~その3~ 父の訪問
父が来た。樋口さんと一緒に14階の応接室に父はやってきた。
「一臣様、上条様がお見えです」
「わかった」
一臣様はいつもよりも、顔つきが真剣だ。
ガチャリ。一臣様がドアを開け、父を中に通した。
「なんだ。弥生もいるのか」
「あ、もし、私がいたら邪魔なのでしたら、退席します。あ、でも、お茶だけは用意しておきます」
「そうか。弥生は今、一臣君の秘書をしているのか」
父は優しい表情でそう言った。すると、一臣様の表情もぐっと和らいだ。
「はい。秘書としての仕事を覚えてもらい、結婚後は僕の仕事のサポートをしてもらおうと思っています」
うわ。一臣様、なんだかいつもと話し方が全然違う!それに、結婚後って今言った?私との結婚ってことだよね?!
「そうか」
「どうぞ、こちらにお掛け下さい」
一臣様がそう言って、父をソファに案内した。
「ああ、ありがとう」
父はにこりと微笑んで、ソファに座った。
私は父と一臣様にお茶を淹れ、それをテーブルに運んだ。
「弥生の分は?」
「え?私は…。もう退席しますので」
「いや。ここにいてくれてもいいぞ。なあ?一臣君」
「今日は、弥生さんのことで、いらっしゃったんですか?それとも…」
「弥生のことだよ、一臣君。だから、弥生にもここにいて欲しいんだが」
「はい。わかりました」
一臣様はそう言うと、私のほうを見て、一臣様の席の隣に座るよう手で合図した。
私は一臣様の隣のソファに座った。
「ふむ…」
それを見て、父がなぜか深く頷いている。なんでかな。
そして父はお茶をすすると、
「ああ、渋いお茶だ。さすが、弥生だな」
と言って目を細めて喜んだ。
一臣様も、
「失礼します」
と言って、お茶を飲んだ。そして、
「あ、なるほど。上条さんはこれだけ渋いお茶が好みなんですね」
とそう言ってから、私を見た。
「渋すぎましたか?淹れ直しましょうか?」
「いや。いい。俺にもちょうどいい。これから日本茶を飲む時には、このくらい渋いのを頼む」
「はい」
わあ。なんか、嬉しいかも。何で嬉しいかわからないけど。
ああ、きっと今の会話も、まるで夫婦みたいだから。
…っていうのは、思い上がりだね。あぶない、あぶない。秘書だから、そう言ってきたんだよね。きっと、私以外の秘書にも、同じことを言うんだ。一臣様は…。
「なんだ。心配はなさそうだな?弥生」
「え?!」
いきなり父がそう話を振ってきたので、私は驚いて顔をあげた。
「いきなり、如月が弥生を連れて帰ってきたから、弥生が問題でも起こしたのかと思ったが。弥生がお屋敷を追い出されたわけではないんだな?」
「え、えっと」
追い出されたのには変わりないんだけどな。ただ、敷地内には留まることができたけど。
コホン。一臣様が咳払いをして私を見た。あ、きっと、お母様から追い出されたことは内緒にしておけって、そう言いたいんだよね。
「如月氏は、僕と弥生さんが婚約することを反対しているようですね」
一臣様は父に向かって、クールに話し出した。
「ああ。如月は多分、君の表面や人の噂で判断している」
「…そのようですね。それに、母が誤解をするようなことを言ってしまったようです」
「誤解?」
「はい。僕にはいまだに、他に婚約者の候補がいると、そう母に聞いたと言っていました」
「…そのことなんだが」
「はい?」
「一臣君の母君が弥生との婚約に賛成していないのは、私も聞いている」
「…誰からですか?」
「緒方氏からも聞いているよ」
「親父…父からですか?」
「緒方氏は何も心配はいらないと言っているけどね。でも、母君にも賛成してもらえるよう、どうにかならないものかと思ってね」
「………そうですね。母は、古臭くて、頭の固い人ですからね。ヘタすりゃ父よりも、頑固者ですよ」
「婚約者の候補というのは、数人いたはずだね」
「はい」
「今度、一臣君の誕生日パーティというのが、お屋敷であるそうじゃないか。社長からぜひ出席してくれと誘われているんだよ」
「え?父がですか?」
「そこで、提案なんだが。そのパーティで、君の婚約者を決めるというのはどうだろう。緒方氏もそういうやり方をして、堂々とはっきりと、弥生を婚約者として選んだなら、母君も反対できないんじゃないかと、そう言っていたんだが」
「父がですか?」
