~その11~ 会食の席で
場所をレストランに移動した。乾杯の音頭は、海外事業部の次長という人がとり、親睦会は始まった。
私は特に知っている人もいないので、部屋の隅にいた。立食なので、適当にお皿にとり食べていると、
「カクテルでも作ってもらおうか?弥生」
とトミーさんがやってきた。
「お酒を飲むと眠くなるので、お酒は飲まないようにしているんです」
「ああ、そういえばそんなことを言っていたっけね?」
トミーさんは私の横に立ち、ビールを飲むと、
「一臣氏、遅いね。あの秘書と仲良くしているのかな?」
とぼそっと耳元で囁いた。
「え?」
「でも、昨年見た秘書は、違っていたなあ。もっとナイスバディの女性だった」
やっぱり、青山さんのことなんだ。
しばらくして会場に、一臣様が葛西さんと入ってきた。
「あ、一臣様。お待ちしていましたよ」
するとそこに、すかさずワインを持って広尾さんが近づき、ワイングラスを一臣様に渡した。
「アイスワインです。とっても飲みやすいの。一臣様好きでしょう?」
そう言って、広尾さんは一臣様の腕にべたっとくっつくように隣に立った。
一臣様の右側には広尾さんが、左側にいた葛西さんも、なんだか負けずと一臣様に近づいた気がする。
「一臣様、何を召し上がりますか?お持ちしますけど」
そう一臣様の耳に囁くように葛西さんは言っている。
「もてるねえ、一臣君」
うわ。そこに、如月お兄様が近づいていった。なんだか、やばい雰囲気だ。
「……葛西、上条さんにも何か持ってきて差し上げてくれ」
一臣様がそう言うと、兄は、
「ああ、いいよ。もういただいた。僕の分はいいから、一臣君のだけ持ってきたらどうだい?秘書の葛西さん」
と答えた。
わあ。兄の言い方、イヤミっぽい。もっと、爽やかさが売りのお兄様なのに、今日はなんだかずっとイヤミっぽいよ。
ハラハラして見ていると、私の横にいたトミーさんがまた耳元で、
「一臣氏はいつも、周りに綺麗な女性をはべらかせているよね。ああいうのを見て、嫌にならない?弥生」
とそう囁いた。
「え?」
「がっかりしない?女性にもてることが悪いことだとは思わないけれど、仮にもここに婚約者候補がいるっていうのに、なんだって、君をほっておいて他の女性と仲良くするんだか、そこが僕には納得いかないな」
「それはまだ、隠しているからです」
「君のこと?」
「正式に発表もまだですし」
「そう。じゃあ、今のうちに君が、ほかの男性に奪われちゃっても、彼は何も言えないよね。だって、ちゃんと君をエスコートすることもしないで、ほったらかしなんだからね」
「だ、だから。それは、まだ正式に…」
「そんなの僕なら関係ないな」
「え?」
「会食に君を呼んでおいて、部屋の片隅に置き去りのまま。こっちに来る気配すらない」
「そ、それは」
何も言い返せない。確かに一臣様はさっきから、広尾さんとばかり話していて、私がどこにいるかも気にしてくれていない。
「弥生。ここ、どうやらバルコニーに出られるようだよ。外の空気でも吸わないかい?」
「え?」
トミーさんはそう言うと、私の背中に手を当てて歩き出した。
「あ、あの」
確かにバルコニーはあるけれど、トミーさんと二人きりで外に出たりしてもいいものなの?
