~その1~ 覚悟決めました!
し~~んとする部屋の中、カチ、カチ、カチ、と時計の音だけが正確に時を刻んだ。
置時計、年代物っぽい。でも、まだしっかりと動いている。
壁にかかっている肖像画の女の人が、こっちを見ている気がした。この部屋は、この人の部屋だったんだろうか。一人で寝ていたのかな。寂しくなかったのかな。
私は、とっても寂しい。
初日、あのドアを開けて、一臣様は来てくれた。私が怖がっていると知り、自分の部屋に入れて、隣に寝かせてくれた。
会社の会議室で会った時は、怖かったし、上から目線で物は言うし、言葉遣いが悪いしでびっくりした。だけど、一臣様は、とても優しい人だった。
ちょっと嫌味を言う。憎らしげに鼻で笑う。片眉をあげて、フンって。そんな一臣様が大好きだ。
駄目だ。もう恋しくなっているなんて重症だ。
クルン。うつ伏せになった。ベッドはまた、大きく揺れた。
一人でこのベッドに寝るんだ。これから、何日も。でも、いったいいつまで?
ズキッ。今度は胸が痛んだ。寂しくって、胸の奥がズキズキ痛む。
どうしよう。
どうしたらいいんだろう。
このまま、別々に寝るなんて嫌だ。寂しい。
寂しい。
寂しい。
寂しいよ!
私は、ベッドから立ち上がり、クローゼットのドアを開いた。
寂しくて、一人じゃ怖くて、眠れません。なんて一臣様に言ったら、覚悟できているんだな、って言われて、押し倒されそうだ。
でも、でも、でもでもでも…。
それでもいい!
引き出しを開けた。セクシーな下着を手にして、私は迷った。
ドキドキ。紫はかなりデザインも派手だ。紐のパンティは、デザインは地味だが、紐っていうところに抵抗がある。
レースは?白だし、まだ、清潔感がある。それを手に取って広げてみた。
「うわ。透けてた!」
レースのひらひらは、透け透けのパンティだった。
「…どうしよう」
どれにしようか、さんざん迷った。どれを履いても、かなり色気が出るかもしれない。でも、一臣様は喜ぶかも…。
「………」
また、思い切り妄想してしまった。パジャマ、自分で脱ぐんじゃなくて、脱がされちゃうんだよね?
ドキドキドキドキッ!
胸が、胸の奥が、疼く。
「どれがいいか、わかんない。もう、これ!」
目をつむって適当に手にしてみた。すると、レースの透け透けのパンティだった。
バスルームに行き、パジャマのズボンを脱いで、普通の白のパンツから、レースのパンティに履き替えた。
私、すっごい大胆なことをしようとしてる。自分でもわかってる。
でも、「いいの?弥生」って、そう聞く自分の声すらどこからも聞こえてこない。
心の中で呟いているのは、ただ一つ。
「覚悟、決めました!」
それだけ。
勇気を振り絞って…とか、緊張するけど、前に進め!とか、怖いけど、行くぞ!とか、そんな声すら聞こえてこない。
自分の中から聞こえてくる言葉は、ただただ、
「一臣様のそばにずっといたいよ」
自分でも驚いている。何がどうなっちゃって、こうなっちゃっているのか。
よくわからないけど、ブラシを持って髪を丁寧にとかしている。
それから、ものすごく丁寧に歯まで磨いている。
それから、目やにがないかなとか、口臭はないかなとか、チェックをしている。
肌は今日のオイルマッサージのおかげで完璧だ。
完璧すぎるほど、完璧だ。今日しかないっていうくらい、心の準備まで完璧だ。覚悟、決まりまくりだ。
ドッ。ドッ。ドッ。胸の鼓動は早まって来たけど。行け。弥生。今すぐに行かないと、心臓が持たないとか言う私が現れて、言い訳をして、きっと足を止めちゃう。
「よ、よし。今の、勢いで!」
行け~~~。いざ、出陣!
