~その5~ 添い寝
お弁当を持って、エレベーターに乗り、カードキーを差し込んだ。ドアが閉まり、エレベーターは15階へと上がって行った。
わあ。ドキドキ。自分専用のカードキーがあるなんて!
そして、一臣様のオフィスの前でIDカードをかざし、中に入った。受付にも誰もいなかった。
トントン。一臣様の部屋のドアをノックした。あ、ノックより、インターホンのほうが良かったかな、と思った次の瞬間、ガチャリとドアが開いた。
「入れ」
「はい」
一臣様は、上着も脱いで、ネクタイも外していた。
そのうえ、シャツの第2ボタンまで外していて、鎖骨まで見えて色っぽい。
いっきにドキドキしてしまった。顔を赤くして部屋に入ると、
「変な期待していないよな?」
と、一臣様にでこぴんをされてしまった。
「し、していません!」
もう~~。でこぴん痛いって言っているのに。
「じゃあなんで、顔を赤くしながら部屋に入ってくるんだ」
「それは…。その…。シャツが」
「シャツ?」
「だ、第2ボタンまで開いていて、一臣様の鎖骨が見えちゃって…」
色っぽい。とそこまで言ったらまた変態だって言われちゃう。…と顔を熱くしていると、
「やっぱりこえ~な、お前。シャツの開いている隙間から、鎖骨なんか見るなよ」
と、一臣様は第2ボタンを閉めてしまった。
う…。言わなかったら良かったかなあ。それになんだっていつも、怖がられるんだろう。サクッと傷つく。
「弁当は?」
「はい、持ってきました」
「じゃ、また渋いお茶頼む」
「でも、眠れなくなっちゃいますよ?」
「ああ、そうか。じゃ、普通の濃さのお茶頼む」
「はい」
私は緑茶を淹れて、テーブルに置いた。一臣様はすでにお弁当を広げていた。
「へえ。卵焼きか」
「甘いのですけど、大丈夫ですか?」
「ああ」
一臣様はばくっと卵焼きを食べ、「うまい」と言ってくれた。
「卵焼きなんか、生まれてこの方、一回か2回くらいしか食ったことないけどな」
「え?そうなんですか?お弁当に入っていなかったんですか?」
「手作りの弁当を食う機会がなかったからなあ。遠足だの運動会だのも参加したこともなかったし」
「なんでですか?!」
「忙しかったからだ」
うそ。小学生の頃の話だよね。
「これはなんだ?」
一臣様は豚肉のゴボウまきを指差した。
「え?それはゴボウを豚肉で巻いてあるもので」
「へ~~~え」
ぱくっと食べて、また一臣様は、「ああ、いける」と満足げな顔をした。
なんか、嬉しい。
「じゃあ、こっちのはなんだ」
「きんぴらごぼうですけど」
「ゴボウだらけだな」
「すみません。ゴボウ余らせてももったいないから、一気に使おうと思って」
「…ああ、これもうまいな」
うそ。なんか、全部うまいって言って食べてくれてる!
感激だ~~~。涙でそう。
「なんだよ。そんなに泣くほど腹減ってるのか?少し食うか?」
ガク。
「違います!お腹が空いてて泣いてたわけじゃありません」
「じゃ、なんで泣くんだよ。俺がお前の弁当食べたからか?食べ物の恨みか?」
「違います!一臣様が美味しいって言って食べてくれるから感激していただけです」
「なんだ?そりゃ。変な奴だな」
う~~。もう~~。変じゃないよ~~~!
