~その2~ いざ、秘書課へ!
今日から、秘書課での勤務だ。かなりの緊張だ。
す~~、は~~~。
深呼吸をして気を引き締め、秘書課のドアの前まで来た。
すると、葛西さんが大きくて分厚いスケジュール帳や、ファイルを持って秘書課の部屋から出てきた。
「あ!おはようございます」
「上条さん。おはようございます」
葛西さんは笑うこともなくそう言うと、
「秘書課では、朝早くから仕事がありますから、もっと早めに来ていただけませんか?」
と、クールにそう言った。
「すみません」
私が頭を下げると、葛西さんはまたクールに話しだした。
「今から一臣様と、今日1日のスケジュールや仕事のことで打ち合わせがありますから、私は15階に行ってきます。上条さんは中に入って、大塚さんからの指示に従ってください」
「はい」
大塚さんって、あの、大塚さんかあ。それにしても、葛西さんはいいなあ。いつも一臣様のお部屋に行って、仕事しているんだ。
私はいったいいつ、15階の一臣様の部屋に行けるんだろう。
っていうか、私、いつ一臣様に会えるのかなあ。
ドアの前で、もう一回深呼吸した。そして、気合を入れ直し、
「おはようございます」
と元気に言いながらドアを開けた。
だが、誰も挨拶を返さず、それどころかちらっとこっちを見ただけで、またデスクに向かって仕事を始めてしまった。
「あの…」
大塚さんのデスクの前に行き、
「葛西さんから、大塚さんの指示に従ってくださいと言われたのですが」
と、小声でそう言った。
「ちょっと待っててもらえます?忙しいんです。そこの開いている席が上条さんの席。デスクの上にある郵便物、封を開けておいてください」
「はい」
私は空いているデスクに座った。デスクの上には、山盛りの郵便物が置いてあった。
私のデスクは、部屋の片隅。一番端で、ドアのすぐ横にある。後ろには棚やホワイトボード。
私はしばらくの間、ひたすら封を開け続けた。すると、
「ちょっと!何を勝手に開けてるの!それは、個人名が書いてある封筒だから、勝手に開けちゃ駄目じゃない!」
と、隣にいる人にいきなり怒鳴られた。
「え?でも今、大塚さんから開けておいてって…」
「上条さん。そのくらいわかるでしょう?あなた、庶務課で何をしていたの。まさか、毎日トイレのつまりを直していたわけ?」
大塚さんがそう言って、意地悪そうな笑みを浮かべた。すると、周りにいる人たちも、くすくすと笑った。
こ、怖いかも。なんか今、ものすごい嫌味も言われた気がする。
こういう人たちって、どんな対応をしていいかわからないから困る。
「すみませんでした。えっと、ダイレクトメールは開けちゃ駄目なんですね?」
「そうよ。秘書課宛のだけにしてくれる?」
「はい」
ああ。そういうものなのか。封を開けておいたら、みんな見やすいから開けたほうがいいのかと思っちゃった。それが秘書の仕事かと思ったけれど、個人宛のものはやっぱり、勝手に開けちゃいけないんだなあ。
私、今、誰宛のを開けたのかな。
ああ…一臣様のだ。ちょっと、ホッとした。社長とか副社長じゃなくて良かった。
「これ、誰宛のだったの?」
大塚さんが私の席にまで来て聞いてきた。
「え?あ…。一臣様のですけど」
「ええ?!」
大塚さんが目が飛び出るくらいに大きく目を見開いた。周りの人も、
「嘘!」
とびっくりしている。
「どうするの?大塚さん」
大塚さんに、誰だかわからないけど、一人の人が聞いた。その人も、綺麗でひらひらのブラウスを着て、短めのスカートのスーツを着ている。
「どうするって言われても。私の失敗じゃないし」
「だけど、葛西さんに、大塚さんの指示に従うようにって言われたんでしょ?それ、大塚さんの責任になるんじゃないの?」
「だったら、葛西さんのほうが…」
責任のなすり合いかなあ。こういうのも苦手。
「あの、私が謝ります」
私はそう大塚さんに言った。
「誰に?葛西さんに?だけど、葛西さんは一臣様に叱られることには変わらないのよ。あなたの失敗のせいで!」
大塚さんが睨むような目でそう言って来た。
「いえ。私が直接、一臣様に謝ります。開けてしまったけど、中までは見ていないし」
「え~~~!!」
秘書課にいる人全員が声をあげた。
「か、上条さん。君、まだこの会社に来て日が浅いんだよね」
秘書課にいる数少ない男性社員が、こわごわ声をかけてきた。
「だから、わかっていないんだろうけど、一臣様に直接謝るなんて、僕たちには考えられないことだよ」
何歳くらいかな?七三に分けて、メガネをかけていて、年齢不詳な人だ。
「怒られるからですか?」
「そ、そうだよ。一臣様を怒らせたら、本当に怖いんだよ?即、クビかも」
秘書課でも怖がられているんだなあ。
「いいじゃないですか?責任を取って、ちゃんと上条さんに謝ってもらいましょうよ」
さっきまで怖い顔をしていた大塚さんが、また笑みを浮かべながらそう言った。
「だけど、上条さんが一臣様に会うことすらできないと思うけどなあ」
「あら。今日は午前中、14階の応接室で、一臣様はお得意様とお会いすることになっていますよ。湯島さん、ちゃんと一臣様のスケジュール、把握しておかないと駄目じゃないですか」
ますます、大塚さんの微笑は増した。それも、意地悪っぽい微笑だ。
「そこで、上条さんに謝らせるのかい?」