トントン!ドアをノックして、返事も待たずにガチャリと開けた。
返事なんか待っていられなかった。
ドク。ドク。ドク。ますます鼓動は激しくなる。
「どうした?」
一臣様が私に気がついて、優しく聞いてきた。
ふわ~~~~~~~~~。その優しい声を聞いただけで、その場にへなへなと座り込みそうになった。
まだ、腰が砕けるには早すぎだよ、弥生。
どうにか、足を踏ん張り、
「あ、あ、あの」
と、話そうとした。でも、言葉が続かない。勢いだけで来たけど、何を言うかまでは、考えていなかった。
「弥生?」
一臣様は、まだバスローブだ。肌がはだけてて、それを見ただけで、またへなへなと力が抜けそうになった。でも、踏ん張った。
「お酒ですか?」
手にグラスを持っていたから、聞いてみた。
「いや。酒飲んだ勢いで、お前の部屋に襲いに行っても困るだろうし、単なるウーロン茶だ。お前も飲むか?」
私の部屋に襲いに?
いいのに。
それだけが、頭に浮かんだ。そのあとは何も言葉が出てこない。
「弥生?」
私が、ドアのところで、もじもじしているからか、一臣様がグラスをテーブルに置いて、近づいてきた。
一歩、一歩。近づいてくる。
ドク。ドク。どんどん、私の心臓が乱れ始める。
ドク。ドク。ドクドクドク。
「眠れそうもないのか?」
コクン。黙って頷いた。
「ああ、お前、怖がりだったっけ」
コクン。
「でも、お化けより、俺の方が怖いんじゃないのか?お化けは襲ってこないだろ?」
グルグル。首を横に振った。
言葉がまったく出てこない。さっきの勢いはどうした、弥生。
ふわ…。一臣様が私の真ん前まで来て、優しく私の頭を撫でた。
「大丈夫だよ。お化けなんていないんだから。な?」
う、うわ~~~~~~~~~~。
クラクラクラ。髪を優しく撫でられただけで、クラクラした。
「具合でも悪いのか?熱でも出たか?真っ赤だな」
そう言って、今度はおでこを触ってきた。
うわ~~~~~~~~~~。それだけで、心臓が飛び出しそうになって、そのあと、胸の奥がキュンって疼いて…。
「一臣様!」
「なんだ。唐突に叫ぶなよ」
やたらと高い声が出てしまった。自分でもびっくりした。
「あ、あ、あ、あの」
「なんだ?」
「わ、わ、わ、私を」
「今夜抱いてください?それとも、一臣様のものにしてください?」
ひょえ~~~~~~~~~!!!!
ば、ばれてた?心読まれてた?エスパー?顏に書いてあるの?
私は思わず両手で私の顔を隠した。
「なんてな。それは、さっき、龍二の前でした演技だったな。あんなことをまじで言われたら、理性ぶっとんですぐに押し倒しちまうけど…。で、なんだ?」
え?
「…………」
私は、一臣様の顔を見つめて、呆然としてしまった。今の、本気で思っていたし、言おうとしていた。冗談ですまされちゃったけど、私は本気で…。
でも、理性ぶっとんで、押し倒されちゃうの?
それって、かなり、あれかな。力任せと言うか、乱暴と言うか…。
だ、駄目だ。そういうのは、ちょっと無理。優しい一臣様じゃないと、怖いのは無理かも。
今度は顔から血の気が引いた。
さっきの決意はどうしたんだ。覚悟決めまくったんじゃないの?弥生。
こ、こうなったら。こうなったら、とにかく、私の心のうちを言うしかない。
「一臣様。変なことを言いますけど、聞いてください」
「変なことは受け付けない。変な質問もだ。いつも言ってるだろ?」
そんな~~~。そんな意地悪は今、言ってほしくない。ああ、決心が鈍る。足もがくがくしてきた。
「じゃ、じゃあ、変なことじゃなかったらいいですか?」
「…ああ。俺が落ち込んだり、頭に来たり、辛い思いをするようなことじゃなかったら受け付ける」
え?
「それは。その…。多分、一臣様は、落ち込まないし、辛くないと思います。ただ、呆れたり、引いたりしちゃうかも」
「……ふ~~ん。なんだ?一応聞いてやる。でも、また、何かくだらないことを勝手に妄想して、暴走して、俺から離れるとか言うんじゃないよな?」
「違います。妄想はしたけど、違います」
「お前って、妄想癖があるのか?いったいどんな妄想を…」
「い、いいから。聞いててください。私の心がぽきって折れる前に」
「…折れそうなのか?」
「ギリギリです」
「そうか。じゃあ、おとなしく聞いてやる」
そう言うと、一臣様は私の腰に手を回し、私のことをソファまで連れて行った。
うわうわうわ。腰に手を回されただけでも、腰が砕けそうだ。腰が脈打ってるし…。
もうすでに、雲の上でも歩いているみたいに、ふわふわしてきた。
それから、ソファに座らされ、一臣様はすぐ隣に座って、また、私の腰に手を回した。
ドキ。ドキ。ドキ。だんだんと、頭が真っ白になってきた。
「ん?」
一臣様が私の顔を覗き込んだ。
うわ!ドッキーン!
