~その5~ 秘書課の面接
一臣様が、部屋を出て行ってから、5分後、私も自分の部屋を出た。二日酔いは治ってしまい、ほんのちょっとお腹が空いているくらいだった。
階段を下りて、ロビーを出ると、一臣様と麗子さんが何やら話をしていた。
「今日はお仕事、持ち帰ったりしないでくださいね」
麗子さんはそう一臣様に言っているようだ。
「弥生様」
私の後ろから亜美ちゃんが声をかけた。
「具合が悪くて朝食も食べられなかったと聞きましたが、大丈夫ですか?」
そう小声で聞いてきたので、私も小声で、
「大丈夫です。もう治りました」
と答えた。
「そうですか。また、一臣様にお叱りでも受けたかと思いました」
「何のお叱り?」
キョトンとすると、
「昨日、龍二様に言われて、お部屋に行ったんですよね。怒られませんでしたか?」
と心配そうに聞いてきた。
「大丈夫です」
そうきっぱりと答えると、亜美ちゃんは、
「そうなんですか。なんだか、一臣様が寛大になられて、驚きです」
と、目を丸くしながらそう言った。
「寛大?」
「昨日も、私に謝ったじゃないですか。このお屋敷に来て初めてです。びっくりしました。それに、一昨日は、声をあげて笑ったりもしたし。トモちゃんじゃないけど、私もびっくりしたんです。あんなふうに笑ったこともなかったから。何か一臣様にあったんでしょうか?」
「何かって?」
「心境の変化」
「………さあ?」
ちょうど、等々力さんの車が来たので、私は乗りに行った。
一臣様はようやく麗子さんに解放され、車に乗り込んだところだった。
麗子さんは、にこやかに一臣様を見送り、一臣様の車のあとで発進した私が乗った車には、怖い形相で睨んでいた。
なんで、睨まれたのかなあ。一緒の車に乗ったわけでもないのに。
「しばらくは別の車なんですね。弥生様」
等々力さんに言われた。
「そうなんです。寂しいことに」
「ですね。ようやくお屋敷に戻られたというのに」
等々力さんはそう言ってから、ショパンをかけてくれた。
ああ。そうだった。ショパンと言えば、誕生日パーティでは一臣様のピアノも聞けるんだ。楽しみ。
って、呑気に構えていられなかった。私には琴の演奏があったんだ。
「等々力さん。今日か明日、実家に琴と着物を取りに行きたいのですが」
「では、わたくしが今日、取りに行ってきます」
「え?」
「一臣様から、弥生様を絶対に実家に連れて行くなと、きつく注意されていますので」
そうだったんだ。
「私、ちゃんと戻ってくるのに」
そうボソッと言うと、
「それでも、一臣様は心配なんですよ」
と、優しく等々力さんは言った。
会社に着いた。また、役員専用のエレベーターホールで一臣様と会い、一緒にエレベーターに乗った。
15階まで、ノンストップ。他には誰も乗っていなかったし、途中で乗ってくる人もいない。
「弥生」
一臣様が私の腰を抱き、チュッとおでこにキスをした。
うわ!いきなり、いちゃいちゃモード?胸がバクバクしちゃうんだけど。
「頭痛、すっかり治ったか?」
「はい」
「そうか」
一臣様はそう言うと、ギュウっと私を抱きしめた。
うわわ。なんだか、いちいち私は反応してしまう。こういうのにも、いつか慣れる時が来るんだろうか。その頃は、恋愛上級者になっている頃かなあ。
その日は、ずっと一臣様の仕事の手伝いをしていた。午前中はアポイントのお客様の接客、午後は秘書の面接の手伝いだ。
面接官は、細川女史、樋口さん、一臣様。それと、社長秘書の青山さん。なんで青山さんまでいるのかが不思議だったが、青山さんはほとんど質問をすることもなく、ただ、面接を受けに来た人を見ているだけだった。
「う~~~ん。どうだった?樋口」
全員で7人。面接が終わった。面接は一人5分。1対4で、それも一臣様までいたからか、全員が緊張しまくっていた。
あ、私は面接官ではない。次の人、どうぞ~~。みたいな、補佐的なことをしていただけだ。
「この中から、4人ですか。3人は落とすわけですね」
樋口さんはそう言った。細川女史は、
「4人も決めるんですか?はあ…」
と、溜息交じりだ。
「わたくしも、この中から4人も決めるとなると、難しいと思うわよ」
と、青山さんまでがそう言って、難しい顔をした。
「男性はお一人よね。町田さんだったっけ?この人はまあ、いいとして」
青山さんは、書類を見ながらそう答えた。そして、パラっと書類に目を通し、
