~その7~ 一臣様のお母様
4時15分前。亜美ちゃんが部屋に来て、一緒に着物や帯など、一式を揃えてくれた。
「素敵なお着物と帯ですね」
「ありがとう。祖母が作ってくれたんです。着る機会があって、嬉しいです」
「もっと、お着物着たらいかがですか?きっと、弥生様似合いますよ」
「本当に?一臣様も褒めてくれるかな」
「もちろん…。と、思います」
亜美ちゃんは、声の勢いが最後にはなくなった。
「思います?」
「あ。ごめんなさい。あまり期待をさせたら申し訳ないから。でも、一臣様と弥生様、仲がよろしいし、きっと喜ばれると思うのですが」
「仲いい?!」
わあ。顏が火照った!
「はい。さっきは驚きました」
「………」
駄目だ。何も言い返せない。顏がまだ熱い。
「一臣様、ダイニングで弥生様に冷たいじゃないですか」
「はい」
「演技をすると言っていたけど、心配だったんです。2人きりになったら優しくするって、本当かなって疑ってもいました」
「……」
そりゃ、そうだよね。みんながいる前だと、一臣様冷たいもんね。私も思ってた。演技だよね?って、ちょっと不安にもなっていたし。
「あのドア、隣につながっているドアだってことは、日野さんに聞いていたんです。でも、一臣様が鍵を持っていて、あのドアを開いたことは一度もなくて、絶対に今後も開けることはないって断言もしていたらしくて。それで、まさか、あのドアを使って、お二人が行き来しているなんて思ってもみなくて」
あ、亜美ちゃん、着物の準備もそっちのけになってる。
絶対に今後も開けることはないって断言していた?それだけ、私との婚約、嫌がっていたんだよね。
「だから、お屋敷で2人になることもないし、弥生様が傷ついたりしたら、どうするんだろう、いつ優しくするんだろうって、心配していたんです」
「亜美ちゃん。ごめんなさい。やっぱり、私についていてくれるメイドさんたちにはちゃんと言えばよかったです」
「行き来するほど、仲良かったのは内緒だったんですか?」
「…っていうわけじゃないんですけど。なんだか、恥ずかしさもあったし、自分でも信じられないっていうのもあったし」
「…き、聞かせてもらってもいいですか?あ。でも、時間が…。今度ゆっくりと一臣様とのこと、聞かせてくださいね」
「はい」
か~~~~~~~~~~~~。あ。きっと、私、顔がゆでだこ…。
それから、亜美ちゃんと一緒にお母様の部屋に向かった。
お母様の部屋に入るのも初めてだし、とにかくドキドキだ。
トントン。
「奥様。弥生様をお連れいたしました」
と亜美ちゃんが言うと、中から「どうぞ」というお母様の威厳のある声が聞こえてきた。
「失礼いたします」
亜美ちゃんもいつもより、なんだか動きがぎこちない。緊張しているんだよね。っていう、私は緊張マックスだ。
「あ。あの。よろしくお願いします」
ドアのところで一回、深くお辞儀をした。亜美ちゃんはそんな私を見て、隣で腰を低くして頭を下げた。
「どうぞ。中に入って」
さっきの威厳のある声より、優しい声でお母様がそう言った。
「はい」
私は緊張しながら、部屋の奥へと進んで行った。
造りは、私の部屋と変わらない。大きさも変わらないかもしれないし、壁にはやっぱり、女性の肖像画がある。ただ、ベッドはシンプルだ。それにテレビも冷蔵庫も、音楽プレイヤーもある。
でも、天井からは大きなシャンデリア。古いものと新しいものが混ざり合っている部屋だ。
「弥生さんのお部屋は、何もないんじゃないですか?樋口がアパートにあったものを全部処分していたから」
「はい」
やっぱり、家電も処分されちゃったんだ。かなり悲しいな。
「一臣の部屋は入りましたか?」
ドキ!
「は。はい」
ああ。どうしてこうも、私は嘘がつけないんだ。
「わたくしも、改装してから一回だけ入りました。原型をまったくとどめていない、やけにモダンな部屋になっていたわね…。テレビも大きいのを置いてあったし、ジャグジーバスに改造もしてあったし」
「……そうですね。すごいお部屋で私もびっくりしました」
「ジャグジーは気持ちよかったですか?」
「あ。はい。アロマの香りもして、ゆったりと入れ…」
ひゃあ!一臣様の部屋のお風呂に入ったことまでばらしちゃった!
「いえ。あの。私の部屋はユニットバスであったまれないだろうからって、入ってもいいと言われて…」
言い訳になっていない。全部本当のことをばらしているだけだ…。ああ、汗がだらだら背中を流れている。
「そうですか。一臣は相当あなたのことを気に入っているんですね。今まで、メイドが掃除に入るのですら嫌がっていたくらい、人を部屋には入れたくなかったようですから」
え?そうなの?
