~その6~ スケベに変身?
休憩室の中庭で、2人でほわほわしていると、そこに喜多見さんが来た。
「あ!こ、こんなところにいらっしゃったんですか?探してしまいました」
「ん?どうした?」
「お部屋の掃除が終わりましたので、呼びに来たんですが…。まあ。一臣おぼっちゃま、言って下さったら紅茶をちゃんと淹れましたのに」
喜多見さんが、一臣様の手に持っている缶の紅茶を見て、びっくりしながらそう言った。
「みんな、忙しそうだったからな。それに、こういう庶民的なものも飲んでみたかったんだ」
庶民的なもの?そうか。一臣様からしたら、そういうものなんだ。
「そうですか?あ!弥生様も、言ってくだされば、パンケーキか何かをコック長に作らせましたのに」
「い、いいんです。あの…」
「この夕張メロンパンっていうのは、弥生の気に入っているパンで、季節限定なんだそうだ。そうそう食べれないらしいから、買ってやったんだ。めちゃくちゃ喜んでいたぞ」
うわ。一臣様が全部、ばらしてくれた。
「そうなんですか?」
喜多見さんはくすくすと笑うと、
「お部屋の方はもう、お休みになられますよ。お風呂はどうしましょうか?夕飯のあとに準備した方がよろしいですか?」
と一臣様に聞いた。
「そうだな。夕飯の間に準備を頼む。あ、そうだ。コック長に夕飯は早めにと頼んでくれ。今日は早くに休みたいんだ」
「そうですね。体調崩されているんですから、しっかりとお休みになってくださいね、一臣おぼっちゃま」
心配そうに喜多見さんがそう言った。
ああ、喜多見さんは一臣様の体調のこと、知ってるんだ。って、当たり前か。一臣様付きのメイドなんだもんね。
あれ?でも、ストライキしていて、仕事をしていなかったはずなのに、知っているんだ。
「ああ。もう大丈夫だ。弥生がいるからな」
一臣様はそう微笑みながら言うと、空になった缶をゴミ箱に捨てて、
「弥生、そろそろ部屋に戻るぞ」
と、優しく言ってくれた。
「はい」
私も空の缶を捨て、メロンパンの袋も捨てて、休憩室を出た。喜多見さんはキッチンに戻り、私と一臣様はぐるりと庭を歩きながら、お屋敷に戻った。
庭には、庭師の方が数人いて、その中には根津さんもいた。
「あ、根津さん!」
私が声をかけると、根津さんはにっこりと笑って手を振ってくれた。
「へえ。あんなふうに根津も笑うんだな」
私の隣では、一臣様がその様子を見てびっくりしていた。
それから、一緒に一臣様の部屋に戻った。
ベッドメイキングは綺麗にされていて、脱ぎ捨てられたシャツやらパジャマやらも、どうやら洗濯に出されたのか、部屋からなくなっていた。
一臣様は、そのままドスンとベッドに横になった。そして私を見ると、
「弥生、おいで」
と言って来た。
ドキ~~~~~~~~~!
だから、いつもそういう言葉に、心臓が高鳴っちゃうんだってば。でも、ただ添い寝のために呼んだんだよね。
「赤くなっているところ、申し訳ないが、体調悪くて何もできないぞ」
「き、期待したわけじゃないです。ただ、言葉に勝手に反応して赤くなっちゃっただけです」
そう言って、私は一臣様の隣に横になった。
「言葉?」
「さっきの…」
「おいでってやつか?」
「はい」
頷いてから、もっと赤面した。
「そんな言葉で、お前は赤くなるのか」
「はい…」
そんな言葉じゃないよ。意味深で、胸がドキってなっちゃうような言葉だよ。って、あれ?そういえば、体調悪いって今、一臣様言ったよね?