「女性がね。まともなのは、一人だけであとはどれも一緒」
と、書類をテーブルにバサッとおいてそう言った。
「その一人っていうのは誰だ?」
一臣様がそう聞くと、
「そりゃもちろん、矢部さんですよ。総務部で5年目。なかなかしっかりしているし、後輩の面倒見もいい。真面目で清楚で、ちゃらちゃらしているところもなくて、いい秘書になると思いますよ?」
と細川女史が答えた。
「あら。ちゃらちゃらしてて、悪かったわね。細川女史」
「あなたのことを言ったんじゃないですよ。青山さん。最近の秘書課の人たちのことを言ったんです」
「それ、どうやら人事部の部長が役員たちと、つながっていたそうじゃない?ねえ?細川さん」
「ええ。臼井氏が調べたところによると、新入社員の中から、役員が自分好みの女性を選んで、秘書にするよう人事部の部長に言っていたようですね。今の人事部の部長が、課長クラスから一気に昇進できたのは、どうも役員の誰かが裏で手を回していたからのようですし。その頃から秘書課に入る子は役員が決めるって、そうお約束を交わしていたんじゃないでしょうか」
細川女史がそう言うと、一臣様は情けないなと言って、溜息を吐いた。
「とんでもないエロ爺の集団だよな。自分の好みの子を秘書にしているなんて。秘書はホステスじゃないし、ここはクラブじゃないんだぞ」
「それで、なんだか派手でちゃらちゃらした女性ばっかりが、秘書課に配属されていたってわけよね」
青山さんがそう言って、また書類を見た。
「今度は人事部の部長が選んでいないんでしょう?誰が選んだの?細川さん」
「臼井課長や、総務部の部長や本部長です。この矢部さんは臼井課長一押しの子。あとの人は総務部の部長と本部長が押してきたらしいですけど」
「決め手に欠ける。どの子もいまいち。まあ、一番この中でまともって言ったら、鴨居っていう子かしら」
青山さんはそう言って、鴨居さんの書類を見た。
「中高と、ソフトボール部。体育会系のがたいのいい子。24歳で今は燃料部にいる。自分で言っていた長所は明朗活発。頑張り屋。あら。面白いことが書いてあった。一臣様の好みだって」
「なんだと?」
一臣様が慌てて、その書類を見た。
「誰だ。こんなことを書いたのは」
「総務部の部長じゃないかしら。でも、そういえば、ちょっと上条さんに似ていたかも」
そう言ったのは細川女史だ。
「私に?」
私はずっと話に参加せず、おとなしくしていたが、そう言われてびっくりして聞き返してしまった。
「カモ?燃料部?」
「最後に面接した子よ、一臣様。ほっぺた赤くして元気に答えていた子、いたでしょ?」
青山さんがにんまりしながら、そう一臣様に言った。
「ああ。どこか田舎臭い感じの。でも、弥生には似ても似つかないぞ」
「あら。そう?元気で明るくて、頑張り屋っていう雰囲気が似ていたじゃない?」
青山さんがそう言いながら私を見た。するとまた、一臣様が、
「似ていない。弥生のほうがずっと」
と言いかけて止めた。
「ずっと、なんですか?」
沈黙していた樋口さんが、いきなりそう聞いた。
「ずっと…。変だろ?」
ガックリ。可愛いとか、美人だとか、そう言う言葉を期待した私がバカでした。
「それにしても、何だって俺の好みが、こんな女になっているんだ」
一臣様はまた、鴨居さんの書類を見ながらそう言った。
「弥生様に似ているからではないですか?」
そう言ったのは樋口さんだ。
「でも、なんで弥生に似ていたら、俺の好みなんだ」
「そりゃ、もっぱら噂になっているからじゃない?一臣様と上条さんが付き合っているって」
「え?」
「だから、上条さんに似たタイプなら、一臣様が喜ぶと思ったんでしょ?安易よね」
そう青山さんは言うと、くすくすと笑った。
「弥生がタイプって…。俺は別に弥生がタイプなわけじゃないぞ」
そうぶつくさと一臣様は言うと、
「だいたい、この鴨居っていうのも、弥生には似ていないじゃないか」
と、まだそこにこだわっている。
「それより、この鴨居っていう子に決めるとしても、もう一人足りないですよ」
細川女史がそう、話を切り替えた。
「そうですね。では、もうお一人は保留という形で、また、臼井課長に探してもらいましょうか」
樋口さんがそう言うと、青山さんも、
「賛成」
と言って、席を立ち、「じゃあ、これで失礼するわ」と、とっとと会議室を出て行ってしまった。
