~その7~ 兄の策略
私は、帰りの車の中、
「ごめんなさい。実は夜も、兄と食事をすることになり、またあのホテルに行くことになりました」
と等々力さんに告げた。
「構いませんよ。何時にホテルにつけばよろしいですか?」
「レストランは7時に予約を入れているらしくて」
「はい、かしこまりました。その時間に間に合うようにお屋敷を出ましょう」
「すみません。何度も」
「それは、一臣様はもうご存知なんですか?」
「はい。兄から電話で、樋口さんに連絡していましたから」
「仲のいいご兄弟なんですねえ」
「え?あ、あの。久々に会えたので…。昔っから会うと、離してくれなくなっちゃうんです。実家だったら、もっと大変でした」
「あはは。そうなんですか。可愛くて仕方ないんでしょうねえ。そういえば、10歳離れていらっしゃるとか」
「はい」
「それでしたら、可愛がるのも無理はないですね」
「はい」
ああ、心苦しいです。嘘ついちゃって。
本当の理由は、兄のすすめる人とお会いすることだなんて、そんなの誰かに知られたら。
ハッ!あそこのホテルって、一臣様もよく利用するんだよね?耳に入ったりしないかな。だ、大丈夫かな。いきなり不安になってきた。
でも…。
でも、もしかすると、一臣様は、私が他の人と一緒にいたとしても、気にならないのかもしれないし。
あ!でも、久世君とのことは、やたらとうるさく注意してきた。
でもなあ、あれも、嫉妬とかじゃないよなあ。久世君は前から、要注意人物だと、日陰さんが言っていたし。
ああ。あれこれ考えても仕方ない。とにかく、私は一臣様との婚約を解消するようなことは、絶対にしないんだからっ!
やっと、やっと憧れの大好きだった一臣様の近くに来られたのに、なんだってまた、離れないとならないわけ?
よし!気合入ってきた~~!
寮に着くと、キッチンにそっと行き、
「コック長。今日のまかない、食べられなくなっちゃいました。ごめんなさい」
と謝った。
「大丈夫ですよ。では、また明日にでも」
「はい」
と言いつつ、キッチンに漂う、すごくいい匂いが私の後ろ髪を引かせた。ああ。美味しそうだった。夕飯のメニューなんだろう。そうそう今の時期、手に入らないってものだよね。その材料がまかないに入っていたかもしれないんだよねえ。
ってなわけないか。全部、お母様が召し上がることになるんだろうし。
ってことは?あのダイニングにお母様がお一人?
いや。今日は一臣様もお屋敷で食べるのかな。
は~~~。とにかく、私はしばらく、お屋敷には入れないんだよねえ。
そう溜息をつきながら、そうっとキッチンを出た。それから、寮の部屋に戻った。
すると、喜多見さんがいた。
「あ、おかえりなさいませ、弥生様」
「ただいま。喜多見さんは休憩ですか?」
「はい。こちらに、一臣おぼっちゃまのお弁当箱、揃えておきましたので」
「え?!これですか?」
「はい。この大きさでしたら、十分かと。材料も買ってまいりますが、どのようなものがいいですか?」
「え、えっと。和食が得意なので、和食で」
「和食というと?」
「ひじきとか、切干大根とか、魚の煮物とか…。あ、ダメだ。茶色のお弁当になっちゃう。もっと、黄色や緑も入ったカラフルなものでないと」
すると、本棚から一冊、お弁当の本を喜多見さんが取り出してきた。
「これは、娘が高校の頃に買ったお弁当の本なんです。参考になりますかしらねえ」
「わあ!見てもいいんですか?」
「はい、もちろん」
その中から、卵焼きや、アスパラのベーコン巻きなど、カラフルに見えそうなおかずも選び、喜多見さんは買い物に出かけた。
「私が本当だったら、買い物も行くべきなんじゃないかなあ」
私も一緒に行きますと言ったら、一人で大丈夫だって断られちゃったけど。
「ほら。また、暇になっちゃった…」
う~~~ん。掃除でもしようかなあ。兄と約束の時間までまだまだあるし。でも、喜多見さんのおうちの中を勝手に掃除していいものかどうか。
「また、寮の中、探検に行くか」
フラフラと探検に行くと、外が曇ってきたからか、暗くなってきた。
また休憩室に入った。暗かったので電気をつけると、今にも切れそうな電気を発見した。
「お、仕事だ」
とはいえ、脚立もなければ、交換する電気もない。
「また、明日誰かに聞いて交換するか」
