~その10~ 龍二、現る
ドキ。ドキ。ドキ。ドキ。
スー…。
私はずっと、胸がドキドキして眠れなかった。一臣様は私を抱きしめたまま、寝てしまった。
安心しきった顔で寝ている。
ずるいと思う。
私はこの先、ずっと、いつ一臣様に襲われるかっていう危機に面しながら、一臣様の横で寝るのに。もしかすると、ずっとドキドキで眠れないかもしれないのに。一臣様はそんな私の気持ちも知らないで、すやすや気持ちよさそうに寝たりして。
って。その考えがそもそも、間違っているんだってば。
襲われるわけじゃなくて、愛されるわけで…。
う。
きゃ~~~~~~~~~!
愛される?愛される?一臣様に?!
ドッドッドッドッ。もっと、胸がドキドキしてきた。
そうだよ。そういうことだよね。愛されちゃうんだよね。
愛も優しさもなく、抱かれるわけじゃなくって、ちゃんと愛されて抱かれちゃうんだよね。
そうだ。一臣様、優しくするって言ってた。
そこには、愛と、優しさがちゃんと…。
う。
きゃ~~~~~~~~~~~~~!!!
優しさって、どういうの?!
バクバクバクバクバク。鼓動が一気に早くなった。
キス、優しかった。髪を撫でる手とかも優しかった。
ドキドキドキドキ。私、やたらと怖がっていたけど、一臣様、もしかすると、ものすごく優しいかもしれないんだ。
鼻にも、頬にも、おでこにも、肩にまでキスされた。触れる唇が優しかった。
そのたび、体中がドキってなった。
スー…。私のうなじに一臣様の息がかかった。
ドキ――ッ!
うわ。それだけで、こんなに心臓が暴れ出す。
今も、一臣様のぬくもりや、コロンの匂いでおかしくなりそうだ。やっぱり、いくら優しくても、私の心臓が持つかどうかが心配だ。
胸が高鳴りすぎて、きっと持たない。それに、ちょっと抱きしめられただけでも、腰が抜けそうになったし。いや、もう抜けていたかも。
やっぱり、無理…かも。
ううん。慣れるんだ。努力するって言っちゃったし。
今だって、抱きしめられることや、こんなに近くにいることにちゃんと慣れないと。チャンスだよ、私。
「ん」
一臣様が寝返りをうとうとして、さらに私に接近してきた。っていうか、足、絡ませてない?もしかして。
うっわ~~~~~~~~~。一臣様の足が、私の足に。
私の足、動かせなくなっちゃった。
ドキドキドキドキドキ。今度は足に心臓があるみたいに、足が脈を打ち出した。
だ、駄目だ。慣れそうにない。
とにかく、寝よう。でも、目がらんらんとしていて眠れそうもない。
え~~ん。こんな思いを、どのくらいしていかないとならないんだろう。
そんなことを嘆きながら、やっと眠りについたのは、もう、外がうっすらと明るくなり、遠くで鳩の鳴き声がしてからだった。
ポーポー、ポッポ。低い鳩の鳴き声が、まるで子守唄のように聞こえてきて、そのあと、
「ブルルルルル。ブルルルルル」
という、アラームの音で目が覚めた。
あ、今、寝たばかりのような気がする。
「ふわ~~~~~~~」
一臣様は大あくびをしてから、アラームを止めた。
「良く寝た」
そう言って、一臣様は、私のことをなぜか、抱き寄せた。
な、なんでまた、朝っぱらから?
ドキバク。ドキバク。
「おはよう、弥生」
チュ。
うっわ~~~~~~~。おでこにキス?これ、おはようのキス?!
クラッ。朝から果てそう…。
駄目だ!何もかもが、今までに経験のしたことのないことばかりで、くらくらする。それもかなり、上級クラス。私レベルじゃ、まだまだ、経験してはいけないような、高いレベルの出来事!
