~その5~ 重役会議
樋口さんがお昼を買ってきてくれた。どこかのお弁当らしいが、なんだか豪華だ。とても高そうだ。コーヒーまで樋口さんは淹れてくれて、私と一臣様は、ソファに座りそこで食べた。
真ん前に座った一臣様は、お弁当を食べ終えると、
「ああ、そういえば…」
と、思い出したかのように私の顔を見て、
「お前の弁当も、食ったっけな」
とそう言った。
「はい。このお弁当に比べたら、すっごく庶民的なお弁当でしたよね?」
「そうだな。あんまり食べたことないものばっかり入っていたぞ」
そうなんだ。ごくごく普通の食材だと思ったんだけどなあ。
「だけど、この弁当よりうまかったぞ」
「え?わ、私のお弁当のほうがですか?!」
「ああ」
う、嬉しい~~~~!!
「ははは」
あれ?笑われた。
「お前、本当にわかりやすいよな。全身で今、喜んでいたぞ」
あ、思い切り喜んだから、笑われたのか。ちょっと恥ずかしいかも。
「あれ?お前もコーヒーか?」
「はい」
「これは俺に合わせてあるから、苦いぞ」
「そうなんですか?」
「樋口に淹れなおさせるか。お前、甘党だもんな。苦いコーヒーダメだろ?」
「大丈夫です。飲めます」
「無理するな。砂糖入れる前にそのコーヒーを貸せ」
「…」
一臣様はデスクの上にあるインターホンで樋口さんを呼んだ。
「弥生は苦いコーヒーが飲めないんだ。紅茶を淹れてくれるか?それで、これは樋口が飲まないか?」
「はい。申し訳ありませんでした」
樋口さんはそう言って、ポットに水を入れに行った。
「自分でします。だから、樋口さんはそこに座って、コーヒーが冷めないうちにどうぞ召し上がってください」
「は?」
「まだ、ミルクもお砂糖も入れていないんです。樋口さんはいつも、ブラックですか?」
「はい。ですが…」
「どうぞ!座ってください」
私は樋口さんの背中を押して、ソファに座らせた。そして、ポットに水を入れた。
「すごいですね。この水って、天然水ですか?」
冷蔵庫の隣には、天然水を入れるウォーターサーバーがあった。
「ああ。それでコーヒーを飲むとうまいんだ。水だけで飲んでもうまいけどな」
「へ~~」
「紅茶もきっと美味しいぞ。コーヒーの隣に紅茶もあるだろう?あまり飲まないから、ティ―パックしかないけどな」
「あ、これですか?アッサムがある!これにします」
「アッサム、気に入ったのか?樋口、今度アッサムの茶葉、買っておいてくれるか?」
「はい、かしこまりました」
え?嘘。まさか、私のために?
「私、自分で探して買ってきます」
「はははは」
あれ?また、一臣様に笑われたよ~~。どうして?
「あまり、樋口の仕事を取るなよ」
「でも、そ、そんな雑用は…」
「雑用とは思っておりません。紅茶の美味しいお店を存じておりますので、そこで揃えますよ、弥生様」
「紅茶の美味しいお店?」
「くす。嬉しそうだな、弥生」
「え?」
また、ばれた?顏に出てた?
「目、輝いたもんな。そういうのは、樋口は得意だ。コーヒーのうまい店も、紅茶のうまい店も、樋口に任せておけばいい」
「はい。わかりました。お願いします」
私はそう言って、樋口さんにぺこりとお辞儀をして、それから紅茶を入れ、どこに座ろうかキョロキョロしてしまった。
「ははは。挙動不審になってるぞ。俺の隣に座ったらいいだろう?」
「あ、はい」
また、一臣様に笑われた。
「あ、申し訳ありません。さきほど、弥生様が座られていたところに、わたくしが座ってしまったから、困られていたんですね」
樋口さんが申し訳なさそうに私に言うので、私も焦ってしまった。
「いえ。いいんです。全然、私は大丈夫です。それに…」
「はい」
私はちょこっと隣に座っている一臣様を見て、
「隣も、いいなあって今、ちょっと喜んでいますし」
と、樋口さんに小声で言った。
「ああ、さようで…」
樋口さんはそこまで言うと、くすくすと笑いだした。
「飽きないよな、こいつといると。そう思わないか?樋口」
「そうですね。楽しいですね、とても」
私のことだよね。また、「飽きない」って言われた。でも、それは褒め言葉として受け止めておこう。
紅茶を飲んだ。あ、本当に美味しい。水が違うとこんなに違うんだな。
ふと、視線を感じて隣に座っている一臣様を見た。すると、なんだか優しい目で私のことを見つめていた。
「あの?」
「…いや」
一臣様は、ゆっくりと視線を外し、それからソファから立ち上がった。
「仕事を再開するか。弥生、あんまり時間がないから、さっさと書類に目を通せよ」
「はい!」
私も、テーブルの上を樋口さんと一緒に片づけ、また書類を黙々と読みだした。
重役会議での資料は、やたらと小難しかった。簡単に要約すると、この前一臣様が言っていた、緒方財閥で問題になっている赤字の子会社のことと、優秀な技術者をどう育てるかってことのようだ。
子会社だけでなく、経営不振の会社は他にもあった。驚いたことに、この緒方商事の経営も伸び悩んでいるし、緒方電気や、緒方自動車も、伸び悩んでいるといった感じだった。
「IT関係のほうに、もっと力を入れたいと思っているんだがなあ」
一臣様がぽつりとそう言った。
「どう思う?弥生」
