~その1~ 一臣さん。
今日は、一臣さんと一緒の車で出社できる。それだけでもるんるんだ。私の気持ちを映し出すかのように、空は青空。まだまだ、梅雨には入りそうもない夏のような天気。
「おはようございます!」
お屋敷を出ると、もう車は正面玄関の前に停まっていた。その車の前には等々力さんがスタンバッていて、私は等々力さんに元気に挨拶をした。
車のところまで、亜美ちゃん、トモちゃん、日野さんがお見送りに来てくれた。
「弥生様、良かったですね!」
「奥様も弥生様のことを、とても気に入られたし」
「一族の皆さんも、弥生様を認めてくれたし」
亜美ちゃんとトモちゃんは涙目だ。
「それに、一臣様ともとうとう結ばれて…」
ひょえ~~~~~~~~っ!!!亜美ちゃんっ!なんつうことを、こんなところで言うの?!
「おめでとうございますっ!」
3人は同時に頭を下げた。
「いえ。あの。あ、あの?」
なんで、おめでとうございます!?え?結ばれちゃったから?!
「もう、正式に一臣様のフィアンセですよね!」
あ。そ、そう言う意味?
「正式発表はまだだけどな。婚約披露パーティも、まだ先だ」
一臣さんがそう言いながら、お屋敷から出てきた。
わあ。私たちの会話をずっと聞いていたんだ。
「待たせたな、弥生。行くぞ」
「あ、はいっ!」
一臣さんが先に後部座席に乗り、私もその隣に乗った。
樋口さんはすでに助手席にいて、スケジュール帳を見たり、何かの書類に目を通したりしていた。
「おはようございます」
「おはようございます。一臣様、弥生様」
後部座席のドアを閉めた等々力さんが、運転席に乗り込んだ。そしてすぐに、車は発進した。
「樋口。今日は、じいちゃんたちの寄合のあとの予定は?」
「はい。役員会議のあとは、10時半から機械金属部のプロジェクトチームの、ミーティングがあります。午後は、早速、プロジェクトチームでの最初の視察の予定が入っています」
「どこだ?なんか、遠いところか?」
「いえ。弥生様がお勤めになっていた緒方鉄工所です。そのあと、川崎の工場に足を伸ばします」
「え?緒方鉄工所に行くんですか?!」
「嬉しいか?弥生」
「はい。あ、じゃあ、お土産持って行ってもいいですか?工場長も、みんなも、羊羹が大好きで!」
「樋口、虎屋の羊羹、買っていくぞ」
「はい、かしこまりました」
わあい。きっと大喜びしてくれる!
「工場長の息子もいるんだよな?」
「はい。多分」
「お前のことを見て、まさか、惚れたり…」
「ないない。ないですよ~~。若い子好きな人でしたし」
「…今のお前、あの変な化粧をしていた頃より、4~5歳は若返ってるぞ」
「そんなに?じゃあ、今の私って子供みたいですか?」
「いや。年相応…より、1~2歳若く見えるくらいだな」
ってことは、22か23歳?たいした差はないってことかな。あれ?ってことは今までが、かなり老けて見えてた?
「忘れるなよ。お前は俺のフィアンセなんだからな」
「え?はい」
「他の男と仲良くしたりするなよな?わかってるな?」
そう言って、私の鼻をむぎゅっと一臣さんはつまんできた。
「わかってまふ」
鼻をつままれたままそう答えたら、やっと手を離してくれた。
「そういえば、汐里は?」
突然、一臣さんは樋口さんに聞いた。
「喜多見さんのお話だと、お泊りになっているようですよ」
「屋敷に?でも、会ってないぞ」
「お昼ごろまで、寝ていらっしゃるんじゃないですか?」
「ああ。そういえば、あいつ、朝弱いんだっけな」
あいつ?朝弱い?
なんか、仲いいとか?
いやいや。いとこなんだし。私だって、いとことは仲良かったし。
私はまだ、他の女性のことが気になっちゃうんだな。あれ?でも、一臣さんだって、私に他の男と仲良くするなって言ったんだから、私だって言ってもいいんじゃないの?
一臣さん、他の女性と仲良くしないで。一臣さんは、私のフィアンセなんだから。わかってる?