それから、どうせだったらと、休憩室を出てから、寮内にある電気を見て回り、いくつか切れそうな電気や、すでに切れている電気を見つけてきた。
それに、中庭のベンチは、相当古いのか、色がハゲちゃっているし、花壇の周りの柵も、朽ち果てている部分がある。
「よし。これも、直そう。ペンキ塗り変えたり、木の部分を交換したりしたら、きっと綺麗になる」
そう思うと、またワクワクしてきた。
「は~~~。なんだってこういうことが、私は好きなのかなあ。アパートどころか、寮にいた頃からかも」
高校時代の文化祭、いつも私は舞台裏の仕事が好きだった。ペンキを塗って看板を作ったり、ドレスを縫ったり。
「舞台裏…。それが私には似合うのかなあ」
舞台で主役をする生徒は、見るからに華があった。ただ、舞台の真ん中に立っているだけでも、絵になるようなそんな人が主役をしていたっけ。
私とは違う人種って、何度か思ったなあ。
「はあ」
あ、また溜息が出てた。今さっき、ワクワクしたばっかりなのに。
「気合だ、気合!」
ガッツポーズを作ってみた。でも、今いち気合が入らない。
「なんか、最近立ち直りが遅いかも。それに、立ち直ってもすぐに落ち込んでいる気がする…」
はあ…。また、溜息だ。
ブルルル…。
「あれ?電話?!」
携帯電話が鳴った。もしかしてまた、兄からかな?と、慌てて電話に出ると、
「弥生か?」
と一臣様の声がした。
「一臣様!?なんで、私の携帯に…。番号ご存知でしたっけ?」
「ああ、樋口に調べさせた。ところでお前、夜もまたお兄さんと食事をするのか?」
ドキ~~~!それで、電話してきた?
「あ、あの。昼ご飯の時、兄がゆっくりできなくて、それで、また夜ゆっくり食べようっていうことになって…ですね…」
ああ。心苦しいせいか、変な日本語になっている。
「どこで食べるんだ?」
「昨日のホテルの最上階…」
ハッ!教えたらやばかったかな。
「フレンチ?お前コース料理苦手だろ?」
「いえ、あの、あの」
ダメだ。嘘つけないよ~~。
「ローストビーフのお店だって、兄が言っていました」
「ああ。フレンチの隣にあったな。俺も入ったことはないんだが…。そうか。二人でか?俺も今夜は特に何もないし、同席してもいいか?」
「はあ?!ななな、なんでですか?」
「上条グループ次期社長とは、一回ちゃんと話がしてみたかったんだ」
「ダメです」
「え!?」
「あ。いえ、あの…。兄はどうやら、私と一緒に色々と話がしたいみたいで。なので、兄と一臣様が食事をするのは、またの機会にしてもらってもいいですか?」
「……ああ、そうか、俺は邪魔か!」
「いえ。そういうわけでは…」
ひえ~~~~。怒った。絶対に怒った。
「ふん。ブラコンなんだな、お前は。まあ、せいぜい兄貴が日本にいる間は、甘えるんだな」
そう言うと一臣様は電話を切ってしまった。
「……」
ごめんなさい。嘘ついた。一臣様に嘘ついちゃった。
あ~。ますます、落ち込んだ…。やっぱり、兄にちゃんと断れば良かった。
ドスンと気持ちが沈んだまま、私はまた車に乗ってホテルに向かった。あまりにも車内で静かなので、等々力さんは心配していた。
「どこが具合でも悪いんですか?」
「いいえ。大丈夫です。ちょっと、お腹すいちゃっただけで」
「ああ…。でも、美味しいものをお兄様にご馳走してもらえるんじゃないですか?」
「……はい」
そんな優しい表情をして言われると、罪悪感で胸が痛む。一臣様も兄に甘えてこいって言ってたなあ。うう。申し訳ないなあ。
ホテルの正面玄関に到着した。すぐにベルボーイが飛んできて、
「弥生様。お待ちしていました」
と、車のドアを開けてくれた。
それから、なぜかエレベーターで最上階まで案内してくれた。
「如月様がお待ちです」
「はい。ありがとうございました」
そして、レストランに入ると、これまた支配人らしき人がすっ飛んできて、
「弥生様。お待ちしていました」
と、個室に案内された。
もしや、ここでもVIPルーム?みたいだなあ。
「弥生。待ってたぞ」
兄はもうその部屋にいた。そしてその横には、見た目思い切り外人の、背の高い男の人が立っていた。
「弥生。昼に話した赤坂君だ」
「赤坂冬馬です。はじめまして」
「上条弥生です。はじめまして」
うわ~~。目、青いよ。髪は栗色だ。
「日本語、お上手なんですね」
ぼ~~っとしながらそう言うと、
「何言ってるんだ、弥生。赤坂君はハーフだって言っただろ?大学はアメリカだけど、日本育ちなんだよ」