5分後、樋口さんがまた高級そうなお弁当を買って持って来てくれた。そして、そのお弁当をテーブルに乗せると、そそくさと樋口さんは出て行ってしまった。
「あ。ここで食べて行かないんですか?樋口さんは」
なんだか、早々と出て行っちゃって寂しいなあと思いつつ、そう一臣様に聞くと、
「気を利かしたんだろ」
と一言そう言ってお茶をすすった。
「ああ、腹いっぱいになった。おい、お前も早くに食えよ」
そう言ってカラになったお弁当を一臣様は片づけ、それからソファにゴロンと寝そべった。
「そのソファ、大きいですね。ベッドにもなりそう」
「ああ、なるぞ。この背もたれも倒せるしな。今は面倒だからしないけどな」
「そうなんですか?」
「ソファベッドっていうやつだ。隣りのクローゼットにはタオルケットや、掛布団も閉まってある。だから、いつでもここに泊まっていける」
「泊まったことあるんですか?」
「1回だけな。遅くになって帰るのが面倒で…。樋口と等々力だけ帰らせて泊まったことがあるけど、誰もいないオフィスってのも、気味のいいものじゃなかったからな。その一回キリだ」
「一人だけで泊まったんですか?」
「ああ。一人だけだ。隣りに女とかいなかったから安心しろ」
う。安心って…。いや、ちょっとだけ気になっていたと言えば気になっていたけど。
「ああ、そうか。今度はお前も泊まっていけばいいのか。なんなら、今日泊まっていくか?」
「え?」
「お前、武道家だろ。変な奴が来てもやっつけてくれそうだしな」
「そ、それは、やっつけますけど」
「ははは。そりゃ頼もしいな」
「生きていたらの話で、死んでるのは苦手です」
「ああ、お化けか、お前怖がりだもんな。俺だって得意じゃないぞ、苦手な方だ」
「そうなんですか?」
あれ?でも、そういうのは信じていないって言っていたよね。
「まあ、見たことがあるわけじゃないから、信じているわけじゃないけどな」
あ、やっぱり。
「弁当、早く食えよ」
「あ、はい」
一臣様は起き上がり、なぜかソファの背もたれの部分を動かしだした。
「何をしているんですか?」
「やっぱり、ベッドにすることにした」
「広くした方が、ゆったりと寝れますもんね?」
「いや。お前も添い寝するなら、ベッドにした方がいいだろうなって思って」
え?
「添い寝?」
「ああ、そうだ。だから、早く食い終らせろよ」
ええ?!
喉が詰まりそうになり、慌ててお茶を飲んだ。そして、早めにお弁当を食べ終え、テーブルの上を片づけた。
一臣様は、ソファの背もたれをすっかり平らにして、ベッドの形にした。それから、隣の部屋までてくてくと歩いて行くと、クローゼットを開けてタオルケットとやけに長細い枕を持ち出してきた。
ほ、本格的に寝るつもりなのかな?もしかして。
「ほら。ここに来いよ、弥生」
ドキン。一臣様はベッドに横たわり、その横に私を呼んだ。
なんか、なんか、こういうシチュエーションってドキドキしちゃう。
それも「ここに来いよ」なんて、甘い声で囁かれたら。
ドキドキしながら、私は一臣様の隣に寝そべった。すると、一臣様は私と自分にタオルケットをかけ、
「あ、一気に眠くなってきた。お前って睡眠薬よりすげえな」
とそう言うと、すぐに目を閉じてしまった。
あ…。だよね…。本当に寝るだけだよね。うん。
わかっていたけど、「ここに来いよ」の言葉がやけに、甘く響いちゃって、勝手にドキドキしちゃった。
あれも、勝手に甘い囁きに聞こえただけで、深い意味なんて全くなかったんだよねえ。
数分後、一臣様から寝息が聞こえてきた。
スースーという寝息。寝顔を見ると、なんだかあどけない子供のようだった。
可愛いかも。
そっと髪を撫でてみた。
うわ。愛しいかも。キュン!
一臣様からはいつものコロンの香りがしてきて、私の胸がときめいた。そして、知らぬ間に私も眠ってしまっていた。
あったかい。
心地いい。
ここはどこだっけ?
あ、この香りは一臣様の香りだ。じゃあ、一臣様の部屋だ。それで、ここは一臣様のベッド。ああ、私、お屋敷に帰ってきたんだっけ?
「うわっ!!!!」
耳元でものすごい声が聞こえて、一気に目が覚めた。
あれ?ここ、どこ?一臣様、Yシャツ。なんでパジャマじゃないの?
「なんでお前まで寝てるんだよ。寝過ごしただろっ!!!」
「え?!」
「もう5時だ!あ~~~~。信じられない!」
「………」
そうだった!今、把握できた。ここ、一臣様のオフィスで、仮眠を取っていたんだった。それで、私は添い寝をしてて。
え?5時?!