くらいのことを、言ってみたい。言えないけど。
「ふあ~~~~~」
わあ。突然、一臣さんが欠伸をした。
「じいちゃんたちの寄合、つまんないだろうなあ」
それって、役員会議のことだよね。
「会議では苦くて濃いコーヒー淹れてくれな?樋口」
「はい。かしこまりました」
それから一臣さんは、私の肩に腕を回して、一臣さんのほうに私を抱き寄せた。
ドキン!前の二人に見えちゃうよ~~。
「…やっぱり、リムジンにするか?弥生」
「へ?」
「でっかい車。運転席と後部座席の間には、しっかりと仕切りがあって、見えないようになるやつ…」
「な、なんでですか?」
「そうしたら、思う存分いちゃつける」
ぎゃ~~~~~~~~~~~~~!今の、前の二人に絶対に聞こえてる!!
「等々力はリムジン、運転したことあるのか?」
「一度だけ、社長のリムジンを運転したことがあります」
「慣れないと大変か?」
「いいえ。面白かったし、乗り心地も良かったですよ。社長を乗せていたので、ものすごく緊張しましたが」
「リムジンだと、助手席も楽なのか?」
「そうですね。もっとゆったりとしていますね」
「そうか。じゃあ、樋口も楽になるな」
「わたくしは、どちらでも構いませんが…」
樋口さんは、クールにそう言った。
「……なんだよ。なんでそこで、リムジンに乗ってみたいとか言わないんだよ」
「え?い、いえ。弥生様はどうなのかと思いまして…」
ドキ。私!?
「弥生はいいよな?そっちのほうが」
「い、いえ。私は今のままで」
「なんでだよ。もっと広くて、乗り心地も良くなるんだぞ」
「でも、そんな贅沢は」
「なんでだよっ。次期社長と次期社長夫人だろ?だから、いいんだよ」
どういう理屈?
「一臣さん、前に必要ないって言っていました。それも、私と乗るなら、絶対に必要ない…くらいの勢いで」
「あの時と状況は変わってるんだよ」
いったい、どう変わっているの?とは、ちょっと聞きづらい。もし、ものすごいスケベ発言をされたら大変だし。
「まあ、親父にも相談しないと、勝手に買うわけにはいかないからな」
そりゃ、そうだ。
そんなこんなで、車は会社に到着した。
樋口さんが先に降りて、ドアを開けてくれた。
「ありがとうございます」
と私が降りてから、一臣さんはまた大欠伸と伸びをしながら降りてきた。
そんなに眠い?でも、けっこうしっかりと寝たと思うんだけどな。あんまり眠そうにしていると、樋口さんと等々力さんが、変な誤解しちゃうかもしれないよ~。
「あ~あ。昨日は疲れたよな。毎年誕生日パーティは気を使って疲れるだけだ」
あ。そうか。それで疲れていたのか。
「一臣さんのピアノ、素敵でした」
私は昨日言い忘れていたから、そう言った。
「お前の琴も良かったぞ。なあ?樋口」
私と一臣さんの後ろを歩いていた樋口さんに一臣さんがそう言うと、樋口さんは優しくにっこりと微笑み、
「素晴らしい演奏でした」
とそう私に言ってくれた。
そして一臣さんはIDカートをかざして、役員専用の入り口に入って行った。そのあとに私と樋口さんも続いた。
一臣さんって、役員専用出口しか使わない日は、ほとんど社内の人に会わないよね。すぐに15階に行っちゃうし、15階から他の階に行くことも、めったにない。会議があるときくらいだ。
だから社員も、沖縄料理屋でびっくりしていたんだろうな。
だけど、顔だけはみんな知ってるんだなあ。きっと社内報に載っていたからかな。あと、緒方財閥のホームページ。社外の人向けのもあるけれど、緒方財閥の社員しか見れないページもあって、それに結構、緒方財閥のお偉いさんの記事がアップされていたりするんだよね。
あ。まさか、正式な婚約発表をしたら、私も載るのかな。社内報とか、ホームページに。
ひょえ~~。それは、かなり恥ずかしい。できたら、たくさんの修正をしてほしい。あ、でも、本人に会ったら、別人じゃないか!ってなっても困る。じゃあ、せめて遠目の写真とか、ぼかしを入れるとか…。
そんな馬鹿なことをエレベーター内で考えているうちに、15階に着いた。
チン!
