~その3~ 大胆になるのが怖い
一臣さんのあのスケベな発言や行動、なんとかならないかな。なんて思いながら、私は受付のソファで大人しく座っていた。
「弥生様」
樋口さんはパソコンで何やら仕事をしていたが、
「いろいろと苦労はされると思いますが、わたくしはなるべく受付にいたり、そばにいるようにいたしますので、困った時には頼っていただいてもかまいません」
と言って来た。
は?なんのこと?
「一臣様は、わたくしや等々力さんがいたら、さすがに弥生様に手を出すようなことはないと思いますし」
「あ…」
そ、そういうことか。じゃあ、今も一臣さんから逃げたって、バレバレなんだよね。それもそうか。赤い顔して慌てて部屋から出てきて、一臣さんが「逃げたな」って呟いたんだから。
「ありがとうございます…」
それ以上なんて言っていいかわからず、黙っていると、
「一臣様はからかっているわけではないと思います。わたくしにもよくわかりませんが、弥生様には甘えているのかもしれないですね」
と樋口さんがまた話しかけてきた。
甘えてる?!ドキ!そうなの?
「ですが、今だけだと思いますので、きっと一臣様ももう少ししたら落ち着くと思いますよ」
落ち着くって?スケベな行動がってこと?
「もともと、女性の方とべたべたされるのは、苦手なようですし…。もしかすると…」
もしかすると?何?
「な、なんですか?樋口さん。途中で話を止められると、すごく気になるんですけど」
「あ…。これは、あくまでもわたくしの推測ですが」
「はい」
「龍二様もアメリカに戻られて、弥生様と一臣様が仲良くなられることに邪魔をしたり、弥生様が危険な目にあうこともなくなったので、それで、仲良くしているのではないかと」
あれ?そんなこと?
「今、社内に一臣様と弥生様の婚約のことで、あまりよくない噂も流れていますし、それが社外にまで漏れると、今後の上条グループとのプロジェクトにも悪影響が及ぶかもしれないので、一臣様も何かお考えがあって、あのような行動に出ているのかもしれません」
あまり、よくない噂?!
「え?う、噂って?」
「はい。昨日も、一臣様は弥生様との婚約を、仕方なく会社のために受け入れた…という演技をなさいました。もともと、一臣様は弥生様との婚約を喜んではいないと、そういう噂はあったのですが、昨日のパーティに出席した人から、もっと噂は広まってしまったようなんです」
「一臣さんが私との婚約を嫌がっているっていう、そういう噂ですか?」
「はい。役員のみなさんは、一臣様が弥生様との結婚を承諾したことを、快く喜んでいましたが、社内では一臣様が嫌々結婚をしようとしている。上条グループのご令嬢とは、仲が良くないらしい。この結婚も、長続きするかどうかも分からないし、婚約もどうなるかわからない。そうなったら、上条グループとのプロジェクトはどうなるんだ…というようなことまで、心配している人もいるようです」
え~~!何それ。
「それが社外に漏れますと、今度は上条グループと緒方財閥のプロジェクトを失敗させようとか、上条グループと提携を結びたい会社が陰で動き出すかもしれません」
「そ、そうするとどうなっちゃうんですか?」
「…。そうですね。緒方財閥が危機に面していくかもしれないですね」
「上条グループとの契約も危うくなるってことですか?」
「その可能性もありますね」
「な、なんで?私と一臣さんは仲悪くないですよ?!」
「はい。ですから、それをアピールするために、この前も仲良く外食されたり、一臣様なりの何かお考えのもと、いろいろとされているのではと、わたくしは考えております」
え?沖縄料理屋のこと?それに、手を繋いだのも一臣さんなりの作戦だったってこと?
