~その7~ 一臣様の異変
着替えをしてから、部屋を出て、廊下のドアから一臣様のドアをノックした。すると、一臣様が、
「誰だ?」
と、言いながらドアを開けた。
「弥生です。支度できたから、ダイニングに行きましょう」
「……あれ?」
一臣様は私の服そうを見て、
「なんで、それなんだ?」
と聞いてきたが、無視して、
「先に行ってます」
と私はとっとと廊下を歩き出した。
「おい」
一臣様が後ろから声をかけてきた。でも、
「あ、お腹空いちゃった。早く行きましょう」
と、私は足早に階段を下りた。
そして…。
食事の間中、一臣様の機嫌は悪かった。
なんで?ミニスカートじゃないから?それでへそ曲げた?
「一臣様、ご気分が悪いんですか?」
日野さんがそう聞くと、
「……。いいや」
と、一臣様はまだ、ムスッとしたまま、そう答えた。
あちゃ~。この人はもしかして、人に気を使うということがないんだろうか。みんなのほうが、思い切り気を使いだしちゃったよ。
「ああ、そういえば、明日には龍二も日本に帰ってくるんだ。とはいえ、俺の誕生日パーティに出席したら、すぐにアメリカに帰るけどな」
突然、一臣様はみんなにそう言った。
「はい。存じております」
日野さんが代表してそう答えた。
「おふくろも、ずっと大阪にいたが、明日には屋敷に来る。おふくろも、龍二がアメリカに戻る時、卒業式に出席するために、アメリカに行くから、まあ、2人とも、ほんの数日しかいないんだけどな」
そうなんだ。
「だが、その数日の間でも、お前たちにはいろいろと、注意してほしい点があるんだ」
みんな、静かに一臣様の言うことに集中した。
「龍二は、昔からこの家にいるやつなら知っていると思うが、やたらと俺に対抗心を持っているやつで、俺の大事にしているものを奪いたがるし、俺のマネもしたがる」
「そうなんですか?」
「立川や小平は、あんまり龍二と会っていないから、知らないだろうな」
「はい」
亜美ちゃんとトモちゃんが、声を揃えて頷いた。
「お前ら、弥生のメイドなんだから、特に注意してくれ。あいつは、多分、俺の婚約者だってだけで、弥生にちょっかいをだしてくるかもしれない」
「え?」
「もし、俺が弥生との結婚を望んでいるとか、俺らの仲がいいとか、そういうことをあいつが知ったら、まず壊しにかかる。絶対にな」
「壊す?」
日野さんが、眉間にしわを寄せて聞いた。
「ああ。邪魔をするどころじゃないな。弥生に手を出してくるかもしれないし、何をしてくるかは、俺でも想像つかない」
そ、そんな人なの?龍二さんって。
「親父は龍二の性格を知っている。だから、今回、俺にはフィアンセ候補が何人もあがっていると、龍二には言ってあるし、俺の誕生日パーティで、フィアンセを選ぶっていうのも、龍二に言ってあるんだが、そこで、ちゃんと作戦を練ったんだ」
「作戦?」
みんなが身を乗り出して聞いてきた。
「ああ。誕生日パーティは、今週の日曜。明日には龍二、そして大阪の大金麗子が屋敷に泊まりに来る」
「え?フィアンセ候補の方が泊まりにですか?」
みんながびっくりしている。
「そうだ。大金麗子が泊まりに来ることを、他の候補者も知って、金曜には、あと2人、泊まりにくることになった」
うそ。お屋敷に泊まるの?一臣様の近くに、3人も?
「そこでだ。作戦って言うのはな、親父は大阪の銀行の頭取の娘の大金麗子を、龍二と結婚させたがっていて、おふくろはやけに大金麗子を気に入っていて、俺と結婚させたがっている。龍二は大金麗子と面識もないようだ。俺は前に会ったことがあるが、どうやら、大金麗子に気に入られている」
「…」
みんな、黙って真剣に聞いている。
「で、俺も大金麗子を気に入っていると、龍二に思わせる。おふくろは、俺が弥生を嫌っていると思い込んでいるようだし、大金麗子を気に入っているとわかったら、大喜びで協力してくるだろう」
うそ。何それ。
「それで、どうするんですか?」
亜美ちゃんが一臣様に聞いた。
「龍二は、俺が気に入った女性に、絶対にちょっかいを出す」
「え?」
「つまり、大金麗子にちょっかいを出す。俺が弥生にはまったく気がなくて、結婚する気もなくて、逆に嫌がっているくらいの素振りを見せたら、あいつは弥生には見向きもしないはずだ」
「あ、なるほど。そういう作戦ですか」
トモちゃんが納得して頷いた。
私は、納得できないんだけど。一臣様が麗子さんって人を気に入って、その人はお母様のお気に入りでもあって、そのまま、パーティで、麗子さんと婚約することになったりはしないの?
