~その2~ いよいよご対面!
翌朝、私はワクワクしながら早くに家を出て、会社の前にあるカフェでずっとドキドキしながら一臣様を待った。が、始業ギリギリになっても来なくて、慌てて私はビルに入り、猛スピードで庶務課に行った。
「お、おはようございます!」
全速力で走ってきたから、息が切れた。
「やあ、おはよう。なかなか来ないから、辞めちゃうのかと心配したよ、上条さん」
「え?いえ。けして辞めたりしません!ただ、もしかして社長のご子息に会えないかなって思って、待っていたんですが、会えずじまいでした」
そう言うと、臼井課長は、はっはっはと笑い、細川女史は呆れる顔で私を見た。
「あなた、やっぱり社長のご子息を狙っているわけ?」
「い、いいえ。そんなことは…」
「もしかしたら会えるかもしれないな」
ぼそっと小さな声が、後ろから聞こえてきて、私はびっくりして振り返った。
「うわ!いたんですか。日陰さん。まるっきり気配を感じませんでした」
「ずっとここに座っていたけど」
「すみません。あ、でも、会えるかもしれないっていうのは?」
「先月までここにいた社員、一臣氏に辞めさせられたんだよ」
「え?!ど、どうしてですか?」
「一言で言うと、たてついたから」
「…たてついた?」
「このビルの最上階は、社長や専務の部屋しかない。一臣氏もそこに部屋を構えている」
「一臣様って、肩書きは専務なんですか?」
「いや。彼にはまだ肩書きはない。だが、入社してからすでに、彼は副社長クラスの仕事を任されているようだよ」
「……副社長?でも、副社長って今、いますよね?」
「今の社長の義理の弟さんが副社長だが、緒方商事の大阪支社長に着任するという噂がある」
「大阪支社長?」
「今は大阪支店。どうやら、関西の方でも緒方財閥は大きなプロジェクトを展開しようとしているようだ」
「それで、近々、大阪支店から支社に変わるんですか?」
「そういうことだ。副社長が大阪支社長に着任したら、本社の副社長の椅子には一臣氏が座るという、そういう噂が流れている」
「そうなんですか…」
日陰さん、結構詳しいんだな。影は薄いのに。
「そのために、一臣様はご婚約もされたわけ。相手がどこの令嬢かは知らないけど、この大きなプロジェクトには絶対必要な会社のご令嬢なんじゃないかしら?だから、あなたはどんなに期待をしても無駄よ。手の届かない雲の上の存在なんだから」
細川女史が、話に割り込んできた。
「……そのプロジェクトのために婚約?」
「そうよ」
「じゃ、その結婚って、とっても緒方財閥には大事な…」
「そうよ。やっと理解できた?」
「はい」
知らなかった。あんまりその辺の経緯を父から聞いていなかったし。そういえば、上条グループは、10年前から大きく関西にシェアを広げ、大成功を果たした。もしかして、関西で強みがあるからなのかしら…。
「みなさん、詳しいんですね」
「え?そりゃもう…。会社の隅っこにあるとは言え、いろんな雑事を頼まれるから、いろんなところから情報が入ってくるのよ」
「そうなんですか」
今、一瞬、細川女史の顔が引きつった気がしたんだけど、気のせいかな。
「あの、それで一臣様に会えるかもしれないっていうのは?」
もう一回、私は日陰さんに聞いてみた。
「ああ、このビルの最上階にあるトイレの電気が切れてしまい、今すぐに交換しに来いと電話があったんだ。それを受けたのが、庶務課にいた川口という3月に辞めた人物なんだが…」
「電気の交換は、このビルを管理している管理会社に連絡を入れ、それから電気屋が来て交換をするようになっているわけ。でも、そうすると時間もかかるし、今すぐに自分で交換しろって言ってきたのよ。電気の予備は一応倉庫にあるしね」
「それ、一臣様が言ってきたんですか?」
「そうだ。でも、電気の交換は電気屋の仕事ですからって川口氏が言ったら、一臣氏は怒りまくってわざわざこの庶務課まで足を運び、川口氏を怒り飛ばし、辞めさせてしまったんだよ」
「怒らせると怖い人よ。あなたも怒らせてみたら、会えるかも知れないわね」
「えっと、でも…」
「何?」
「一臣様の言うことって、当然のことじゃないんですか?辞めさせてしまったのは行き過ぎだとは思いますが」
「は?」
細川女史が驚いた顔をして私を見た。日陰さんも臼井課長もびっくりしている。
「だって、予備の電気はちゃんと倉庫にあったんですよね」
「ええ、あったわ」
「それだったら、すぐに電気を交換できるわけですよね。なんでそんなことにわざわざ、電気屋を呼ばなきゃならないんですか?すぐに脚立でも持って、交換に行けばよかったのに」
「だけど、トイレの電気だよ?一つくらい切れていたからって、すぐに交換しろっていうのも」
「でも、簡単に交換できますよね?」
私がそう言うと、みんなの目が点になった。
「トイレの電気の交換なんて、自分のする仕事じゃないって怒っちゃったんだよ。川口氏はね」
日陰さんがそう静かに言った。
「…そうなんですか?でも、雑事が庶務課の仕事ですよね?だったら、そのくらいはちゃんと引き受けないと」
「そ、そういうことなら、今度またそんな要求があったら、上条さんが電気交換してくれる?」
細川女史が、また呆れた顔をしながら私にそう言った。
「はい!任せてください。学生の頃住んでいた下宿では、よく電気交換も日曜大工もしていましたから!」
「日曜大工?」
「はい!ドアの立て付けを直したり、壊れた椅子の修理から、犬小屋の屋根の修繕まで、いろいろとしていました」
「…そ、そう。頼もしいわ。そういう特技を活かせる部署に配属されて良かったわね」
「あ!そうですよね!!!!」
元気にそう言うと、臼井課長は「はっはっは」と笑い、日陰さんと細川女史は苦笑した。
でも、私に出来ることがあるなら、なんだってする。それが一臣様のいるこの会社に貢献できることになるなら!