なんか、ちょっとショックかも。
「あ。あくまでも、わたくしの推察したことですから。ただ、そのために今、一臣様が弥生様に近づくようにしているのであれば、きっとそのうち落ち着いていきますので、安心していてくださいと、そうわたくしは言いたかったのですが…。弥生様はかえって何か、心配事でも増えてしまいましたでしょうか?」
「い、いえ。大丈夫です。樋口さん、ありがとうございます」
時計を見た。あと15分で2時だ。
わざと、私と一臣さんが仲いいように見せるためだけの演技だとしたら。
なんか、それがやたらとショックで…。
「弥生様?大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です」
いけない。落ち込んでいるところを樋口さんにばれるところだった。変に心配させちゃいけない。
「あ、あの。上着、中にあるので、いったん部屋に戻ります」
そう言って、私は一臣さんの部屋にノックをして、入った。
「なんだ。何の用だ」
うわ。思い切り不機嫌だ。
「上着、取りに来ました」
「ふ~~ん。それだけか?」
「?」
「それだけか?」
「えっと」
一臣さん、ソファに座ったまま動こうともしない。じっと私を睨むように見ている。
怒っているんだよね。
「ごめんなさい」
「何がだ」
「に、逃げたりして」
「……」
ムス。思い切り一臣さん、膨れてる。
どうしよう。こんな時はどうしたらいいのかな。
でも、私もショックを受けたから、気持ちがあがらない。
「こっちに来いよ」
「え?」
「あと15分しかないから、襲ったりはしないぞ」
「……はい」
私は一臣さんの座っている前まで、静かに近寄った。
グイっと一臣さんに腕を引っ張られ、また膝の上に座らされた。
「あ~~あ。たっぷり、いちゃつけると思ったのになあ」
「…ご、ごめんなさい」
「お前はあれかな?俺より樋口と一緒にいる方が楽しいのかな?」
うわ、嫌味言われた~~。
「そんなことないです。でも」
「でも、なんだよ」
「……へ、変なことを聞いたら、嫌ですよね?」
「ああ。嫌だな」
「じゃあ、いいです」
「こら!いつもなら、それでも聞いてくるだろ?なんだよ。変なことっていうのは気になるだろ。言ってみろ!」
「社内での、噂…」
「噂?俺と秘書課の女ができているっていう噂か?」
「え?!」
それ、誰?葛西さん?!でも、葛西さんはもう…。
「すっかり噂になっているらしいぞ。俺と秘書課の新人ができているってな。俺のオフィスにも泊まったらしいし、一臣氏はあの秘書を自分の部屋に連れ込んで、いいことしてるって、いろんなところで噂になっているらしいな。そのことを聞きたかったのか?」
「い、いいこと?」
「ああ。こんなこととか?」
一臣さんはそう言うと、私の胸をブラウスの上から触ってきた。
「うわ!や、やめてください」
「……ただな~。秘書課の新人が、上条グループの令嬢と同一人物だと誰も知らなくて、俺が自分の婚約者と仲良くしているんじゃなく、婚約者を嫌がって、秘書と仲良くしているって、そういう困った噂なんだよなあ」
「え?!」
「これじゃ、意味ないだろ?」
「意味って?なんのですか?」
「せっかく俺は、婚約者と仲がいいんだってことをアピールしているのに」
やっぱり。そういう作戦だったんだ。じゃあ、ずっと今まで仲良くしていたのも?今、こうしているのも?
「だから、みんなの前で手を繋いだんですか?」
「あれか?そうだな。あれもアピールしたんだけどな」
「……じゃあ、屋敷内でいちゃいちゃし放題にするのも、やたらと迫ってくるのも、こうやって触ってくるのも、全部アピール…」
「え?2人きりでいる時に、誰にアピールするんだ?誰も見ていないのに」
「………」
あれ?
「そ、それもそうですよね?じゃあ、なんでいちゃいちゃしているんですか?」
「はあ?そんなの、いちゃつきたいからに決まってるだろ?本当に変な質問だったな!」
「えっと…」
あれ?私、変なこと聞いたのかな。
ギュ~~~~!
うわ。後ろから思い切り抱きしめられた。
「しょうがないだろ?こうやって抱きしめても抱きしめても、抱きしめたりないし、いくらキスしたって、キスしたりない。本当はずうっとこうやって、弥生のぬくもり感じていたいし、触っていたいんだよ」
え?!
「やっぱ、俺変だよな?」
「……」
か~~~。なんか、今の言葉で、顔が真っ赤になっているかも。
「だから言ったんだ。自分自身どうなるかわからないって。だから、覚悟をしろって言ったよな?」
「はい」
「思い切り、愛されることになるかもしれないからって」
「は、はい」
きゃ~~~~~~~~~~。なんか、聞いてて恥ずかしい。
「覚悟、していなかっただろ?」
「へ!?」
「だから、逃げたんだろ?いつもいつも、俺からするっと逃げ出して…。いい加減、覚悟決めろよな」
うわ~~~~~~~~~~!!!!
