~その14~ オフィスラブ?!
料理が運ばれてきて、一臣様は、私の前に置かれたお皿から、ぱくっとゴーヤチャンプルーを一口食べた。
あ。あれ、したかったな。
「一臣様、あ~ん」
っていうやつ。でも、そんなのさすがに嫌がるかな。
「苦い」
「え?」
「でも、うまいな」
「はい」
一臣様は、自分の注文した沖縄そばを食べだした。そのあと運ばれてきた角煮も、2人で小皿に分けて食べた。
なんか、いいな。こういうのって。一つのお料理を、小皿に分けて食べるの。なんだか、ここの空間、長年付き合っている恋人っぽくない?
なんちゃって。
あ。これも、あれかな。恋愛初級編あたりかな。ちょっとレベルアップした感じかな。どうなんだろう。なにしろ、世のカップルがどんなもんなのかわからないから、比べようがない。
「うまいな。豚の角煮。初めて食ったけど」
「え?初めてですか?夕飯に出て来たりしないんですか?」
「ああ」
「じゃあ、今度コック長に頼みましょう。あ、私が作ってもいいですし」
「弥生が?作れるのか?」
一臣様が目を丸くした。
「え?はい。よく大家さんと作りました。みんなに評判良かったんですよ。美味しいって」
「…みんな?」
「下宿先にいたみんなです」
「ああ。アニメオタクとアイドルオタクと、物理学オタクか」
「……」
そうだけど、そんな言い方はしないでも。
「そいつら、いつもお前の作った料理を食っていたのか?」
「え?たまにですけど」
「………お前の手料理を、簡単に食っていたのか?」
「は?」
簡単って?
「なんか、頭に来るな」
え?!な、なんで?って、まさかヤキモチ?
食事が終わり、一臣様は席を立った。そして、伝票を持ってさっさと会計に行き、ブラックカードを出した。レジの前にいた邦ちゃんが、一瞬たじろいでいるのがわかった。
そうだよね。わかるよ、邦ちゃん。ブラックカード、そうそう見ないもん。だいたい、こんなお店で出しちゃうカードじゃない気もする。
「弥生。連絡先を聞くんだろ?」
「そうだった。邦ちゃん、メアド聞いてもいい?」
「うん。いいよ」
邦ちゃんはレジの横にあったメモ帳に、さらさらとメールアドレスを書いてくれて、渡してくれた。
「ありがとう」
「うん。また来てね、弥生ちゃん。ぜひ彼氏と一緒に」
そう元気に邦ちゃんは言うと、
「ありがとうございました」
ともっと元気な声で、ぺこりとお辞儀をした。
「彼氏だって」
「え?一臣様の彼女ってこと?」
「うっそ~。まさか」
会計を待っていたOLたちが、後ろでそう騒いでいるのが聞こえてきた。
「でも、一臣様、フィアンセいるんじゃないの?」
「ああ。政略結婚でしょ?本人は嫌がってるらしいよ」
という声までしっかりと聞こえてきた。
「なんだか、社内全体に広がっているようだな。あの噂は」
一臣様がぼそっとそう言った。
「…そうみたいですね」
「まあ。仕方ないか。俺が巻いた種なんだから、自分で刈り取らないとな」
「え?」
「あれだけ派手に、女と付き合っていたわけだし。それも堂々と社員の前でも見せていたしな。そりゃ、フィアンセがいるのに他の女と付き合っているって、あれこれ噂にもなるよな。それに、堂々と親の決めたフィアンセとなんか、絶対に結婚しないと、いろんなところで言っちまっていたしなあ」
うわあ。そうなんだ。さっくりと傷ついた。
「ガキだったよな。ついこの前まで、そんな子供じみたことしていたんだよな」
一臣様はそう言うと、溜息をついた。
「親父が俺のことを心配するのも無理ないよな」
「え?」
「龍二と同じくらい、心配してた。まあ、親父だって人のこと言えないが、結婚した頃はそれでも、女遊びなんかしていなかったみたいだし」
「そうだったんですか?」
「忙しかったみたいだしなあ…」
ぽつりとそう言って、それから一臣様は私のほうを見て、
「手、繋ぐのもいいな」
と私の手を取って歩き出した。
うわあ。嬉しい。
横断歩道を渡って、緒方商事のビルに入った。ちょうど、お昼を食べに出ていた社員が、一階のロビーにはたくさんいて、思い切り目立ってしまった。
「一臣様が女と手を繋いで歩いてる!」
「誰?」
「なんで?」
「今までと違うタイプじゃない?」
丸聞こえですけど。
「タイプ替えたの?」
「秘書課の子じゃないの?」
「手、繋いでいるのなんて初めて見た」
エレベーターホールで待っていると、そんな声がすぐ後ろから聞こえてきた。
丸聞こえもいいところですけど。
「あ。嘘。上条さんだ」
名前までしっかりと聞こえてきたよ?
