~その4~ 一臣様の女性事情
5時半。定時に私は会社を出た。それからビルの前のカフェに行き、コーヒーを買って席に着いた。
そのカフェからは、会社がよく見えた。正面玄関からは、どんどん緒方商事の社員が出てきた。
「ああ…。こうやって見ていると、みんなお洒落をしているんだなあ」
時々、スーツ姿でバチッと決めている女の人もいた。
「スーツもカッコイイなあ」
でも、フリフリのブラウスと、フレアーのスカートの女性も綺麗だし、パンツをかっこよく着こなしている女性も綺麗だし、なんだか素敵女性ばかりが、この会社にはいるんじゃないかと思えるほど。
「見た目重視の会社だったりして…」
なんて思っていると、なんと一臣様が綺麗な女性とべったりくっついてエントランスを抜け出てきた。
え、え~~~?!誰?
めちゃくちゃスタイルがいい、胸の大きな、ものすごく女っぽい女性だ。体の線を強調するような身体にぴったりのスーツを着て、ロングのふわふわの巻毛…。色白で目が大きくて、めちゃくちゃセクシー…。
一臣様は、エントランスの前にス~ッと止った車の後部座席にその人を乗せ、自分も乗り込んだ。そして、その車はス~~っと走っていってしまった。
「だ、誰?」
信じられない光景を目の当たりにして、私はしばらくそのまま窓ガラスから外を呆然と眺めていた。
「お待たせ」
ガタン…。アイスコーヒーを持って、前の席に久世君が座った。
「どうしたの?顔、死んでるけど」
「今、一臣様が、ものすんごいセクシーな女性と出てきて、車に乗っていった…」
「一臣っていうと、社長の息子の?」
「…うん」
「へえ。弥生ちゃんも玉の輿狙ってるの?」
「違います。ただちょっと、気になって…」
「その女性は多分、社長の秘書の青山さんじゃないかな」
「青山さん?」
「青山ゆかり。27歳。去年一臣氏が緒方商事に入社した時から、ずっと一臣氏にべったりくっついているよ。それまでは、社長のご機嫌取りばっかりしていたけどね」
「そ、そうなんですか」
「一臣氏には、葛西っていう女性の秘書がいるんだ」
「葛西さん、今日会いました」
「ああ、会った?見た目清楚で、しっかりしていそうな女性でしょ?」
「はい。グレーのスーツがバシッと決まっていました」
「葛西尚美。26歳。昨年までは副社長の秘書をしていた。葛西尚美も一臣氏とできているんじゃないかって噂がある」
「え…」
できてるって?!
「他にも、経理部で一番の美人と言われている24歳の上野さん。海外事業部のやり手、エキゾチックな美人の29歳の広尾さん。人事部のスタイル抜群の25歳の神田さん。その辺とも、随分と親しいようだよ」
「…そ、そ、そんなにたくさんの女性と?」
「社内で目立つのはね。でも、社外でもいるんじゃないかな。モデルとか、女優とか、キャビンアテンダントとか…」
「…そそそそ、そんなに?」
「まあ、緒方財閥の御曹司だ。モテてしまうのは仕方ないよね。だけど、どの女性も遊びみたいだね」
「え?」
「どうやら、まだ正式な発表はされていないけど、彼には婚約者がいるらしい。っていう社内の噂を聞いたことがあるよ」
「久世君、詳しいんですね」
「こういう情報はどこからでも入ってくるし、何度か社内でイチャイチャしているところも見ちゃっているからなあ」
「だ、誰と?」
「だから、今言った女性たちと」
「で、ででで、でも…」
「ああ、女性の方も、本気じゃないことはわかっていて、付き合ってるみたいだね」
「そそそ…、そうなんですね」
だ、ダメだ…。目の前が真っ暗になってきた。
「さてと。まずは、そのメイクとヘアー、変えてもらおいに行こうか。俺の姉さんの美容院、連れて行ってやるよ」
「はい」
フラフラと私は立ち上がった。きっと、一臣様の周りには、美人の女性がたくさんいるんだ。私なんかがどう頑張っても、太刀打ちできないような…。
でも、それでも、ちょっとでも素敵な女性になりたい。ちょっとでも、一臣様にふさわしい女性に。
久世君のあとをついて行きながら、私はふと疑問に思い、久世君に聞いた。
「久世君はどうして私に、親切にしてくれるんですか?」
「え?」
「なんだって、見知らぬ人に優しく声をかけてくれたんですか?」
「ああ、だって…。見るに見かねてって感じかな。あんまりにも酷かったんだもん」
「え?」
そ、そんなに酷い?
