~その8~ 眠れない夜
阻止だ。絶対に阻止だ。でも、お酒を飲んでさっさと寝る作戦は昨日してしまったし。
今日はどうしたらいいんだろう。
ギクシャクしながらバスルームを出た。すると、一臣様は部屋にいなかった。
あれれ?
ちょっとほっとした。もしかすると、ピアノの練習に行ってるのかな。
ホッとしながら髪を乾かした。でも、だんだんと不安が押し寄せてきた。
まさか、どなたかの部屋に入っていたりしないよね?
大広間で、どなたかと2人きりになっていたりもしないよね?
ドキドキ。心配で、落ち着かなくなってきた。
髪はまだ、半乾きだ。でも、ドライヤーをかける手も止まってしまう。
ガチャリ。
あ!戻ってきた!!!
一臣様、どこに行っていたんですか?誰といたんですか?
喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「弥生、風呂から出ていたのか」
「はい」
「髪はまだ、乾いていないのか?」
「はい」
「ん?どうした?まさか、俺がいなかったから、寂しかったのか?」
「………」
どう答えていいかわからず、下を向いて黙ってしまった。
「なんだよ。ちょっといなかっただけだろ?」
そう言うと、一臣様は私を抱きしめてきた。
ムギュ~~~~。く、苦しいんですけど。
「今、部屋まで押しかけてきたから、一階まで連れて行ったんだ」
「え?」
一臣様が私の体を離してそう言った。
「麗子さん?」
「いや。ハゼだ」
敏子さん?
「無視しているわけにもいかないから、ドアを開けたら突然抱きついてきた」
え~~~~~~~!!!
「すげえ、力だった。怖かったぞ」
「そ、そんなに思い切り抱きついてきたんですか?」
嫌だ~~。なんだって、そんなことが私がお風呂に入っている間に起きているの?
「弥生」
あれ?また、抱きしめられた。
「やっぱり、俺にはお前がいい。すげえ、可愛いよな。弥生は」
「へ?」
恥ずかしい。顏がどんどん熱くなってきた。でも、なんでまた、そんなことを言いだしたんだろう。
「あのまま、俺の部屋まで入ってきて、襲われるかと思った。怖かったぞ」
「…敏子さんにですか?」
「ああ。本当に馬鹿力だったんだ。腕を離すのもやっとだった」
そうだったんだ。でも、それだけ一臣様に大接近したってことだよね。やっぱり、嫌だ。
一臣様のこのコロンの匂いに包まれちゃったのかな。敏子さんも。そう思うともっと、モヤモヤしてきた。
「それで、一階まで送って行ったんですか?」
「ああ。部屋まではいかないぞ。ありがたいことに、そこに喜多見さんがきて、喜多見さんに送って行ってもらった」
「そうだったんですか」
「部屋まで送ってくれと言われたけど、部屋の前まで行ったら、部屋に連れ込まれるかもしれなかったからな。本当に喜多見さんがいてくれて、ほっとしたぞ」
そう言うと一臣様は、私の前髪をあげて、おでこにキスをしてきた。
ドキン!
「お前はこんなに可愛いのにな」
え?
ドキン!
「お前にだったら、いつでも襲われてもいいんだけどな」
ひゃあ。すごいこと言われた。な、何か言い返さないと。
「でもっ!前は怖がってましたよね?」
「あれは、からかっていただけだと言っただろ?まあ、大学の時のお前に襲われてたら、逃げていたかもしれないけど」
軽くサックリきた。
「でも今は、違うぞ」
そう言って、一臣様はまた私を抱きしめる。鼓動が、どんどん早くなってもう限界かも。
「あの、髪を乾かしたいので、もう離してください」
「…ああ」
あれ?素直に離れてくれた。
「じゃあ、俺も風呂に入ってくる。もし誰か部屋に来ても、無視してていいからな」
「はい」
一臣様がお風呂に入っている間、鏡のついてあるチェストの前に座り、またぼけら~~っとしながら髪を乾かした。
あ、いけない。ぼけっとしている場合じゃない。どう阻止するか、考えないと。でも…。
一臣様にギュッて抱きしめられるのは大好きだな。コロンの匂いに包まれて、ドキドキして、胸があったかくって、広くて、なぜか安心もする。
一臣様のぬくもりは優しいし、声も優しいし。
それに、「可愛い」って言われるたびに、胸がキュンってする。
これが、恋なのかな。お付き合いをしているってことなのかな。恋愛初級編、しっかりと進んでいるのかな。
一臣様がバスタオルで髪を拭きながら、バスルームから出てきた。今日もバスローブ姿が色っぽい。それに、濡れた髪もとっても色っぽい。
一臣様って、くせっ毛なんだよね。パーマをかけているわけではないようだ。
それから、体鍛えているって言ってた。うん。お腹も出ていないし、ほどよく筋肉質でかっこいい。
それと、足の毛がそんなに濃くなくてよかった。卯月お兄様が毛深くて、あれ、ちょっと気持ち悪かったんだ。本人には言っていないけど。
それから…。
「何をそんなに俺のことをさっきから見ているんだ。襲いたくなったのか?」
「いいえ!」
きゃ~~。見惚れまくってた!