「あれ?嘘。手、繋いでるの?うわあ!」
この声、聞き覚えが。と思い振り返ると、大塚さんだった。
「あ!大塚さん。なんか、懐かしい気が…」
そう言うと、一臣様も大塚さんのほうを見た。
「ちょ、ちょっと。こんなに堂々と付き合っちゃってるんですか?みんなが見ている前で」
「……ああ」
一臣様は片眉をあげてそう大塚さんに答えた。
「まあ、今までも、一臣様、堂々としていましたけど。でも、社内で手を繋いているのは、どうかと…」
だよね。だよね?私は慌てて手を振り払った。すると、
「あ。手、振り払ったな」
と、一臣様に言われてしまった。
へそ曲げた?もしかして…。
「上条さん、庶務課にも遊びに来てね。暇で暇で。あ、そうそう。三田さん、クビになったんでしょ?良かったわね。あれ以上いたら、もっと陰険なことしてきてたわよ」
大塚さんは声を潜めてそう言うと、「またね」と言って、総務部のほうに駆けて行った。
「お前、本当に大塚と仲いいんだな」
その様子を見ていた一臣様がぽつりと言った。そして、私の背中に手を回してきて、ちょうど来たエレベーターに乗り込んだ。
そのエレベーターは、役員専用じゃないから、他の社員も何人も乗っている。なのに、腰に手を回しちゃうんだ。あれ?そういえば、思い出したぞ。前に、青山ゆかりさんとも、べったりくっついて歩いていたし、上野さんとも腕組んで歩いていなかったっけ?
あれれ?でも、女とベタベタするのは苦手だって言っていたよね?あれって、嘘?
うわ。いきなり気になりだしちゃった。本当はどうなの?もしかして、本当はこんなふうにいつも、付き合っている女性とはベタベタしていたんじゃないの?
でも、そんなこと聞いたらまた怒るかも。
だけど、気になる。
14階に着いた頃には、誰もエレベーターにいなくなった。それから一臣様はカードキーを差して、エレベーターは15階にのぼっていった。
まだ、一臣様は私の腰に手を回している。
「あの」
「なんだ?」
「この手、ドキドキしちゃうんですけど」
「ん?ああ。腰に回した手か?」
「はい」
そう言っているのに、離してくれない。そのまま15階に着き、エレベーターを降りて、廊下を歩いても腰に手を回したままだ。
「あの。前に青山さんと一臣様が、ビルから出てきたところを見たことがあるんです」
「青山ゆかりと?」
「はい。一臣様、べったりとくっついてて、腰に手を回していたような気がするんですけど」
「ああ。エスコートしていたかもな。青山ゆかりはそういうことにうるさいから」
「エスコート?」
「男は、レディをちゃんとエスコートできるようになると一人前だと、さんざん言われて、いろいろと俺にも説教して来たからな。車に乗る時にはドアを開けろだの、歩く時には優しく背中に手を回せだの」
「それで、私の腰にもずっと?」
「これか?いいや。これはただ、触っていたいからだ」
……。単なるスケベ心?
「それと、アピールだな。こいつは俺の女だぞ、みたいな?」
は?誰に?
「付き合っているってのも、一目瞭然だろ?」
「…え?でも、スキャンダルになることを避けているって」
「アホか!自分の婚約者と仲良くして、誰がスキャンダルにするんだよ。ああ、婚約者と仲良くて、いいですね~~と、ただただ、微笑ましいだけって話だろが」
「そ、そうか」
「自分が婚約者だって自覚、足りてないんじゃないのか?」
「は、はい。そうかも…。ごめんなさい」
一臣様のオフィスに入った。もう樋口さんがデスクにいた。
「樋口、昼は?」
「はい。もう済ませました」
「そうか。あんまり、根を詰め過ぎるなよ。最近、働きすぎだろ?昼休憩くらいゆっくりとれよ」
「大丈夫ですよ。ゆっくりとできましたから」
「そうか?」
一臣様は少し心配そうに樋口さんを見て、それから私を引きつれ部屋に入った。
「樋口さん、そんなに忙しいんですか?」
「ああ。でもあいつ、全くそういうこと言わないし。いきなりぶっ倒れなきゃいいんだけどな」
「え?」
「体調管理してくれるような、家族もいるわけじゃないし。寮では喜多見さんやコック長が樋口のことも、見ていてはくれてるんだが、もっと休めと言っても、樋口は働いちゃうんだよなあ」
「そうなんですか。心配ですね」
「お前も、気にかけておいてくれるか?俺より、お前の言うことの方が聞きそうだし」
「え?はい。わかりました」
そう言うと、一臣様はにこりと笑って、ソファにドスンと座った。
「食後にコーヒー飲みますか?」
「いや。日本茶がいい。しっぶ~~いやつな」
「はい」
私は日本茶を淹れた。一臣様は、ソファでゆったりとしている。でも、じいっと私を見ているのがわかる。
「あの?」
「お前ってあれだよな」
「はい?」
「気が利くよな。なんか飲みたいなっていうタイミングでいつも、聞いてくる」
「え?そうですか?」
それは嬉しいかも。
「あ。それともあれかな。もう、ツーカーの仲になっているのか」
「え?」
それも、嬉しいかも!
