帰れるって思うし」
……うん。
実際、何度も何度もあたしたち死ぬかもって思ったことはあったけど、フレインは絶対倒れなかったし諦めなかった。彼はすごい。残念なイケメンだって言われるけど、とんでもない。彼は本当にかっこいい。
「……あのさ、ビット」
「うん?」
少しだけ目を泳がせて、あたしが口を開くと、ビットはやっぱりにこにこしながらあたしが言葉を続けるのを待った。
「前に、あの、暗黒教団の事件のときに、あたし攫われちゃったじゃない? あっちの魔法使いがぶっ放した魔法で。その時、ぶっちゃけ、とうとうだめなんだなって思ったのよ。
──浚われた先に教団の司祭長がいて、当時の国境での戦場のようすを見せられたの。あの、ぐだぐだでどうしようもない、ただの殺し合いになっちゃってたやつを。すごく酷い有り様でね……。
で、司祭長にこれが人間だ、それでも庇うのかって言われて、あたし、何にも反論できなかったの。
情けないけど、たぶん、あのときのあたしはぽっきり折れてたんだと思う。それまで散々嫌なもの見ちゃってたし、なんでこんな殺し合いばっかりしてる連中のために頑張らなきゃいけないのかなって考えちゃって、もう最低だ、って嫌になっちゃったのね。もういいや、どうにでもなれって。
たぶん、その後にはすぐ洗脳が待ってたはずだし、ああ、これであたしもとうとう悪落ちかあ、フレインに成敗されちゃうなーなんてことまで考えてたのよ」
「……うん」
はあ、と溜息を吐いて、あの時のことを思い出す。あの光景はたぶん一生忘れられない。どんどん屍体が積み上がっていくのに、それでも殺すことをやめない兵士たち。
しかもその戦いは、ほんとうに些細でくだらないことがきっかけで始まったものだったのだ。なんでそんなつまらないことで、こんなに殺せるんだろうって、そう考えたら、人間なんて、庇うような価値はないんじゃないかって思えてしまったのだ。
「でね、なんだかほんとに、いろんなことが心底嫌になってたんだけど、そこにみんな……フレインが来てくれたのよ。まさか攫われた先を突き止めて来てくれるなんて思ってもみなかったから、ほんとに驚いたわ」
「うん」
「でね、当然、司祭長はフレインにも同じもの見せて、同じことを聞くわけ。国境の戦場のどうしようもないぐだぐだなさまを。馬鹿みたいに意味もなく殺しあってるのを見せてね。
けどね、フレインが言うのよ、それがどうしたって。それだけが人間ではないって、ものすごく自信満々に。しかも司祭長を小馬鹿にしてる感じで。
……フレインのあの自信、どこから来たのか未だにわからないのよね」
あの時のフレインのようすを思い出して、くすりと笑ってしまう。司祭長、すっごく悔しそうだったな。もう少しであたしが堕ちるとこだったのに、フレインがさらっと取り戻していったから。
「フレインの言葉で、ああそうかって、あたし、すごく納得できたの。考えてみたら目の前にフレインがいるのよ。ここにフレインがいるんだから、あいつらの言う“これが人間だ”なんて当然嘘っぱちなのよ。何言ってんだ、フレインは違うじゃないって、ね。
だから、あたしは踏み止まってまた立てたの。我ながら単純だけど、すごく救われた気持ちになれたのよね。まだフレインがいるのよ、目の前に。なのに絶望するとか早すぎじゃん馬鹿か自分って」
「うん、それで?」
楽しそうに笑うビットに釣られて、あたしも笑顔になる。ああ、そっか、そういうことなんだなあ。
「──あたし、フレインならいいかなって思うの。フレイン、みんなに残念って言われるけど、そんなことないのよ。あたしが知ってる中で一番かっこいい人間だもの」
「じゃあ、それでいいじゃん」
ほんとそうね、と笑いながら、でもねえ、とあたしが続けると、ビットは心底不思議だという顔で首を傾げた。
「まだ何か問題があるの?」
「うん……あのね、それが、今話してて気付いたんだけど、あたしはともかく、フレインがどう思ってるか聞いてないのよ」
「……え?」
ビットはぽかんと目を丸くした。
「聞いてないし、知らないの」
「……ちょっ、ちょっとそれはないよ!」
驚くビットに、あたしはやっぱりそうよね、と頷く。結婚て、ふたりの合意がないと成り立たないし。あたしがオッケーでも、フレインがアウトならそこで終了だしね。
「うん、あたし、ちょっとフレインとこ行ってくる」
「今から? もう夜中だよ? たぶんもう寝てるよ?」
「善は急げって言うじゃない? 大丈夫よ。もともとフレインに結婚自体の拒否権はないんだし。あたしなら勝手知ったる仲だし、聞いたこともないような令嬢よりマシだと思うのよ。ま、ヤダって言われても、彼ならそのまま既成事実作っちゃえば責任取ってくれるだろうし、それ狙ってもいいかもね」
うん、そうだ。ダメだと言わせなきゃいいのよ、と決意を新たにすくっと立ち上がると、ビットはやれやれと肩を竦めて、ローブのポケットをごそごそと漁りだした。
「……ああもうリーラらしいっていうかね……ちょっと待って。行く前にこれ飲んで」
「何? ……毒消し?」
なんでここで毒消しの魔法薬が出てくるのかわからなくて首を傾げると、ビットは大きく頷いた。
