~その15~ 一臣様のジェラシー
2時半、私はエクセルで表を作り終えた。
「一臣様、一度秘書課に戻りますね」
「え?なぜだ?」
「仕事終わったので、細川女史に報告をしてきます」
「今日中の仕事だろ?もう終わったのか?」
「はい」
「お前、仕事早いよな…」
「そうですか?」
私は一臣様を残し、14階へと急いだ。そして、細川女史に、
「頼まれていた仕事が終わりました」
と、ファイルを返した。
「え?もう?」
「はい」
「全部?」
「はい」
なんで、細川女史驚いたのかなあ。
「そう。じゃあ、これもお願いしてもいいかしら。上条さん、パソコン得意なようだし」
「はい。なんでも言ってください!」
「……くす」
あれれ?なんで笑われたのかなあ。
「臼井課長が、ぼやいていたのよ」
「え?臼井課長が?」
「上条さんが懐かしい。上条さんがいた時は、庶務課にお日様が当たったように明るかったよなあって」
「え?でも今、大塚さんもいるし、新しい男の人も入ったんですよね?」
「その子がね、大塚さんにいびられて委縮しちゃって、今の庶務課は暗くてじめじめしているらしいわよ。たまに顔出してあげて。臼井課長大喜びするから」
「はい。わかりました。大塚さんにも遊びに来るように言われているから、今度行ってきます」
「大塚さんに?遊びに来るように?それって、何か裏でもあるの?」
「は?」
細川女史が声を潜めて聞いてきたが、私がきょとんとすると、
「あ、なんでもないの」
と、細川女史は作り笑いをした。
「あ。私、大塚さんとは仲良くなったって言うか」
「は?」
「えっと。なんか、大塚さんってはっきりしてて面白くて」
「はあ?」
あれれ。思い切り、びっくりしているなあ。目を丸くしたまま、細川女史動かなくなっちゃった。
「あの。この仕事も15階でしてきていいんでしょうか?」
私がそう言うと、細川女史が我に返ったように、
「え?ああ。はい。15階でしてきていいわよ」
とそう言った。
私はいそいそとまた、秘書課を出ようとしたが、秘書の人に引き留められてしまった。
「上条さん、大塚さんと仲いいの?」
この人って、大塚派の人だよなあ。
「はい」
私は早く15階に行きたくて、言葉少なに答えた。
「え?本当?大塚さんと仲良くなったの?いつ?」
「いつって言われても。あ、金曜日あたりから」
「そうか。三田さんにいじめられて、大塚さん、あなたの味方になったんだ。な~~んだ」
な~~んだ?
「じゃあ、もうあなたのこと、私たちもいびらなくてもいいのね」
「は?」
「仲良くしましょうね?」
「はあ」
私は、呆気にとられながら部屋を出た。あ、もしかして、ボスである大塚さんがいびっていたら、一緒にいびり、仲良くなったら、仲良くなるんだろうか。そんな感じなのかなあ?でも、自分の意思はどこにあるんだろう。それも変な話だよなあ。
ま、いっか。
私はさっさと、15階へと向かった。
でも、15階のエレベーターを降りたところで、ばったりエロ専務に会ってしまった。
「あ、上条さん」
「こ、こんにちは」
「………」
エロ…じゃなくて、目黒専務の顔が、なんだかかたまっている。もしかして、青山さんにすでに何か言われちゃったんだろうか。
「君さあ、早くに一臣氏のフィアンセだってことを、みんなに知らせた方がいいよ」
「え?どうしてですか?」
「だって、僕みたいに知らないで君に手を出そうとして、あとから一臣氏に文句を言われるなんて、そんな理不尽な話ってあるかい?」
「は?」
「特に君みたいな子は、秘書課では珍しいうぶな子だから…。いや。とにかく、早めにせめて役員たちには紹介するべきだと、僕は思うけどな」
そう言うと、目黒専務はエレベーターに乗り込んだ。
うぶ?って何?