「ええ。この手紙を持って行って、謝ってもらいましょうよ。だって、本人がそう言いだしたことですから。ねえ?上条さん」
悪魔の微笑だ。いや、小悪魔なのかな?こういうのがもしや、男性は小悪魔って言って、好きだったりするのかな。
「わかしました。責任もって謝りに行きます。えっと。でも、いつ頃行ったらいいですか?」
「アポイントは、10時。あと30分後です。いつも一臣様は時間よりも10分前にはいらっしゃいますから、もう少ししたら、この秘書課の部屋の隣にある応接室に行ってみたらどうですか?」
大塚さんではなく、隣の席の人がそう言って来た。
さっき、思い切り怒鳴ってきた人だ。見た目も綺麗だけど、怖そうな人だ。話し方も、早口でちょっと怖い。
「はい。わかりました」
「大塚さんか、湯島さん、一緒に行った方がいいんじゃないですか?さすがに今日来たばかりの上条さんが誰なのかも、一臣様はお分かりにならないかもしれませんし」
隣の席の人がまたそう言った。
「そういう江古田さんがついて行ったら?一臣様にお会いになれるチャンスよ」
大塚さんはまだ笑みを絶やさない。
「いえ。わたくしはまだ、秘書課に来て2年目ですし、出過ぎた真似だと怒られるだけですので」
え?2年目?!すごく貫録あるのに。この秘書課で誰よりも怖そうな雰囲気あるし。
「仕方ないわね。じゃ、私が一緒に行くわ。でも、指示はちゃんとされたって、あなた言ってよね?その指示にきちんと従わなかったって」
え?そんな嘘を?
いやいや。やっぱり、私の不注意だったんだから、ちゃんと謝らないと!
一臣様、怒るかな。また、雷落とされちゃうかしら。でも、会えるのは嬉しい。
あ、ダメダメ。仕事と私用をごっちゃにしたら。
でも、嬉しいものは嬉しい。
大塚さんと秘書課の部屋を出た。そして、応接室のドアを大塚さんがノックした。
「誰だ?」
「大塚です。一臣様、今、よろしいですか?」
「急用か?」
一臣様の声!なんだか、久々に聞いたような気になって来ちゃう。
「秘書課の新人が、謝りに来ました…」
新人、私のことか!
「新人?」
一臣様も、私だってぴんと来たのかな?
ガチャ…。ドアが開いた。ああ。一臣様だ。今日は明るめのグレイのスーツだ。そのスーツも似合っていて、麗しい。
「謝りに?」
一臣様は大塚さんではなく、私のほうをぎろっと見ると、
「もう、なんかへましたのか」
と聞いてきた。
う…。もう声が呆れてる。お前、何したんだよっていう顔もしている。
「申し訳ありません。新人の上条が、謝りたいと申しておりまして…」
大塚さんは頭を下げてそう言うと、私の背中を押した。
「あ。あの…。申し訳ありませんでした。一臣様へのダイレクトメール、封を開けてしまいました」
「……」
私は頭を下げたままそう言った。でも、一臣様がまったく声を発していないので、不思議に思い顔をあげた。
「どこからの手紙だ?」
「え?えっと…」
私は慌ててひっくり返した。すると、一臣様は私の手から封筒を取り、
「中までは見ていないのか」
と、とても冷静に聞いてきた。
あれ?怒ってないのかな。もしや…。
「はい。見ていません」
そう言うと、隣で大塚さんが私の腕をつっつきながら、
「上条さん、ちゃんと謝らないと」
と言ってきた。
「え?」
「私の指示に従わず、勝手に開けたって…」
う…。勝手に開けたことは開けたけど…。
「あの、申し訳ありませんでした。私、個人宛の封書を開けてはいけないと知らなかったので、開けてしまって」
「……」
う。一臣様、無言だ~~~。
「えっと…」
「俺のだとわかっていて、開けたんじゃないのか?」
「違います」
「あほ!!」
うわ。怒られた!すると隣で大塚さんが、俯きながらにやっと笑った。
「これが俺以外のだったらどうするんだ。たとえば、社長のだったりしたら…。まあ、親父宛の郵便物は、15階の親父の秘書のもとに届くようにはなっているけれど」
そうなんだ。ちょっとホッとした。
「大塚。こいつは庶務課にいたし、何も秘書の仕事を知らないんだ。一から教えてやってくれ」
「え?はい」
俯いていた大塚さんは顔をあげ、びっくりしながらそう答えた。
「そうだ。ちょうどいい。葛西が午後の会議の資料を作るのを一人でしているから、大塚はそれを手伝いに行ってくれ。今、コピーを取りに行っている」
「はい、かしこまりました」
「それから、や…。新人。お前はもう少ししたら得意先が来るから、お茶を出してくれないか」
「え?わ、私がですか?」
「ああ。上条グループの社長が来るから」
「え?!」
父が?!そんなこと、今朝言っていなかったのに。
「わたくしがお茶を出す方をいたしましょうか、一臣様」
大塚さんがそう申し出た。
「いい。大塚は早くコピー室に行ってくれ」
「はい」
大塚さんはそう言うと、クルリと後ろを向き、コピー室に向かって行ってしまった。
「弥生…」
一臣様は、私の腕を掴み、応接室に私を入れた。
「はい?」
「どんなへまをしたかと、ヒヤヒヤしたぞ」
「すみません」
「まあ、このくらいで良かったけどな」
「怒っていないんですか?」
「え?そうだな。他の奴が同じことしたら、雷落としていたけどな」
「え?なぜですか?私だとなんで怒らないんですか?」
「お前、俺の秘書だし」
「?」
「婚約者だし」
「?」
「次期社長夫人なんだから、仕事の文書なら、特に見ても差し支えはないぞ」
え?