「話してみろ。聞いてやるから」
「………」
顔が熱い。心臓が壊れそうだ。でも…。
腰に回った腕とか、一臣様のコロンの匂いとか、声とか、全部に胸がキュンキュンして、どんどん胸の奥が甘酸っぱくなって、疼いてきてる。
駄目だ。これ、何?
「私、変なんです」
「は?何を唐突に。変なのは知っていたけど、今さらそんなこと言われてもだな」
「違います。へんてこりんで、みょうちくりんの話じゃなくて、変なんです。今も…」
「………ん?」
一臣様の片眉があがった。
「軽蔑とかしないでください。それから、き、嫌いにもならないでください」
「俺がそんなに、ドン引きすることか?」
「す、するかも」
「……言ってみろ」
一臣様の顔が、真剣になった。ああ、そんなに真剣な顔をされると言いにくい。
「私、ひ、一人で、向こうの部屋で寝るのは、怖いし、寂しいし、嫌なんです」
「それが、変なことか?」
グルグルと首を横に振った。
「でも、そんなことを一臣様に言ったら、こっちで寝るなら、覚悟を決めろだの、押し倒されちゃったりするかもって」
「かもな?わかってるじゃないか」
「………」
「ああ。冗談だ。話を続けていいぞ?」
一臣様は優しい声でそう言った。
ドクン!
「そ、その、優しい声が駄目なんです」
「………は?」
あ。片眉あがった。
「一臣様の優しい声も、腰に回った手も」
「……駄目って、怖いってことか?」
「違います。そうじゃなくって。ドキドキして…」
「ああ。心臓がドキドキして駄目なんだってことか」
「それだけじゃなくって、変なんです」
「……変って言うのは?」
一臣様の声が小さくなった。それに、顔が近づいてきた。
「あ、あの。だから、その」
「ん?なんだ?」
わ。もっと、顔が近い。それも、耳元で、囁くように聞かれた。
ドックン!!耳、駄目だ。
「耳、弱いんです」
「知ってる」
「だから。そうやって、耳元で囁かれると…」
「簡単に落ちる?」
ドキーーー!!!なんだって、そんなこと囁くの?!
心臓一回、飛び出たかも!
「で、変って言うのは?」
バクバクバク!
一臣様がほとんど耳に口をくっつけて聞いてきた。
うわ~~~~。
これ、わざとだ。わざとしてるんだ。変っていうのも、きっとわかっているんだ。
ガバッ。私は一臣様から顔も体も離した。それから、深呼吸をした。
「逃げたな…」
一臣様はそう呟いた。
う…。一臣様の視線、なんか、やたらと熱い。
「あ、あの」
「……」
無言だ。なんか、やばいかな。この雰囲気。
「あ、あの!」
「なんだ?」
「だから、その」
ジリ。一臣様が私に寄ってきた。
ドックン。顏、また、近い。
ドクドクドクドク!それから、髪を撫でてきた。それに、頬も撫でてきた。
駄目だ。腰抜ける。
手が、触れる指が、優しくって、それだけで。
「そんなに悩ましい目で見るなよ。襲うぞ」
「お、襲うのは、無しです」
「ああ。無理強いしないって約束したもんな。でも、このまんまだと、そんな約束、すぐに俺は破るぞ」
「駄目です。や、や…」
「や?破るのは駄目って言いたいのか?」
「優しくしてくれないと、ダメですって言いたいんですっ」
うわ。
今、私、なんて言った?
一臣様が、一瞬、止まった。時間がそこだけ止まったみたいに。そして、少ししてから動き出した。
「優しく?」
そう言って、一臣様は目を丸くした。
「あ、あの。変って言うのは」
私は誤魔化そうとして、話を続けた。一臣様は目を丸くしたまま、私を見ている。
「変って言うのは、疼いちゃうんです」
「………疼く?!」
あ。もっと、目が丸くなった。ものすごく驚いているみたいだ。
私、もっと変なこと、口走ったのかな?!