どうしよう。心臓がバクバクしてきた。
一臣さんはまだ、後ろから抱きしめたままだ。
樋口さんが、頼ってくださいって言っていたけど、私、別に一臣さんに迫られるのが嫌なわけじゃない。嫌で逃げているんじゃなくて、ただ、恥ずかしいから。
ううん。本当は嬉しいんだ。こんなに思ってくれているのは。
一臣さんが言うように、覚悟が足りなかったのかもしれない。
一臣さんの、愛を全部受け入れる覚悟…。
ドキドキバクバク。まだ、胸は大変なことになっている。でも、胸の奥は疼いている。
本当は、この疼きが、表面化されて私が変わっちゃうのも怖い。
どんどん、一臣さんを求めたり、もっと大胆になっていっちゃうのも怖い。
「あの…。じゃあ、一臣さんも覚悟をしてもらってもいいですか?」
「なんのだ?お前に思い切り愛される覚悟か?」
「そ、それもなんですけど」
「ストーカーのようにつきまとわれる覚悟か?だったらもう、十分に恐怖を大学時代に味わったから覚悟できているぞ」
「い、いいえ。違います」
「じゃ、何の覚悟だ?」
「わ、私がですね」
「ああ」
「………」
言いづらい。
黙ってしまうと一臣さんが、はむっと私の耳を後ろから噛んだ。
「ひゃあ!」
「言えよ。何の覚悟だ?」
「それは、その…。今はまだ、まだまだ初級レベルなんですよね?恋愛の」
「ああ。なんだ?レベルアップできませんとか言ってくる気か?まさか、この先、ずっと初級編でいるっていう覚悟じゃないだろうな?」
う…。その逆…。
「そうじゃなくて。私が変わっちゃう覚悟」
「変わる?お前が?」
「か、変わっちゃうかもしれないっていう覚悟です」
「どんなふうにだ?もっとみょうちくりんに変身するのか?」
「違います。もっと、大胆に」
「え?」
きゃ~~~~~~~~~~~!言っちゃった。
「大胆になりたいのか?」
「違います!ただ、もし、そうなっちゃったらっていう、たとえ話です」
「…………」
あ。黙っちゃった。やっぱり、嫌だったのかな。私、変なこと言ったのかな。
「そんな覚悟はしないぞ」
「え?!」
「っていうか、そんなの覚悟しないでも、全然受け入れるけどな」
「ええ?!」
私は思わず一臣さんのほうを見ようと、顔を後ろに向け、首がぐぎっとなった。
「いたたた」
「あほだな」
一臣さんはそう言って、私のことを膝の上から下ろして、一臣さんのほうに向かせた。
「変わっていくのが怖いのか?」
うわ。なんでわかったのかな。
私は黙って頷いた。
「俺は変わっていってほしいけどな」
「え?」
「だんだんと弥生が女になっていくのを見たいけどな」
「お、女って?」
「だから、女の部分の弥生だよ。色気とか?」
「……色気ないです。狸だし」
「そうだな。その狸がもっと色っぽくなって女に変わっていくのが見たいんだけどな…」
「か、変わらないかも…」
グイッと一臣さんは私の腰に腕を回してきた。
「うわ」
私は思わず、一臣さんに抱きついてしまった。
すると一臣さんは、私にキスをして、
「俺が変えていくんだよ。お前は何もしなくたって、俺に変えられていくんだ」
と耳元で囁いた。
ひえ?!か、変えられていくって?!