「とはいえ、他の秘書の手前、ちゃんと怒ったほうが良かったか」
「あほって怒りました」
「ああ。いつもなら、あの10倍は怒りまくる」
10倍?!そりゃ、みんな怖がるわけだ。
「あの、お茶の用意をしますね」
「ああ。お前の父親だ。お茶でもコーヒーでも、上条氏が喜ぶものを入れてあげてくれ」
「はい。じゃあ、しぶ~~いお茶を」
「渋いお茶が好きなのか?」
「はい。あ、一臣様はコーヒーがよろしいですか?」
「俺も渋いお茶でいいぞ。どんなに渋いのか飲んでみたいしな」
「はい!」
私はお茶の準備を始めた。すると、一臣様は私の隣に来て、
「実家はどうだ?」
と聞いてきた。
「如月お兄様と、卯月お兄様もいました。それで、父と如月お兄様が揉めていました」
「ふん…。それで、急にお前のお父さんが、会いたいって言って来たのか」
「そうなんですか?え?昨日ですか?」
「そうだ。だから、スケジュールを変更して、会うことにしたんだ」
「すみませんでした。父のために…」
「いや。わざわざ、上条グループの社長にご足労かけてしまうんだから、こっちこそ申し訳ない」
「あの。父はなんでまた、一臣様に会いに?」
「さあな。やっぱりいきなり実家に帰ってきたりしたから、心配になったんじゃないのか」
「すみません。兄が言いだしたことなのに。一臣様のせいでもなんでもなくって、一臣様には迷惑ばかりかけてしまってて」
「……あほ」
あれ?また「あほ」って言われた。
「えっと?」
「お前が謝ることじゃない。とりあえずお前は、秘書課でへましないよう、頑張って仕事をしていたらいい」
「はい」
一臣様の口調、さっきから優しい。
私はほんのちょっとだけ、一臣様に近づいた。あ、一臣様のコロン…。キュン!これを嗅ぐと胸がキュンってなる。
「おい。もう俺が恋しくなったわけじゃないだろうな」
「え?!」
うっとりとしていたら、一臣様に呆れた声でそう言われた。
「なんでわかったんですか?」
「あはは。本当に恋しくなっていたのか?」
笑われた…。
「おかしいですよね?一昨日だって会ったのに、もう会いたくなっちゃうなんて」
「………そうだな。相当なストーカーだな」
え~~~?!
「そんなで、ちゃんと琴の練習はできていたのか?」
「しました。めいっぱいしました。それに着付けの練習もしました」
「じゃあ、パーティでは、ばっちりだな?」
「はい!ばっちりです!もちのロンです!」
「ははは」
また、笑った。
嬉しい!一臣様が笑うたび、私の心は躍り出す。嬉しくて、パワーがドンドン湧いてくる。
「また、家に帰ったら猛特訓します」
「そうか」
「はい!」
「良かった。お前のへんてこりんでみょうちくりんなパワーは衰えていないな?」
「はいっ!パワー全開です。こうやって、一臣様に会えただけでも、充電できちゃいます」
「じゃあ、たまには14階に顔を出しに来ないとな」
「はい!」
「でも、俺に会うために、わざと仕事を間違えたり、へましたりするんじゃないぞ」
「は、はい」
やばい~~。へまして怒られてもいいから、会えるのが嬉しいって思っていたの、ばれてるかも。
でも、でもでも。なんだか、一臣様が優しくて嬉しい!
やっぱり、私は一臣様と会うと元気になるようだ。それも、すごくパワーが出るようだ。どんなことにでも、負けないくらいの、そんなパワーが…。
ただ、一臣様がそばにいる。それが嬉しい。と、その時にはそう思っていた。
そして、ただただ単純に一臣様に会えることを喜んでいた。