「そ。あれは酒の勢いでしたごめんなさいって言いたくないでしょ。そういうのは素面で行くものだよ」
「……うーん、わかった。ありがと」
そういうものなのね、と毒消しの小瓶を受け取ってぐいっと一息に飲み干す。頭がすっきりしたところで、ビットが「あともうひとつ」と続けた。
「せめて風呂くらい済ませてから行きなよ。なんかぐちゃぐちゃだし、酒臭いし、輪をかけて残念だよ、今」
「あああああ、そうかあ。それもそうよねー。一応ムードとかあったほうがいいよねえ……」
「夜這いしに行くのにムードがどうとかないと思うけどね。まあがんばって。僕は応援してるよ」
ビットが、じゃあがんばってねと部屋を出ていった後、あたしはさっそく身支度を整えてこっそりとフレインの部屋へ向かった。
近距離用の転移の魔法で、直接。
……器用貧乏と名高いあたしにだって、このくらいはできるのよ。長距離のガチな転移魔法は無理だけど。
そもそも忍んで行くのに、廊下をいちいち歩くとかないわ。だって、万一、アラインとかに見つかったら気まずいじゃない。くじけて諦めてしおしお帰ってなかったことにする自信あるわ。
フレインの部屋はまっくらだった。だが大丈夫。持っててよかった妖精の血。使えてよかった強化魔法。
こういうときだけお父さんありがとうって思うわ。ふつうなら立ち往生する暗闇でも、魔法を使えば見えるのよ。半妖精のおかげで魔法の素質はそこそこあったし、おかげで強化魔法ならさらっと使えるし。
よしよし、フレインは寝ているみたい。
とにかく邪魔が入らないようにと、念のため部屋の扉に鍵の魔法をかけてがっちりガードする。これで大丈夫。アラインにも開けられない。ビットには開けられちゃうけど、彼は出刃亀なんてやらないだろうしこれなら大丈夫。
「……フレイン?」
それから忍び足でフレインのベッドに近づき、彼に手をかけて呼びかけ……ふぁっ!? あたしの天地がひっくり返って、気づいたらフレインに取り押さえられていた。
「ちょっ! まっ! フレイン! 不審者じゃないから! あたしだから! 痛いから!」
「……リーラ? どうしたんだこんな夜中に」
フレインが腕の力を抜くのを見計らい、もぞもぞと起き上がった。痛ーい。さすが騎士、伊達に鍛えてないわ。これ絶対痣になってるね。正直、あたしがちょっとくらい魔法で筋肉強化しても対抗とか無理だなと思うくらい力あるわ。
掴まれた手首をさすってたら、フレインが癒しの魔法で治してくれた。うん、彼の手はとても暖かい。思えば、この癒しの魔法でなんども助けてくれたなあ。
「実はちょっと今すぐ話があってね」
「いいけど、それは夜中に魔法で忍び込むほどの話? これじゃ、不審者だって思われていきなり斬り殺されても文句言えないよ?」
「……うん、そこはちょっとだけ反省した。まぁでもさあ、廊下歩いててアラインとかに見つかるのも嫌だったしねえ」
言い訳するようにそう呟くと、フレインがものすごく訝しむように目を細めた。
……あー、でも、くっそ、改めて見るとほんとイケメンだわ、フレインは。なんだか悔しい。考えてみたら真面目なイケメンって全然残念なんかじゃないし。なんだそれ、残念仲間なのに裏切られた気分だわ。ずるい。
「とにかく、重要な話なの」
あたしはすうっと大きく息を吸い込んだ。
「フレイン、あたしと結婚して」
「……は?」
「あーいや、あのね……あたしと結婚しないとだめなの。これについては、フレインに拒否権ないの」
ちょっと慌てながら、あたしはフレインに圧し掛かる。絶対逃がさないんだ。
……フレインは目がまん丸に見開いたまま、固まってる。
ちょっとおもしろい。
「やだっていったら既成事実作って責任取ってもらうしね」
あたしは微笑んで、がっちりとフレインの顔を両手で挟み込んだ。
「だから、あたしと結婚してね」
彼の唇に、自分の唇をしっかりと重ねる。
最初は驚いて固まってたはずのフレインがキスを返してきた。
……やだなんで上手なの。いつ、どこで練習したのよ。悔しいじゃない。フレインのくせに。
キスの間に、いつの間にか、気づいたらフレインの腕が背中に回っていて、あたしはしっかりと抱きすくめられていた。
あたしも彼の背に腕をまわす。少し伸びたフレインの癖のある亜麻色の髪が手に触れる。結構柔らかいんだなあ。
「……嫌なわけないだろう」
いつまで続くんだろうって思ったら、フレインが、唇を少しだけ離してあたしに囁いた。なぜかすっごくドキドキしてくる。心臓のバクバクが止まらない。
フレインてこんな声だったっけ?
フレインの目ってこんな風だったっけ?
たぶんあたし今真っ赤だわ。暗くてよかった。
「明日の朝いちばんにって考えてたのに、先越されたよ。なんでリーラはそんなに行動が早いんだ。もう少し落ち着けよ」
こつんと額を合わせて、フレインが呆れたように言う。
「いやだって、ほら、こういうのはすぐ行動しないと気が変わっちゃうかもしれないし?」
「へえ、気が変わるかもしれないんだ?」
「あ、えっと、これに関しては、変わらないと思う、けど?」
「……さっき既成事実って言ったね。気が変わらないように、今から作っとくか?」
フレインがにやっと笑う。ええと、フレインてこんなやつだったっけ?
誰なのこれ。