「ほら。降りるぞ」
一臣さんが背中に腕を回して、部屋までエスコートしてくれた。
いつもながら、背中に回した手、優しいよな~~。力強くもない。でも、弱くもない。私が、安心して任せられるような、そんな微妙な力加減で支えてくれる。
そういえば、青山ゆかりさんに女性のエスコートの仕方、鍛えられたようなことを言っていたっけ。
ドアの前で樋口さんが先にIDカードをかざして、ドアを開けて待っていてくれた。
「もうすぐに会議だな。部屋でゆっくりもできないな」
「そうですね。コーヒーは会議室に持って行けばよろしいですね」
「ああ。頼む。弥生も何か飲むか?」
「いえ。私はいいです」
「じゃ、他のじいちゃんたちと同じ、お茶でいいな?」
「はい」
じいちゃんって…。役員をつかまえて、じいちゃんって言えるのは一臣さんくらいだよね。
私のカバンを一臣さんの部屋に置き、一臣さんもアタッシュケースを置くと、すぐに私たちは14階に移動した。
「おはようございます」
会議室には、細川女史と江古田さんがいた。
「おはようございます」
私もべこりとお辞儀をした。それから、一緒に書類を配ったり、テーブルを拭いたりした。
「細川女史。俺は樋口にコーヒーを頼んだから、弥生と他の役員には渋めのお茶を淹れてくれ」
「はい。かしこまりました」
細川女史はそう言うと、江古田さんと一緒にお茶を淹れにいった。それから5分もしないうちに、ぞろぞろと役員たちが会議室に入ってきた。
「あれ?君は、一臣君が気に入っている秘書かな?新人さんだよね?」
このおじいちゃんは、相談役だったよね。
「相談役。気に入っているっていうわけじゃなく、その秘書は…。会議が始まったら紹介しますので、早めにご着席ください」
一臣さんにそう言われ、相談役はきょとんとしながら、席に着いた。
みんなが揃ったところで、細川女史と江古田さんがお茶を配り、樋口さんは一臣さんにコーヒーを持ってきた。
そして、一臣さんは、一口、二口とコーヒーを飲むと、フウ…と溜息をつき、そして話し出した。
「会を始める前に、わたくしからご報告があります」
そう言って一臣さんは席を立つと、私のことを呼んだ。
私はドアに一番近い席に座っていたが、一臣さんの横にすすすと腰を低くして移動した。
「昨日、わたくしの誕生日パーティを、本家の屋敷で開きました」
「一臣君、何歳になったんだっけ?」
唐突に目黒専務が聞いてきた。
一臣さんは話の腰を折られ、眉をピクンと動かしたが、
「26歳になりました。もういい年ですよ」
と、ちょっと冗談交じりで返事をした。
そしてまた、真面目な顔をして話を続けた。
「まあ、いい年ですし…。来年には大阪支社も設立し、今の副社長が大阪支社長になり、わたくしがそのあとを引き継ぐことになるのですが、それを機に、結婚も考えています」
「素晴らしいな。おめでたいことばかりじゃないか」
「はい。皆さんもご存じのとおり、緒方商事は今、上条グループと提携を結び、関西、そのあとはアメリカへと手を広げていくプロジェクトも着々と進んでいます」
「いやあ。素晴らしい!」
白髪頭のおじいさんが、さっきから、しきりに素晴らしいを連発している。
「それでですね。わたくしは、その結婚相手になる人と、婚約をしました」
「おお!それはもちろん、上条グループのご令嬢だな?」
また、白髪頭のおじいさん。
「そうです。常務のおっしゃる通りです」
「いやいや。嬉しいニュースじゃないか。なあ?みんな」
他の役員たちがしゃべりだそうとする前に、一臣さんはまた、話し出した。
「それでですね。常務。その上条グループのご令嬢というのが、こちらにいる上条弥生です」
「え?!」
あれ?なんでみんなびっくりしているの?
だいいち、私がなんで一臣さんの隣に来たのか、理解していなかったってわけ?