私はくるりと一臣様の方を見た。でも、まったくこっちを見ることもなく、広尾さんと話している。
こっちを見たのは如月お兄様だ。私の方を見て、にこりと微笑み、また隣にいる人と話しだした。
なんで、にこりと笑ったんだ。兄は…。
ガチャリ…。バルコニーのドアを開け、
「ああ、いい風だ」
とトミーさんはそう言って、私のこともバルコニーに連れ出した。
「気持ちいいね。外の方が…」
「……」
「あ、でも、弥生は寒かったかな?」
そう言いながら、トミーさんは私のことを抱きすくめた。
ちょ、ちょっとまって。こ、これはいったい、どういうことだ?っていうか、非常にまずい状態じゃないの?こんなところを、誰かに見られたら…。
バルコニーから会場の方を見た。誰もこっちを気にしている様子はなかった。それもそうか。私のことを知っている人もいないんだし…。
トミーさんはまだ私の肩に腕を回したままだ。
「あ、あの…。寒くはないので手、どけてもらってもいいでしょうか」
「あれ?こういうのは慣れていない?弥生」
「は、はい」
「男の人と付き合ったこと、あまりないのかな?」
あまりどころか、一回も…。
でも、トミーさんは手をどけるどころか、なんだか顔を私に近づけ、また、
「弥生はほかの女性と違って、シャイなんだね。そういうところも、好みなんだけどなあ」
と囁いた。
う…。この人って、もしかしてかなりのプレイボーイなんじゃ…。
「あ、あの、シャイとか、そういうことじゃなくて、困ります。私、あの…」
私が焦っても、くすくすと笑って手をどけてくれない。
「あの…」
なにげにまた、会場の方に目をやってみた。すると、思いっきりこっちを睨んで見ている一臣様と目がバチッと合ってしまった。
うわ~~。み、見られてる!どどど、どうしよう。
パッと視線を外した。でも、無視してしまったようで、申し訳なくなり、もう一度一臣様の方を見た。一臣様は手にしていたお皿やワイングラスをテーブルに置き、鬼の形相をして私の方に向かって歩いてきていた。
う…うわ…。怖すぎる。どうしよう。と、とにかく、トミーさんの腕の中から抜け出さないと!
「あの!は、離れてください」
そう言って、腕から抜け出そうとした。
「弥生!ダメだよ。ほら、僕のビールがこぼれる」
そんなのんきなことをトミーさんは言って笑っている。ああ、そんな場合じゃないんだってば!
「おい」
ほら、来た!ものすごく低い怖い声で、一臣様が話しかけてきた。
「こんなところで、うちの秘書と何をしているんだ」
「…やあ、一臣氏。何をって、お話をしていたんだよ?ねえ?弥生」
「やよい?」
うわ。一臣様の顔がもっと怖くなった。
「なんで、こいつのことを呼び捨てにしているんだ」
「こいつ?君こそ、弥生のことをこいつ呼ばわりしてひどいなあ。いくら自分の会社の秘書だとはいえ、名前で呼んであげたらどうだい?」
「………。弥生。そいつから離れろ。なんで、そんなにひっついているんだ!」
「いいじゃないか。彼女とはこれから付き合おうかと思っているんだ。結婚を前提に交際を申込もうと思っているんだから。ねえ、弥生」
「は?!」
一臣様の表情が止まった。と、そこに、後ろから兄が顔を出し、
「弥生、ずいぶんとトミーと仲良くなったんだなあ」
とこれまた、のんきなことを言ってきた。
「……どういうことですか?如月さん」
さっきまでの怖い顔を、一気にクールな表情に戻して一臣様は兄に聞いた。
「何がだい?」
「弥生は、僕のフィアンセだっていうことは知っていますよね」
「候補にあがっているみたいだけれど、まだ、君のフィアンセってわけじゃない」
「…候補?弥生が?」
「ああ。そうだよ。君だって知っているだろう?他にも数名候補者がいることを」
「誰がそんなことを、あなたに言ったんですか?」
「君のお母さんだよ。ひと月ほど前アメリカに仕事の用事で来た際に、上条グループのアメリカ支社に寄ってくれたんだ。わざわざ僕に会いにね」
「母が?」
一臣様のお母様が兄に会いに?!なんで?
「それで教えてくれたよ。弥生が候補者のひとりであること。他の候補者が誰かも…。君のお母さんが一押しのお嬢様は、どこかの銀行の頭取のお嬢様なんだってね?」
「母がそんなことを、わざわざあなたのところまで言いに行ったんですか?」
「ああ。教えてくれに来たよ。わざわざ。2番目に考えているのが政治家のお嬢様で、3番目がレストランを何件も経営しているなんとかって、老舗の店のお嬢様だったかな」
「………それで?母はあなたになんて言ったんですか?」
「うちの一臣は弥生さんとの結婚を、まるで考えていないから妹さんにも悪いから、辞退してもらってもいいんだと」
「母がそんなことを?」
一臣様の顔色が変わった。
私もだ。今、一瞬、目の前が暗くなった。
辞退って?フィアンセ候補から外れるってこと?