「なんてな」
あれ?なんでそこで、「なんてな」なわけ?喜んでいたのに。
日本茶を淹れて、テーブルに置いた。一臣様はそれを一口飲んで、また背もたれにもたれた。
のんびりタイムかな?
「弥生」
「はい?」
なんか、こっちに来いと、無言で手招きされた。なんだろう。お茶が口にあわなかったとか?
一臣様の座っているソファの近くに行くと、いきなり腰をグイッと引き寄せられ、一臣様は自分の膝の上に私を座らせた。
どっひゃあ!!何、これ…。
これは、これこそ、セクハラ。
い、いや。フィアンセなんだし、いちゃいちゃ?
い、いや。オフィスでこれはないよね。やっぱり、セクハラ。
「いいな。こういうの…」
一臣様がそう言った。そして私の頭に頬ずりをした。
うわわ。腕は私のお腹に回してきて、しっかりと後ろから抱きしめられてしまった。
「弥生は、肉がそれなりについているから、膝の上に乗せても痛くないな」
え?それ、誰かと比べて言ってるの?その誰かって言うのは、スレンダーな人だった?もしや。
「太ってるって言いたいんですか?」
「いいや。このくらいがちょうどいいって言ってるんだ。今まで、けっこう痩せているタイプとばかり付き合っていたから、このくらいの肉付きが、抱き心地いいんだって初めて知ったぞ」
う、う~~~~ん。微妙に喜べない。
「これ、恋愛初級編ですか?」
「ん?」
「こんなこと、付き合ってすぐの人ってしますか?しないですよね?」
もっと、初々しい感じで付き合っているよね?
「何言ってるんだ。初級も初級。入門編くらいだぞ」
「え?これで?!」
「当たり前だろ。なんだよ。もっといろいろとしてほしいのか?これじゃ物足りないか?」
「違います。その逆です。膝の上に座ったりして、さっきから心臓バクバクだし、一臣様、私の後頭部に頬ずりしてくるし、そのたびにドキンドキンしちゃうし」
「ははは。なんだよ。そのくらいでドキドキしてたら、この先のステップ踏めないだろ?」
この先のステップ?
「中級者レベルだと、そうだな。こういうこともあったりするかな」
そう言うと、一臣様は手をするっと私の太ももに滑らせ、スカートの中に入れようとした。
「うぎゃあ!駄目です!!!!」
私は慌てて、一臣様の手を掴んだ。一臣様はその手をもう片方の手でどけると、また、両腕を私のお腹に回してきて、後ろからギュッと抱きしめた。
「な?このくらいはまだ、入門編くらいだろ?」
そう言ってまた、私の頭に頬ずりをする。
「可愛いよなあ。お前って」
うわあ。また言われた~~!!!
ドキドキドキドキドキ。心臓が大変なことになりだした。
「そろそろ仕事しませんか?」
「まだだ」
「でも。そろそろ、離してくれませんか?」
「嫌だ」
ああ。また、駄々コネてる。
「でも、私の心臓が持ちそうもありません」
「慣れるんだろ?努力するって言ってたろ?」
「でも!オフィスでこんなことをするなんて、言ってません!」
「いいだろ?オフィスラブしていますって感じで。こういうのもなんだか、そそられるだろ?」
それ、絶対に理解できないから!
やっぱり、これはセクハラのような気もする。
でも、胸の鼓動は、喜んでいるってことかな。
「ああ、このまま仕事もできるな。片手で書類見たらいいのか」
そう言うと、一臣様は、テーブルに置いてあった書類を手にした。
「いえ。私が仕事できません」
「いいだろ?」
「駄目です!今日中って言われた仕事なんです!」
「……なんだよ。人がせっかく、恋人気分を味わっていたのに」
え?恋人?
「まあ。いいか。屋敷に帰ってからでも、十分いちゃつけるしな」
そう言ってようやく離してくれた。
ドキドキ。ああ、まだ心臓が…。これで、仕事できるかな。
クルッと一臣様のほうを見てみた。すると、すでに書類を真剣に読みだしていて、私の方は見ていなかった。
切り替え、早い。早過ぎでしょ。こっちはまだ、胸がバクバクしているのに。
ずるいなあ。もう~~。
「なんだ?」
あ。見てるのばれた。
「あ、キスでもしてほしかったのか?いいぞ。濃厚なのでも、大人のキスでもしてやるぞ?」
「そんなこと、思っていません!仕事に戻ります!」
私は、慌ててデスクに戻って、パソコンを開いた。
…でも、大人のキスっていうのが気になって、しばらく手が止まった。
大人のキス?大人の?キスに子供も大人もないんじゃないの?
わからない。そんな話は高校の時にも、先輩も誰もしていなかったし。
しばらく、悩みこんだが、結局わからないまま、仕事を再開した。まさか、一臣様にも聞けないしな。ここで聞いちゃったら、「じゃあ今すぐ実践しよう」なんて、とんでもないこと言い出しそうだし。
でも、気になるなあ…。大人のキスって、どんなかなあ…。