「一臣様、そんなに今も体調悪いんですか?」
「…ああ」
「それなのに、私のこと迎えに来てくれたんですか?」
「お前がいないのが、一番の体調の悪い原因だからな。さっさと迎えに行かないと回復は無理だって、俺もさすがにそう思い知ったからな…」
「え?」
「悪い…。しゃべっているのも無理だ。少し休む」
「はい」
一臣様は、私のほうを向いた。そして、私のことをそっと抱き寄せた。
ドキドキ。ああ、胸を高まらせている場合じゃないよ、弥生。話すことも辛いほど、一臣様は気分が悪かったんだ。なのに、一緒に紅茶を飲んだりしていたんだ。
無理させちゃったんだな。
一臣様は、私を一臣様の胸に抱き寄せると、私の髪を優しく撫でてきた。
うわ!
これは、やっぱり、ドキドキするなと言っても無理な話で。
心臓はどんどんどんどん、早くなっていく。
でも、5分もたたないうちに、一臣様は、す~~っという寝息をたてた。
その寝息が、私のおでこにかかる前髪にかかった。
ドキドキはおさまらなかった。でも、一臣様の寝息が可愛くて、私はそっと一臣様を抱きしめてみた。
キュン。胸の奥が締め付けられた。
愛しくて、一臣様の腕に抱かれながら眠れることが嬉しくて、涙が出そうになった。
昨日の夜は、一臣様の部屋も、一臣様のこの胸も腕も恋しくて、ずっと泣いていたのに。
今は、目の前にある。こんなに近くにいる。
一臣様が大好きだった。でも、こんなにも愛しくなっていたことに、改めて気づかされた。
どれだけ私は一臣様を愛していたんだろう。
いつの間に、こんなに大きな存在になり、こんなにも大切な人になっちゃっていたんだろう。
もう一度、ギュッて一臣様を抱きしめた。そして、幸せを噛みしめた。
どのくらい時がたったろうか。私は眠れなかった。
一臣様の腕の中はあったかかった。それに、一臣様のコロンの香りにドキドキして、幸せで胸がいっぱいになって、眠れなかった。
ずうっと、こうやって一臣様のぬくもりを感じていたいなあ。
そんなことを思いながら、一臣様の胸にしがみついていると、
「う…」
と一臣様がうなされているのに気が付いた。
「一臣様?」
夢?夢を見ているの?
そっと一臣様の腕から抜けて、一臣様の顔を覗いた。
なんだか、苦しそうな顔をしている。もしかして、具合が悪いのかな。どこか痛いとか?
「弥生…」
「え?」
私のこと、呼んだ?
「行くな…」
え?
「行くなよ…」
一臣様は目を閉じたままだ。顔をゆがめてそう言うと、一臣様の目から涙がこぼれたのがわかった。
うそ。泣いてる?!
え?夢を見てるの?私の夢?私がどっかに行っちゃう夢?!
バチッ。突然、一臣様が目を覚ました。
「あ…」
そして私の顔を見て、しばらくじっとそのまま動かないでいる。
「弥生…」
「はい…」
「ああ、そうか。今のは夢か…」
一臣様の顔が、一気に和らいだ。
「どんな夢ですか?」
「…いや、なんでもない」
「でも、なんだか、うなされていました」
私の名前を呼んで、行くなって言って泣いていたということは話さないでおいた。
「……お前が、飛行機に乗ってアメリカに行く夢だ」
「え?」
「いなくなってから、めちゃくちゃ後悔している夢だ。アホな夢だろ?」
「……」
一臣様は自分で自分の目頭を触り、
「あ、俺、泣いていたのか?」
とそう言って涙を拭いた。
「……」
夢の中でも泣いていたの?もしかして。
「は~~~~~」
長い溜息のあと、一臣様は私をまたじいっと見つめた。
「夢で良かった」
「え?」
「お前のこと、ちゃんと迎えに行って良かった」
一臣様…。
キューーン。胸が苦しくなるくらい、今、締め付けられた。
「俺は何時間、寝ていたのかな」
一臣様はそう言うと、起き上がった。
「体調は大丈夫ですか?」
「ああ。まだちょっと、頭痛はするけどな」
「さっきも頭痛していたんですか?」
「ああ。薬を飲むと、眠れるんだけどな。強いのか、頭痛やら吐き気やら、ひどいんだ」
「今は?吐き気は?」
「……いや。お腹が空いてきたな」
え?
