~その11~ ユリカさん
エステサロンが入っているビルに着いた。マンションの一階がエステサロンのようだ。
お店に入ると、すぐに受付があり、
「上条弥生です」
と告げると、
「お待ちしていました。どうぞ」
と、中に案内された。
こういう場所は初めてだから、ものすごく緊張する。だが、ドアを開けるとすぐそこに祐さんがいて、
「弥生ちゃん」
と明るく出迎えてくれたので、ほっと安心した。
エステサロンの店長さんは、祐さんとは古い友人らしい。そこのエステサロンは、なかなか予約を入れるのも難しいくらいの人気のサロンで、それもモデルさんや女優さん、社長夫人などが通うような高級エステサロンなんだそうだ。
予約がなかなか取れない一つの理由としては、お店自体が大きくないことだ。エステシャンの数も少なく、1日に数名しか予約を入れられない。そのかわりとても丁寧で、ゆったりとくつろぐことができるらしい。
私は、フェイスもボディも両方ともしてもらうことにした。実は何が何だか、なんにもわかっていなかったのだが、
「明日、一臣様の誕生日パーティがあって、緒方財閥一族が、みんな集まるらしいんです」
と言ったら、勝手に祐さんが、
「それは絶対に、ばっちり全身エステしたほうがいい」
と、決めてしまったのだ。
祐さんも、全身エステをしてもらい、7時からのパーティに出席するらしい。
とはいえ、祐さんは男。男の人でも全身施術してもらうんだなあ。
「オイルマッサージをしてもらうの。気持ちいいわよ。肌もすべすべになるし」
「へ~~」
全身オイルマッサージ?じゃあ、肌、ピカピカ?
今日の夜は、私の肌はピカピカになっているんだ。
うわあ。それ、一臣様にわかっちゃうかな…。
あ。駄目だ。それ以上は想像しないでおこう。今、想像したら、ちょっと鼻血が出そうになった。
個室に呼ばれ、中に入り着替えをした。
そして最初に、フェイシャルマッサージをしてもらった。小顔になるマッサージというのもしてくれたが、けっこう痛い。でも、顔が丸くて、小顔になったらいいなとずっと思っていたから、痛いのも耐えて頑張った。
顔が終わると、全身だ。特にお腹まわりは、痩身っていうのをしてくれた。グ~~ニュ、グ~~ニュとお肉を揉まれる。
これもちょっと痛いし、気持ちのいいものじゃない。
でも、他のところのオイルマッサージは気持ちが良かった。
ゆったりする音楽もかかっていて、甘いローズの香りもしていて、本当に癒された。
「お疲れ気味ですね。お肌もちょっと荒れていましたね」
「え?そうですか?」
「お手入れはいつもなさっていますか?」
「いいえ。ほとんど」
「ちゃんとしてあげてくださいね」
あ、言われちゃった。
「はい」
「女性の方は、女性ホルモンでお綺麗になりますよ」
「女性ホルモン?」
「一番は恋をすることです」
恋?
そうなんだ。うわ~~。って、私、恋してるんだけど、肌、荒れちゃってるの?あれ?
なんだか複雑な心境になりながら施術がすべて終わり、ロビーに行くと、ソファに座って祐さんがハーブティを飲んでいた。
「上条様も飲まれますか?」
と聞かれたので、淹れてもらうことにした。ハーブティなんて、飲んだこともないけれど。
その場には他に誰もいなくて、祐さんと私だけになった。私にもハーブティを持って来てくれたスタッフさんも、ロビーをすぐに出て行ってしまったし。
「どうだった?気持ちよかった?」
「はい」
「あ、肌ピカピカ。すべすべ。これじゃ、あのプレイボーイが手を出してくるんじゃない?気を付けないとね」
「一臣様ですか?」
「そうよ。まだ、大丈夫?一緒のお屋敷に住んでるんだってね?気を付けてよ」
「はい。まだ、大丈夫です」
「まあ、本当にあの手の早いプレイボーイが、弥生ちゃんには手を出していないんだ」
「…。はあ…」
なんと答えていいものか。実は何度か出されそうになったけど、逃げましたなんて言えないし。
「ふう~~ん」
意味深な相槌を打ってから、祐さんはゆっくりとハーブティを飲んだ。
「恋をすると肌が綺麗になるって、さっきスタッフさんが言っていたんですけど、私の肌は荒れちゃってるんです」
「そう?きめ細やかだし、綺麗だと思うけど」
