~その5~ お祝いのお昼ご飯
着替えを済ませ、化粧をしてダイニングに行ったのは、すでに1時過ぎ。もう、みんな昼食を終わらせ、部屋に戻ろうとしているところだった。
「弥生様、どうぞ」
国分寺さんが椅子を引いてくれた。
「ありがとうございます」
私は椅子に腰かけた。そしてすぐに、昼食が運ばれてきた。
「弥生さん、遅いお昼ですね」
私のほうを見て、お母様がそう言った。ギクリ。
「すみませんでした」
一言だけ謝り、私は言い訳をしなかった。
「5時には来賓も来ますから、それまでに支度を済ませておいてください」
お母様は、厳しい表情のまま私にそう言った。笑顔がまったく見られないのは、私が遅れてきたからかな。でも、席を立たずにお茶をすすっている。
「一臣様、どこかにお出かけですの?」
麗子さんが国分寺さんに聞いた。国分寺さんは、
「いえ。一臣様は、お休みの日は食事の時間がまちまちで…。お部屋でとることもありますので、今日もお部屋の方で召し上がるのかもしれません」
と、麗子さんに丁寧に答えた。
「お部屋で?」
京子さんがそう言うと、ダイニングの時計を気にした。
「じゃあ、パーティまで顔を合わせられないんでか?」
残念そうにそう言ったのは、敏子さんだ。
一臣様は、こっそりと喜多見さんにお昼を持って来てもらう予定だ。まだ、お腹が空いていないらしく、もう少ししたら持って来てくれと電話していた。
私は、亜美ちゃんたちも心配するかもしれないし、ダイニングに出てきた。本当は一臣様の部屋で一緒に食べたかった。
まだ、一臣様は部屋でのんびりしている。私も、一緒にのんびりとくつろぎたかった。
まだまだ、まだまだ、甘い時間を過ごしていたかった。たとえば、お昼ご飯を「あ~~ん」とかしてみたり。
これ、まだ叶っていないけど、ずっと叶えられないことになるのかな。そういうの一臣様、さすがに嫌がりそうだし…。
なんて、妄想の世界に入りかけていると、
「国分寺。一臣もここに呼びなさい。せっかくコック長がお祝いのお料理を作ったのですから」
と、お母様が国分寺さんにちょっと怖い声で言った。
「はい、かしこまりました」
「え?一臣様、来られるの?」
いきなり、麗子さんたちはそわそわし始めた。一回席を立った敏子さんまで、もう1度椅子に腰かけ頬を染めている。
京子さんは、なぜか喜ぶ顔を見せず、私のほうを見た。あ、昨夜、私が一臣様の部屋に入ったのを知っているんだもんね。
「あなたたちは、お食事が済みましたよね?お部屋にお戻りになっていて結構ですよ」
お母様がそう、麗子さんたちに言った。すると、
「え?戻らないとなりませんの?ここにいて一臣様とお話がしたいですわ」
と、麗子さんがお母様の言うことを聞こうとせず、どっしりと椅子の背もたれにもたれた。
「麗子さん。我が家では、食事中はおしゃべりなどしません。一臣は食事をしに来るのです。皆さんとお話をしに来るわけではありません」
お母様、なんだかきつい言い方をしたかも。
麗子さんは、今の言葉に頬をぶうっと膨らませ、
「わかりましたわ。あとで、お食事が済んだら、一臣様とお話しします」
と、そう言って席を立ち、わざと背筋を伸ばし、足早にダイニングを出て行った。
「で、では、わたくしもこれで」
敏子さんは、お母様が怖い顔をしているからか、腰を低くしてそう言うと、そそくさとダイニングを出て行き、京子さんは静かに立ち、
「失礼いたします」
と丁寧にお辞儀をして出て行った。
龍二さんはいない。食べ終わった形跡もないから、ここには来なかったのかもしれない。
「弥生様、もう少しお待ちいただけますか?一臣様がいらっしゃってから、ご用意しますので」
「はい」
国分寺さんにそう言われ、私はじっと席に座ったまま、待っていた。
お母様は、まだ、お茶を飲んでいる。席を立ちそうもないのはなんでだろう。
ほんの数分だったかもしれない。でも、ダイニングは異様に静まり、私の後ろで立っている亜美ちゃんも、緊張しているのが伝わってきた。という私も、緊張していた。
お母様と二人きりのダイニングって、なんか、怖い。
そこへ一臣様がずかずかとダイニングに入ってきた。一気に私はほっとした。でも、今の私は、ちょっと一臣様の顔を見ただけで、顔がほころんでしまうし、熱くなってきてしまう。だから、一臣様の方は見ないようにした。
「遅いですよ、一臣」
「ああ、部屋で食べようと思っていたんですよ。なんだって、また食堂に呼びだしたんですか?もう、お嬢様たちも食事を終えて、部屋に戻ったんですよね?」
「弥生さんがまだいますよ」
そうお母様は静かに言った。
私?