「あ、なんだ。もう6時だ。そろそろ夕飯の時間だよな」
一臣様は自分のデスクの時計を見て、そう呟いた。
「はい」
「ふわ~~~~!じゃあ、顔でも洗って来るか。お前も寝ていたのか?」
一臣様は伸びをしながらそう聞いてきた。
「いいえ」
「え?ずっと起きていたのか?」
「はい」
「…いつもなら、隣で一緒にグースカ寝てるじゃないか」
「そ、そうなんですけど。嬉しくて、幸せ噛みしめてて、眠るのももったいなくって」
「……なんだ、それ」
あ、呆れた?あ、また、気持ち悪いって言われちゃう?
と、思いながら、言われる言葉に傷つく覚悟を決めて待っていると、いきなり一臣様は私のことを抱き寄せ、
「お前、やっぱり可愛いよな」
と、思ってもみないことを言われてしまった。
「え?!」
何?今、なんて?!
聞き返そうにも、またギュウっと思い切り抱きしめられ、ドキドキして言葉も失った。
うわ。うわわ。なんだって、今日はやたらと、こんなに思い切り抱きしめてくるんだろう。
トントン。
「一臣様、夕飯の準備が整いましたので、いつでもダイニングにお越しいただいて大丈夫です」
ノックの音のあと、日野さんの声が聞こえた。
「ああ。わかった」
一臣様がそう答えると、日野さんは、どうやら私の部屋にも声を掛けに行ったらしい。
ちょっと遠くから、日野さんの、
「弥生様。夕飯の準備が整いました。いつでも、いらしていただいて大丈夫です」
という声が聞こえてきた。
「ああ。お前、返事しないと…」
「え?ここから?」
「…さて。どうしたものかな。喜多見さんにはもう、お前が俺の部屋で寝ているのもばれているが、あいつらにはばれていないのかな」
「え?」
喜多見さんにはばれてるの?!
「でも、わかるよなあ。ベッド、いつもお前が寝ていないんだから、綺麗なままだろうし」
「あ、そうか」
そうだよね。日野さんたちが私の部屋を掃除してくれているんだから、どう見たって、私の部屋は生活している感じじゃないってわかるよね。洗面所だって、お風呂だって、一臣様の部屋のを使っていたし。
「弥生様?寝ていらっしゃるんですか?」
「しょうがないな」
一臣様はベッドから下りると、ドアを開けに行ってしまった。
うわ。どうするのかな。私が寝ているってことにしてくれるとか。何かいい言い訳をしてくれるとか?
ガチャリ。
「おい、日野」
「あ、一臣様。弥生様が返事をしないんですが、寝ていらっしゃったら、起こさないほうがよろしいですか?」
「弥生なら、俺の部屋にいる」
「え?」
「一緒にダイニングに行くから」
「……。は、はいっ」
今の、日野さんの返事、声が裏返っていたけど?もしや、相当驚いているとか?
「あの、一臣様。もしかして日野さん、何か、勘違い…」
と、ドアからこっちに戻ってくる一臣様に聞こうとして、ああ、これは勘違いしても仕方ないなと思ってしまった。
一臣様、寝癖ついているし、Yシャツは、第3ボタンくらいまではだけちゃってる。それもよれよれ。見るからに、今まで寝ていました…という格好だ。
いやいや。ただ単に、ぐっすりと寝ていたんだと、そう思っていて欲しい。
「あの、私、部屋に行って髪とかしたりしてきます」
そう言って私もベッドから降りて、私の部屋に行った。私の部屋は、相変わらず暗くて、寂しい感じが漂っていた。
なんでこうも、一臣様のお部屋と違って、物寂しさがあるのかなあ。ああ、人が生活していなかったからか。
それから、洗面所に行き鏡を見て、
「あ、髪、ぼさぼさだった」
と気が付き、慌てて髪をとかした。
「それに、やっぱり目が腫れてる。本当にブス顏だ」
一臣様に言われた通り、かなりのブス顏。顔色もけしてよくない。こんな私なのに、一臣様、可愛いって2回も言った。あれ、私のやっぱり、聞き間違いかな。
「それに、ずっとこのブス顏、一臣様に見られていたんだよね。こんなブスにキスしたり、抱きしめたりしていたんだよね」
真っ青になった。でも、次の瞬間、顔が火照りまくった。
そうだった。キス、一臣様にされたんだった。
それも、優しいキスだ…。
うわ!!うわわ。思い出してしまった。唇の感触や、ぬくもりも。
駄目駄目。これから、食事をするんだし、平常心だよ。あ、そうだよ。平常心でいるんだって、よくおじい様から言われていたじゃない。
うん。そうだ。気持ちを落ち着けて、弥生。
と、その時、一臣様が私の部屋に入ってきて、
「弥生。もう飯、食いに行くぞ。準備はいいのか?」
と聞いてきた。
「うわ。はい、はい!」
私は慌てて、洗面所から飛び出した。
「あれ?着替えたんですか?一臣様」
「ああ。Yシャツもしわくちゃになっていたしな。お前も着替えたらどうだ?また、スカートしわくちゃになっているぞ」
「え?あ!」
本当だ。しわくちゃだ!