「素材はそんなに悪くないのに、勿体無いよ。その化粧や髪型。それに、服のセンス…。靴も鞄も全部がチグハグ。どこで揃えたの?それ」
「ファッション誌を見て、近くのお店で似たのを見つけたり、どこにもなかったら、布買って作ったり」
「自分で?」
「はい」
「裁縫できるんだ。俺もできるよ。俺、実は服をデザインするより、作る方に興味あるんだ。古着買ってきてリメイクとか。でも、そういうの父親に反対されててね。で、未だに反抗して大学も卒業せず、こうやってフラフラしてるわけ」
「やりたいことがあるのに?頑張って認めてもらったらいいのに」
「古着のリメイクなんか、最先端をいくデザイナーの息子の仕事じゃないって言われた」
「どうしてですか?エコにもつながるし、すごく素敵なことなのに」
「あれ?そう思ってくれるの?弥生ちゃん」
「はい。私も学生時代は、フリーマーケットで安く洋服を買って、ボタンを付け替えたりして着ていました。ああいうのって、楽しいですよね」
「ああ、嬉しいなあ。わかってくれる人がいて」
久世君はにっこりと、まるで少年のような笑顔を見せた。
「弥生ちゃん、いい子だね。脚立持って蛍光灯を交換しに行くっていうのを見た時から、只者じゃないって思ったけどさ」
「変わっていますか?みんなに笑われたり、驚かれたりしたんですけど」
「いいんじゃない?あの会社にはいない人材。けっこう貴重かもね」
久世君はまた、無邪気な顔で笑った。
美容院は10分と歩かないところにあった。
「姉さん!連れてきたよ」
「待っていたわよ~~。弥生ちゃん?まあ。肌も綺麗そうだし、化粧を変えたら、可愛くなりそうじゃない」
「だろ?髪型も変えてあげて。こういうの姉さん、ワクワクするだろ?」
「あ。あの。上条弥生です。よろしくお願いします」
「さっき、携帯で将嗣から聞いたわ。弥生ちゃん、庶務課に配属されて、蛍光灯の交換しちゃうような頑張り屋さんなんだって?」
「え?そ、そこまで知っているんですか?」
「面白い子、好きなのよね。将嗣って」
面白い子って…。まあ、いいけど。
「ここに座って。まずはクレンジングで化粧を落として…。それから…」
大きな鏡の前に座り、久世君のお姉さんに顔を色々といじられた。
「髪、パサパサなのね。いつも安いシャンプーなんじゃないの?」
「あ、はい。特に気にしたことなくて」
「ダメよ。いいシャンプーを使ってあげて。今日はプレゼントするから」
「え?いいです。ちゃんと買います」
「いいわよ。お給料もらって余裕が出てきたら、買いに来て」
「ありがとうございます」
シャンプー台に移ると、助手らしき女性の人が髪を洗ってくれた。それから、また久世君のお姉さんが来て、私の髪を切ったり、ドライヤーで乾かし、セットしてくれた。
「ほら。こんなにサラサラになった。前髪と後ろもだいぶ切ったわ。美容院にも全然行っていなかったんじゃない?枝毛もたくさんあったわよ。ほら見て。ボブの髪型、似合っているわ」
「…なんだか、若返ったような気が…」
「でしょう?さあ、このあとはお化粧ね」
お姉さんは、私の顔にファンデーションを塗ったり、ほほ紅、アイシャドー、アイラインなど、化粧を丁寧にしてくれて、最後に淡いオレンジの口紅を塗った。
「どう?将嗣」
「すげえな。見違えたよ」
私も鏡を見て驚いた。まるで別人だ。
「なんでこんなにナチュラルな化粧ができるんですか?!」
「ふふふ。弥生ちゃんは肌が綺麗だし、ベビーフェイスだし、化粧を濃くしたらもったいない。化粧をしているかしていないか、わからないくらいのナチュラルメイクが似合うわ。淡いオレンジやピンクがとても似合う」
「……でも、なんだか、子供っぽくなっちゃったみたいな…」
「そこがいいのよ!こんなベビーフェイスの可愛い子が、脚立持って蛍光灯を交換する。なんだか、グッときちゃうわよね?将嗣」
「あとは服だよな。その顔に、その服はあんまりにもチグハグだ」
「そうね。はい。じゃああとは、お母様のお店に行って、変身してきて」