「だけど、カサカサで、特に顏、荒れちゃってたみたいで」
「そう…。それは、あれかもね。お手入れが悪かったんじゃない?」
「お手入れなんて、ほとんどしないから」
「じゃあ、今日、クリームやら、化粧水やら、買っていくといいわよ」
「え?でも、高いんじゃ…」
「そんなの、フィアンセ殿にたかっちゃいなさいよ」
「はあ……」
いいのかな。怒られないかな…。やっぱり、勝手に買うのはやめておこうっと。
「あ、そうそう。恋をすると綺麗になるって言うよりも、セックスをすると綺麗になるのよ。女性ホルモンが出て」
「え?!」
「弥生ちゃん、まだでしょ?まだ…バージンでしょ?」
「う…。はい…」
言ってて恥ずかしくなって、顔が赤面した。
「そういうところが可愛いわねえ。男だったら、グッとくる。でも、一臣君はどう思うのかしらね」
「え?」
「昔から、バージン嫌ってたし。遊べる女としか、付き合わなかったから。あ、でも、フィアンセなんだものね。遊ぶわけじゃないんだから、弥生ちゃんみたいな子がいいのかも」
「……」
そうか。一臣様に抱かれちゃったら、肌、綺麗になるんだ。
う。また、妄想して疼きそうになった。ダメダメ。でも、つい一臣様に押し倒されそうになっているシーンとかが、脳裏に浮かぶ。
「そういえば、ユリカ日本に帰って来てるのよねえ」
唐突に、祐さんが話し出した。
「え?」
私も一気に、妄想から目が覚めた。
「ユリカの話、聞いていないか」
「高校の頃に付き合っていたっていう…?」
「あ、聞いてる?一臣君から?」
「いいえ。兄や、他の人から」
「そっか。弥生ちゃんのお兄さん、そんなことまでもしかして、調べたの?」
「はい」
「まあ、可愛い妹を嫁に出す相手のこと、気になるわよね。それも、あんまり女癖がいいほうじゃないって、有名だしね」
…。なんにも言い返せないなあ。そんなに、一臣様って、女癖が悪いって評判なの?
「でも、その女癖が悪くなったのだって、ユリカと別れてからなのよね。それも、ユリカに似た子とばかり付き合っているし」
「似た子って、どういう?」
「黒髪ロング。華奢で、ちょっとしたたかな感じのする女よ」
それ、龍二さんも言ってた。そういう人がタイプだって。そうか。ユリカさんがそういう人だったんだ。
そうか。
ドズン。岩が静かに落ちてきた。そのあとも、祐さんの話を聞いている間に、何個も何個も落ちてきて、最後には押しつぶされそうになった。
祐さんが言うには、一臣様は事故のあと、後遺症をもったままのユリカさんをどうにかアメリカの名医に診せたい一心で自分も渡米したらしい。留学という形を取ったのは、一臣様のお父様のご意向なんだそうだ。
そして、必死に一臣様がユリカさんを説得し、手術を受けさせた。後遺症は完治したが、ユリカさんはアメリカで出会った人と結婚してしまい、一臣様はユリカさんを諦めて、日本に帰ってきたらしい。
でも、日本に帰ってきてからは、女遊びをするようになり、それも、ユリカさんのことを忘れずにいるのか、どの子もみんなユリカさんにタイプが似ているんだとか。
ドッスン。もう、底の底まで行き尽きて、それ以上の底はないんじゃないかというところまで落ち込んだ。
「だから、弥生ちゃんをうちの店に連れて来た時にはびっくりしたの。とうとうユリカを忘れて、新たなタイプの子と付き合えるようになったんだって」
「え?」
「でも、あの上条グループのご令嬢だって聞いて、ちょっとがっかりしたのよね」
「なぜですか?」
「あ。今のは聞かなかったことにして?」
「気になります。気になって、夜も寝れないかも」
そう正直に言うと、
「ああ。一臣君に怒られないかなあ。私が言ったって内緒にしてね」
と、祐さんは最初にそう念を押してから話し出した。
「私、ユリカのヘアメイクを担当していた頃があって、その頃、ユリカに一臣君を紹介してもらったの。それで、アメリカから一臣君が帰ってきた頃には、あのお店も開くようになって、一臣君はご贔屓にしてくれたのよね」
「はあ…」
「で、ある日、なんだか暗くなっている日があって、よくよく聞いてみたら、とうとう政略結婚の相手が、決まっちまったって言って、がっくりしていたのよ」
え?