「もしかして、何かアポイントありましたか?それとも、会議とか、どこかに出かける用事とか」
「ああ。でる用事があった。でも、なんだって樋口はほっておいたりしたんだ。あいつ…」
一臣様は、立ち上がりデスクの前に行き、インターホンで樋口さんを呼んだ。
「はい」
「樋口!お前、なんで起こさないんだよ!」
「起こしましたが、お二人ともとてもよく寝ていたので、先方に電話をして、また別の日に替えていただきました」
「はあ?!寝ていたからって、お前…。部屋に入ってきたのか?」
「はい。何度もインターホンで呼んだのですが、返事がなく心配になったので」
「そ、そうか。で、先方は怒っていなかったか」
「はい。急ぎの用でもないですし、大丈夫でしたよ」
「そうか、悪かったな」
一臣様はそう言ってインターホンを切ると、はあっと溜息をつき、私の横に座りに来た。
「……よく寝ちまった」
「ごめんなさい。私も寝ちゃってた…」
それも、樋口さんに添い寝していたことばれちゃったよ。
「いい。俺も、アラームも何もかけていなかったんだし、ちょっとでも寝れて楽になった」
本当に?
「だけど、たった数時間ですよね?」
「ああ」
「もっとしっかりと、ちゃんと寝たほうがよくないですか?」
「じゃあ、泊まっていけよ」
「え?」
「今日、ここに泊まっていけばいいだろ?お前がいたら俺も寝れるから」
「え?!」
泊まる?ここに?2人きりで?
「あ、赤くなっているところ悪いが、襲うつもりはこれっぽっちもないからな」
一臣様は、片眉をあげそう言うと、大きな伸びをして、
「は~~あ、5時か。たまってた書類でも、目を通すとするかな」
と言って、立ち上がった。
そしてデスクに乗っかっていた書類の束を持ち、一人がけのソファに座り、足を組んだ。
「弥生。今度は濃いコーヒー淹れてくれるか?」
「はい」
私もソファから立ち上がり、そそくさとコーヒーを淹れにいった。が、
「あ、お前、スカートくしゃくしゃ。それに髪もぐしゃぐしゃ」
と、私の後姿を見た一臣様に言われてしまった。
「え?本当に?」
一臣様はちょっとだけYシャツに皺がより、髪もちょっとだけ乱れているくらいで、どこもくしゃくしゃになっていないのに。
「そんなで、秘書課に戻ったら、まるで俺に襲われたみたいに思われるな」
ええ?!
そ、そんな~~。
「まあ、いいか」
「よくないですっ」
なんでそこで、まあいいかって言っちゃうわけ?
「でもなあ、髪はどうにかなるにしても、服までは着替えもないしなあ」
「……で、ですけど」
「あ、あった。確か、アイロンがあったな。スチームアイロンで、すぐにスーツの皺が取れるって便利なものが」
一臣様は隣の部屋に行き、クローゼットのドアを開いた。私も後ろからついて行って、中を覗き込んだ。
あ。お屋敷の私の部屋にあるクローゼットみたいにでかい。洋室一個分があるかもしれない。
「どこだったかな。あ、これか」
一臣様はアイロンを見つけ出し、
「自分でかけれるだろ?」
と、私に手渡した。
「はい」
と受け取ったはいいけど、その間、スカートは脱ぐんだよね?
「どこで、アイロンはかけたらいいですか?」
「クローゼットにハンガーあるだろ。それにかけて、その辺につるして、スチームで皺のばせばいいんじゃないのか」
なるほど。
「じゃあ、こっちの部屋で」
どこにハンガーを掛けようかと悩んでいると、
「ここに、ハンガーを掛けるフックがある。葛西もここでハンガーつるしてスチームで直していたから、ここでいいんじゃないのか」
と、一臣様が隣の部屋から声をかけてきた。
「え?」
「ここだ。ほら、こっちに来いよ」
「でも、スカート脱ぐから」
「ああ。別にお前のパンツ見たって、欲情しないから安心しろ」
そうじゃなくって!