「あ、じゃあ、着替えます。ちょっと待っていてください」
私は慌てて、クローゼットを開けた。
「えっと…」
「ブラウスも着替えるか?ああ、半分はお前の家に持って帰ったんだもんな。また、着替え持って来いよ」
「はい」
「ああ、駄目だ。樋口か誰かに取りに行かせる。お前、実家に戻ったら、またこっちに戻ってこなくなるかもしれないしな」
そう言いながら、一臣様は私の隣で服を選びだした。
「これと、これ」
「……これですか?なんか、スカート短すぎませんか?それも、ひらひら。似合わないです。こういうスカートは」
「そんなことないだろ。ただ、あんまり外では履くな。家の中だけにしろ」
「は?」
なんで?
「会社じゃないんだから、ストッキングもいらないぞ。靴もパンプスじゃなくてもいい」
「え?」
まさか、生足で、この短いスカート?それをリクエストしてくるって、どういう意味が…。
「着替えないのか?」
「あ、はい。着替えますけど。隣りの部屋で待っていてください」
「なんでだ?」
「え?だって、着替えるから」
「いいだろ。ここで待ってるぞ」
「……いえ。一臣様、絶対に着替えるところ見ますよね?だから、隣の部屋で待っていてください」
「………」
なんで、動かないのかなあ。でんと、仁王立ちのままでいるけど。まさか怒った?
「夕飯のメニュー、リクエストし忘れた」
は?いきなり話が飛んだけど?
「何か食べたいものがあったんですか?」
とりあえず聞いてみた。
「ああ。精のつく食べ物をと、リクエストすればよかったと思ってな」
「そうですね。でも、きっと元気の出るものを考えてくれていますよ」
可愛い一臣様もいるんだな。元気になるお料理をリクエストしたかっただなんて。
「いや。元気の出るっていうより、精だ。精力だ」
「は?」
今、なんと?
「さっき、寝たらだいぶ体調も良くなったしな。この分なら、今夜にでも、お前のこと抱けるかもしれないぞ」
「………え?」
「そうだな。下着はどれにするか?パジャマは色っぽいのなんて、持っていないよな?お前」
え?!え?!え?!
一臣様は勝手に、クローゼットの引き出しを開けた。それもなんだか、ちょっとわくわくしている感じで。
「うわ。なんだよ、これ。色気のある下着、まったくないじゃないか」
「きゃ~~~。勝手に見ないでください」
「お前に、買っておけって言わなかったか?もっと色気のある下着」
「言ってません。買ってません。それに、期待も何もしていませんから!今すぐ、部屋から出て行って下さ~~~~い!!!」
私はそう言って、一臣様の胸をどんどん押して、隣の部屋においやった。
し、信じられん。どうしたんだ。一気に一臣様のキャラが、スケベに変わっちゃってる。
いや。今までも、時々セクハラ発言も、セクハラなこともしていたけど。
「ミ、ミニスカートはやめて、こっちの長めのパンツを履いて行こうっと」
そう言いながら、私は着替えをした。
ああ、それにしても、平常心が、一気にどっかに消えて行ってしまった。