と兄に言われた。
「あ。そ、そっか。すみません」
「はっはっは。こう見えても、横浜生まれの横浜育ちなんですよ、僕は」
なるほど。そりゃ、流暢な日本語を話せるのも当たり前か…。
「どちらかというと、英語の方が不得意で、留学してから苦労したくらいですよ。それも、この顔だから、みんな英語が出来ると思い込んで話しかけてくる…。随分と苦労したんですよ。ハハハ…」
あかる~~~い。それに、人懐こい笑顔。
「ま、立ち話もなんだし、座ろうか」
そう兄に言われ、私たちは椅子に座った。
「トミー、何飲む?」
突然兄がそう赤坂さんに聞いた。
「と、トミー?愛称ですか?」
私が赤坂さんに聞くと、
「はい。アメリカで自己紹介をすると、必ず、冬馬をトーマスと勘違いされて、そのあとずっと、トミーと呼ばれてしまうんです」
とこれまた、明るく答えてくれた。
「へえ」
「弥生もトミーって呼んでくれて、構わないですよ?」
弥生?いきなり呼び捨て?!
「えっと。あ、はい。じゃあ、トミーさんって呼びます」
「はっはっは。さん付けですか。トミーだけでいいんだけどなあ。ああ、如月、僕はビールにするよ」
「そうか。じゃあ、僕もビールだな。あ、弥生はアルコールはダメだぞ」
「弥生はまだ未成年?」
トミーさんが聞いてきた。
「弥生は酒に弱いんだ。すぐに寝ちゃうんだよ。だから、烏龍茶でいいよな?」
「はい」
飲み物を頼み、それが運ばれてきて3人で乾杯をした。それから、ローストビーフや、サラダなどが運ばれ、3人で楽しく会話をしながら食べた。
トミーさんは本当に気さくな人で、兄ともすごく仲が良かった。兄よりも、5歳下だが、兄を呼び捨てにしているあたり、なんだか大物って感じがする。でも、
「同期なんだよ」
と兄が教えてくれた。
「え?だけど、如月お兄様って、入社って何歳の時でしたっけ?」
「29だ。トミーも大学を休学したりしていたから、入社したのが24歳だったっけ?」
「そうそう。2年も、大学行かないで遊んでた」
トミーさんは明るくそう言った。
「ちょっとね、大学生の間に世界を回ってみたかったんだ。リュック一つで旅に出た」
「わあ!してみたい、私も」
「言うと思った。弥生、思い切り興味あるだろ?トミーに色々と聞いてみたらどうだ?」
「え?いいんですか!?聞きたいですっ」
興味津々の目で、トミーさんを見ると、
「あっはっは。弥生は如月が言っていたとおりだね。好奇心旺盛で、行動的!僕の好みの女性だね!」
と、ものすごく嬉しそうに笑いながらそう言った。
え?
私は、トミーさんとは全く反対の反応を示してしまった。一気に、顔が硬直して笑うこともできなくなった。
「弥生。僕はね、いろんな人ともっと接して、お前に視野を広げて欲しいと思っているんだ。特に、トミーみたいに世界を回ってきた人間と話すと、いろんなことが知れて面白いぞ」
兄に気づかれてしまった。
「でも…」
「弥生は、緒方財閥の御曹司の婚約者として、候補に挙がってるんだって?」
「え?!」
トミーさんの言うことにびっくりした。なんだ?その候補って。
「そうなんだよ、トミー。父が勝手に決めてしまってね。僕はあまり、緒方財閥の一臣氏はおすすめできないんだけどね」
「弥生は自分の婚約者になるかもしれない男のことを、知っているのかい?」
トミーさんが、なんだか真剣な顔をして聞いてきた。
「はい。それはもう、しっかりと、ばっちりと」
「いいや。弥生は全く彼のことをわかっていない。僕のほうが詳しく知っているくらいだ」
「なぜ?お兄さま。会ったこともないのになぜわかるんですか?」
「わかるさ。彼のことはリサーチ済みだ」
今度は兄が真剣な顔をしてそう言った。
「お前は、大学時代、遠くから一臣氏を見ているだけで、な~~んにも彼のことはわかっていないんだろ?どうせ、緒方財閥の御曹司ってだけで、勝手にいいイメージを膨らませ、恋に恋していただけだ」
「な、なんでそんなことを言うんですか?」
兄に馬鹿にされたような気がして、思わず頭にきてそう聞き返した。
「そうじゃないのか?卯月からも聞いているぞ。一臣様が、今日は優しく微笑んでくれただの、一臣様の姿は今日も素敵だっただの、そんなことばっかりあいつにメールしていたそうじゃないか」
うきゃ~~~!卯月お兄様、如月お兄様にばらしていたんだ!酷い!