だけど、最上階か…。庶務課は1階の奥の奥だから、会える可能性は本当にゼロに等しいんだな…。
「そういえば、一臣様に会うために待っていたって言っていたわよね」
「はい」
「一臣様はいつも、運転手付きの車で出社するの。そして、役員専用の玄関から入るのよ」
「でも、昨日朝、出社する時に会えるかもって」
「ごくたまに、正面玄関から入ることがあるというだけで、ほとんどは役員専用の玄関からよ。だから、会えるチャンスなんて本当にごく稀よ」
細川女史はそう言うと、パソコンの画面を開き、
「さてと。今日の運勢はどうかしら」
とおもむろに、星占いを見始めた。
「………」
そうか。一臣様に会うチャンスは、ごく稀なのか。じゃあ、どうやって、会ったらいいんだろう。
最上階に行く機会なんてそうそうないだろうし、いったい、いつ会えるんだろう…。それにしても、婚約しているっていうのに、なんで婚約者にこうも会えないでいるのか…。
あれ?ちょっと不安が。本当に私って、一臣様の婚約者?
午前中、仕事は全くなかった。私は会社のパンフレットを見たり、役員の人たちの顔と名前を覚えたり、緒方財閥の会社のデータなどをパソコンで見ていた。
昨日、最上階以外の階は、課長が案内してくれた。最上階には、エレベーターのキーがないと行けないようになっているらしい。
だから、こっそりと最上階に潜り込む…なんていうことは、できないということだ。
案内されている間に、どこかでばったり一臣様に会えないかと期待もしたけれど、無理だった。
昼休みになり、私はお弁当を持ち会社から出た。そして近くの公園のベンチに座り、お弁当を広げた。
「今日、ちょっと風が冷たいけど、いい天気だなあ」
お弁当を食べ終わり、空をのんびりと見つめた。とその時、携帯が鳴った。
「もしもし、お父様?!」
「ああ、弥生。元気か?どうだ?緒方商事は…」
「あ、あの。ちょうど良かったです。お父様に確認したいことがあって。私って、本当に一臣様の…フィアンセ」
「シーッ!」
「え?」
「今、どこにいるんだ、弥生」
「会社近くの公園です」
「誰が聞いているかもわからない。いいかい。弥生が一臣君の婚約者だというのは内緒なんだよ。正式な発表があるまでは、誰にも言ってはならないと、前にも言ってあったね?」
「はい。でも、あの…。私、緒方商事では、彼の仕事のサポートができるのではないかってそう思っていたんです。ですが配属された部署は庶務課で、全く彼とも会えないような部署なんです」
「そうか。それは、緒方氏の何か考えがあってのことなんだろう」
「社長の?」
「弥生。いろんな詮索はいらない。君はただ、今いる部署で頑張って仕事をしなさい」
「…はい」
「どんな部署に配属されようと、一臣君のお役には立てる。そのことは忘れないように。いいね」
「はい。頑張ります!お父様」
そう言うと、父は電話を切った。
庶務課に配属されたのにも、何かの役目があるんだろうか。いったい、ここで私は、何ができるんだろうか。
わからない。でも、とにかく、出来る限りのことはしていきたい。
「よっし!頑張るぞ~~~~!!!」
私はベンチから立ち上がり、思い切りガッツポーズをしてから、社に戻った。
庶務課に戻ると、臼井課長だけが席にいた。
私は意気揚々と自分の椅子に腰掛けた。すると、その意気込みを待ってましたとばかりに、ちょうど電話が鳴った。
「私が出ます!」
日陰さんのデスクの電話だったが、私は張り切ってその電話に出た。
「はい。庶務課です!」
「……日陰さんは?」
「まだ、昼休憩中です。どんなご用件ですか?」
「君、誰?新しく入ってきた子?」
「はい。昨日から庶務課に配属され…」
「ああ、どうでもいいや。とにかく日陰さんが戻ってきたら、10階の大会議室の蛍光灯が切れているから、すぐに交換しろって言っておいて」
「10階ですか?」
「そうだ。30分後には会議が始まる。それまでに必ず、蛍光灯を替えておいてくれ。わかったか?」
「はい。了解しました!」
私はそう言って、受話器を置き、
「課長。10階の会議室の蛍光灯が切れているので、すぐに交換して欲しいということです」
と報告した。
「ああ。じゃあ、管理会社に電話して交換するように頼んでくれ」