「辞退も考えたよ。だが、父や弥生に黙って辞退するわけにもいかないし、まず、弥生本人に聞いてみないとと思ったんだが、君のことを知れば知るほど、僕は君と弥生を婚約させたくなくなったよ」
兄の顔が、一気に真剣な顔になった。
「弥生は僕の大事な妹だ。君のいろんな噂も聞いているし、君と結婚して弥生が幸せになれるとは思えない。それも、君のお母さんからも君からも、歓迎されていないようだしね。そこで、こうして君に直接僕が会って、話をしにきたわけだ」
「……話?いったいなんの話があるというんですか?ただ、婚約するのを反対しに来たのではないんですか?」
一臣様は、とても冷静な口調でそう聞いた。
「弥生にもね、結婚相手の候補者がいることを、まず、君に知ってもらおうと思ってね」
「弥生に?へえ。それは初耳です」
「そうだろ?でも、僕は前から考えていたんだよ。ここのいる赤坂氏は、未来の上条グループのアメリカ支社を任せようと思っている男でね。弥生には申し分ない男だと思っているんだ」
「……え?」
一臣様はトミーさんを見た。そして、まだ私の肩を抱いているトミーさんの腕も見て、
「弥生の結婚相手だと?」
と、今度は私のことまで睨みつけてきた。う、うわあ。怖い。私はおずおずとトミーさんの腕をどうにか私の肩から外した。
「そうだ」
兄は、ものすごく冷静沈着な声でそう答えた。
「……よく言っていることがわからないな。弥生が僕のフィアンセ候補者だとしたら、選ばれる可能性もあるんだ。そうしたら、弥生は僕と結婚することになる。彼とではなくて…」
一臣様は、兄の方をギラっと睨み返しながらそう言った。
「いや。君が弥生を選ぶんじゃない。弥生が君か、トミーか、どちらかを選ぶんだ」
「…ますます、言っている意味がわからないな」
「じゃあ、はっきりとここで言っておく。いいか。今回のプロジェクトも、緒方商事からの提案で始まったことだが、上条グループはこのプロジェクトから手を引いても何にも痛くも痒くもない。他にも我が社と取引をしたいという会社は、たくさんある。緒方商事だけじゃないんだ」
「……」
「君の方が、弥生と、いや、上条グループと結びつきが欲しいはずだ。それを切られて痛手を被るのは、そっちのほうだろう?なのに、なぜ、婚約者を選ぶ主導権があるのが、君の方なんだ」
「………脅しているのか?何が言いたい。それとも、ここまでプロジェクトを進めておいて、手を引くと言いたいのか?」
「弥生にちゃんと考える時間を与えてあげたい。父が勝手に君との婚約を決めてしまった。弥生は君のことをちゃんと知っているわけじゃない。遠目から見て勝手に憧れを抱いただけのことだ。君のことをよく知ってみて、君と結婚する気があるというのなら、そこで初めて君の婚約者の候補として弥生をあげてくれたらいい」
「……そこで、こちら側が弥生を選ばなかったら?」
「構わない。君が弥生を嫌なら、それも仕方がない。僕はね、見合いで結婚をした。だが、見合いをしてみて自分の意思で決めた。彼女も僕と何度か会って、僕と結婚することを合意してくれた。僕も彼女には一目惚れしてね」
突然兄は自分の結婚話を始めた。
「……それで?」
一臣様は眉をしかめ、その話がなんの関係があるんだというような口ぶりで聞き返した。
「弥生も君も、ちゃんと自分で結婚相手くらい決めたらいい。そうは思わないかい?親や会社のためだけで結婚相手を選ぶなんて、ナンセンスだろう。戦国時代じゃあるまいし」
「へえ。上条家は親の言いつけ通りの相手と結婚しているものだと思っていましたよ」
「違う。僕も弟の卯月も、そりゃ、見合いはしたさ。でも、ちゃんと自分たちの意思で、結婚を決めたんだ」
「……僕と、弥生にもそうしろと?それで、僕が弥生を選ばなかったら、このプロジェクトは?」
「僕はそんなことで、緒方財閥を切るつもりはないさ。ただ…。弥生を選んだにもかかわらず、弥生を泣かせるようなことをしたらわからないけどね」
「ははは。これはすごい、兄妹愛だな」
「そうだ。上条家は家族を何よりも大事にするんだ。そのへんは覚えておいてもらいたい」
「じゃあ、なぜ、上条グループの社長は、僕と弥生を婚約させた?弥生には選択は出来なかった。勝手に決められたことだ」
「そうだ。勝手に君の婚約者として候補に挙げられた。そこまでは、父が勝手に決めたことだが…」
兄はそこまで言うと、少し黙り込み私を見て、
「父が言うには、何より、弥生が一臣氏に惹かれたから、婚約を決めたと言っていた。弥生が嫌がるようなら断った。だが、弥生の一臣氏に対する想いを尊重したから婚約の話をちゃんと引き受けたと…」
と、静かにそう続け、溜息をついた。
「……え?」
私?!
