最低の教え子2
第七章終了後、王都滞在中の一コマになります。
サリーナは夫と共に、国王の騎士団の団長が開いた、ごく内輪のパーティーに招かれていた。
客のほとんどは、夫が騎士団時代に特に親しくしていた者ばかり。サリーナの披露目と挨拶がすんだかと思うと、夫は騎士服を着た男たちに、あっという間に取り囲まれ、もみくちゃにされていた。
「女公様、申し訳ございませんが、少々ご夫君をお貸し願えますか」
騎士たちは紳士的にサリーナに請うた。彼女は、夫が彼の腕をがっちりつかまえている騎士の腹に肘鉄を入れたり、脛の蹴り合いをして、彼らを振り払おうと奮闘しているのを眺めながら、
「どうぞごゆっくり」
と、にこやかに答えた。夫は、不本意だ、という顔をしたが、彼女なりに気を遣ったのだ。
誰にでも穏やかに丁寧に接する夫が邪険にするのは、気安い証拠だ。お抱え小説家のロランや、従騎士のラスティ、一度幽霊城を訪ねてきたドラクロワ卿などとのやりとりを見て、彼女はそう悟っていた。
夫は、騎士たちにも同じ態度だったから、本当は仲が良いのだろう。数年ぶりに会ったのだから、自分に遠慮などせず、旧交をあたためればいい。
「ありがとうございます、女公様。用が済みましたら、すぐにお返ししますので」
彼女は、嫌そうに連れられていく夫を、笑顔で見送ったのだった。
一人になってしまったサリーナは、さて、どうしようかしら、と考えた。
夫が傍を離れぬようにと申しつけていった、従騎士のラスティは傍に控えているが、彼はほとんどサリーナと言葉を交わさない。領主と一介の従騎士である。当然の態度であったが、夫の幼馴染でもあって、一番手荒に扱われている人物だから、サリーナはできたら親しくなりたいと思っていたのだ。
これはちょうどよい機会であった。話し相手を申しつけても、今の彼は他の用事を理由にサリーナを一人にできない。
サリーナが、よし、今日こそは、と振り返った時だった。落ち着いた色味の赤いドレスをまとった、まさに女盛りといった美女が歩み寄ってくるのが見えた。ラスティが動いて、その前に壁のように立とうとしたが、彼女が彼の頬を一撫でしたかと思うと、彼は硬直してしまい、彼女は何事もなかったかのようにその脇を通り抜けて、サリーナに柔らかに微笑みかけたのだった。
「無粋な方たちですこと。花嫁を一人にさせるなんて」
言葉のきつさとは裏腹に、声は面白がるようにまろやかだった。サリーナも微笑んで答えた。
「ヴァルター団長が、今日は無礼講と仰っていましたもの。男の方たちは男の方たちだけで楽しみたいこともあるのでしょう。気にしていませんわ。……はじめまして、だと思うのですけど、お名前をうかがってもよいかしら?」
女性は上品に腰をかがめ、淑女の礼をした。
「名乗るのが遅れて申し訳ございません。わたくしはサンドリヨンのマルセラと申します」
「まあ」
サリーナは驚きに目を見開き、喜びの声をあげた。
泉の女神の名を冠するサンドリヨンは、国一番の高級娼館である。そこのマルセラと言えば、国賓の相手を言い付かるほどの名妓だ。古今東西の書物に通じた話術は人の心をとらえてやまず、竪琴を爪弾き唄えば、神の国に連れ去られた伝説の吟遊詩人もかくやという腕前だという。
「マルセラ様のご高名はかねてより聞いています。いつかお会いしたいと願っていました。このようなところでお会いできるなんて、夢のようです。少しでよいのです。お時間をいただけませんか。書物のお話をお聞きしたいのです」
「わたくしなどでよければ、喜んで」
「嬉しいですわ。ありがとうございます」
サリーナは両手を胸の前で合わせ、興奮気味に礼を言った。それからあたりを見回し、ゆっくりできそうな場所を探す。
「立ち話では落ち着いて話せませんわ。あちらのソファにまいりませんか?」
彼女は空いている談話用のソファへとマルセラを誘ったのだった。