「え?でも、電気の交換くらい出来るんじゃ…」
私がそう言うと、ちょうどその時席に戻ってきた細川女史が、
「あなた、午前中に電気の交換は私に任せてくださいって言っていたわよね。仕事がもうきたじゃない。行ってきたら?」
と、そう口元に笑みを浮かべながら言ってきた。
「あ、はい!そうですよね。30分後には会議が始まると言っていたし、すぐに交換してきます。あの、蛍光灯の在庫と、脚立はどこに」
「ああ、こっちだよ。僕が案内する。でも、本当に平気なのかい?」
臼井課長が、心配そうに私に聞いてきた。
「大丈夫です!蛍光灯を換えるくらい、お茶の子さいさい、朝飯前です!」
「もう、午後だけどね」
細川女史が、また口元に笑みを浮かべそう言った。
私は臼井課長の後に続き、庶務課の奥にある倉庫に入った。倉庫には脚立、パイプ椅子や長机、たくさんのダンボール、蛍光灯の在庫から、いろんなものが置いてあった。それに、その倉庫の奥にはもう一つ、ドアがあった。
「まだ、あの先に倉庫があるんですか?」
「ああ、あそこ?あれはなんでもない。地下に続いているドアだ」
「地下?」
「あ、ああ、あれだよ。電気のブレーカーとか、ボイラー室とか、そういうのに繋がっているドアだよ。我々にも関係のないドアだから、あの先に行ったことはないよ。業者の人だけが入れるところだ。だから、上条さんもあのドアには触れないようにね」
「あ、はい」
私は脚立を片手で抱え、もう一方の手で蛍光灯を持ち、倉庫から庶務課に戻った。
「では、行ってきます。あ、10階の大会議室ってどこですか?」
「エレベーター降りたらすぐに階の案内があるから、そこで見たら?」
細川女史がそう言ってから、
「脚立抱えてる姿、なんかドラマで見たことある。庶務課のドラマだったわよね。もしかしてあなた、あのドラマでも見ていたとか?」
と聞いてきた。
「え?なんのことですか?」
「ああ、わからなかったらいいのよ」
「はい。では、行ってきます!」
私の初仕事だ~~~!頑張るぞ!
総務部を横切り、廊下に出た。総務部のみんなが脚立と蛍光灯を持っている私を見て、びっくりしたり、くすくすと笑っていた。
エレベーターホールで待っていると、
「業者用のエレベーターに乗ったほうがいいですよ」
と日陰さんが声をかけてきた。
「あ、もしかしてついて来てくれるんですか?」
「まさか」
そう言うと、日陰さんはとっとと総務部のドアにIDカードを当てて、部屋に入っていってしまった。
「業者用のエレベーターってどこ?」
脚立を持ってエントランスあたりをウロウロとしていると、なぜか警備員が飛んできた。
「どちらに行かれるんですか?!」
「え?10階の大会議室に。蛍光灯を交換しに行くんですが」
「では、こちらのエレベーターで上がってください」
そう言うと、エントランスの逆側にどんどん連れて行かれ、ちょうど宅配便の人がカートを持って出てきたエレベーターに案内された。
「これが荷物専用のエレベーターですから」
「はい。ありがとうございます」
「新しく庶務課に入ってきた方ですか?」
「はい。上条といいます。よろしくお願いします」
私は警備員さんに頭を下げ、それからエレベーターに乗り込んだ。
10階のボタンを押した。エレベーターは5階で止まった。そして、ダンボールをカートに乗せた宅配便のお兄さんが乗ってきた。
「あ、何階ですか?」
「8階です…。えっと、蛍光灯の交換ですか?」
「はい。そうですけど」
なんでこの人、驚いているのかな。
「へ~~~。見かけない顔。庶務課の新人?」
「はい」
「庶務課とは、いろいろと関わることが多くなると思うけど、よろしくお願いします」
「はい!よろしくお願いします」
チン!ちょうどその時、エレベーターが8階につき、その人は降りていった。
「さて。いよいよだ」
エレベーターは10階に到着した。脚立を抱え、案内板を見てフロアの右手に大会議室があることを確認して、廊下を進んだ。
「あ、ここだ。大会議室…」
ドアをノックすると、
「はい?」
と中から声がした。
「あ、蛍光灯の交換に来ました」
「遅い!」
そう言って、バタンとドアが開くと、ドアの向こうには一臣様が立っていた。