「で、お前たちには、絶対に弥生と俺が結婚するだとか、俺の婚約者は弥生に決まっているだとか、そういうことを龍二にも他の候補者にも、おふくろにも悟らせないようにしてほしいんだ」
「はい」
「やたらと、弥生だけの世話をしたりもするなよ。他の候補者と同じように弥生にも接しろ」
「はい」
「それから、俺も演技をする。弥生のことは嫌っていて、大金麗子を気に入っているという演技だ。それを見ても、決してお前ら、動揺したり、弥生を変に励ましたりするなよ。他の連中にとにかく、俺と弥生の仲が悪いと、そう思わせろよな」
「…どんなふうにしたらいいんでしょうか?」
日野さんがそう聞いた。すると、一臣様は、
「………う~~ん。そうだな」
と腕組みをして、
「候補者の中でも、一番一臣氏に嫌われていて、絶対に選ばれないだろう不憫な人…くらいな気持ちで接していたらいいんじゃないか」
とそう言った。
酷い。軽く傷ついた。いや。でも、それも全部作戦なんだよね。本気で言ってるわけじゃないんだ。でも、なんだか傷ついた。
「はい、わかりました」
日野さんはすぐに返事をした。でも、亜美ちゃんとトモちゃんは、何も言わずに俯いている。
「おい。返事は?」
一臣様が聞いても、黙っている。だが、亜美ちゃんが、意を決したように顔をあげ、
「それは、本当に演技ですね。弥生様を傷つけるようなことはないんですね」
と、そう一臣様に聞いた。
もうすでに、軽くサクッと傷ついてはいるんだけれど。
「ああ。演技だ。しばらくの間だけだ。それに、2人でいる時には、ちゃんとするから安心しろ」
「ちゃんとするって?」
亜美ちゃんが聞き返した。なんか、亜美ちゃん、強気だ。
「だから、ちゃんと優しく接するぞ」
「2人で?一臣様とお二人の時ですか?」
亜美ちゃんが聞いた。
「そうだ」
「でも、お二人でいる時って、おありになるんですか?」
トモちゃんが聞いた。
「オフィスでもあるし、屋敷でも…」
一臣様はそこまで言うと、なぜか日野さんのほうを見た。日野さんは、首を少しだけ横に振った。
ああ。さっき見たことは、誰にも言っていません、みたいな、そんなことを日野さんは言いたかったらしい。
「とにかく、心配しないでいい。全部演技だ」
一臣様はまたそう言った。
「わかりました」
トモちゃんと亜美ちゃんは、仕方ないという感じで返事をした。
「お前らは龍二のことを知らないから、そんなふうに呑気にかまえていられるんだ。あいつは、自分が狙った獲物は何が何でも自分のものにしないとすまないっていうくらい、執念深いし、怖い奴なんだ」
「え?そうなんですか?」
私が一番びっくりしてしまった。
兄弟間で、そんなふうに思っているだなんて、なんか悲しい。
「俺がもし、弥生を大事に思っているなんて知ってみろ。力づくでも奪おうとするぞ」
「前例もありましたよね。一臣おぼっちゃま」
そう言いながら、ダイニングに喜多見さんが入ってきた。
「ああ、喜多見さんは、子供の時から俺と龍二を見ているもんな」
「はい。龍二おぼっちゃまは、一臣おぼっちゃまの愛車も勝手に乗り回して、派手にぶつけて廃車にしたり、一臣おぼっちゃまと仲の良かった方にも、かなり接近してきて、その方をヨーロッパのほうに留学させたということがありました」
え?一臣様と仲の良かった人?
まさか、好きだった人とか?!
