~その12~ べったりな一臣様?
車が役員専用の入り口の前で止まった。
「いってらっしゃいませ」
と、等々力さんがドアを開け、そう言ってくれた。
「はい、いってきます」
私は元気に車を出て、役員専用の入り口にIDカードをかざした。と、その時、す~~っと、一臣様を乗せた樋口さんの車が等々力さんの車の後ろに停まった。
あ。一緒にエレベーターで15階まで行けちゃう!
私は入り口から入らず、その場で一臣様を待った。だが、一臣様が車から降りると、すすっと一臣様に近づく女性の影があり、
「一臣様!お久しぶりです」
と、その人が一臣様の腕にしがみついた。
ええ?誰?
私はそっと、柱の影に隠れた。
「上野?お前、どうやって、役員専用の駐車場に入れたんだ。守衛がいただろ?」
「専務と一緒の車だったから、簡単に入れました。専務はもう15階に行きました。私は一臣様に会いたくって、ここで待っていたんです」
「専務?」
「目黒専務です」
「あんのエロ爺。お前、あいつと付き合ってるのか」
「妬いてくれるんですか?嬉しい!」
うわあ!やめて。一臣様に抱きつかないで!それも、
「ん~~~」
とキスまで迫ってる!
「よせ。何度言ったらわかるんだよ。お前とは別れたんだ」
よ、良かった。一臣様、思い切り上野さんを、突き放してくれた。でも、やっぱり二人は付き合っていたんだ。別れたっていうことは、付き合っていたってことだよね?
「いいでしょ?隠れて付き合っても。ばれなかったら、大丈夫なんでしょ?一臣様」
「駄目だ」
「でも、私知ってますよ。秘書課の子とは付き合っているんですよね?」
「秘書課?誰だ?葛西か?葛西だったら、もともと付き合ってもいないぞ」
「違います。最近庶務課から移動した変な子です」
「ああ。上条弥生のことか」
「15階にあの子は連れて行ってるって、そう聞きましたよ」
「誰から?あ!エロ爺…。専務からか?」
「いいえ。専務は何も言っていませんでしたけど、いろいろと情報、仕入れるところがあるんです」
「……まさか、豊洲か?」
「さあ?」
上野さんは首をかしげ、それからにこりと微笑んだ。
ああ、こういう子をしたたかな女っていうのかな。こういう子が一臣様は好みだったの?
「豊洲はもう、緒方商事にはいないぞ」
「知ってます。一臣様が町工場に飛ばしちゃったんですよね?その、上条さんって子に豊洲さんが手を出しそうになって」
え?豊洲さん、緒方商事から追い出されたの?
「おい。なんだって、そんなにいろんなことを知ってるんだ」
「豊洲さん、もう緒方商事にいないから、言ってもいいかな?私、豊洲さんとも付き合っていたんです」
「……。あいつ、婚約者いるぞ」
「知ってます。私だっていますから」
「そうだったな。お前、いったい何人と付き合ってるんだよ」
「気になりますか?」
上野さんがまた、一臣様に近づいた。
「いや。気にならない。とにかく、これ以上近づこうとするんだったら、お前もどっかの工場に飛ばすぞ。いいのか?」
「え~~。でも、私のお父様、社長だし」
「どこだっけ?ああ、緒方ヘルシーフーズだっけ?最近できたばかりの子会社だよな」
「健康食品を扱う会社で、今、どんどん売上が伸びているんですよ」
「だったら、その会社に移動させるぞ」
「いいんですか?そんなことして。父を怒らせてもいいんですか?」
「別に怖くないぞ」
「でも、これからどんどんと、成長していく会社なんですよ?」
うわ。上野さん、また一臣様の腕にしがみついた。もう、やめてよ。
「へえ。で、お前は今、海外事業部が手掛けている、新しいプロジェクトは知っているのか?」
そう言いながら、一臣様はまた、上野さんの腕を払いのけた。
「はい。知ってます。海外事業部にも仲のいい男の人いるから。あれですよね?上条グループとの大きなプロジェクトで、今後の緒方財閥を左右するくらいの、大事なプロジェクトですよね?」
「なんだ。知っているのか。その上条グループの令嬢が俺のフィアンセだってことも、じゃあ、知ってるよな?」
「はい。でも、一臣様はその婚約も嫌がっていて、相手の人のことも嫌っているって、そういう話も聞きました」
え?そんな噂があるの?
