~その8~ 一臣様のトラウマ?
一臣様はまだ、バスローブだ。私は着替えをしようと隣の部屋に行くと、
「昨日と同じ服を着るのか?」
と聞いてきた。
「え、でも、泊まって仕事をするかもしれないって、みんな知っているし」
「あ、なるほどな」
「それに、着替えもありません」
「等々力がお前の家まで取りに行ってくれるだろ。化粧品はあるのか?」
「あ!ないです」
そうだった。昨日顔洗ってすっぴんだった。
「お前最近、薄化粧だし、すっぴんでも大丈夫そうだけどなあ。ただ、鼻の頭やおでこ、てかりそうだよなあ」
「……」
てかるって…。
「やっぱり、ブラウスと化粧品くらい、持って来てもらったらどうだ?俺も樋口が着替えを持って来る」
「そうなんですか?」
「ああ、突然泊まることになった時には必ずな」
そうなんだ。
「じゃあ、そうします」
すると、すぐに一臣様は携帯を取り出し、等々力さんと樋口さんに電話を掛けた。
「朝飯も買ってきてくれるか?ああ。俺はコーヒーだけでいい。そんなに腹減ってないから、弥生の分だけ頼む。多めにな。あいつ、大食漢だから」
「だ、誰がですか」
隣で思わずそう言うと、携帯電話の向こうから樋口さんの笑い声が聞こえてきた。う…。樋口さんに思い切り笑われてるじゃないか。
電話を切ってから、一臣様はにんまりとした顔で私を見て、
「樋口、お前のこと気に入ってるよなあ」
と言い出した。
「え?」
「そういえば、立川や小平、お前がいなくて寂しそうだぞ」
「亜美ちゃんとトモちゃんですか?私も会いたいです」
「ははは。メイド達に会いたいっていうやつも、初めてだよな」
そうなのかな。私にとっては、メイドって言うより友達なんだけどなあ。
「バスローブ…」
「え?」
「お前が着ると、あれだな」
なに。絶対にいいことは言わないよね。色っぽいわけがないし、セクシーでもなんでもない。
「どっこも色気を感じないよな」
ガク~~~~。やっぱり。
どうせね。わかっています。言われなくたって。それに、だんだん一臣様が何を言うかまで把握できるようになってきた。
「一臣様は似合いますね。セクシーで」
なんとなく、ふくれながらそう言ってみた。すると、
「怖いな。そういうこと言うな。襲われそうで怖いぞ」
と、ドン引きされてしまった。
ああ、そうだった。こんなこと言ったら、そんなこと言われるって、それもうすうすわかってた。
「おい」
落ち込んでいると、一臣様が声をかけてきた。もしや、慰めようとしてかな。
「俺はバスローブの時と、Yシャツの時と、どっちが色気があるんだ?」
「はい?」
「お前言ってたろ?Yシャツのボタン外している時、鎖骨が見えて色っぽいって」
う。そうだった。そんなことまで暴露してしまったんだった。言わなきゃよかった。
「バスローブ着て、はだけてるのと、Yシャツではだけてるのと、どっちがセクシーなんだ?」
なんだってそんな質問してくるのかな。
「おい」
答えないでいると、しつこく聞いてきた。
「わ、Yシャツ」
「え?」
「一臣様、スーツ姿や、Yシャツが一番似合うから」
「………そうか」
あれ?それだけ?また、気持ち悪いだの、怖いだの言わないの?
「お前はあれだな」
「はい?」
「何着ても色気感じないな」
グッサリ。
「もっと、色気が出る下着を買ってこさせたら良かったな。昨日履いていたパンツだって、ベージュで色気も何もあったもんじゃなかったしな」
「セクハラ発言ですっ」
「え?どこが?」
「全部!!」
「いいだろ?フィアンセなんだから。他の女には言ったりしないぞ」
なんでいっつも「いいだろ」で済ますんだ。う~~~~~。
「ブッ!」
え?なんで笑ったの?
「お前、飼い主にほっておかれてふくれている犬か猫みたいだな」
「は?」
「あははは」
なんでそうなるの。もう~~~~。
朝から、なんなんだ。この会話。
一臣様はテレビをつけてニュースを見だした。まだ、バスローブでソファに座っている。足も組んで余裕の顔だ。
胸元がはだけてて、見えちゃってる。やっぱり、一臣様はどこかで鍛えているのかもしれない。お腹とか、腹筋かなりありそうだ。
ドキン。
そんなことを思ったら、思わず胸がときめいてしまった。
「なんでこっちを見て、顔赤らめたんだ?」
うわ!テレビ観ていたのに、なんでばれたの?っていうか、そういうことにやたら鋭いよね?