「ITですか?それでしたら、ソフトにもですけど、コンピューターのハードや、他にもいろんな細かい機械の技術に力を入れてみてはどうですか?」
「弥生。この資料をちゃんと読んだか?優秀な技術者を根こそぎ持って行かれたんだ。その後、ヘッドハンティングしたりしながら、どうにかまた集めたが、まだまだ足りていないし、今いる連中も、今までいたやつらに比べたら、優秀とは呼べないような連中なんだ。そいつらをどう育てていくかが、これからの課題なんだが、育つのを待っているだけじゃ、どうしようもないだろう?だから、他の事業を展開していくってことを今、俺は考えていて…」
「優秀な技術者だったら、たくさんいるじゃないですか」
私はつい、一臣様の話の腰を折って、そう言ってしまった。すると一臣様は片眉をあげ、
「どこにだ」
と呆れた声で聞いてきた。
「工場です。緒方財閥には、たくさんの子会社や、工場がありますよね?」
「そこに、優秀な人材がいるっていうのか?」
あ、まだ一臣様、呆れてる。
「一臣様!私がいた鉄工所、行ったことありますか?」
「いや。ない」
私が思い切り、一臣様に顔を近づけ大きな声を出したからか、一臣様は少しのけぞり、声も小さくなった。
「みんな、すごいんです!特に工場長の腕は生半可なものじゃない。もう、神って呼んでもいいくらい!なんで、こんなに素晴らしい腕をしているのに、それをいかせないんだろうって、私、ずうっともどかしい思いもしていました」
「神?」
「それに、工場長の息子さん。設計とかがめちゃくちゃ得意で!こ~~んな小さなものまで設計できちゃうし、正確だし、緻密な計算から何から何まで、とにかく彼も神です」
「……そうそう、神、神って大げさだろ?」
「いいえ!それは、一臣様が見ていないから知らないだけです。見たら、「神技だ!」って、きっと叫んじゃいますよ!」
「……まあ、それは見てみないとわからないんだから、鵜呑みにするのはやめておくが…。だが、そうか。町工場や、子会社に、すごい人材が埋もれている可能性はあるよな」
「はい!製品開発だって、できるかもしれません。鉄工所にオーダーしてくる緒方機械。あそこにもいましたよ。時々、うちの会社に来て、羊羹食べながら話したんです。今度はこんなものを作ってみたらいいのにとか。その人、なぜか営業の人なんですけど、設計図書けるんです。それを鉄工所の工場長や息子さんが見て絶賛していました。なんで、営業なんかやっているんだ。今すぐ企画開発部に行けって」
「へ~~~。なんて名前の奴だ?」
「緒方機械の、営業2課の千川さんです」
「聞いたことのない名前だな。でも、珍しい名前だし、すぐにわかるだろう」
一臣様は、手帳を出すと、そこに千川さんの名前を記した。
「他には?」
「え?」
「他にも優秀な人間をお前は知っているか?」
「はい」
「誰だ?」
「緒方製鉄ってありますよね。あそこの鶴見工場の工場長です」
「工場長?」
「それから、工場長の部下の方も」
「なんで知っているんだ」
「そことも取引があって、私、よくお使いで行っていたんです。集金にも行っていたし」
「それで?どんなすごい奴らなんだ」
「えっとですね。彼らの腕も素晴らしいんですよ。それに、人材を育てるのが、一流なんです。もう、神です」
「またか…。神はわかったから、どうすごいんだ」
「あそこの社員、みんなすごいんですよね。でも、初めからすごかったわけじゃなくって、研修とか、先輩たちの教え方が一味違ってて。私も一回、その研修を見せてもらったんです。これは、勉強になると思って」
「へえ。弥生が?」
「女性もいたので、一緒に受けられるものは受けました」
「研修を?工場の?」
「はいっ。面白かったです」
「なんとなく、お前が喜びそうなのはわかる。それで、一味違っていると思ったのか」
「他の研修を受けたこともないし、だから私は比べられなかったんですが、卯月お兄様や、葉月に聞いたら、相当変わっているねって。でも、素晴らしい研修だから、うちでもそれをやってみるって言ってました」
「へえ。それはかなり、興味があるなあ」
「技術者を育てるのに、役立つかもしれません」
「そうだな…」
「はい!」
「………」
一臣様は、なぜか私を凝視した。
「お前、今日の会議、しっかりと聞いていろ」
「はい」
「それで、何か感じたことがあったら、メモっておけ。それで、俺に報告しろ」
「はい」
「それから、今言っていたこと、全部すぐに調べさせる。今後、もしかすると、お前にかなり協力してもらうかもしれない。その時は頼んだぞ」
「はい?」
「お前、その辺の役員や、重役より、ずっと役に立つ。あいつらは、無駄に給料もらってるだけで、頭固いし、考え方が古いし、保守的だし…」
「えっと…?」
「ははは」
また、笑われた。
「樋口、誰か、優秀な若手のアドバイザー用意してくれ。こいつと気が合いそうな、頭が柔軟で、フットワークが軽い奴だ」
「はい、かしこまりました」
「えっと?」
「お前、秘書だけやってたらもったいないな」
「え?」
「秘書の仕事、とっとと覚えたら、俺の補佐だ」
「補佐というと?」
「俺が副社長になったら、お前は副社長補佐だ。いいな?」
「………え?」
いえ。よくわかっていません。なんで?