なんで?私?
「…」
一臣様をちらっと見た。一臣様、無言だ。無言で、眉間にしわを寄せ椅子に腰かけた。
あれって、演技?だよね。だって、さっきまであんなに優しかった。
演技だよ。演技。
まったく、私はあんなに愛されたのに、まだちょっと一臣様が嫌そうな顔をしただけでも、不安になってしまう。
少しすると、私と一臣様の前にお料理が運ばれてきた。
お吸い物とチラシ寿司だ。それから、お蕎麦も出てきた。
「一臣が子供の頃、喜んで食べていたでしょう?チラシ寿司」
「…さあ?もう忘れました」
一臣様はクールな声で、お母様に答えた。
「いただきます」
私はそう言って、一臣様が食べだした後に手を合わせた。そして、まずはお吸い物を飲んだ。美味しい。
なんだか心まであったかくなってくる、優しい味だ。
そして、ちらっと一臣様を見た。一臣様はチラシ寿司を食べている。あ。ちょっと、満足そう。
はあ…。今日は席が遠くて良かったと思う。目の前にいたら、ドキドキして食べれないかもしれない。
あ。ドキドキじゃないかな。キュンキュン?うずうず?
一臣様の横顔がとってもカッコ良く見えて、うっとりと見つめそうになり、私は視線を前に向け、目の前のお料理に意識を集中した。
そしてチラシ寿司を食べた。
「美味しい」
思わずそう言っていた。すると、お母様も一臣様も私のほうをちらっと見た。
あ。聞えちゃったんだ。
おしゃべりなんてしないで、静かに食べないといけないんだよね。
私は注意深く、今度はお蕎麦を食べた。うわ。これ、手打ちだ。
「美味しい」
ああ!また、言ってしまった。お母様たちのほうを見て、私は慌てて口を手でおさえた。
「美味しいですか?弥生さん」
お母様がそう聞いてきた。
「あ、はい」
「お蕎麦は手打ちのお蕎麦です」
「やっぱり?とっても美味しいです。あ、チラシ寿司も。それに、お吸い物も優しい味で」
そう言ってから、私は口をつぐんだ。しゃべりすぎたかも…。
「そうですか。それは良かった。なにしろ、他のお嬢様方には、不評でしたから」
「え?これがですか?こんなに美味しいのに?」
「ええ。庶民が口にするもので、わたくしたちには合いませんと言って、麗子さんは一口、二口でそうそうにメイドに下げさていましたし、敏子さんも、半分残されて、うちの料亭のほうがもっと素晴らしいと言っていました」
え~~~。それ、酷過ぎない?もしや、それでお母様の顔、怖かったのかも?
「あ。でも、京子さんは…」
「美味しかったですと言いながらも、ほとんど残していましたよ」
え~~。なんで?
「……もったいない」
そう言った後、私はまたチラシ寿司を食べ、
「こんなに美味しいのに。すごく愛情もこもっているし。お蕎麦はコック長の手打ちですか?お蕎麦も愛情込めて、打ったんですよね」
と、涙が出そうになった。
そういえば、お母様、一臣様が子供の頃喜んで食べたからリクエストしたって言ってた。じゃあ、お母様の愛情だって、このお料理に。
じわ~~~~。
「弥生。泣いてるのか?」
うわ。一臣様にばれた!