「あれ?弥生、目、充血してないか?」
ドキ。そ、そうかも。寝れなかったし。
「エッチなことでも考えていたのか?」
「違います!」
もう。もう~~!なんでそうなるの?だいたい、エッチなことを考えているのは一臣様の方でしょ。
「7時だ。起きるぞ。お前、会社にちゃんと今日は行くんだろうな」
「はい」
「お前がいない間に、いろいろとあったんだぞ」
「え?いろいろとって」
一臣様は上半身を起こして、話し出した。私も上半身を起こして、体育座りをしながら話を聞いた。
「まず、三田のことだが」
あ。そうだった。携帯。あれ、どうなったのか、ちょっと気になってたんだ。
「監視カメラで見たら、やっぱり、三田だった。それも、三田だけじゃなく、三田派と呼ばれる秘書たちまで、その場にいたんだ」
「え?」
「三田と同罪だな。3人とも、即クビにした」
「ええ?!」
「そのカメラの映像を見せて、このことは内密にしておいてやるから、退職願いを出せ。と言って、退職してもらった」
うわ。怖いかも。それ半分脅し?
「当然だろ?人のものを盗ったんだ。窃盗だよな?立派な。本当だったら、警察に連絡してもいいくらいだ」
「え?警察に?」
「それを、黙っておいてやったんだ。逆に感謝してほしいくらいだ」
「そ、そうですけど」
「まあ、そういうことで、秘書課が今、全然人が足りていない。急いで、新しい人材を、他の課から募っている。面接も明日行う」
「そうだったんですか」
「それから、葛西も辞めると言い出したし」
「え?」
「まあ、それは副社長に任せてあるけどな」
葛西さんが…。
「それはやっぱり、一臣様のことが原因で?」
「まあな。あいつは俺のそばにいたかったんだろうけど、そうもいかないしな」
「一臣様は?葛西さんにそばにいてほしかったり、しないんですか?」
「なんだよ、それは」
あ。いきなり怒り出した。
ドサッ!
「きゃ?」
突然、ベッドに押し倒された?
「俺のこと、おちょくってんのか?」
「まさか!」
「じゃあ、なんだよ、今の質問は」
ひえ~。本気で目が怒ってる。
「き、気になったから」
「俺が葛西にそばにいて欲しいなんて思っていると、お前はそう思っていたのか?」
「い、いえ。ちょっと、気になっただけ」
「…むかつくな」
え?
一臣様はそう言うと、ムギュっと私の鼻をつまみ、そのあと起き上がった。
「ご、ごめんなさい」
怒り出すなんて思わなかった。
「もう、そういうこと言うなよな。俺はお前にちゃんと惚れているって言ったし、本気だし。他の女のことなんか、なんとも思っていないんだからな」
え?
「わかったな?もうあんな、アホな質問してくるなよな」
「はい」
私はまだ、ベッドに寝転がったまま、そう答えた。すると、くるっと一臣様は私のほうを向いて、チュッと唇にキスをして、
「いつまでも寝ていたら、襲うぞ」
と言って来た。
「お、起きます!」
私は慌てて飛び起きた。
それから、私の部屋に戻って、会社に行く準備をした。
私がいない数日間に、そんなに秘書課はいろいろとあったんだなあ。
あ、そういえば、あのプロジェクトはどうなったんだろう。気になる。
着替えも化粧も済ませ、ダイニングに向かった。一臣様は今日も、部屋でコーヒーを飲むだけなんだろうな。
そして、私は一人で食事だ。と、思いながら、ダイニングに向かうと、知らない男の人が座っていた。
誰?!
すると、向こうも、
「あんた、誰?」
と、コーヒーカップを片手に聞いてきた。
「龍二おぼっちゃま。こちらは、上条弥生様です」
喜多見さんが、丁寧にそう私を紹介した。
「ああ。兄貴のフィアンセ候補の一人。上条グループのお嬢様?」
龍二さん?なんでもういるの?
「弥生様。龍二おぼっちゃまは、昨夜のうちに飛行機で日本に来られたようで、夜中に帰ってまいりました」
「あ。そ、そうなんですか」
不意打ち過ぎる。何も心の準備ができていない。どうしよう。
「ふうん」
龍二さんは私を見定めるように、上から下まで見た。
嫌だ。視線がもう、嫌らしい感じがする。
「弥生様、どうぞ」
日野さんに言われて、私は椅子に座った。龍二さんから離れたところに、私の食事が用意されていた。ほっとした。きっと、気を使ってくれたんだ。
「あ。兄貴」
え?