噂じゃないか。真実か。ずっと一臣様、嫌がっていたんだもんなあ。でも、改めて聞いていると、かなりショックを受けちゃうなあ。
「それは噂だ。あくまでもな」
「ええ?そんな嘘つかなくてもいいです。だから、いろんな女の人に手を出していたんですよね?」
「…昔の話だ。今は、婚約発表も間近なんだ。こんな時にゴシップ誌にでも、変な記事が出てみろ。いっぺんに上条グループとの契約が飛ぶんだよ」
「え~~。今までだって、さんざん遊んできたのに、今さらじゃないですか?載らないですよ。ゴシップ誌になんて」
「載らなくても、そういうことがばれたら、契約破棄になるかもしれないんだ。それに、上条グループと契約したがっている会社は五万とあるし、緒方財閥を陥れたいライバル社も、たくさんあるんだ。スキャンダルなことを見つかってみろ。一気に叩き潰されるかもしれないんだぞ」
「そ、そんな大げさな」
「大げさじゃない。このプロジェクトがぽしゃってみろ。いくらの損が出ると思う?お前の親父の会社を売ったって、間に合わないくらいの損が出るんだぞ」
「……うそ」
「それをお前は、どう責任とってくれるんだ?え?」
「……そ、そんな大ごとに?」
「なるぞ」
一臣様の声が低く、威圧的になった。さすがの上野さんも黙り込んでしまった。
今の話、大げさな気もするけど、あながち、作り話でもないんだろうな。それだけ大きなプロジェクトなんだよね。
「わ、わかりました。あ!でも、ずるくないですか?秘書課の子は、付き合っているのに、私とは別れるって」
また、上野さんは一臣様に体を寄せた。
「15階って、役員しか行けないから、いくらでも浮気しようとしたらできるんですよね?そこに私が行けば、誰にも見つからないんじゃないですか?」
二人が、私の隠れている柱のすぐ前まで来て話しているから、小声でも聞こえてくる。
そして、一臣様はIDカードをかざし、ドアを開いた。私は慌てて柱の裏側に行こうとしたが、
「弥生。お前、ずっとここにいたのか」
と見つかってしまった。
ああ、ばれた!!
「一臣様、どうかなさいましたか?」
樋口さんが車を駐車場に停めて、今、ここに来たらしい。
「あ、弥生様。おはようございます」
「おはようございます」
樋口さん、上野さんがいても、あまりびっくりしていないような気がするんだけど。ほら、一臣様にしっかりとひっついているんだけど、見えていないわけないよね。何か、注意してくれても。
「上野。ひっつくな」
一臣様が、腕に引っ付いていた上野さんをひっぺがした。そして、
「上条弥生は俺の愛人じゃないぞ。こいつは俺のフィアンセだ。だから、15階の俺の部屋にも入れるし、屋敷にも住んでいる」
と、そう上野さんに言ってのけた。
「え?!この人が、上条グループの?!」
「ああ、そうだ。お嬢様には見えないかもしれないけどな。じゃ、そういうことだ。これ以上俺に会いに来るなよ。いいな。今度来たら、遠い町工場に飛ばすぞ」
一臣様は冷たい声でそう言うと、私の背中に腕を回して入り口から入り、エレベーターホールに向かって歩き出した。その後ろを樋口さんがついてきた。
「樋口、上野を見張れよ。あいつ、情報を知りすぎている」
「はい。かしこまりました」
「それと、エロ専務。どうにかしろ。勝手にあいつを役員専用の駐車場に入れたぞ」
「エロ専務と言うと、目黒専務ですか?」
「そうだ!弥生のケツまで触りやがった、とんでもないおっさんだ!」
うわあ。お尻触られたのを、ばらされた。
「はい。注意させましょう。そうですね。社長の秘書から言ってもらいますか?」
「……青山ゆかりか?」
「はい」
「ああ。そうだな。青山ゆかりなら、エロ専務も言うこと聞くかもな」
え?そうなの?そんなに権限のある人なの?