「なぜ、泣いているんですか?」
お母様にまで聞かれてしまった。
「あ、あの。だって、せっかく、一臣様のために作ったお料理だったのに。コックさんたちや、お母様の想いがこもっていたのに、それなのに」
「わたくしの?」
「はい。一臣様が子供の頃、好きだったものだったから、リクエストなさったんですよね。一臣様のお誕生日に」
「…ええ」
「それなのに」
じわじわと涙があふれてきた。私はそれをナプキンで拭いた。
すると、そこにコック長が現れた。
「弥生様。ありがとうございます。ですが、弥生様や奥様、一臣様が喜んで召し上がって下さったら、それで十分ですよ」
「コック長…」
私は泣くのをやめて、コック長に笑いかけ、
「はい。とても美味しいです。すみません。途中で泣いたりして」
とそう言って、またお箸を持って食べだした。
一臣様も、黙々とそのあと食べていた。
お母様はというと、お茶のおかわりを催促して、ずっと私たちが食べ終わるまでダイニングの椅子に座っていた。
静かだったけど、なんとなくその場は和やかで、あったかい場所になっていた。
「ごちそうさまでした」
私は綺麗に全部を食べた。それは、一臣様も同じだった。
お腹も空いていたと言えば、空いていたんだけれども。朝食も食べていなかったし。
コック長がまた、キッチンから現れた。一臣様はにこりと微笑み、
「どれも最高だったぞ」
と、そうねぎらった。
「ありがとうございます」
一臣様は静かに席を立ち、ダイニングを出て行った。私は、まだお母様がいるので、なんとなく席を立ちにくくて、お茶のおかわりを頼んでみたりした。すると、
「弥生さん。今日は6時からパーティが始まりますが、着付けは早めになさったほうがいいですよ」
とそうお母様が話しかけてきた。
「あ、はい」
「喜多見さんは、敏子さんの着付けを手伝うと言っていましたよ。ですから、あなたはわたくしがお手伝いしますから、そうね…。4時に私の部屋に着物一式を持っていらっしゃい。あなたのメイドの誰かに着物は持たせたらいいわ」
「は、はいっ」
ど緊張!本当に私の着付けを手伝ってくれるんだ!
「では、またあとでね、弥生さん」
お母様はほんの少し微笑み、席を立ってダイニングを出て行った。
お母様、話し方も声も優しかった。あの、こわ~~~いお母様はどこに行っちゃったんだっていうくらいに。
「わたくしがあとで、お供します」
亜美ちゃんが、すすすと私の横にやってきてそう言った。
「あ、ありがとう」
「奥様、どうされたんでしょうか。突然弥生様にお優しくなられて。まさかと思いますが、魂胆があったり…」
亜美ちゃんは、ものすごく声を潜め、私の耳元でそう言って来た。
「まさか。そんなことはないですよ。いくらなんでも」
私も小声でそう答え、それから席を立ってダイニングを出た。
そして自分の部屋に戻り、ものすごくドキドキしながら一臣様の部屋に通じるドアをノックした。
すると、ガチャリとドアが開き、
「入っていいぞ」
と一臣様が、とてもクールにそう言った。
あれ?声も話し方も、顔もクール。
浮かれたり、にやけたり、喜んだり、ドキドキしているのは私だけ?
そうか。一臣様にとっては、抱き合うなんていうことは、そんなに浮かれたり、ドキドキしたりすることじゃないんだな。
くすん。ちょっと寂しくなりながら、中に入った。すると、ベッドメイキングをしている喜多見さんがそこにいた。
うわ。ベッドメイキングってことは、あの、血の跡を見られたってこと?!
「喜多見さん。こいつがそういえば、昨日チョコ食い過ぎて、その辺に鼻血垂らしてた…」
唐突に一臣様が、しれっとした顔をしてそう言った。
うわ!!!本当に私がチョコを食べ過ぎたってことにしてる!信じられない。
「そうですか。一臣おぼっちゃまも高校生の頃、チョコレートを食べすぎていましたね。それで、チョコレートがお嫌いになってしまって」
「ああ。バレンタインだよな。ものすごい量のチョコが集まって、その頃は甘いものも好きだったから、かたっぱしから食って鼻血出したな」
あれ?エッチなビデオを見ていたから、鼻血出したんじゃないの?どっちが本当?