「では、さっそく来週から、矢部さん、鴨居さん、町田さんには秘書課に移動してもらいましょう。あ。今いる部署の引継ぎなどもありますから、再来週からにしますか」
そう樋口さんが言うと、一臣様も、
「ああ、そうしてくれ」
と一言だけ言って、席を立った。
「弥生。15階に戻るぞ。細川女史、いいよな?弥生連れて行っても」
「はい。今日は特に急ぎの仕事もないですし、大丈夫ですよ」
「じゃあ、弥生、行くぞ」
「はい」
私は一臣様と一緒に、15階の一臣様の部屋に戻った。
「は~~~~、疲れた」
一臣様は上着を脱ぎ、ドカッとソファに座った。
「弥生、コーヒー淹れてくれ」
「はい」
私は濃いコーヒーを淹れた。一臣様はネクタイを緩め、ボタンを第2ボタンまで外すと、さっきの面接の書類を見始めた。
「どんなのが秘書に向いているかは、俺にはわからないな」
「え?」
「ただ、俺や弥生が信頼できる人間なら、それが一番なんだがな」
「そうですね」
「なあ。この鴨居っていうのは、お前に似ていたと思うか?」
まだ言ってる…。そんなに気になるのかなあ。
「自分ではわかりません。でも、明るい元気な人だっていう印象はありましたけど」
「う~~~ん。そこだけだろ?キャラがかぶっているのは」
「はあ。そうですよね」
なんたって、私は「変」ですもんね。ついでに「妙」でもあるんですよね?
「なんだってみんな、お前と似ているなんて言ったんだろうな」
「さあ?」
ちょっとだけ、キャラがかぶっているから?
「お前のほうが全然可愛いのにな」
「………」
え?
「は?今、なんて?」
一瞬、耳を疑っちゃった。
「だから、可愛いって」
「でも、さっきは変だって言いましたよね?」
「そりゃ、細川女史や青山ゆかりがいるところで言えないだろ?可愛いなんて」
「……」
「あとあと、ひやかされそうだからな。特に青山」
そうなんだ。青山さんには頭あがらないのかな。
「う~~~ん。どう見たって、お前のほうが断然可愛い」
はい。もういいです。恥ずかしすぎるからやめてください。心の声。口に出して言えないのは、ちょっと喜んでいる私もいるから。
「だいたい、あの鴨居っていうのはがたいが良すぎだよな。お前くらいのほうが、抱き心地が良くていいぞ。お前、これからあんまり武術を頑張ろうとするなよ。筋肉質の体は嫌だぞ。抱き心地悪くなるからな」
そこが基準?そこが可愛いかどうかの分かれ目?まさか。
「な?」
そう言って一臣様は、私のことをいきなり抱き寄せ、また一臣様の膝の上に座らせてしまった。
「あ、あの?!」
「ほら。このくらいがちょうどいい」
後ろから両手で抱きしめてそう言うと、そのまま後頭部に頬ずりをしてきた。
うわわ。まただ。ドキドキしちゃうんだけどなあ、これ。
「可愛いよなあ。お前」
また言った!
それからも、一臣様は私を抱きしめていて、なかなか離してくれなかった。
「屋敷に帰ったらまた、窮屈な思いをするんだ。どうせ車も別に乗らなきゃならないんだし。だから、今しかないもんな」
「何がですか?」
「弥生を思う存分に、抱きしめられる時間だよ」
耳元で一臣様がそう囁いた。
うっきゃあ!顔が火照りまくった。
「あ、あの、あの」
思う存分って?
「今夜は、あと2人候補者が来るだろ?あ。俺、今日と明日くらい、ピアノの練習もしないとならないしな。いい加減少し弾いておかないと、本番失敗できないしなあ」
一臣様は顔を少し私から離してそう言った。
「ピアノの練習、私、聞いてもいいですか?」
「駄目だ。本番まで聞くのは待ってろ」
「……」
え~~~。ピアノの隣で、一臣様が弾いている姿を見ていたかったのに!
ぷうっと膨れたつもりはないが、一臣様に、
「なんだよ。膨れるなよ」
と言われてしまった。
「いつか、お前だけのために弾いてやるから。な?」
一臣様が顔を近づけ、耳元でそう囁いた。
ドッキ―――ン!
私だけのために!?きゃあ!それも、耳元で囁かれてしまった。
うっわ~~~。クラッときた。今、押し倒されたら、抵抗できるか自信ない。
「弥生…」
ドキン。一臣様が髪にキスをしてきた。それから、ギュッて私を抱きしめる腕に力を入れた。
ドキドキドキドキ。
駄目。やっぱり駄目。ここ、オフィスだし。でも、抵抗できる自信がなくなってる。
ど、どうしよう。このまま、押し倒されたりしたら…。
きゃ~~~~。ドクドクドクドク!