「青山さんってすごいんですね」
15階に着くまでに、私はそんなことを一臣様に聞いた。
「ああ。怖いぞ。後ろに親父が付いているしな。敵に回したら怖いってことは、エロ専務も知ってるだろ」
なるほど。青山さんじゃなくて、社長が怖いってことか。
それにしても、いつもの一臣様だなあ。
15階に着いた。一臣様がまた私の背中に腕を回して、一緒にエレベーターを出た。
「弥生様がお戻りになって、良かったですね、一臣様」
エレベーターを降りると、樋口さんがそう言ってから、
「わたくしは、さっそく青山さんに目黒専務のことを報告してきますので、このまま社長の秘書室に行ってまいります」
と廊下を歩いて行ってしまった。
「……樋口も、お前のことをかなり気にしていたぞ」
樋口さんの姿が遠くなってから、一臣様が樋口さんの背中を見ながらそう言った。
「え?」
「金曜日、お前がボロ泣きしていた日、もっとちゃんと話を聞けばよかったと、ずっとあいつはふさぎ込んでいた。お前のことが、とても心配だったようだぞ」
「あとで謝ります」
「……。謝る必要はないが、そうだな。あいつが喜びそうなことでもしたらどうだ?」
「何を喜びますか?」
「う~~~ん。コーヒーでも淹れてあげるとか?お前、一回、俺の部屋でコーヒーを飲んでいってくださいと、あいつをソファに座らせただろ?」
「はい」
「樋口は、嬉しかったようだぞ」
「そうなんですか?」
うそ。たったそれだけのことで、喜んでくれたの?嬉しい。
「私、コーヒー淹れます。樋口さんは苦いのがお好きなんですか?」
「ああ。俺と同じでブラックで飲むぞ」
「じゃあ、今日にでも、早速!」
「はははは」
あ。一臣様が笑った。
「お前、嬉しそうだな?」
「だって、人が喜ぶことをできるのって、嬉しくないですか?それに、一臣様にそう言ってもらえたことも、嬉しいんです」
「そうか」
一臣様は優しい目で私を見ると、グイッと私を抱き寄せ、いきなり早歩きになった。
「あ、あの?」
そして、無言で一臣様のオフィスにIDカードをかざし、ドアを開け、私と一緒に中に入ると、ドアをバタンと閉め、
「お前、可愛すぎる」
と、いきなり言ってギュウっと抱きしめてきた。
うわあ。また、この一臣様だ。いきなり変化した。
「上野の話を聞いていたのか?ずっと」
ドキン。耳元でそう聞かれてしまった。私は正直にコクリと頷いた。
「あいつとは、ちゃんと別れたんだ。しつこく言い寄ってくるけど、もう近づかせないからな?」
「はい」
そんなことを言ってくれちゃうんだ。なんか、びっくり。
「あ。ここでいちゃついてたら、樋口が来た時にやばいな。俺の部屋に来い。弥生」
そう言われて、私は一臣様に肩を抱かれながら、一臣様の部屋に連れて行かれた。
今、いちゃつくって言った?え?いちゃつくの?
あ。もう、今のこのベッタリくっついている状態が、いちゃついているってことなのかも。
こういうのって、付き合っていると誰でもすることなの?こんなにベタベタくっつくの?
ドキドキ。これ、初級編?中級までいきなり、レベルあがってないよね?
付き合ったことが全くないから、わからない!
「一臣様。変な質問をしてもいいですか?」
「嫌だ。変な質問は受け付けないといつも言ってるだろ?」
「じゃあ、恋愛入門したばかりなので、質問なんですが、それならいいですか?」
「恋愛に関してか?まあ、いいぞ」
「あの。付き合い始めって、こんなにベッタリしているんですか?」
一臣様はまだ、私の腰に手を回して、抱きしめている。私はずうっとその間も、ドキドキしっぱなしだ。
「そうだな。そりゃ、仲良かったらしてるだろ」
「じゃあ、私と一臣様は仲がいいんですか?」
「そりゃそうだろ?お互い、惚れ合ってるんだからな」
うっきゃ~~~~~~。今の言葉も、思い切り恥ずかしいんですけど。
「あ、あ、あの。じゃあ、一臣様は、他の女性とも、いつも、こんな感じでべったりしていたんですか?」
「他の?」
「はい。たとえば、上野さん」
「ああ。あいつは、べったりくっついてきたな。ひっぺがしても、しつこくて面倒くさかったな」
「え?ひっぺがす?」
「俺はあまり、ベタベタするのが好きじゃないんだ」
嘘だ。あまりにも今の行動と言動がともなっていないですけど?
「えっと。今のこの状態は、ベタベタしているうちに入らないんですか?」
「べったりしているぞ。そう見えないのか?」
「でも、ベタベタするのは好きじゃないって」
「ああ。悪い。言い方がまずかったな。今までは、女とベタベタするのが、好きじゃなかったんだ。これでいいか?」
「今までは?」
「そうだ。こういうベタベタしているカップルも、見ててうんざりした。よくいちゃつくなんてことができるなって」
え?でも、今…。
「俺は恋愛に関して、淡泊だしな」
淡泊?何が?