「龍二。帰っていたのか」
振り返ると、ドアのところに一臣様が立っていた。
一臣様だ~~。良かった。一人でめちゃくちゃ心細かった。
「一臣様、おはようございます。どうぞ」
日野さんがそう言って、一臣様の椅子をずらして、座りやすいようにした。
「ああ。コーヒー淹れてくれ、日野」
「はい、かしこまりました」
一臣様はいつもの席。いつもの私の席なら真ん前。でも、今朝は、私の席から遠い。
「いつ帰ってきたんだ」
「昨日の夜には成田に着いてた。で、ちょっと女のところに寄ってから、うちに来た」
「女?」
「ああ。こっちに残していった女」
龍二さんはそう言うと、ちらっと私を見てにやっと笑った。
なんか、怖いかも。
「あの子さあ、上条グループのご令嬢でしょ?もう、うちに泊まってんの?」
「ああ。今日は大金麗子も来るし、明日には他の子たちも来るよ」
「へえ。親父は、上条グループ一押しなんだってな?」
「…おふくろは大金だろ?大金銀行の頭取の娘。気に入ってるようだぞ」
「兄貴は?」
「俺はまだ…」
「俺さあ、候補者の写真やプロフィール見たよ」
「なんでお前が?お前の婚約者決めるわけじゃないのに」
一臣様、始終クールだ。話し方も変えないし、表情も変えない。
「いいじゃん。俺の姉貴になるわけだし、そりゃ気になるよ。で、兄貴のタイプは大金だろ?」
「……俺のタイプ、お前わかってんのか?」
「だって、兄貴が昔から付き合ってる女って、あんな感じだろ?スレンダーで、黒髪ロング。まあ、たまに栗色もいたけど、美人でしたたかそうな女」
「まあ、そうかもな」
「やっぱりなあ。それ、おふくろもわかってて、対抗馬に大金麗子を選んだんじゃないの?」
「対抗馬?」
「おふくろ、親父の思うとおりにしたくないんだろ?親父が上条グループ薦めるんだったらって、大金麗子を選んだんだよ」
「なるほどね」
「兄貴も、上条グループのご令嬢は、かなり嫌がっていたようだし。まあ、本人見て、それは俺でも納得したけど」
私のこと言ってるんだよね。丸聞えなんだけどな。あれってわざとかな。
「だってさあ。どっからどう見たって、兄貴のタイプじゃねえじゃん。ブスだし、スタイル悪いし、頭も悪そう」
グッサーーーー。なんかさっきより、声大きくなってない?わざとらしいくらいに。
私の周りに立っているメイドのみんなから、歯ぎしりの音が聞こえてきそうだった。でも、
「親父は気に入っているんだよ。プロジェクトのこともあるから、上条グループには頭もあがらないんだろ」
と、一臣様はとってもクールにそう言った。
「兄貴も?親父の言いなりになるのか?」
「俺?いや。そんなつもりはない。今度の誕生日パーティでは、ラッキーなことに、俺が候補者の中から婚約者を選んでいいらしいしな」
一臣様はそう言うと、コーヒーをゴクンと飲んだ。そして、
「早々と、この屋敷に来てもらって悪いが、誕生日パーティが終わったら、さっさとお引き取り願うからな?上条家のお嬢様」
と私に向かって、ものすごく冷たい目つきでそう言った。
え…。
今の誰?
ううん。これが前の一臣様。嫌味たっぷり。平気で傷つくことを言う。
でも、昨日から、惚れてるだの、可愛いだの言われていたから、かなりびっくりした。
私がびっくりして、言葉を失いぼけっとしていると、
「あはは。自分のことだってわかってないんじゃん。相当なバカだね。君だよ、君。さっさと帰ったら?どうせ、選ばれないから」
と、龍二さんにまで言われてしまった。グッサリくるなあ。
「兄貴は、大金麗子が狙いなんだな」
私のことはもうほっておいて、龍二さんはそう一臣様に聞いた。すると、キッと一臣様は龍二さんを睨みつけ、
「お前は、邪魔するなよ。今回ばかりは結婚がかかっているんだ。お前には邪魔させないからな」
と、そうきつく言った。
これ、演技だよね。
ほんのちょっと、そんなことを疑いたくなるほどの、一臣様は名演技をしていた。
演技…だよね?
演技なんだよね?不安がよぎる。