「一臣様」
その時、インターホンから樋口さんの声が聞こえてきた。
「お屋敷からお電話が入っています」
私は慌てて一臣様の膝の上からどいた。
「屋敷からだと?いったい誰からだ」
一臣様はデスクまで歩いて行くと、インターホンで樋口さんにそう聞いた。
「麗子様です」
樋口さんの言葉に、一臣様がげんなりした。
「なんだって、会社にまで電話してくるんだよっ」
そうぶつくさ言いながら、一臣様は、
「つないでくれ」
とそう言って、デスクの椅子にどかっと座りデスクの電話に出た。
「もしもし。はい。一臣です」
顔がものすご~~く嫌がっている。でも、声は冷静。いや、ほんのちょっとよそいきかな。
「今日ですか?いいえ。定時でないと帰れないですよ。まだ、仕事があるし。それから、今日は他にも候補者が来るので、夕飯は屋敷で食べます。そのあとは、ピアノの練習をしますので、外での食事は無理ですよ。麗子さん」
一臣様は眉間にしわをよせながらも、声だけはソフトな感じで話している。
「は?ピアノの練習にですか?そうですね。…はい、いいですよ」
え?何が?何がいいの?!
一臣様は、電話を切ってから、
「あ~~~。面倒くせえな」
と思い切りぼやいた。
「ピアノの練習の時、麗子さん、どうされるんですか?」
「ああ。聞いていたいんだと。隣りで」
え~~~~~!!!!それ、私がしたかったの。それ、私が叶えたかったの。それ、私が……。
ショック。
くら~~くなっていると、デスクの椅子に座っていた一臣様が私を手招きした。
「なんですか?」
ちょっと、顔が膨れたかもしれない。今度は自覚がある。私には駄目だって言ったくせに、麗子さんには許可したんだ。
ぐいっと一臣様は私を引き寄せ、また一臣様の膝の上に座らされた。
ひゃあ!また?
「膨れるなよ。悪かったよ。でも、そうでも言わないと、また部屋に押しかけてくるかもしれないだろ?」
「麗子さんがですか?」
「ああ。いいのか?俺が麗子に襲われても」
「……。大広間でだって、麗子さんに襲われちゃうかもしれないじゃないですか」
私は膨れたままそう答えた。
「大丈夫だ。麗子以外の候補者も呼ぶつもりだ」
「え?じゃあ、2人きりってわけじゃ」
「そりゃ当たり前だ。他の候補者が怒りだすからな、そんなことをしたら」
「じゃ、じゃあ、私も」
「お前は駄目だ」
「なんでですか?私も候補者の一人ですよね」
「練習段階では、お前は呼ばない」
ぷうっ。
「あ、もっと膨れた。あはは。たこ焼きみたいだな」
たこ焼き~~?大福の次はたこ焼き?なんだってそう、変なものばかりに例えるの?それに、なんだってまた、たこ焼きは知っているんだ?豚の角煮は知らないくせに。
「完璧なのをお前には聞いてもらいたいんだ。お前だって、琴がまだ下手くそな時は俺に聞かれたくないだろ?」
え?
「それが理由?」
「ああ」
「でも、他の候補の人には聞かれちゃいますよ」
「いいさ。他のやつなんてどうでも」
そ、そうなんだ。
「そういえば、お前、琴は?」
「今日、等々力さんがうちまで取りにいってくれてると思います」
「そうか。じゃあ、お前も琴の練習をしたらどうだ?」
「あ、そうか!はい。部屋でします。一臣様は聞かないでくださいね」
「なんでだ?」
「本番で聞かせますから。それまでに完璧にして」
「な?お前もそう思うんだろ?一緒だ」
あ。そうか。そうなんだ。
なんだか、そう言ってもらって、すっきりした。
ギュ。一臣様がまた、私を後ろから抱きしめた。それから耳元で、
「機嫌直ったみたいだな」
と囁き、耳にチュッとキスをしてきた。
うっきゃあ!!!耳、こそばゆい!
「あ、耳、感じるんだな、お前」
一臣様にそう言われ、じたばたと私は一臣様から飛び跳ねて逃げた。
「なんだよ。逃げるなよ」
きゃ~~~~~~~~~~。私は両耳を手で押さえ、ソファの裏にしゃがみ込んで隠れた。
「隠れても、見えてるし。っていうか、なんで隠れたんだ?意味不明だな」
一臣様は呆れたようにそう言うと、そのあと、あはははと大笑いをしていた。