「社長もあなたのことは気に入っているようですし…。あなたを選ぶんでしょうね…」
そう言ってから、お母様は、着物と帯を広げだした。
「まあ。素敵なお着物。おばあ様が選んだんでしたっけ?」
「はい。私のために作ってくれたものです」
「そうですか。弥生さんにぴったりのお着物ですね」
「そう言ってくださると嬉しいです」
感動だ。嬉しい~~~~。こんなに褒めてくれるとも思わなかった。
「帯も素晴らしい。どんなドレスよりも、やはり日本人女性は着物が一番似合うと思いますよ」
「……はい」
お母様は、それから私の着付けを手伝ってくれた。
でも、半分以上、私が祖母から習った通りに着付けをすると、
「弥生さんの着方、お上手ね。それなら形崩れしないわ。おばあ様から習ったの?」
と、お母様に聞かれた。
「はい。祖母は着付けの免許も持っているんです」
「まあ。他には?琴も習っているのでは?」
「はい。祖母は琴の先生でもありますし、お習字の先生でもあるんです」
「すごいのね…」
「はい。祖母こそが大和撫子だと私は思います。そんな祖母に、祖父は惹かれて…。あ、祖父は日本男児そのものって言っていいほど、日本の文化や、武士道の精神などを重んじている人なんです」
「まあ。そうですか。だから、弥生さんはとても、礼儀正しいのですね?」
「わ、私がですか?でも、私、前にお母様に叱られて…。あの、お庭でお弁当などを食べていたので」
「…あれは、従業員たちがさぼっていると勝手に勘違いしたんですよ。一臣や龍二がまだ幼かった頃は、芝生で遊んだり、お弁当を食べたりしていましたよ」
「え?」
「忙しくて、本当にちょっとの間しか、一緒にはいられませんでしたけどね?」
お母様も一緒にいたの?
「社長はもっと忙しかったから、屋敷に帰ってくる時間など、ほとんどありませんでしたしね」
「……そうなんですね」
「あなたの家は?お父様やお母様は、子供たちと一緒にいる時間を大切にしていたのですか?」
「はい。とっても。祖父や祖母とも、一緒にいる時間はたくさんありました。私は祖父、祖母、父、母にいろんなことを教わりました。兄弟仲もとても良くて、毎日が幸せでした」
そう言うと、お母様は寂しげに微笑んだ。
「そう。だから、あなたのような明るく、まっすぐな子が育ったのですね」
え?明るく。まっすぐ?
なんだか、お母様までが、多重人格か、偽物なんじゃないかって気がしてきた。前に会った時とは別人なんだけど。
「弥生さんは、美味しそうにいつでもコック長のお料理を食べていましたね」
「は、はい。それは、本当に美味しかったから」
「わたくしも、コック長の作った料理はとても気に入っています。和食でも、フレンチでも、何を作らせてもどれも美味しい」
「はい。今日のお蕎麦も、お寿司も美味しかったです!」
「…あのチラシ寿司は、一臣がまだ、5歳くらいの時、誕生日にコック長が作ったら、とっても喜んでいたのです。その笑顔がいまだに忘れられなくて。でも、一臣はそのことを覚えていなかったようですけどね」
「だけど、嬉しそうでした。とっても、喜んで一臣様食べていました」
「………」
あれ?黙っちゃった。私、変なこと言ったかな。調子に乗りすぎたのかな。
「弥生さんは、和食はお好きですか」
唐突にお母様が聞いてきた。
「はい。好きです」
「天ぷらなども?」
「はい。一度、一臣様が天ぷらの美味しいお店に連れて行ってくれました」
「まあ。そうですか。本当に一臣はあなたのことが気に入っているのねえ」
「……」
また、自分からばらしてしまった。
「弥生さん。串揚げは食べたことがありますか?」
「串揚げ?!あります。一度だけ、兄に連れて行ってもらったことがあります。すっごく美味しかったです」
「では、お好きですね?」
「はい。大好きです」
「わたくしも美味しい串揚げのお店を知っています。でも、なかなか一緒に行ってくれる人がいなくて。今度、一緒に行きますか?」
「え?私とですか?わ、私でいいんでしょうか?」
「ええ。そこの料理長は、あなたが美味しそうに食べるところを見たら、きっと喜ぶと思うんです。ご一緒しましょう」
なんだか、いきなりの展開に驚きだけど、
「はいっ!喜んで」
と、居酒屋の店員のような変な返事を元気にしてしまった。
あ。でも、居酒屋はさすがにお母様、行ったことないからわからないよね…。
そうして、着付けも済み、お母様とご飯に行く約束までして、私はるんるんでお母様の部屋を出た。
ずっと、黙って隅っこで待っていた亜美ちゃんが、私のちょっと後ろを歩いてきながら、
「弥生様。良かったですね」
と、ぼそっと言って鼻をすすった。
え?うそ。泣いてるの?