「怖いか?変わっていくのが」
ドキン。
「はい」
素直に頷いた。
「お前の質問はなんだったっけ?お前が変わっていくことに俺が覚悟をしているかだったっけ?」
「……」
「お前のほうが覚悟いるんじゃないのか?変わっていく覚悟」
「はい。おっしゃる通りで…。でも、気になったんです。もし、私が変わっちゃったら、一臣さんはそんな私を受け入れてくれるのかなって。嫌ったり、ドン引きしたりしないかなって」
「女に変わったお前を?俺が?まさか!」
「本当に?」
「喜ぶことはあっても、嫌がることはないな」
「ほ、本当に?」
「大胆になってくれるのに、嫌なわけないだろ?」
「…でも、一臣さん、淡泊だし」
「お前に関しては、淡泊じゃないってことはもうお前も知ってるだろ?」
「でも、あんまり大胆な女性好きじゃないですよね?麗子さんとか、敏子さんとか、ちょっと引いていませんでしたか?」
「………。だけど、お前が大胆になるんだろ?積極的に俺に迫ってくるのか?それとも、色っぽい下着でも着て迫ってくるのか?それとも変わったプレイでもするようになるのか?」
「そ、そういうことは、な、ないと思います」
だいたい、変わったプレイ自体がどんなことかもわからないのに!
「なんでもOKだ!弥生だったらな」
「へ?」
「っていうか、そういう弥生に俺が変えていくから。な?」
「ひょえ?!」
なんか、違う。言いたいことと違っている気がする。変なプレイなんかしたくもないし。
「大胆の意味が違っています。なんか、誤解していると思います」
「なんだよ。どの程度のことをお前は大胆って言ってるんだよ。ほんのちょっとのことだったら、許さないからな」
え~~~!!!
「じゃあ、ほんのちょっとのことかも」
「なんだと?!そんなほんのちょっと大胆になる程度のことを、俺が覚悟しないとならないって思っていたのか!?」
「………」
そういうことになるのかな?
「なんなんだよ。ほんのちょっと大胆って、そっちのほうが想像もできない。まあ、ろくでもないことだろ?お子ちゃまのお前が考えるくらいだからな。恋愛の初心者マークの弥生が」
「はい。そうですよね。ごめんなさい」
「ふん。残り5分か」
グルッとまた私のことを後ろに向かせて、一臣さんは私を膝の上に座らせた。そしてまた、力強く抱きしめてきた。
「……こ、こういうことでも胸のドキドキが半端ないんです」
「へえ。そう。それでよくもまあ、大胆になるから覚悟しろなんて言えたな」
「ですよね。だから、一臣さんがイメージした大胆な私なんて、とうていいません」
「今いなくても、そうなっていくんだよ!覚悟しておけ」
「無理です。そこまで大胆になれないです」
「無理じゃない!」
「だって、今だって、ドキドキしている胸の奥で、うずうずって疼くものがあって、それがどんどん大きくなって、表面化して、一臣さんにちょっと太もも触れられただけでも、胸がきゅんってして、うなじにキスとかされたり、耳を甘噛みされただけでも、感じちゃって、もっと感じるようになっちゃって、変な風な私になったらどうしようって、それがちょっと怖くって…」
「…え?」
「でも、怖いけど、なんだか、胸の疼くのが前より大きくなってきてて、一臣さんの前で、変な声が出ちゃったり、もっと感じちゃったりしそうだし、私から求めるようになっちゃったり、一臣さんに触れたくなったり、触れてほしくなったり…なんて、そんなふうになっちゃいうそうで怖くて。そういうの、一臣さんが知ったら、ドン引きするかもしれないって、でも、覚悟しておいてほしいなって…。そう思ったんですけど、でも、そんなこと一臣さんにとっては、ちょっと大胆になるくらいなんですよね?」
「……え?」
「私にとってはすごく大胆なことだと思ったんです。でも、一臣さんにとっては言わなくてもいいくらいの、本当にちょっとの大胆ですね。ごめんなさい。言っちゃいました。でも、忘れていいです。こんなこと」
「ちょ!待った!もう一回初めから言え!半分驚いていて、よく聞き取れなかった」
「いいんです。たいしたことじゃないし。あ。もう2時になりますよ。ロビーに行きましょう」
私はそう言って、一臣さんの膝の上からおりた。そして上着を着て、カバンも持って部屋を先に出た。
一臣さんもあとから出て来たけど、なぜか顔がぼけっとしていて、私と目が合うと、なぜか赤くなった。
あれ?
まさかと思うけど…、ドン引きされた?!
うわ~~~~~~~~~~。言わなかったらよかったのかな?!
でも、後悔先に立たず…。
のちのち、やっぱり言わなかったら良かったと、思い知ることになるのであった。