「そ、その子が?でも確か、秘書課に新しく来た新人」
相談役が目をぱちくりしている。
「そうです。相談役。今はわたくしの秘書として仕事をしてくれています。それから、彼女が提案したプロジェクトも動き出し、彼女はわたくしの補佐もしてくれています」
「機械金属部のプロジェクトか?」
「はい。そうです」
ほ~~~~~。
なんでだかわからないが、役員たちがいっせいに安堵の溜息をもらした。
なんで?
「弥生。みんなに挨拶したらどうだ?」
「あ、はい。わたくし、上条弥生といいます。どうぞよろしくお願いします」
そう言って、ぺっこりとお辞儀をすると、なぜだかわからないが、拍手が起こった。
なんでだろう。
「上条グループのご令嬢との婚約が決まったのか。良かった良かった。これで、緒方商事も安泰だ」
「一臣君、君、確か婚約することに思い切り反対していたと、そう噂で聞いていたよ。それなのによく決意してくれた」
「本当に良かった」
ああ。自分たちの身の安全も確保できたっていうことか。もしかして。
それから、みんなして各々勝手に話し出した。
「わたくしからの報告は以上です。弥生、座っていいぞ。では、役員会議のほうを進めてください」
一臣さんにそう言われ、私は席に座った。役員たちもいっせいに、静かになった。
会議が始まると、みんな静まり返り、報告書に書かれていることを、ただただ聞いていた。居眠りをしている役員もいる中、一臣さんはどうにか眉間にしわを寄せたまま、報告書を睨み続け、寝ずに会議を終えた。
私はと言うと、一臣さんや、他の役員たちが気になり、眠くなるどころじゃなかった。
「では、これで今日の会議は終わります、解散」
そう一臣さんが言うと、みんなそれぞれ席を立ち、伸びをしたりしながら会議室を出て行った。
「こんなんで、いいんですか?」
「じいちゃんたちの寄合か?いいんじゃないのか。どうせ、何の仕事もしていないんだからな」
「でも」
「まあ、専務や常務は、お得意さんと会ったり、いろんな仕事もしているけどな」
そう言って一臣さんも席を立つと伸びをして、
「お前の紹介も済んだし、もうお前にセクハラしてくる爺もいないだろう。さあ、15階に戻るぞ、弥生」
と、私の背中に腕を回した。
そして、部屋に戻ると、いきなり抱きしめてきた。
うわ!なんだってまた、いきなり?!
「あ~~。10時半から、ミーティングか~~」
「そうですよ。もう10時過ぎていますから、行かないと」
「もう少し、お前のこと抱きしめさせろ」
「……でも」
「口紅はあるよな?」
「キスですか?だ、駄目です。私、腰砕けちゃうし、真っ赤になっちゃうし」
「駄目だ。俺が持たない」
何が?!
と聞き返す間も与えてもらえず、唇をふさがれた。
きゃあ。やっぱり、舌も入れてきた。
ギュウ。私は一臣さんの胸にしがみついた。腰が砕けても、座りこまないように。一臣さんは、両手で私の腰を抱いていた。っていうか、支えていてくれた。おかげで、へなへなと座り込むことはなかったが、キスが終わっても、ほわ~~~~~んと、意識がどこかに抜けたままになってしまった。
「口紅、塗っておけよ」
「え?塗ってくれないんですか?」
「俺がか?」
「はい」
「じょうがねえなあ」
一臣さんは、私をソファに座らせ、隣に座ると顎を片手であげて、口紅を塗ってくれた。
ああ、真剣な表情。うっとり…。
「そんな目で見るな。また、キスしたくなるだろ」
「え?」
「口にしたら、口紅、また落ちるな…」
そう言って一臣さんは、私の耳に髪をかけると耳たぶをはむっと口に含んだ。
「ひゃあ!」
甘噛みも感じちゃったけど、こ、これも、ゾクってしてしまった。
「じゃあ、そろそろ行くか?」
もう~~~~~~。なんだって、これからミーティングに出ないとならないって時に、こんなことするの?私、きっと真っ赤だし、心臓はまだドキドキしている。
それに、胸の奥はきゅんきゅんって、疼いてる。