「提案したのは私だ。君と弥生が結婚するのはもう決まっている。今さら、候補の中から弥生を選ぶなどと言うのは馬鹿げたことだとは思うがな」
「出来レースってやつですか…」
一臣様はそう言うと、小さなため息を吐いた。
「そういうのは、乗り気がしないかな?君は」
「いえ。そこで、僕が弥生さんを選べば、それで母が納得すると?」
「母君だけじゃない。如月もだ。如月も一緒にそのパーティに連れて行くつもりでいる」
「………。ですが」
「何か問題でもあるのかな?」
「弟もアメリカから帰ってくるんですよ。パーティには強制参加なもので」
「ああ。龍二君か。龍二君に何か問題でも?」
父がそう聞くと、一臣様は黙り込んだ。そして、一呼吸おいてから、
「すみません。我が家の問題ですので、上条さんや弥生さんを巻き込むわけにはいきません」
と、真剣な目をしてそう言った。
「だが…。弥生はその龍二君の義理の姉になる人間だ」
「はい。でも、その前に、結婚できるか、婚約できるか、それすら…」
「どういうことだ?一臣君」
「あ。いえ。これは、我々の問題ですので。父と相談します」
「緒方氏と?」
「……父も龍二のことはよくわかっていますから。先ほどの、僕の誕生パーティで、弥生さんを選ぶというのは賛成です。それも、僕がというより、父にしっかりと選んでもらいます。そのほうが、より一族に効果的です」
「……緒方氏にかい?」
「母は、父が勝手にすることをあまりよく思わないかもしれませんが。ただ、母も緒方財閥の一族が集まる中で、弥生さんに決まってしまったなら、もう文句は言えないと思いますよ。あの人は外から来た人間なので、あまり一族の中では発言権がないんです」
「なるほどな…。うむ」
父は腕組みをして、頷いた。それから私を見て、
「弥生もそれでいいな?」
と聞いてきた。
「私ですか?わ、私は…。一臣様が納得されたのであれば、特に何も…」
そう言って一臣様を見ると、一臣様はまだ真剣な目をして父を見ていた。
「弥生を迎えに来てはくれないのかな?一臣君」
「え?あ、実家にですか?」
「うむ」
「そうですね。今、迎えに行っても、また如月氏に弥生さんを連れ帰されてしまうと思いますが」
「如月か…。そうだな。あいつは、思い立ったら即行動の、熱い男だからな。弥生とは10歳離れているし、可愛くて大事な妹なんだろう。その妹の幸せのためには、君と婚約しないほうがいいと勝手に思い込んで熱くなっているな、あいつは…」
「確かに、熱そうな人ですね。でも、そこが如月氏の魅力というか、その行動力で上条グループを盛り上げて来たんじゃないんですか?」
「はは。その通りだ。だが、若いうちはいいが、これからはもっと思慮深さも必要だと思うがな」
「…思慮深さですか」
「君のようなね」
「僕ですか?」
「君のほうが多分、責任の重さを知っているだろう。そして、その重圧に耐えられないくらいのプレッシャーもあるんじゃないかな?」
「……」
あ、一臣様がびっくりしている。
「そういうものを、まだ、如月は感じたことがない。勢いだけでここまで来た。だが、これからは、あいつの肩に背負っている大きな重圧に気づかなくてはいかん」
「僕のようにですか?ですが、それはただの弱さにすぎないと思いませんか?」
「弥生はどう思う?ん?」
また、父がいきなり私に振ってきた。
「わ、私は…。あの…。一臣様が、ものすごくプレッシャーを感じていたり、重さを感じているのを知って、緒方財閥の跡取りとして、向き合っているんだな、逃げずにちゃんと進もうとしているんだなって、そう感じて」
「弥生?」
一臣様が、目を細めて私を見た。
「すみません。すごく生意気なことを言って。でも、ちゃんと向き合って、ちゃんと考えて、ちゃんと受けとめて…。そういうことをしたからこそ、事の重大さとか、重みとか、そういうのを感じることができたんじゃないかって、そう思ったんです」
「そうか」
父はそう言って、また、腕組みをした。
一臣様は私をしばらく見ていた。でも、父が「うむ」と言うと、父のほうに顔を向けた。
「どうだ?弥生は」
「え?」
いきなり、父は変な質問を一臣様に投げつけた。
「こういう考え方をする弥生はどうだ?」
「あ…。ああ。はい」
一臣様は、黙り込んで俯いてしまった。
怒った?生意気なことを言ったから?
