~その3~ 大胆なお嬢様
一臣様の部屋の前で、トントンとノックをしてみた。
「誰だ?」
「あ。弥生です」
と答えてから、もし、龍二さんに見られていたらと思い、
「上条です」
と言い直した。
ガチャリ。ドアが開くと、一臣様が思い切り、眉間にしわをよせていた。
「あ…」
怒っているのはなんでかな?
「なんだ」
「あの…。え~と…」
ここは、なんて言っていいものか。もし、万が一龍二さんに見られていたとしたら、やっぱり、お部屋に入れてくださいとでも言うべきか。それで、一臣様がとっとと私を入れてしまったら、それもそれで困ることにならないかなあ。
「お、お部屋に入っても…よろしいでしょうか?」
私はこわごわ聞いてみた。そしてちらっと、階段のほうを見てみた。龍二さん、応接間に直行したよね。まさか、私のこと見に来たりしていないよね、と思いながら。
すると、階段に人影が見えた。
いるかも!
いや。もしかすると心配して見に来た亜美ちゃんの影かも…。
ふと、一臣様の顔を見ると、一臣様も目だけ階段のほうに向け、
「仕事があるんだ。入れるわけにはいかない」
と一言だけそう言って、バタンとドアを閉めてしまった。
「あ…」
そっと、もう一度階段のほうを見た。すると、龍二さんが、残念そうな顔をひょっこり覗かせ、そのあと階段を下りて行った。
やっぱり、龍二さんだった。
これで良かったのかな。ドキドキしながら自分の部屋に入った。すると、例のドアから、一臣様が顔を出した。
「龍二が見ていたんだな?」
「え?」
「さっきだ」
「はい。見てました。私に、一臣様の部屋に行けと言って…」
「そんなことだろうと思ったけど…」
一臣様は腰に手を当て、溜息を吐いた後、
「こっちの部屋に来いよ」
と、私に言って来た。
「え?でも仕事中って」
「仕事はないぞ。オフィスで缶詰めになって、書類を見ていただろ?全部オフィスで仕事は終わらせてきた」
「え?でも、麗子さんに仕事があるって」
「ああでも言わないと、しつこそうだったからな。それにしても、失礼なお嬢様だよな。人の仕事をなんだと思っていやがる。秘書に任せろだと?頭来るよなあ」
もしかして、それで怒っていて、眉間にしわが寄ってたの?
「それに、聞いたか?コック長の料理をけなしやがって。あれには、おふくろも頭に来ていたな」
「え?そうなんですか?」
「おふくろ、コック長の料理は、気に入っているんだ。だから、あれこれ、リクエストして、大変な思いをコック長もしてるんだけどな」
「そうなんですか。それじゃ、ちょっと嫌な思いをしましたよね。お母様も」
一臣様は私の腰に手を回し、私を一臣様の部屋に連れて行った。
「風呂、先に入るか?弥生」
「え?はい。あ、着替え持って来ていないから、持ってきます」
「いいぞ。着なくても。また、バスタオル1枚で出てきて」
「いえいえいえいえ。持ってきます!」
私はまた、一目散に自分の部屋に戻った。そして、パジャマを引き出しから出して、下着も出そうとしてめちゃくちゃ驚いた。
「うわあ!」
新しい下着が入ってる!なんで?誰が買ったの?まさか、日野さんや亜美ちゃん?
赤とか、紫とか、なんか、派手な色のもあるし、白やピンクでも、紐のパンティのものや、すけすけレースのものまで入っている。
「信じられない」
私はそれらの下着をどけて、下の方に入っているベージュの下着を手にした。
そして、ふらつきながら一臣様の部屋に戻った。
まさか。まさか、今夜一臣様、いきなり襲ってこないよね。
下着を見て、ベージュの下着で、怒ったりしないよね。
って、違う。下着のことより、私の貞操のことを心配しようよ、私。
ふらふらになりながら、バスルームへと歩いて行くと、
「ああ。新しい下着、入っていたか?」
と、一臣様が普通に話しかけてきた。
「う。えっ?あ、はいっ」
私は思い切り動揺した。
「なんだよ。そんなにびっくりしないでもいいだろ?気に入ったのはあったか?」
「…あれ、誰が買ったんですか?」
「日野や立川に頼むのも悪いと思って。ああいうのが一番好きそうな、青山に買ってもらって、屋敷に届けてもらったんだ」
「あ、青山ゆかりさん?!」
「ああ。多分、しまってくれたのは、喜多見さんじゃないか?」
喜多見さんが?それもショック。でも、青山さんが買ったっていうのも、かなりショック。それだけ、親しいってこと?