「葉月も言っていたぞ。ちゃんと一臣氏を知って好きになったわけじゃない。あいつが勝手に一臣氏を王子様のようにイメージして、妄想膨らませているだけだってな」
葉月までそんなことを言ってたの?ひどすぎる!いっつも、うんうん、良かったなって、メールで返事してくれていたのに!
「でも、今は、会社に入って一臣様のことを身近で見て知って、それでも、私は変わらず一臣様のことを…」
「彼に何人の女がいるのかわかっているのか?」
グ…。
「そ、それは…」
「ああ、いることは知っているのか」
兄はそう言うと、はあって溜息をついた。
「僕も一臣氏は、弥生には合わないとそう思いますよ」
トミーさんまでが言ってきた。
「だろう?」
「うん。弥生がこんなに純情そうないい子だって、会うまでわからなかったけど、これじゃ、如月が反対するのも頷ける。一臣氏には、昨年、ちょうど僕が日本の本社に来ていた時に会ったことがあるけれど、綺麗な女性の秘書をはべらかせ、あまりいい印象はなかったなあ」
はべらかす?誰のこと?葛西さん?あ、青山さんかなあ。
「僕は昨日が初対面だった。そういえば、お前、また飲んで寝ちゃったんだろ?それでそのまま、このホテルに一臣氏と泊まったのか?」
「それは、本当に何もなくって。えっと、寝ちゃったから、一臣様が部屋まで連れて行ってくれたけど、本当にそれだけで、何も…」
私は慌てながらそう兄に言った。
「わかってるよ。お前を見たらそういうのもちゃんとわかるし、お前が嘘をついているかどうかくらい、僕には見抜けるからね」
うわ。言われた。そうなんだ。如月お兄様には嘘が通用しないんだ。全部バレてしまうから。
「でもこのまま、彼のそばにいたら、いつ彼の毒牙にやられるか」
あれ?それどこかで聞いた。ああ、祐さんも同じようなこと言っていたっけ。
「やはり、僕は全力で阻止するからな」
「待って!日本にいる間に、一臣様を見て判断するって言ってたのは嘘なんですか?」
「ああ。言った。2週間滞在するから、その間に、彼をしっかりと見張らせてもらう。まず、明日、夜に会食をするようにさっき、秘書の樋口氏に連絡を入れた」
「え?一臣様とお兄様で?」
「海外事業部の合同会議に、一臣氏も参加することになっている。そのあとに、会食の場を設けさせてもらった。お前もちゃんと参加するんだぞ、弥生」
「私も?」
「お前と一臣氏が、どんな感じなのか、そこでちゃんと見させてもらうからな」
…お、お兄さまの目、怖い。
「僕も明日の会議も、会食も参加しますよ、弥生」
トミーさんはめちゃくちゃ明るい笑顔でそう言った。
「………はあ」
なんでこの人、こんな笑顔なんだ?
「トミーはすっかり弥生のことが気に入ったのか?」
え?!
「ああ、如月。とってもチャーミングな女性だ。キュートで、僕好みだよ!」
「………」
うそ。
「それは良かった。絶対に気に入ってもらえるって思っていたんだ」
お、お兄さま?!だから、私にはフィアンセがいるって言っているのに。
あれ?でも、フィアンセ候補って言っていたよね?え?そうなの?
ってことは、私以外にも候補者はいるってこと?
え?違うよね?!
なんだか、どんどん不安になってきた。あ~~~~~~~~。頭痛までする。
一臣様、私たちって、ちゃんと婚約しているんですよね?!
お父様。私って、一臣様の婚約者ですよね!?
やたら明るい兄とトミーさんと対照的に、私はすっかり暗くなってしまっていた。