「なんでもないです」
「バスローブはそんなに色気ないんだろ?」
「は?」
「Yシャツでいるより、安全だと思ったのにな…」
それで聞いたわけ?どっちがより危険かを知るためだったとか?
「だ、大丈夫です。襲わないから安心してください」
「襲わなくても、うっとり見られただけで、寒気が走るんだけどな」
「な、なぜですか~~?」
「トラウマがある」
「え?」
「大学時代、いつもこそこそと影から俺を見ていたストーカーがいたんだ。目をうっとりさせていたかはわからない。何しろ瓶底みたいなメガネかけてたし」
私じゃないか?それって!
「怖かったんだ。いつも視線を感じると、じいっと俺をそいつが見てて、たまににやって微笑むんだぞ。すげえ怖いんだぞ」
「それ、私ですよね?」
「ああ。それ以来、女にじいっと見られるのが怖くなった。トラウマだ。あの瓶底メガネのストーカーのせいだ」
「だから、私ですよね」
「ああ。思い出しただけでも、鳥肌が立つ。それも、そいつ、俺が吸ったたばこの吸い殻、持って帰ったんだぞ!信じられないだろ!」
う…。だから、私ですよね…、それ。私がトラウマって、酷過ぎる。
「あの吸殻、どうしたんだと思うか?俺と間接キスするために持って帰ったのか?そういうこと考えただけで、ゾッとするだろ?」
あ、本当に一臣様、鳥肌立ててる。
「く、口なんてつけていません」
「じゃあ、なんで持って帰ったんだ」
「おまじないに使っただけです?」
「お、おまじない?」
一臣様が、思い切り顔を引きつらせた。
「高校の頃読んだ雑誌に書いてあったんです。好きな人が吸ったタバコを肌身離さず持っていたら、想いが通じて両思いになれるって」
「げ~~~。気持ち悪いっ!」
え?
「そんなの信じたのか?じゃ、お前、肌身離さず持っていたのかよ?」
「はい。ハートの形の巾着袋作って、その中に入れて」
「聞かなきゃよかった。よけい怖い」
なんで~~~?乙女心をどうしてそうも、踏みにじること言うのかな!
「そんなの、効果あるわけないだろ?まさか、今も持ち歩いているとか?」
「いいえ。アパートからの荷物の中に入っていなかったんです」
「良かった。きっと樋口が気持ち悪がって捨ててくれたんだ」
グッサリ。なんだ、その言い回し。捨ててくれたって…。良かったって…。
「効果なかっただろ?」
「え?」
「俺に気持ち悪がられただけだろ?そんな、わけのわからないこと信じて、もう気持ち悪いことするなよな。頼むから」
「はい」
「お前!俺が寝ている隙に、わけのわからんもん飲ませたりしていないだろうな」
「ど、どんなものですか。それ」
「恋の媚薬とか言って、通販で売ってるような怖い代物だ」
「飲ませませんし、買いませんし、そんなの見たこともないです」
「あったら買って試しそうだよな」
「確かに」
「え?」
「いいえ!試しませんし、買いません!」
もう~~。私を何だと思ってるんだ。魔女でもないし、ストーカーでもないのに。フィアンセなのに。
絶対にフィアンセだなんて思っていないよね。いまだに、ストーカーだって思われているかもしれない。
ドスンドスンドスン。あ、また岩が、何個も落っこちてきた。
なんだって、2人で迎えた朝に、こんな落ち込んでなきゃならないんだ。
ああ。迎えたも何も、ただ、添い寝して起きただけのことだし。ペットだし、私。いや、ペット以下かもしれない。きっと、一臣様、ランには私より優しくて、私より可愛がっていたかも。
ドッスーーーーン。あ、最上級くらいの岩が…。頭上に…。
「一臣様、スーツの替えと、朝食とコーヒーお持ちしました」
その時、樋口さんの声がインターホンから聞こえてきた。
「ああ、取りに行く」
「中にお持ちしますが」
樋口さんがそう言うと、一臣様はちらっと私を見て、
「いい。弥生がまだ、バスローブなんだ。等々力が着替え持って来ていないから」
と、正直に言ってしまった。
「そうですか。わかりました」
樋口さんがそう言ってインターホンを切ると、一臣様は部屋から出て行って、スーツと紙袋を持って戻ってきた。
「ほら。なんかいっぱい買って来たみたいだから食え」
「はい」
一臣様はコーヒーを取り出し、それを一口飲んでから、隣の部屋にスーツを持って行って、着替えて戻ってきた。なぜか、Yシャツはぴっちり、一番上まで止め、しっかりとネクタイまでしている。
「ボタン開けてると、お前、飛びついてきそうで怖いからな」
「飛びつきません」
「いや、わかんないだろ?衝動的にっていうのも、あるからな。油断ならないよな」
私って、いったい、なんなんだ。もう~~~~。泣きたい。
「おい」
「はい?」
「落ち込んでいるのか?」
「…はい」
暗くじめっとソファに座っていたからか、そう一臣様が言って来た。そういうのにも敏感なんだな。
「落ち込んでいるところを悪いが、胸、思い切りはだけてるぞ」
「え?!」
うわ!本当だ。バスローブのひもが緩んでいた。気づかなかった!