「あ、あ、青山さんとは、一臣様はいったい」
どんなご関係なんでしょう。とは、口に出して聞けない。
「青山は、親父の愛人だ。弥生がフィアンセだってことも知っているし、わりといろんなことが頼みやすい」
「……いろんなこと?」
「まあ、いろいろとな。でも、俺とは何の関係もないぞ。俺もさすがに親父の愛人にまでは手を出さないからな」
「……」
なんか、一臣様の女性関係をいろいろと知っていくと、もっと落ち込むことになりそう。あんまり深く聞かないほうがいいのかな。
たとえば、一臣様って何人の人と付き合っていたのか…とか。
どのくらい深い関係だったのか…とか。
確か、龍二さんが言ってたよね。キャビンアテンダントのヨーコさん。それから、ジャズ歌手も、一臣様が付き合っていた人だったっけ?
いったいどこで知り会っちゃうんだ。もしかして、知り会った人とはすぐにお付き合いしちゃうんじゃないよね。
「それで気に入ったのはあったのか?」
一臣様は私が悶々としている横で、平然とした顔で聞いてきた。
「は?」
「いろんな下着がそろっていただろ?」
まだ、下着の話?
「でも、会社には派手なのは履いて行くなよ。あと、あんまり大胆なのもな。誰かに見られることはないと思うが、念のためな」
「…派手なのとか、大胆なものばっかりでした。だから、どれも私には無理かと」
「そうなのか?青山、そんなに履けそうもないのばかりを買ったのか?自分の趣味に走ったのか、あいつは」
そうぶつくさ言うと、一臣様は私の部屋に行ってしまった。
えっと。まさかと思うけど、確認しに行った?
「なんだよ。弥生。可愛いのもあるじゃないか。これだったら、全然履いて行けるぞ」
ぎゃあ!手に持ってきた!
「いえいえいえいえ。無理です」
それも、紐のとレースビラビラのだ。
「なんでだ?白やピンクだから、スカートに透けて見えることもないし」
「いえいえいえいえ。普通のごくごく普通の、前からあったのだけを履きます」
「それじゃ、面白みがないだろう」
「そ、そんなことないです。別に私は普通のでもかまわないです」
「お前じゃなくて。俺が面白くないんだ。このくらいは履いてもらわないと」
ぎゃ~~~~~!セクハラ発言。スケベ発言。やめて~~!
「は、履きませんから。絶対にっ!」
そう私は断言してから、バスルームに勢いよく入って行った。
バタン!
絶対、ただの、スケベなおっさんだ。エロ専務だの、エロ爺だの、人のこと言えないって。ヘタすりゃ、一番スケベなんじゃないの?
今までもああだったの?他の人にもそんな色っぽい下着を着せてたり?
嫌だ~~~~~~~~~~。考えたくもない。
体と髪を思い切り洗って、バシャンとバスタブに入った。アロマの香り、それにジャグジー。本当ならほっと安心して、癒されるはずが、まだ私はドキドキしていて、全然気持ちが落ち着かなかった。
あんなスケベな一臣様の隣に寝て、平気なんだろうか。私…。
危ういんじゃないの?もしかして。めちゃくちゃ。
そうじゃない。ほら。もっと、慣れていこうって決めたじゃない。一臣様だって、ステップを一段ずつ登って行くからって、そう言ってくれたんだし。いきなり、襲ってくることはないよ、絶対。
でも、そのステップを一段ずつって、どんな感じに登って行くの?
それはそれで、ものすごく怖いんですけど。
でも。でもでも、フィアンセなんだし。ずっと、拒否し続けたり、抵抗しているわけにはいかないんだし。
でも、でもでもでもでも。あのスケベっぷりが、とっても、受け入れがたい。
気持ち悪いだの、怖いだの、ストーカーだの言われているのも傷ついたけど、今は違った意味で、とっても近寄りがたいんですけど!
それとも、あれが普通の一般男性の姿なの?世の男の人がわかんないから、あれがスケベなのか、普通なのかもわからない。
でも、スケベな気がしてならない…。
のぼせそうになり、急いで私はバスタブを出た。そして、ごく普通の下着をつけ、パジャマを着てバスルームを出て行った。
「髪、乾かしていないのか」
「はい。あ、一臣様どうぞ。お風呂入ってきてください」
「ああ」
一臣様は、バスルームに入って行った。
私はしばらく、ぼけらっとベッドに座っていた。一臣様が出てくるまでは安心だ。
問題はそれからだ。
どう、切り抜けよう。
ドキドキドキ。シャワーの音が消え、だんだんと一臣様がバスルームから出てくる時間が迫ってきた。
自分の部屋に帰っちゃおうかな。でも、怒ってやってくるだけだよね。
トントン。
その時、ドアをノックする音が聞こえた。
ドキ!誰?まさか、私が開けるわけにもいかないし。
トントン。
「一臣様」
この声、まさか、麗子さん?!