「そんなの時代遅れだし、親に反発したらいいじゃないって言ったんだけど、もう、どうでもいいやって、ちょっとやけになってて。まあ、ユリカとも別れることになったし、やけになる気持ちもわかるけど」
「……」
「それから、時々、愚痴を店で言うようになって、聞いていたってわけ」
「私とのことを、いろいろ愚痴っていたんですか?」
「弥生ちゃんとのことっていうより、お父様のことよ。勝手だとか、ワンマンだとかって。だから、結婚も嫌がっていたのよ。親の言うとおりになりたくなかったんじゃない?」
「……」
「だからね、弥生ちゃんが来た日、一臣君のフィアンセじゃなくて、付き合っている子なんだと思って、びっくりしたの。とうとうユリカを忘れられたのかなって。でも、上条グループのご令嬢だって聞いて、なんだ、ただ嫌がってたフィアンセの子を連れて来たのかって」
嫌がってたフィアンセ…。
「でも、嫌がってるわりには、弥生って呼び捨てにしていたり、一緒に食事に行くって言っていたり、かなりびっくりしちゃったけどね」
「……」
「ずっと嫌がっていたのに、どうしたんだろうって、帰りにどういう心境の変化?って聞いたら、ぼそっと言ったのよね。もう、結婚する覚悟も決めたからって」
え?
「びっくりしたなあ。一臣君、大人に変わったのかな、なんて思っちゃったわよ」
そうだったんだ。
「ユリカのことは、もう忘れるって、そう決意したのかもね。そのことは、特に聞かなかったんだけど」
「……」
私は、何も答えられなかった。
そして、祐さんとはそこで別れ、エステサロンを出て、等々力さんの車でお屋敷に戻った。
頭の中は、ユリカさんのことでいっぱいになりながら。
好きな人はいなかったって言っていたよね。一臣様。じゃあ、ユリカさんは?
惚れたのは初めてだって、言っていたよね。でも、アメリカまで追いかけていくほど、ユリカさんのこと思っていたんだよね。
それに、別れてから女遊びをするようになったり、ずっとユリカさんみたいな人と付き合ったり。
それって、なんで?
暗い。せっかく、肌、ピカピカにしてもらったのに。
ハッ。何だって今、思い出したんだろう。ユリカさん、離婚して日本に戻ったって、龍二さん言っていたよね?
一臣様に会いに来る日が来るかもしれないんだ。
ど、どうしよう。
ものすごい不安がまた、押し寄せてきた。
俺を信じろ。って言っていたよね。私が葛西さんとのことを疑った時に。
でも、葛西さんは付き合ってもいなかった人。だけど、ユリカさんは違う。
駄目だ。どんなに思考をストップさせようとしても、考えてしまう。ずっと繰り返し、ユリカさんのことを考えてしまう。
お屋敷に着くと、亜美ちゃんが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ。あれ?弥生様、お肌つるつるですね」
「はい。エステに行っていたから」
「まあ!明日のためにですか?」
「はい。あの…。一臣様や他の方は?」
「一臣様は、ピアノの練習も済んで、今、応接間にいらっしゃいます」
「え?なんで?」
「皆さんに、とっつかまっているんですよ。みんなせい揃いです」
「…龍二さんは?」
「龍二さんもいらっしゃいます。ずっと、京子さんの隣にいますけどね」
そうなんだ。
あ。思い出した。ユリカさんのことで、落ち込んでいる場合じゃなかった。私、亜美ちゃんを守らないと。
だから、今夜は、一臣様の部屋に押しかけて、強引にでも中に入って、それで…。
それで?
また、ユリカさんのことが頭に浮かんできた。
「弥生様も、応接間に行かれますか?」
「部屋に行って休みます」
そう言って、とぼとぼと私は2階に行った。
「元気なさそうですが、大丈夫ですか?」
後ろから くっついてきた亜美ちゃんが聞いてきた。
「大丈夫です。慣れないことをしたから、きっと疲れただけです。すぐに元気になります」
そう言ってにこっと笑い、部屋に入った。
だけど、元気はそこまで。一気に切れて、ベッドにドスンと横たわった。
あ~~~~~~~~~~~~。なんだってこう、次から次へと不安要素が舞い込んでくるんだろう。
しばらくベッドで落ち込んでいた。外がだいぶ暗くなってきて、時計を見ると、もうすぐ7時になろうとしていた。
これから、夕飯か。食欲ないなあ。
ドスンドスンと頭上の乗った岩を、いまだにどけることもできず、重い気持ちのまま、私はベッドに横たわっていた。