疑問に思いながら、私は一臣様のオフィスに入った。樋口さんはどこかに出かけているようだった。
トントン。
「一臣様」
「弥生か。入れ」
嘘。名前呼んだだけで、私だってわかっちゃった?なんて、喜んじゃったりして。
一臣様の部屋に入ると、一臣様は書類の山に埋もれていた。
うっわ~~~~。これ、全部目を通すの?そりゃ、1日缶づめになるよね。
「すごいですね。書類の山」
「ああ。でも、パソコンでデータを送られるよりはいい。パソコンを見ている方が疲れるからな」
なるほど。
「お前も目を通しておけよ」
「え?!これをですか?」
「ああ。別に今すぐにじゃなくてもいいけどな。これ、全部、今度のプロジェクト関係の資料だからな」
うそ…。
「これだけ、集まったんだよ。いろんな子会社や工場から情報が」
あ。そうか!
「細川女史に頼まれた仕事を終えたら、見てもいいですか?」
ワクワクしながらそう言うと、
「お前、目が輝いたな。この書類を見るのがそんなに嬉しいのか」
と一臣様が呆れた顔で聞いてきた。
「はい。だって、この中から、優秀な技術者や、優れたアイデアや、いろんなものが発見できるかもしれないんですよね?」
「ああ」
「宝が埋もれているかもしれないってことですよね?この中に」
「ああ」
「宝さがしみたいで、楽しいじゃないですか。いいえ。絶対に絶対に、いっぱいの宝、見つけましょうね!一臣様!」
「………」
あれ?無言?変なこと言ったかなあ。私…。
「こういうところに、惚れたんだよなあ」
ぽつりとそう言うと一臣様は、私のことをまたグイッと引き寄せてキスをしてきた。
うわ!いきなり過ぎると心の準備ができていなくって、心臓が一回停止しそうになる。
「じゃあ、やるか」
「え?」
何を?一臣様の顔も一気に明るくなったんだけど。何をするの?
「お前はさっさと細川女史から頼まれた仕事を片づけろ。俺もとっととこの書類に目を通す」
あ。仕事か。びっくりした~。
「はい。さっさと終わらせます」
私はすぐにデスクに行って、パソコンを開いた。そして、1時間もしないうちに終わらせて、一臣様の横に積んである書類を、私もソファに座って見始めた。
「早いなあ。もう終わったのか?」
「はい。一応細川女史にメールで終わったと報告しました。頼まれていたものも、メールに添付して送ったので、細川女史も、そのまま15階で一臣様の仕事の手伝いをしてくださいって、返事をくれました」
「……。お前って、本当にそつがないな」
「は?」
「前から思っていたんだ。何かトラブルが起きても、まったく慌てないし、何を今したらいいか、最善のことを選択してとっとと動くだろ?」
「そうでしたか?」
「ああ。まあ、庶務課にいた頃の、脚立持って蛍光灯の交換をしたり、トイレのつまりを直したりっていうのには、驚かされたが、あれも行動が早かったし、てきぱきしていたもんなあ」
怒ったくせに。ものすっごく。
「大学時代に、いろんなところでアルバイトしていたからかもしれません」
「いろんなところって?」
「コンビニ、パン屋、ラーメン屋、スーパーのレジ、あとは…、あ、牛丼屋」
「そうか。それはすごいな。でも、4年の間にそんなに転々としていたのか?それってまさか、クビになっていたのか?」
「いいえ。何個も同時に掛け持ちしていたので」
「掛け持ち?!」
「はい」
「…でも、勉強もしていたんだろ?」
「はい。試験前は、ほとんど寝る時間がなかったです。2時間くらい?」
「お前、よくそれで、ぶっ倒れなかったな」
「そうなんですよね。体力だけはやたらあって。よくみんなに、元気だけが取り柄だねって言われてました」
「すごいなあ。お前のこれまでの人生、半端ないほどの苦労人だな」
「え?そうですか?結構楽しく生きてきましたけど」
「そうなのか?」
「はい。働くの好きなんです」
「ははは。お前って本当に、前向きだよなあ」
「そ、そうですか?」
「俺のこと以外はな?なんだって、俺のことになると後ろ向きになるんだろうな?」
「で、ですよね。私もそう思います」
「……くす」
あれ?一臣様、笑った?