「すみません。私、淡泊ってことがよくわかってなくって」
「ああ。恋愛初心者だもんなあ」
「はい」
「ん~~。だから、あっさりとしているっていうか、冷めているっていうか」
「冷めてる?」
「ああ。執着もしないし、ベタベタするのも嫌いだし、しつこいのも嫌いだし、嫉妬もしないし、束縛もしないし、されるのも嫌いだし」
「でも、さっき、上野さんと目黒専務のこと、やきもち妬いて…」
「いないぞ。あれは、エロ専務に呆れただけだ」
「……」
そうだったんだ。
「あいつが誰と付き合おうが、何人男がいようがどうでもいいしな」
そうなんだ。それって、ほんとに好きでもなんでもないってこと?
「だから、こんなことをしている自分に正直驚いている」
え?あ。私をずうっと抱きしめているってこと?
「仕事しないとならないのにな」
そう言うと一臣様は、私のおでこにキスをした。
う。うわわわ。これはまずいかも。このままじゃ、私も仕事ができないよ。
「私もカバン置いたら、14階に行かないと!」
必死にそう私は、一臣様の腕の中で訴えた。
「細川女史に仕事がないかどうか聞いて、なかったらすぐに俺の部屋に来いよ」
え?
「今日、俺はほとんど部屋に缶詰めで、仕事をしないとならないんだ。プロジェクトの企画書が出来上がってきたから、それを見ないとならないし、他にもチェックする書類がたくさんあるんだ」
「……はい。わかりました」
また、すぐに来てもいいの?ってことだよね。わあ。
って、顔、にやけそうになった。いけない、いけない。
「なんだよ。顏、沈んだな。来たくないのかよ」
「違います。今、にやけそうになったから、真面目な顔をしようとしたんです。だって、これから秘書課の部屋に行くのに、にやついてたら怒られますよね」
「…にやつくのをこらえたのか?」
「はい」
ギュ―――。
きゃ!また抱きつかれた。そのたびに心臓が暴れるのに。
「お前、口紅持ってるよな?」
「え?はい」
なんで?っと、不思議に思っていると、思い切り唇をふさがれた。
キス!!!それも、いきなり、唐突に。
うっきゃ~~~~~~~~~~~~。会社で、いきなり、キス?
ドキドキドキドキ。心臓はバクバク。でも、そのうちにトロンと気持ちがよくなって、うっとりとしてきてしまった。
「ああ。口紅取れたから、ちゃんと塗っておけ」
唇を離してから一臣様はそう言うと、自分の口をティッシュで拭いた。
うわあ。ティッシュに、うっすらと口紅がついた。そうか。キスすると、一臣様の唇にも、私の口紅がつくんだ。
きゃあ。なんか、そういうのも生々しくって、恥ずかしい。
顔を赤くしながら、手を震わせて、なかなか口紅を塗れないでいると、
「なんだよ。キスで興奮して手が震えているのか?」
と、とんでもないことを聞いてきた。
「違います。は、恥ずかしくてです!」
「何を恥ずかしがっているんだか、知らないけど、もう9時になるぞ。ほら。口紅塗ってやるから、こっちを向け」
私が座っているソファの真ん前に、一臣様がしゃがみこみ、私の口紅を私の手から取って、私のあごを左手で持ち上げた。
ドキン!これ、キスされるみたいでドキドキする。
思わず、目を閉じた。すると、
「あほ。キスするわけじゃないぞ」
と言われてしまった。きゃあ。恥ずかしい。なんだって、ばれちゃうのかな。私の心をほとんど、見透かれている気がする。
でも、そんなことを言ったのに、一臣様はチュッとキスをしてきて、
「そんなに可愛い顔するなよな。思わずキスしちまっただろ」
と言って来た。
わ~~~~~~~~~~~。きっと、今も、私、真っ赤だ。
一臣様はそんな私を見て、くすっと笑うと、真剣な目になり、私の唇に口紅を塗った。
ドキドキ。ドキドキ。目の前に一臣様の真剣な顔。
「ほら。塗れた。早く14階に行け」
「は、はい」
私はカードキーと手帳を持って、一臣様の部屋を出ようとして、
「ああ、携帯。お前の買っておいたから、持って行け」
と、携帯を手渡された。
「は、はい」
慌ててそれも手にして、私は一臣様の部屋を出た。受付には樋口さんがいた。
ひゃあ!私の顔が赤いのばれてないよね。
ぺこっとお辞儀をして、私は廊下に出て、そのまま小走りでエレベーターホールに行った。
ドキドキ。まだ、胸が高鳴っている。
唇にそっと手で触れてみた。一臣様の唇が触れた唇。そして、一臣様が口紅を塗ってくれた唇。
顔のほてりがおさまらないうちに、14階に着いた。
「顏、熱い」
手で仰ぎながら、私は秘書課の部屋に向かって行った。