「上から見たら丸見えだった」
「胸がですか?!」
ぎゃあ。丸見えって?私、ブラジャーも外していたんだ。昨日のブラ、やけに窮屈で。
「ああ、乳首が丸見えだった」
ええええええっ。
真っ赤を通り越し、私の顔は青くなったかも。慌ててバスローブを直して、しっかりとひもを締め直した。
「よかったな。俺で」
「よくないです」
「樋口を中に入れていたら、樋口にお前の乳首見られていたんだぞ」
うぎゃ。そうだ。危ないところだったんだ。
「やっぱり、部屋の中に入れないでよかったな」
「はい」
ん?でも、俺でよかったなっていうのは、どうなの?
「だけど、一臣様に見られたんですよね」
「別にいいだろ?」
「い、いいわけないです」
「まだ言ってるのか?もう、お前の裸見ているんだから、何度見たって同じだ」
「同じじゃないです~~」
「それにフィアンセなんだからいいだろ?」
「よくないです。恥ずかしいです。それも、こんな胸で。もっと、大きくって、自慢できるような胸なら見せても落ち込まないけど」
「なんだ、それ」
そう言って一臣様は大笑いをした。
笑うところ?今のって。
「俺にはいいけど、他の奴には絶対に見せるなよ」
「見せる機会なんてないですから」
「わかんないだろ?バスローブ着ていたってお前、はだけちゃってるくらいなんだから」
「バスローブなんてそうそう着ません」
「だから、ここでもし、また着る機会があっても、誰にも見せるなって言ってるんだ。俺にだけにしろよな?」
一臣様にはいいわけ?それが一番恥ずかしいような気もするけど。でも、もう見られてはいるんだよね。しっかりと。
黙って俯いていると、
「早く朝飯食えよ」
と言われた。
「はい」
「そんなに落ち込むな。お前の胸、捨てたもんじゃないから安心しろ」
捨てたもんじゃない…って?
「俺はあんまり巨乳って好きじゃないし。まあ、あんまりないのも寂しいけどな。お前くらいがちょうどいい。サイズ的にも形的にも、色も俺好みだし」
は?サイズ?形?い、色?!
「お前の胸見て、がっかりなんかしていないから、だから、安心して朝飯食え」
「………」
微妙。喜んだり安心することかな、今の。「わあい、よかった」って、手放しに喜べないよね。
ただ単に、一臣様のスケベ発言を聞いただけのような気もする。
っていうか、そんなこと思って私の胸見てたの?いつ?あ、お風呂で寝た時。
ぎょえ~~~~~~~~~。まさかと思うけど、まさか、じっくり見られたわけじゃないよね?裸。
「あの」
「なんだ」
「お風呂で寝ちゃった時、タオルで拭いてくれたんですよね?」
「ああ」
「……ぜ、全身ですか?」
「ああ」
うっわ~~~~~~~~~~~~~~~~~。今さらだけど、恥ずかしさがこみ上げてきた。
「あの」
「なんだ。まだ質問があるのか」
「はい。それって、適当にぱっと拭いただけですよね?」
「いいや。ベッドが濡れるのは嫌だからな。きちんとしっかりと拭いたぞ」
い、いや~~~~。聞きたくなかった。でも、聞いてしまった。
「何を今さら、赤くなっているんだ。もうだいぶ前のことだろ?」
「でででででも」
でも~~~~~っ!
「だから、何回も言ってるだろ?胸見られたって、ケツ見られたって、触られたって、今さらだから恥ずかしがっても無駄だぞ」
うわわわわ。ストーカーみたいに私を怖がっている人の発言とは思えない。絶対に今の一臣様の発言のほうが怖いってば。
「いいだろ。いつかはどうせ、俺に抱かれるんだから」
ぎゃあ。また言った!
「なんなら、今、抱いておくか?」
「ひえ~~っ!」
嘘でしょう!!嘘だよね?冗談だよね?
「冗談だ。そんなにまじに受け取って、顔赤らめるな。怖いぞ」
ガク~~~~~~~~~~~~~~~~~。
脱力…。
ああ、もしかして、もしかしなくても、私はずっとからかわれているだけかもしれない。
「はははは」
ほら。笑ってるし。
「早く飯食えよ。始業の時間にも間に合わないぞ。会社のビル内にいて遅刻ってありえないだろ」
「………はい」
もう、1日分の力を使い果たしたくらい、脱力感でいっぱいだ。ガックリ。