「み、見られるのが恥ずかしいんです」
「なんでだ?パンツどころか、ケツももう見てるから、恥ずかしいこともないだろ」
「へ?ケツ?」
「お前のケツ。それどころか、全身もだ。今さらパンツ見られて恥ずかしがることもないだろ?全部俺に見られてるんだから」
うぎゃ~~~。そうか。この前、お風呂で寝ちゃったから!
「早くしろよ。髪も直して、一回秘書課に戻らないと、さすがに細川女史に怒られるぞ」
「え?」
「俺が…」
一臣様が怒られちゃうの?細川女史って何者?!
私は恥ずかしいけど、意を決してスカートを脱ぎ、それをハンガーにつるし、フックにかけ、スチームを当てた。さすがだ。きっとかなりの高級品のアイロンか、高級品のスカートだ。すうっとすぐに皺は消えて行った。
「ああ、ちゃんと皺、消えたな。良かったな」
いつの間にか一臣様は私の後ろに立ち、私のスカートを見てそう言った。
「うぎゃ!」
「うぎゃ?」
「なんでここにいるんですか?向こうに行っててください!」
「いいだろ?ちゃんと皺が取れているか、見にきてやったんじゃないか」
「大丈夫ですから!」
恥ずかしいよ。ブラウスだけ着て、下はパンツとストッキングだけなんだよ。こんな変な恰好、めちゃくちゃ恥ずかしいんだから。
「………」
うわ!一臣様、思い切り視線が私の下半身に行ってる!もしや、不格好な脚をしているなとか、思っちゃってるとか?!
「み、見ないでください」
「なんでだ?」
「なんでって、恥ずかしいから」
慌てて、スカートをハンガーから取り、慌ててスカートを履いた。
でも、それもじいっと一臣様は腕を組んで見ていた。
もう~~。なんで、向こうに行ってくれないの?なんだって、見ているわけ?それも思い切り、堂々と見てるよね?悪びれず。
「そうか」
「え?」
「なるほどなあ」
何がなるほど?!
「ぴちぴちか…。やっぱり、ムカつくよなあ。あのエロ爺」
「……へ?」
グイッ!一臣様は私の背中に腕を回し、いきなり私を抱き寄せた。
なななな、なぜ?なんで抱き寄せたの?
「やっぱり、エロ爺たちに気をつけろよ」
「え?」
「ぴちぴちの太ももや、ケツ、触らせたりするなよな」
「触らせたりしないですから!だいたい、なんだって、そういう状況になるんですかっ」
「わかんないだろ。エレベーターで一緒になって、いきなり爺が具合が悪くなってふらつく演技とかしてこうやって抱きついてきたら、ほら、いくらでもケツでも太ももでも触れるだろ」
「きゃあ。だからって、なんで、一臣様が触ってくるんですか」
一臣様は、私のお尻を撫でてから、そのまま太ももまで触ってきた。
「俺はいいんだよ」
「よくないです!」
「いいんだよ」
「セクハラです!立派な」
「はあ?!セクハラ?俺はお前のフィアンセだぞ。フィアンセがケツ触って、なんでセクハラなんだよ」
え~~~~~~~?!!!!
「だがな、他の男がこんなことしたら、立派なセクハラだから、させるなよなっ。わかったか」
「………」
わかりません。なんで、一臣様はいいわけ?
「返事は?!」
あれ?いいのか?フィアンセだから、いいのかな?
「返事は~~~!?弥生!」
「……はい」
仕方なく、はいと答えた。
それにしても、さっきからずっと一臣様は私を抱きしめてるけど、胸がドキドキしちゃってて、おかしくなりそうなんだけど!
そんな胸がドキドキしてて、半分パニックを起こしていたから、私はさっき一臣様が言っていたことをスルーしてしまっていた。
そして、あとで思い出して、愕然とした。
「葛西もここで、ハンガーでつるしてスチームかけて直していた」
葛西もここで…。って、何?
葛西さんも、スカートがくしゃくしゃになるようなことがあったの?!
その言葉はしばらく私の頭の中から、離れなかった。