「弥生様。申し訳ありません。着物の着付けですが、敏子様から依頼を受けまして、4時から着付けをすることになりました。ですから、弥生様の着付けのお手伝いに、遅れてしまうと思うのですが。それとも、もっと前に着付けされますか?」
喜多見さんにそう言われ、私は、
「大丈夫です。お母様が手伝ってくださるので」
と、そう答えた。
すると、喜多見さんは、目をまん丸くして、
「え?奥様が?」
と、一オクターブ高い声を出した。
「そうなんだよ、喜多見さん。おふくろ、もしかすると弥生のことを気に入ったかもしれないんだ」
ちょっと口元に笑みを浮かべ、一臣様が喜多見さんにそう言うと、喜多見さんは目を細め、
「まあ。そうなんですか。よかったですねえ」
と、嬉しそうに言った。
「案外、今夜、弥生が選ばれたら、おふくろも喜ぶかもな」
「…だったら、嬉しいんですが」
そう小声で言うと、一臣様は私のほうに来て頭を優しく撫で、
「大丈夫だよ。そんなに心配するな」
と優しく言ってくれた。
ドッキ―ーン!喜多見さんがいるのに、反応しちゃった。きっと私、顔が真っ赤だ!
「……」
そんな私を、一臣様が熱っぽい視線で見てきた。
きゃあ!キュンってしちゃうから、駄目。その視線は!
ドキドキドキ。私はしばらくその場にかたまったまま、動けなくなった。
喜多見さんは、ベッドメイキングを終えると、
「失礼します」
と言って、部屋を出て行った。
ドアがパタンと閉まると、いきなり一臣様が私を抱き寄せ、
「お前、そんなに赤くなるなよ。それに、目つきとか、色っぽすぎだよ。焦るだろ」
と言って、チュウっとキスをしてきた。
うわ~~。いきなりのキス。
ほわほわほわほわ…。足が宙を浮いているみたい。
駄目だ。もう腰砕けそう。それなのに、一臣様は一回唇を離すと、またキスをしてきて、それも舌を入れてきた。
それは駄目。普通のキスですら、腰砕けそうになったのに、そんなキスをしてきたら、本当に腰砕けになる。
でも、一臣様の首に、いつの間にか両腕を回している自分がいて、私からも一臣様からなかなか離れることができなくなっていた。
「…弥生。今夜も抱くからな?」
「え?」
「今日は…。ああ、紐のパンティがいいな」
耳元で囁かれた。
ひえ~~~~~~~~~~~!!!
ヘナヘナ。その場に座り込みそうになると、
「あ。キスだけでまた、腰抜かしたな。まったくお前は」
と一臣様に抱きとめられ、そのまままたお姫様抱っこをして、ソファに連れて行かれた。
ベッドじゃないんだ。あ、そうだよね。まさかまた、今からなんてしないもんね。
ドスン。私を抱っこしたまま、一臣様はソファに座った。だから、私は一臣様の膝の上にちょこんと座る形になった。
「まだ、着物着るまで時間あるだろ?」
「はい」
「じゃあ、ここでいちゃついていような?」
え?
そう言った一臣様は、またキスをしてきた。
ああ。やっぱり。ダイニングでの眉間にしわのあの顏は、演技だったんだ。
思い切りホッとした。
クールな一臣様もかっこいいけど、こうやって抱きしめてくれたり、キスをしてくれる一臣様のほうがいい。ほっとする。
キスが終わると、私は一臣様の首に両腕を回して抱きついた。一臣様は私の髪を優しく撫でてくれた。
は~~~~。なんて優しい指なんだろう。
うっとり。むぎゅっと一臣様にしがみついたまま、私はうっとりと幸せを満喫していた。
でも、10分もしないうちに、その幸せな時は破られた。
トントンとドアのノックの音の後に、
「一臣様、京子です」
という声が聞こえてきたのだ。
「あ。忘れてた。昼飯食ったら、時間作るって言っちまったんだっけ」
一臣様はげんなりとした顔をしてそう言うと、私にチュッとキスをして、私のことを膝からおろした。
そして、
「ちょっと行ってくる」
一臣様はソファから立ち上がると、頭をぼりぼりと掻き、部屋を出て行ってしまった。
ああ!2人の甘い時間が!!!!
がっかり。
部屋に一人取り残され、一気にまた寂しい気持ちがあふれだしてきてしまった。