ど、どうしよう。バスルームはドアの近くにあるから、あそこで私が一臣様を呼んだら、外に私の声が聞こえちゃうよね。
無視しておく?
ドキドキドキ。どうしたらいいかもわからず、ベッドに座り込んでいると、ガチャリと一臣様がバスルームから出てきた。
その時、また、
「一臣様、麗子です」
という声が、ドアの外からしてきた。
一臣様は、バスローブ姿で髪はまだ濡れていた。でも、肩にかけたバズタオルで、髪を拭きながら、
「はい」
とドアを開けてしまった。
うわわ。開けちゃった。もし、入ってきたらどうするの?
「あ。シャワーを浴びていたんですか?」
「はい」
一臣様が言葉少なに答えた。
「もうお仕事終わられたかなって思いまして。わたくし、一臣様ともワインを飲みたかったんです」
「龍二は?」
「います。まだ応接間に」
「申し訳ないですが、今、目を覚ますためにシャワーを浴びたんです。これから、まだ仕事です」
「そんなにお忙しいんですか?」
「多分、12時は過ぎるかと」
「まあ…」
まあ、と言ったきり、麗子さんは何も言わない。なんでかな。
「では、失礼します」
一臣様が部屋のドアを閉めようとしたらしい。
「一臣様。邪魔はしませんから、お部屋に入れてくださいませんか」
え?!ええ?!
「申し訳ないですが、婚約前に入れるわけにはいきませんよ。麗子さんのご両親に怒られます」
「そんなの、言わなかったらばれませんわ」
「…お嬢様がそんなことを言って、よろしいんですか?」
「まあ。一臣様のお噂は聞いておりますよ。とても、手が早いんだと」
「……手?」
「わたくしでしたら、いいんですのよ。だって、一臣様の奥様になるんですもの」
え~~~~!!!
やめて。入れないで。私がここにいるんだし。あれ?私、隣に戻ったほうがいい?
違う。何をわけのわかんないことを考えているんだ。そういうことじゃない。
「申し訳ないです。麗子さんが隣にいたら、とても仕事が手につかなくなりますから、今夜はお部屋にお戻りになってください」
一臣様はものすごく丁寧にそう断った。こんな言葉使いできるんだ。びっくり。
「では、せめておやすみのキスをしてください、一臣様」
う。……え~~~~~っ!!!
それも嫌だ。絶対に嫌。ぜ~ったいに嫌!!!
「どこで使用人が見ているかもわからないので、ここでは」
「使用人に見られては困るんですか?口の堅くない使用人ばかりなんですか?ここのお屋敷は」
「………」
一臣様、沈黙だ。
「では。おやすみなさい。麗子さん」
え!?まさか、キスしたの?
バタン。次の瞬間、ドアが閉まった音がした。
一臣様は、ガシガシと髪をバスタオルで拭きながら、ベッドのほうにやってきた。
「か、一臣様」
私が泣きそうな顔でそう言うと、
「なんだ?」
と聞いてきた。
「お、おやすみのキス」
「してほしいのか?って、もう寝る気か?まだ、髪乾いてないぞ」
「違います。麗子さんと…したんですか?」
ビクビクしながらそう聞いた。すると、
「ああ。ほっぺにな。思い切りがっかりした顔をされたが、とっととドアを閉めてやった」
と一臣様はクールに答えた。
「…ほっぺ?」
「唇にはしないぞ。そう約束しただろ?あ、まさか、ほっぺでも駄目だったか?」
「いいえ」
良かった。思い切り、私、ほっとしてる。涙でそうだ。
「あほだな。そんなこと心配していたのか」
「はい…」
ギュウ。
うわ!抱きしめられた。
「髪、先に乾かして来い。な?」
「はい」
耳元でそう優しく囁かれ、私は急いで髪を乾かしに行った。
胸はドキドキしていた。ああやって、優しく耳元で囁かれるのは嫌いじゃない。ドキドキするけど、本当は嬉しい。
だから、もしかしたら、優しい言葉や愛のささやきを耳元で優しく言われたら、それだけでコロッと、私は一臣様の言いなりになっちゃって、簡単に抱かれちゃうかもしれない。ってことも、自分ではなんとなくわかっている。
ドキドキドキドキ。鏡に映る私は真っ赤だ。
それにしても。
なんて、麗子さんって大胆なんだ。あんなに大胆なお嬢様っているんだな。