一臣様はにこにこしながら、書類を片づけ、
「会議に行くぞ」
とそう言って、スーツの上着を着た。そして颯爽と、ドアを開け行ってしまった。
あわわ。私も慌てて追いかけた。樋口さんがドアを開け、私を待っていてくれた。
「さすがです、弥生様」
樋口さんは廊下を歩きながら、そう言った。
「何がですか?」
「くす」
あ、樋口さんにまで笑われた。
とにかく、重役会議、しっかりと聞いておけってことだよね。うん。
私が何か役に立てるなら、もう、頑張って聞いちゃう!
そう意気込みながら、14階の会議室に入った。
が、そこで、思い切り私を睨む葛西さんがいて、気持ちは一気に沈んだ。
なんか、怖い。親の仇ぐらいの目で見られた気がする。あんなに、怖い人だったっけ?
それも、葛西さんは一臣様にべったりとまた寄り添い、耳元で何か話して、そして会議室を出て行った。
あれも、もしかすると、私に対しての当てつけなのかな。それとも、いつものことなのかな。
一臣様は、特に葛西さんがべったりくっつこうが、気にする様子はない。耳元で話をされても、表情も変えず聞いている。
だったら、私もあんなことしてもいいの?
と、一瞬考えたけど、「近い!」と怒られるだけのような気がして、その考えは自分の中で却下した。
もしかすると、一臣様と葛西さんの間にも信頼関係があるのかもしれない。だから、あんなふうにされても、一臣様は怒りもせず、気にも留めないのかもしれない。
会議が始まった。私は一番後ろの壁際に椅子を置いて、目立たないようにして会議の内容を聞いた。そりゃもう、一言一句聞き逃さないように。
一臣様は、特に何かを提案することもなく、ただただ、会議を聞いているだけだ。
一臣様の横にいらっしゃるのは、多分、社長だ。初めて見たかもしれないのに、どこかで見たことがあるような、そんな変な感じがした。
一見、怖そうだ。でも、一臣様に似ていて、ハンサムだ。きっと、一臣様も年と共に、あんな感じのダンティさを醸し出すようになるんだろうな。
役員、各部署の重役たちは、特に意見を言うわけでもなく、寝てるんじゃないの?って言う人もいた。
部長クラスの人は、40代前半。かなり勢いよく、熱く語っている人もいたが、その人に対して、社長が一言二言、質問をするだけで、その部長は勢いをなくし、一気に自信まで無くしていくように見えた。
それだけ、社長の質問は手厳しく、そして威圧的だ。あれじゃ、熱くなっている人も、すぐに熱を冷まされてしまう。
最後の最後に、社長は一臣様に、
「お前の意見を聞こう」
と、静かにそう言った。
一臣様は席を立った。そして、静かに会場全体を見回した後、話しだした。
「もう、今までの古い考えも、保守的な考えも、どんどん変えて行かないと、緒方財閥は変わらない。いや、衰退するばかりだと思います」
一臣様の口調ははゆっくりだが、とても重々しかった。
「関西と海外に進出するプロジェクトは、確実に進んでいます。上条グループと言う、今一番勢いのある会社が、我が社と提携を結ぶので、これを機に、緒方財閥も一新しようと思っています。これからは新しいことにどんどん挑戦して、取り入れていきますので、皆さん、そのおつもりで…」
一臣様がそう言うと、少し年配の役員たちはざわついた。だが、若手の部長クラスの人たちから、なぜか拍手が起こった。
一臣様が椅子に腰掛けると、今度は社長が話し出した。
「世代交代だな。我々のような古い考え方は、もう緒方財閥にはいらないようだ。それは、役員の皆さんにも、ご理解いただきたい。これからは、私ではなく、息子の一臣が先頭に立ち、この緒方財閥を変えていく。いいな?一臣。責任は重大だ。だが、任せたぞ」
「………はい、社長」
一臣様は、はいと答えるまで間を開けた。きっと、相当なプレッシャーを感じたんだろう。一瞬だけだけど、眉間にしわが寄った。
だけど、今はとてもクールな顔つきで、平然として見える。
それから、一臣様は私を見た。目が合った!
一臣様、ファイトです!私がいます!そんなことを思いながら私は一臣様を見た。すると、一臣様の顔が一瞬にして和らいだ。
そして和らいだ声で、一臣様は、
「今日の会議は、これで終わります」
とそう言った。