「そういえば、今日テレビでやる映画、観たかったやつなんだ。観てもいいか?」
「え?映画とか、テレビとか、観るんですか?」
「観るからここに、テレビがある」
「で、ですよね。でも、なんだか意外」
「そんなこともないだろ?映画はけっこう好きだぞ」
そうなんだ。
「何が好きなんですか?」
「う~~ん。そうだな。SFもミステリーも、たまには笑えるような映画も観るぞ」
「オカルトとか、怖いのは?」
「ああいうのは、あまり好きじゃないから観ない。お前観るのか?」
「いいえ。大嫌いなんです。だから、一臣様が好きじゃなくてよかったです」
そう言うと一臣様は、冷蔵庫を開けて何やら出してきた。一臣様の部屋には、小さめの冷蔵庫もちゃんとある。
「お酒ですか?」
「いや。炭酸水だ。飲むか?」
「いいえ」
炭酸水。へ~~。そんなのを飲むんだなあ。
一臣様は炭酸水を片手に、テレビの前にある2人掛けのソファに座った。そして蓋を開けて、ゴクンゴクンと飲んでいる。
炭酸水ってどんな味なのかなあ。と、じいっと一臣様を見ていると、
「なんだよ。興味津々だな。飲むか?」
と、一臣様に気づかれた。
「え、じゃ、ちょっとだけ」
私は一臣様の隣りに座り、炭酸水を受け取ると口をつけてみた。
シュワワ~~ッ。
「あ、本当に炭酸の水って感じ」
「間接キスだな?」
「え!?」
うわあ。そんなことを言われるとは思わなくって、顔が熱くなった。
「でも、直接キスする方が俺はいいな」
そう言うと、一臣様は私の手から炭酸水のボトルを取りながら、私に顔を近づけてきた。
「なあ、弥生」
唇が触れるか触れないかの時に、一臣様が話しかけてきた。
「はい?」
「ちゃんと俺が選んだ下着つけてるんだろうな」
「それは、つけてますけど、でも、絶対見せたりはしま…」
え?!
う…。ぎゃ~~~~~!!!
舌。舌?舌だ!一臣様の舌…!!!!話の途中なのにキスしてきて、私の開けた口の隙間から、舌を入れてきた!
きゃ~~~~~~~~~~~~!
「~~~~~!!!」
「おい」
一臣様が私の唇から離れ、
「俺の舌をお前の舌で押し出すな」
と、ちょっと怒った感じでそう言った。
その隙に私は、一臣様の腕からするっと抜けて逃げた。
「テレビで、映画観るんですよね?!」
そう言ってすかさず立ち上がり、リモコンでテレビをつけ、
「チャンネルは?」
と、聞きながら、必死にいろんなチャンネルに回した。すると、洋画らしきものをしているチャンネルがあり、そこでとめた。
「……お前、惜しかったな」
「え?」
「横に座れよ。テレビお前も観るだろ?」
う。でも、ちょっと警戒心が出ちゃう。
「手、出さないから来いよ」
「はい」
その言葉をどうにか信じて、私は一臣様の横に座った。
すると、一臣様はほんのちょっと顔を近づけ、
「大人のキスへの階段、登り損ねて残念だったな。すご~く甘くて、と~~っても気持ちのいいキスをしてやろうと思っていたのにな」
と、そう囁くように言った。
ぎょえ~~~~~~~~~~~~~!
なんつうことを!なんつうことを!なんつうことを今、言った?