「ありがとうございました」
私は丁寧にお辞儀をして、また久世君の後をついて行った。
お母様のブティックもすぐ近くにあった。
「うわ~。こんなお店、入ったことないです」
入るのに躊躇していると、久世君に背中を押された。
「いらっしゃい。弥生ちゃんね?待っていたわ」
久世君のお母様だ。お姉さんによく似ている。とても上品な感じなのに、艶やかだ。
「姉さんにヘアメイクはしてもらったんだ。弥生ちゃんに似合う服ってあるかな?」
「そうね。ベビーフェイスで、華奢な体つきをしているのね。じゃあ、パンツよりスカート。それも、フワッとした感じのスカートが似合いそう。ワンピースでも可愛らしいのがいいわ」
「あ、ダメです。仕事着にはなりません。脚立も持てなくなっちゃう」
「あ、そうか。庶務課なんだっけ?じゃあ、やっぱりキュロットや、パンツなら、膝丈かな。ブラウスは柔らかい感じの生地で、色は淡いパステルや、ドットも可愛いわね」
何枚かお母様はブラウスとパンツを持ってくると、
「試着してみて」
と試着室に連れて行かれた。
最初に手渡されたブラウスとパンツを着て、試着室を出ると、
「可愛いわ。とても似合う」
と久世君のお母様が喜んだ。
「それから、靴はこれね。あと、その服に合う鞄はこれかしら」
服から靴から鞄から、一式プレゼントしてもらった。
「あの、やっぱりこれ、ちゃんとお金払います」
「いいのよ。それ全部、今年のイチオシ。それを着ていってくれるだけで、主人のデザインした服の宣伝になるわ」
「え?これ、George・kuzeさんのデザインした服ですか?」
「そうよ。昨年、この店をオープンしたんだけど、今まではもっと斬新なデザインの服ばかりだったの。でも、可愛らしく柔らかいイメージの服も昨年から、George・kuzeのブランドに揃えることにしたのよ。この店の名前も、ジョリ・クゼ。ジョリはフランス語で可愛いっていう意味なのよ」
「わあ。そうなんですか!このお店、本当に可愛い洋服がいっぱい並んでいますもんね!」
「気に入ってくれた?これからもご贔屓にしてね」
「はい!」
でも、高そう!
久世君と一緒にお店を出た。
「車で家まで送っていくよ。うち、すぐそこなんだ」
「え?いいです!電車で帰ります」
「いいよ。遠慮しないで。荷物たくさんあって、大変でしょ?」
「大丈夫です。こういうのは慣れていますから。今日は本当にありがとう。今度、何かお礼をしますね」
「ああ、いいって。あ、でも、そういうことなら、1回、母さんが選んだ服でデートしようか」
「え?!!」
私がびっくりすると、久世君は笑って、
「そんなにびっくりしなくても。それとも彼氏いるの?」
と聞いてきた。
「彼…はいませんけど」
婚約していることは、まだ隠していないとならないし。
「ごめんなさい。父がうるさくて、そういうのは許してくれないと思うので」
「え?そんなに厳格なお父さんなの?大変だね」
「別の何かでお礼をします。今日は本当にありがとう」
私はもう一回、深々とお辞儀をすると、久世君と別れた。
「…化粧品もいくつかもらっちゃったし、シャンプーとトリートメントまでもらっちゃった。よかったのかなあ」
と独り言を言いながら、駅に向かって歩き出した。
「でも、こんな綺麗に自分でお化粧、できるのかなあ」
だけど、一臣様のために頑張りたい。
「うん。頑張る!」
そう思いながら、駅までルンルンで歩いた。
「あ、お礼も、ちゃんと考えておかないと。私が出来るのって、お弁当を作ることくらいかな。明日も、久世君は緒方商事に来るのかな」
空はもう暗くて、丸いお月様が出ていた。
「もしかして満月かな」
その月を見て、セクシーな青山さんと一緒に車に乗っていった一臣様を思い出した。
「あの月みたいに、もしかしたら私には絶対に届かない存在だったりして…」
そう思うと、胸がチクンと痛んだ。
でも、頑張る。
頑張る。
何をどう頑張ったらいいのかわかんないけど、頑張るからね。お父様!