「あの。でも、そうしたら、大金麗子さんが、危ない目に合うんじゃ…」
私は気になりそう聞いた。
「大金麗子と龍二がくっついてくれりゃ、親父も万々歳だし、それが一番なんだがな」
「ですが、龍二おぼっちゃまのことだから、一度は手に入れても、すぐに飽きて捨ててしまうかもしれませんよ」
心配そうに喜多見さんも一臣様にそう聞いた。
「大丈夫だろ。それでも、親父がくっつけるだろ」
一臣様、なんか、思い切り他人事だ。
「俺はとにかく、弥生を守りたいんだ。それだけだ。だから、皆頼んだぞ」
「はい」
みんなが、そう返事をした。
いいのかな。そんな演技をして。大金麗子さんは傷つくことにならないのかな。
それに、ヨーロッパに行ったっていう人のことも気になる。
ああ、気になることだらけだ。
食事が済み、一臣様は私の背中に手を回すと、
「行くぞ」
とそう言って、歩き出した。なんか、怒ってるのかな?もしかして。
あ。そうだった。服だ。一臣様の選んだスカートを履かなかったんだっけ。
一臣様の部屋に入ると、一臣様は、
「おい」
と、怖い声を出した。
うわ。スカートごときで怒られてしまうの?!
「さっきの言ったこと、わかったな?」
「え?」
スカートのこと?色気のある下着を買うこと?ハッ!まさか、今日抱いてやるって言っていたこと?
うぎゃあ。龍二さんのことを聞いて、そっちに気を取られて忘れてた。なんだって、私、のこのこと一臣様の部屋に入っちゃったんだろう。
「弥生?お前が一番気を付けないとならないんだ」
「は?」
「龍二だよ。あいつは本当にやばいやつなんだ。俺が遊んでいた女にも、次々に手を出してた。まあ、遊んでいたような女だったから、特に問題はなかったんだが…」
そんなにいろんな女性と一臣様は遊んでいたのかな。なんて、そんなことが気になったが、一臣様が話を続けたので、私は話に集中した。
「俺のピアノの先生にピアノを習っていた子がいたんだ。うちにピアノを習いに来ていたこともあった」
「一臣様がおいくつの時ですか?」
「19歳だ。ちょうど1年アメリカでの留学を終え、俺は日本に帰ってきた。その子は高校3年だった。俺の二十歳の誕生日パーティで、ピアノの演奏を披露しろと、初めて親父に言われて、必死になって練習していた頃だ。先生も独り占めにして、ずっと俺の屋敷にいてもらった」
「それで、その子は一臣様のお屋敷まで習いに来ていたんですか?」
「ああ。どこかのお嬢様で、音楽大学に行くために先生に習ってた。俺よりもずっと、先生に習いたい思いが強かったんだろ。足しげく通ってたよ。俺の練習を広間で待っていたり、逆にその子の練習を俺が待っていたり。そんなことから、だんだんと会話するようになって、はたから見たら仲良く見えたんだろ。でも、俺は別にその子を好きだったわけでもないし、その子もピアノにしか興味なかったみたいだから、勝手に龍二が勘違いしたんだ」
「…それで?」
「あいつ、その子が屋敷に来た時、自分の部屋に連れ込んだんだ。それを、樋口が見て、急いで部屋の鍵を国分寺が持って来て、未遂で済んだけど、その子には相当ショックだったんだろうな。精神的にまいっちゃったみたいで」
部屋に連れ込まれた?!
「そ、それはそうですよね。怖いですよね」
「ああ。音楽大学の試験も受けないと言い出して、家に引きこもったらしい。それで、親父も自分の息子のしでかしたことだし、なんとかしないとっていうんで、ヨーロッパのどこだっけな?オーストリアか、そのへんだったと思う。留学できるように取り計らったんだ」
「でも、いきなり海外だなんて、その子、傷ついていたのに大丈夫だったんですか?」
「ああ。その子にとっても憧れの地だったらしいし、留学してすっかり元気になったと、そう報告も来た」
「そんなことがあったんですね」
「その子には悪いことしたよな。それ以来、あいつには、みんな気を付けるようになったんだ。親父も、おふくろも」
「お母様も?」
「ああ。だから、けっこう世話焼いてるよ。アメリカに留学する時もくっついていったし、卒業する時も、アメリカにおふくろも行くしな」
「……でも、それを聞いたらますます、麗子さんが心配になりました」
私がそう言うと、一臣様は自分の椅子にどかっと座り、
「お前、世のお嬢様を勘違いしているだろ」
と言って来た。
「は?」
「そりゃ、箱入り娘で、世間知らずなお嬢様もいるだろうけど、そんなのばっかりじゃないんだ。前に祐さんが言っていたような、親にマンション買ってもらって、男引っ張り込んで遊んでいるような、そんなお嬢様だっているんだよ」
「え?」
でも、まさか、麗子さんがそうだってことじゃ…。