「そうか。もしかすると、あれか。数ある候補者の中で、弥生に決まってしまったのは、お前が俺に惚れたからか!それが原因か?!」
うわ!一臣様が怒った!!!
「決まっていないだろう?まだ、候補者はいる。まだ、弥生には決まっていない」
兄がすかさずそう言うと、
「弥生に決まってしまったと、僕も思ってなかば諦めていたが、君のお母さんはどうやら、弥生のことを気に入っていない様子だしね。他の候補者が選ばれるかもしれないってことだ」
と、ほんのちょっと口元に笑みを浮かべてそう言った。
「……他の、候補者に決まるってこと?」
また目の前が暗くなった。私ではなく、他の人が一臣様と結婚するかもしれないの?
ううん。一臣様のお母様にとって、私はもう候補者から外したいくらいのダメお嬢様なんだ。婚約者失格なんだ。もう、一臣様のおそばにいられなくなるかもしれないんだ。
「弥生。いいか。お前は遠くから見て勝手に一臣氏を好きになっただけだ。一回冷静に考えろ。一生の問題なんだぞ?」
「え?」
兄は私の両肩を掴み、揺さぶりながらそう言った。
「僕は、弥生に幸せな結婚をしてもらいたいと思っている。ここで、一臣氏ではなく、他の人を選んでもいいんだ。一臣氏だけがお前の結婚相手じゃないんだ。目を覚ませ。現実を見ろ。遠くで見ていた頃とは、まったく違うだろ?一臣氏にお前も本当は、がっかりしているんじゃないのか?」
「……」
朦朧とした意識の中で、私は兄を見た。兄は真剣な目をしていた。その隣にはトミーさんの顔があった。
「トミーの方が、お前には似合っている。トミーの方がお前のことを幸せにする」
そんなこと考えられないよ。
一臣様以外の人なんて考えられない。もし、一臣様のそばにいられないなら、私、出家する。
他の人なんて、考えられない!!
ボロボロボロ。涙が溢れ出てきた。
「弥生?なんで泣いているんだ」
兄は、心配そうに私の顔を覗き込んだ。
一臣様は、そんな私のことを、ものすごくクールな目で見ていた。
心臓が痛い。
一臣様以外の人なんて…。
「お兄様。無理です」
「何がだ?」
「私、ずっとずっと、一臣様のお役に立ちたいって頑張ってきたんです」
「ああ、それは聞いているから知っている」
「ずっと、一臣様にふさわしい女性になれるようにって、そう頑張ってきたんです」
「だが、その一臣氏はどうだった?実際、近くで会ってみて、お前にふさわしい男だったのか?」
「違います。私のほうがふさわしくないくらい、ダメなお嬢様だったんです」
「……え?」
「私、がっかりなんてしていません。一臣様を知っても、近くで知っても、前よりも好きになるばかりで、がっかりなんて…」
ボロボロ。涙が目から溢れ出た。
兄の表情は硬くなった。隣でトミーさんも、眉をしかめている。でも、一臣様の表情はまったく変わらない。
「私、一臣様以外の人なんて、考えられません」
「弥生!お前は他の男性と付き合ったこともないからわからないんだ。ずっと彼のために頑張ってきたっていうのは、卯月や父さんから聞いてわかっている。だけど、その張本人はどうだ?お前のことをなんとも思っていないどころか、歓迎もしていないんだぞ?」
「う…」
そうだけど。
「お前が不幸になるのは、目に見えている。お前のことを大事にしてくれないやつに、なんだって嫁にいかせられるんだ」
確かにそうだけど。何も言い返せないけど。
「でも、私は…」
「弥生。僕のほうが君を幸せにできる」
トミーさんが今度はいきなり私の両肩を掴み、そう言ってきた。それも、思い切り力強い声で。
「え?」
「まだ、会って間もないが、弥生を好きになったんだ。君の好奇心旺盛な前向きなところも、明るく元気なところも、チャーミングでキュートで、全部僕好みだ」
「……え?え?」
「結婚を前提として付き合おう。僕のことをちゃんと知って欲しい!」
ま、待って。待って!だから、私は、一臣様が~~~!
顔を引きつらせ、かたまっていると、私の隣で一臣様が両手を腰に当て、「ふふん」と鼻で笑っていた。
ど、どうして?なんで、鼻で笑っているの?!