私は一臣様の隣から、お尻をずりずりずりっと、勢いよく横に滑らせた。そして、勢い余って、ソファから転がり落ちた。
「痛い!」
「大丈夫か?あほだな」
う~~~。一臣様のせいなのに。
でも、すっごく甘くて、とっても気持ちのいいキスっていったいどんな…。想像できない…。
ハッ!いけない。今、一瞬、期待した。こんなの、絶対に一臣様の手なのに。
さっきだって、話しかけておきながら、途中でキスしてきた。あれ、きっと舌を入れようとして話しかけたんだ。わざと。
話の内容なんてきっと、どうでもよかったんだ。一臣様の作戦に、まんまとひっかかるところだった。
気持ちのいいとか言っているのも、絶対に、わざとあんなこと言ってるんだ。
そうだ。危ない、危ない。ひっかかるところだった。騙されないぞ。
私はそんなことを心の中で固く決意しながら、テレビを観ていた。だから、映画の内容なんてまったくわからない。
一臣様は、横にいる私のことはほっぱらかして、炭酸水を片手に洋画を楽しんでいる。洋画はサスペンスものだ。何やら、スパイとか、FBIとかが出てきて、やたらと小難しい。途中、まったく内容を観ていなかったので、すでにちんぷんかんぷんだ。
まあ、いいか。一臣様の隣にいることを、味わっているとするか。
ゴクっと、炭酸水を飲むと、喉仏が上下に動く。それから、一臣様は足を組み直した。足、長いよね。足を組む姿が、本当にさまになる。
私は一臣様の隣に、ちょっと間を開けて座っていた。
ドキドキ。隣りにいるっていうのを意識するだけで胸が高鳴っちゃうなあ。
それにしても、この時間、この空間は幸せだな。映画に夢中の一臣様が私に手を出してくることもないから、安心していられるし。
一臣様は、真剣に映画を観ている。視線はずうっとテレビ画面に向いていて、私の方なんて、まったく観ようともしない。
それも、ほんのちょっぴり、寂しいような…。
いやいや。映画に夢中になっていてくれる方が、安心できるんだから、これでいいんだよ。
なんて思っていると、CMになった。すると、一臣様は、ふうっと息を吐き、テレビ画面から視線をこっちに向けた。
「あ、なんだよ。そんなに間を開けて座っていたのか?」
今、気づいた?
グイッ。一臣様が腰に手を回し、私を一臣様のほうに引き寄せた。
「きゃ」
べったりと、一臣様にひっついちゃったよ。うわ。もっと胸がドキドキしてきた。
「くっついてろよ。な?」
耳元で囁かれた。きゃあ~~。耳が熱い。
バクバク。耳が弱いっていうこと、ばれたから?わざと耳元でそう言ってるの?
CMが開けた。洋画が始まると、また一臣様は真剣な目でテレビ画面を観だした。相当、映画の中に入り込んでいるんだな。
アクションシーンでは、
「おお!」
と声まであげた。2重スパイの正体がわかった時には、
「こいつか。そんな気がしたんだよな」
と、呟いた。
本当にかなり入れ込んでいるなあ。
べったりと隣にくっついている一臣様に、ドキドキしながらも、新たな1面が見えて、私は嬉しくなった。
とってもとっても、嬉しくなって、一人でひそかににやけたりもした。
これ、贅沢な時間だよね。一臣様を独り占めにしているし、こんな普段は見せないような一臣様を見ることができるんだから。
「ふあ~~」
映画が終わると、途端に一臣様は大あくびをして、
「寝るか」
と、ぼそっと言った。
「え?はい」
良かった。すぐに寝てくれるんだ。
ベッドに入ると、一臣様は私に、
「おやすみ」
とキスをして、抱きしめた。
うわ~~。おやすみのキス嬉しい。幸せ!
でも、一臣様の腕の中に抱かれて眠るのは、ドキドキしちゃって、無理っぽい。
一臣様が寝てから、そっと腕から抜け出し、後ろを向いた。
だけど、なぜか一臣様は私の背中から腕を回して抱きしめてきた。
起きてる?と思って耳を澄ませると、くーくーと可愛い寝息が聞こえてくる。寝てるよね。
寝ながらも、私のことを抱きしめて来るのか。
きゃあ。
それはそれで、恥ずかしいような嬉しいような。
結局私は、ずっとドキドキしていて、なかなか眠れない夜を過ごした。
今日も、寝不足だな…。