「大金麗子のことは、もうちゃんと知らべてある。かなりしたたかな女みたいだな。見た目、清楚なお嬢様って感じだが」
「したたか?」
「ああ。龍二と婚約するはずだったのに、社長夫人になりたくて、おふくろに媚び売ったらしいしな」
「……媚を?」
「それに、平気で男と遊べる女だっていう噂もある。俺の女番だな」
「え?!一臣様の?」
「御曹司だって、俺みたいな女癖が悪いとんでもない男がいるんだ。どこぞのお嬢様が、男癖が悪いっていうのもありだと思わないか?」
「それって、ご自分が女癖が悪いって認めているんですか?」
私がそう聞くと、一臣様は、
「ああ」
と、まったく悪びれずにそう答えた。
ガ―――ン。いや。知っていたことだ。うん。知っていたことだけど、やっぱり、ショック。
「言っておくけど、俺の場合は、女好きなわけじゃない」
「え?男好き?」
「そういう意味で言ったんじゃない。アホ。女が好きだからって、付き合っていたわけじゃないって言ってるんだ」
一臣様は相当呆れたのか溜息をつき、足を組んだ。
「じゃあ、あ、そうか。前に言ってましたよね。穴がぽっかりと開いてて、埋められなかったって」
「ああ。ぬくもりとか、そういうのをただ求めていた時があったんだ」
そうか。寂しさや、空しさをどうにかしたかったんだ。きっと…。
「大金麗子がどうかは知らないけどな」
「……」
まだ、一臣様の心の穴、埋まっていないんだろうか。
「あの…」
「ん?」
「もう、ぬくもりを求めることは、しなくなったんですか?」
「いや」
「え?」
してるの?
「ぬくもり、求めてるぞ。今でも」
そうなんだ。え?それって、どういうこと?誰かと付き合っているってこと?!
「だから、横にお前に寝てもらってるんだろ?」
「え?私?」
「ああ、でも、そろそろ、横に寝てもらうくらいじゃ足りないな」
「え?」
「弥生。すっかり元気になったから、今夜でも大丈夫だぞ。期待通り、抱いてやれるから」
「いえ。結構です」
やっぱり言って来た~~。
一臣様は組んでいた足を元に戻して、少し身を乗り出した。
「なぜだ?」
「け、け、結婚前ですから」
うわ。私、思い切り動揺してるかも。ダメダメ。平常心だってば。でも、心臓がバクバクしてる。
「は?結婚式は半年もあとだぞ?」
一臣様の片眉があがった。
「はい。その頃にはきっと、私も覚悟が…」
はう!私ってば、何を口走っているんだ。
「覚悟がまだないのか」
「……。はい」
「半年は待てないんだがな」
「え!」
待って、待って。駄目だ。平常心なんて消えた。頭、真っ白になってきた。
「でも、一臣様、ずっと嫌がっていたじゃないですか。私のこと」
「だから、そうやってからかっていただけだ」
「でも、手なんて出したくないとか、出す気にもなれないとか、もっと色っぽくなれとか、可愛くなれとか」
「そんなこと言っていたか?」
「言ってました」
「………」
一臣様が黙り込んだ。そして、椅子を立ち上がってこっちに歩いてきた。
うわ。どうしよう。どっかに逃げる?でも、どこに?
私は後ずさりをした。
「抱かれたくないのか?俺に」
ひょえっ!!なんつう質問?!顔から火が出そうになった。
あわあわ。一臣様は、どんどん私に近づいてきている。
私はずりずりと後ずさりをした。
「でもお前、俺のはだけた姿見て、ぼ~~っとしていたよな」
「え?」
「俺のこと、色っぽいって言って見惚れていただろ?それ、俺に抱かれたかったからじゃないのか?」
「違います!」
「どう違うんだ」
「全部違います。っていうか、私、男の人と付き合ったこともないので、だから」
「だから、なんだ」
「免疫ないし…。こ、困ります。だいたい、一臣様、どうしちゃったんですか?なんか、変です」
「俺が?」
うわあ。もう後ろ壁だ。後ずさりができない。
「そ、そうです。今まで、ずっと私のこと、遠ざけていたのに」
「…遠ざけてはいない。でも、手を出すのは止めていた」
「え?」
「認めたくなかったし」
「何をですか?」
ドキン!目の前に来ちゃった。どうしよう。
それも、私のことを壁に押さえつけるみたいに、体を寄せてきて、両手を壁に当て、私がどこにも逃げないようにしちゃった。
うわあ。もっと顔が近づいてきた。
「だから、俺がお前に…」
ど、どうしよう。一臣様の息が耳にかかるくらい、近い。バクバク。ドキドキ。
「お前に、惚れたなんてことは、絶対に認めたくなかったからな」
「………?!」
え?今なんて言った?
惚れた?って言った?
え~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!