「ふむ、まあ、いい。とにかく、如月にはまだ、その覚悟のようなものがない」
「覚悟、ですか?」
「君にはあるだろう?そう見えるよ」
「……緒方財閥を継ぐ、覚悟…ですか?」
「うむ」
一臣様は、父の顔を見てから、次に私の顔も見た。そして、
「そうですね。多分…。いえ、覚悟はありますよ。だからこそ、弥生さんとの結婚もちゃんと引き受けたし…」
と父のほうを向いてそう答えた。
「ふむ…」
「一つ、聞いてもいいですか?上条さん」
「なんだい?」
「弥生さんは、僕に…。いえ、緒方財閥に必要な人間だから、僕と婚約させたんですか?」
「ははは。そう思ったのかい?君は」
「…まあ、なんとなくですが」
「違う違う。全く違う。私は君も知っているだろうが、上条グループで働いていた普通の社員と結婚した。親が見合いもさせたんだが、その相手は、どうしても結婚できそうもなかった。まあ、しょうがないよな。もうすでに、心惹かれていた女性がいたんだから」
「それで、見合いは断って、その普通の社員と結婚したんですか?」
「そうだ」
「親御さんは、それに対して反対は?」
「はは。反対なんてされないさ。親父も好きな女性と結婚した」
「では、なぜ、弥生さんは…」
「君に一目ぼれをしたからだ」
うわ!なんだって、いきなりそんなことを言うの?!お父様?!
「君の父君から、婚約の話は来ていた。候補の中に入れてもいいかどうかと。それで、私は弥生に一臣君と同じ大学に進学させた。大学に入ってから、弥生に君の存在を教えた」
「…。それで、弥生さんは」
「ああ。君を一目見て気に入ってしまった。弥生がそれだけ好きになったのならと思い、君の父君に、ぜひ、候補に挙げてもらうだけでなく、婚約させてくれないかと、そう頼んだわけだ」
「は~~~~~~。そうですか」
一臣様は、長いため息を吐いて俯いてしまった。
「ははは。緒方氏も即、OKしてくれたぞ。上条グループのご令嬢なら、申し分ないと言ってな」
「親父。もうちょっとしっかりと見てから決めろよ」
ぼそっと一臣様が言った。
でも、父はそんなことを気にしたりせず、
「一臣君。手前味噌なのはわかっているが、弥生はとてもまっすぐに育った、いい子でね」
と話し出した。
うわわ。手前味噌もいいところだ。っていうか、そう言っちゃってるし。
「そうですね。まっすぐですね」
「それは君もわかってくれていたか」
「はい。もう、十分すぎるほど…」
「ははは。それから、弥生はとても元気で前向きでね。ちょっとやそっとじゃめげたりしないんだよ」
「ああ、そうですね。それも、十分わかっています」
「そうか、一臣君はしっかりと弥生のことを理解してくれているんだなあ」
「親父…父もですよね。父はかなり弥生さんのことを気に入っているようです」
「ははは。それもそうだろう。君と婚約した時から、緒方氏は弥生のことを見ていたからな。へこたれない力強さや、バイタリティが素晴らしいと褒められたことがあった」
「なるほど。父は弥生さんのことを、ずっと見ていたわけですか。ああ、それなのに、そんなに気に入って…」
一臣様は、どこか投げやりな口調だ。
「ふむ。弥生を知って、弥生を嫌った人間を見たことがない」
うわ!何を言いだしたの?お父様。それ、単なる親ばか発言じゃない?
「……」
ほら。一臣様も呆れちゃったじゃない。黙り込んじゃったよ。
「父君が弥生を気に入るのは、私もわかりきっていた」
「……」
まだ、一臣様は俯いて黙っている。
「それに、君も弥生のことを気に入ると、そうわかっていたさ」
「……は~~~~~。そうですか」
一臣様はそう言うと、ソファの背もたれにもたれかかった。一気に力が抜けたように。
「会社や、君のお屋敷内ではどうかな?弥生は」
「弥生さんに関わった人間は、皆弥生さんを気に入ってますよ。母ぐらいです。なかなか受け入れようとしないのは」
「なるほど。うむ…」
父は難しい顔をして、腕を組んだ。
「……でも、もしかしたら、いつか…」
一臣様は背もたれから起き上がり、父の顔を見て、
「母も、弥生さんを受け入れる日が来るかもしれないですね」
と、そう口元を緩めながら言った。
「そう思うかい?一臣君」
「……。まあ、時間はかかるかもしれませんが。なにしろ、誰よりも頑固でカビが生えるくらい古臭いですから」
「ははは、そうか」
「ですが、一人気に入られては困る人間がいるんです」
「え?」
私と父が同時に聞き返した。
「あ、いえ。こっちの話です。大丈夫です。それはお任せください」
「うむ。何か事情があるようだな」
「……」
一臣様は黙って、私のほうを見た。
「弥生さんは、そのうち必ず、迎えに行きますから」
そう言ってから、一臣様は父を見た。
「うむ」
父はにこやかに頷いた。