ドキン。その笑い方も好きだなあ。
「じゃあ、そのバイタリティで、この書類もぱっと目を通せ」
「はいっ」
グ~~~。
「あ!」
「ははは。まだ、早いぞ。お腹が鳴るには。昼が少なかったか?」
「いえ。そういうわけでは。でも、食欲が元に戻ったみたいで」
「ああ。しばらく食べられなかったんだっけ?」
「はい」
「でもなあ。あんまり食うとお前、パーティでドレス着れなくなるぞ」
「……それも、困ります」
「でも、お腹が空いてたら、仕事にならないか」
そう言うと、一臣様はソファから立ち上がり、
「うまいクッキーがあるんだ。この前、樋口が紅茶と一緒に買ってきた」
と、チェストの引き出しを開けた。
「わあ!なんだか、高級そうなお菓子ですね!」
「あはは。目、輝きすぎだろ。お前、わかりやすいよなあ」
また、笑われた。
「樋口がお前のために、アッサムの茶葉も買って来ていたぞ」
「え?本当に?じゃあ、それ、今飲んでもいいですか?」
「ああ。そうだな。俺も一緒に飲もうかな」
「はい。一臣様の分も淹れますね!」
わあい。なんだか、とっても嬉しい。樋口さんにもあとでお礼を言っておこう。
紅茶を淹れていると、一臣様の視線を感じた。一臣様のほうを見ると、優しい目で私を見ていた。
ドキン。時々ある。すっごく優しい目で見ている時が。
「やばいなあ」
「え?」
「どうも最近、目の調子が悪いんだ」
「細かい字を見ているからですか?大丈夫ですか?目薬とかさしますか?」
私が心配してそう言うと、
「ああ。なんか、いい目薬はあるか?みょうちくりんな生き物が、可愛く見えるのを治す目薬」
とそう言われた。
え。何それ…。みょうちくりんな生き物って私だよね。
「そんな目薬はないです!」
「そうか。じゃあ、一生このままか。でもなあ」
何が言いたいのかな。何が…。
「仕事に集中しようとしても、お前のこと目で追っちゃうし。どうにかならないかなあ」
は?!
目で、追う?
私のことを?
「あ!そういえば、一臣様。質問です」
「唐突だな。話の途中なんだがな」
「うぶってなんですか?」
「だから、俺の話の途中なんだがな」
「うぶって言われたんですけど」
「……」
あ。片眉あがった。
「誰にだ?」
「エロ…じゃなくて、目黒専務に」
「エロ専務に会ったのか?」
「あ、さっき、15階のエレベーターホールで」
「それでお前のことをうぶだって言ったのか?」
「えっと。確か、私は秘書課では珍しいうぶだから、僕みたいに手を出そうとしたあとに、一臣氏のフィアンセだって知るなんて、そんなの理不尽だろとかなんとか…って」
「……」
あ。怒りマックス。
「それで?」
「えっと。それで、早めに役員たちだけでも、ちゃんと紹介した方がいいって」
「そうだな。いいことを忠告してもらったな。俺の誕生日パーティの翌日、ちょうど役員会議があるから、その時に紹介することにしよう」
一臣様は眉間にしわを寄せたまま、そう言った。
「……それで、うぶってなんですか?」
私はまた聞いてみた。
「うぶっていうのは、だから、そういうことを聞くお前のことだ」
「は?」
「あのエロ専務。うぶだから手を出そうとしたのか?とんでもないおっさんじゃないか!」
あ。怒りマックスをさらに超えたかも。
「それに、他の役員たちも手を出すかもしれないって、そういう忠告だろ?エロ爺ばかり集まっているのかよ」
「………」
「もう絶対に、お前一人で15階をうろちょろするな。わかったな!」
「は、はい」
「まったく。爺だけだからって、安心していた俺がバカだった。屋敷にいる龍二だけじゃないじゃないか。注意しなくちゃいけないやつは」
「………」
で、うぶってなんだったんだろう。
そう思いつつ、一臣様のところに紅茶を持って行った。
それから、私も一臣様の真ん前の長いソファに座り、クッキーをわくわくしながらつまもうとすると、一臣様がなぜか私のすぐ隣に座ってきた。
「?」
ギュウ!
うわ。ドッキ―ン!
また抱きしめてきた~~~。クッキー食べれない。
「絶対に、他の奴に手、出されるなよ」
「はい?」
「お前は俺のフィアンセなんだからな」
「はい」
「俺以外の男に、触れさせるなよ」
ドキン。
「は、はい」
ギュウ~~。抱きしめられる腕の中で、また胸が高鳴った。
もしかして、もしかすると、一臣様はやきもちやき?あれ?でも、恋愛に淡泊で、嫉妬もしないって言っていたのにな。
でも、やきもちを妬いてくれるのはとっても嬉しかった。