「あ、亜美ちゃん?」
「わたくし、嬉しくて。奥様が弥生様を受け入れる日が来るなんて、思ってもみなかったので」
うん。私もそれは思っていた。
「奥様が着付けを手伝うと言った時には、何か意地悪でもするんじゃないかって心配したんです。でも、そうじゃなくて。奥様は本当に弥生様を受け入れてくださったんですね」
「はい」
じわ。なんだか、私まで感動してきて涙が出てきた。
「良かったですね」
「ありがとう、亜美ちゃん」
しばらく、廊下で2人で鼻をすすっていた。でも、
「あ。お化粧し直さないと。化粧とれちゃいましたよ。わたくしが直しますね。だから、早くお部屋に戻らないと」
と、亜美ちゃんがそう言って、にっこりと笑った。
「はい」
私も涙を拭いてにっこりと笑い返した。
亜美ちゃんって、すごく優しくていい子だ。トモちゃんも、日野さんも。
私はそんなみんなに守られて、なんて幸せなんだろうなあ。
喜多見さんも、国分寺さんも、等々力さんも、コック長も、他のコックさんたちも、他のメイドさんたちも、庭師の人も、みんないい人。
そして、お母様も。
仲良くなれることは、永遠に来ないかも。って、ちょっとだけ思ったこともあったけど。本当に良かった。
あとは…。龍二さんとは、あんまり仲良くならないほうがいいような気がするけど、お父様よね。
まだ、一回しか会っていない。話もしていない。
今日はお話ができるのかな。ドキドキしながら、私の部屋に向かった。
時間は5時を過ぎていた。確か、5時から来賓の人たちが来ると言っていたよね。一臣様はもう、大広間にいて、みんなのことを出迎えているのかもしれない。
「はあ」
緊張してきた。琴はすでに、大広間に用意してある。
ちゃんと弾けるかな。失敗したらどうしよう。
あ!そうだ。一臣様のショパン、弾いている姿が見れるんだ。嬉しいな。
そして京子さんのことを思い出した。京子さんも、私と同様、一臣様に一目で恋に落ちた人なんだ。
私が大学時代、遠くで一臣様を見て、勝手にあれこれ想像して勝手にその一臣様に恋をしていたように、京子さんも一臣様を勝手に美化している。
本当は、女癖が悪い。あっと、違った。悪かった。
優しいかと思ったら、かなり怖い。
それに、えばっているし、そして何より、一番びっくりしたのは、かなりのスケベだ。
そんな一臣様を知ったら、京子さんはそれでも、一臣様を好きでいるのかな。
私は?
ドクン。今日の一臣様はスーツかな。
スーツ姿の一臣様が好き。でも、バスローブを羽織っている時も好き。それどころか、パンツ一丁でも、素っ裸でも好きかも。
きゃ~~。何を言ってるんだか!結局、私は、俺さまでも、女癖が悪くても、怖くってもスケベでも、大好きなんだよね!
今日で、一臣様は26歳。もっと一臣様は守るべきものが増えるんだろうな。
でも、きっと一臣様は、強いから大丈夫。
そして、私は…。ずっと支えになりたいとか、役に立ちたいとか思って来た。でも、なんとなくそういうんじゃないって、そんな気が今はしている。
背中に背負っているものを半分持ちますって言ったけど、それも違う。一臣様だったら、きっと大丈夫だ。もっとこれから、一臣様は大きく強くなっていくんだから。
だから、私も。
一臣様と一緒に、会社や従業員の人たちのことを守れるだけの器になる。
それは、とってもきつくて、とっても責任重大で、プレッシャーだって思っていた。
でも、違う。
どんどん周りに人が増えて行く。守るべき人、守ってくれる人。
それは、全部が私や一臣様の力になっている。だから、プレッシャーでも、重圧でもないんだ。本当は。
みんなが、力になっているから、何倍も一臣様も、そして私も強くなれる。
なんだかよくわからないけど、まだ、一臣様のことで弱くなったり、落ち込んだりもするけど、でも、私の中からパワーがみなぎってきているのを感じる。
「よっしゃあ!琴の演奏も、頑張るぞ!」
そういきなりガッツポーズをすると、私の化粧を直し終え、化粧品を隣で片付けていた亜美ちゃんが、こけそうになった。
「び、びっくりしました」
そう言って、最初は目を丸くしていたけど、亜美ちゃんも、
「弥生様、ファイトです!!」
と、ガッツポーズをしてくれた。
ほらね。もう、亜美ちゃんからパワーをもらった。やっぱり、みんながパワーをくれているんだよね。
なんか、あったよね。こんなマンガ。昔見た。テレビのアニメも。葉月が大好きだったの。
あ、思い出した。
「おらに元気玉をくれ~~~!」
みんなの力がパワーになる。本当にそうだよね!