~その11~ 婚約パーティ
朝、早くに目が覚めた。緊張で目が覚めてしまった。まだ、一臣さんはすやすや寝ている。私のことを抱きしめながら。
ああ。婚約パーティだ。ホテルの広間を貸し切ってのパーティだ。ドキドキだ。
しばらく一臣さんの寝顔に見惚れた。かっこいいよなあ。鼻筋が通っていて、唇は薄い。眉毛はきりりとしていて、麗しい。
うっとり……。
うっとりとしていたら、緊張がなくなった。
ベッドから抜け出し、自分の部屋に戻って顔を洗った。メイクはホテルで祐さんがしてくれるから、しなかった。髪をとかし、着替えを済ませた。
「弥生」
あれ?一臣さんも起きたんだ。私の部屋までやってきちゃった。
「早いな」
「はい。目が覚めちゃって」
「俺もだ。まだ早いから、走ってくるぞ」
「え?はい」
一臣さんはまた、自分の部屋に戻った。婚約パーティの日でも、走りに行っちゃうんだ。
私は早めにダイニングに行き、早めに朝食を済ませた。
「いよいよ、今日、パーティですね、弥生様」
「はい。ちょっと、緊張しています」
亜美ちゃんの言葉にそう答えると、亜美ちゃんは「ファイトです」と言って元気づけてくれた。
「亜美ちゃん。このお屋敷に来てから、ずっと励ましてくれたり、助けてくれて本当にありがとう」
「とんでもないです。私の方こそお礼を言いたいんです。弥生様が来てからお屋敷は変わりました。一臣様も奥様も、本当に変わったんです。メイドの中には辞めようかと悩んでいる人も何人かいましたが、そんなメイドたちも、今では楽しく働いています」
「そうなんですか」
「みんなで、今は楽しく働けています。本当に和気あいあいと…。これも全部、弥生様のおかげです」
「そんなことないです。私の方こそ、このお屋敷で暮らすのは、とっても居心地が良くて、みなさんのおかげだと思っています」
「……弥生様。私は、このままずっとここにいますからね」
「え?」
「喜多見さんのように、結婚しても子供産まれてもここにいますから」
「ありがとう、亜美ちゃん。心強いです」
目に涙を浮かべながら、私はお礼を言ってダイニングをあとにした。
部屋に戻ると、一臣さんはシャワーを浴びていた。もう、ひとっ走りしてきたんだな。
ガチャリとバスルームのドアが開き、
「弥生、さっき、祐さんがメールで早めにホテルに来いと言ってきたぞ」
と髪をバスタオルで拭きながら、私にそう告げた。
「早めにですか?」
「俺より早くに行って、メイクや着付けしないとならないだろ?等々力にも電話しておいた。そろそろ、車を玄関の前に回すらしいから、準備しておけよ」
「はい。でも、準備ってどんな?」
「…ああ。そうだよな。特にないよな」
一臣さんはすでに着替えを済ませている私を見てそう言うと、
「あとは、俺にキスをするくらいかもな」
と、にやっと笑って近づき、私の腰に両手を回して引き寄せ、熱いキスをしてきた。
わあ。朝から、腰抜けた…。
そして、一臣さんの「行っておいで」という優しい言葉を聞き、私は足元をふらつかせながら、部屋を出た。
等々力さんの車に乗り込み、亜美ちゃんやトモちゃんの元気な声に見送られ、私はホテルに向かった。等々力さんも車内で、明るく楽しい話をしてくれ、緊張よりも私は、なんだかどんどん今日のパーティが楽しみになってきた。
ホテルに着くと、ロビーに祐さんが待っていてくれた。わ。祐さん、今日はなんだか、男らしい。グレイのスーツを着て、ネクタイまでしている。
「待っていたわよ、弥生ちゃん」
でも、口を開いたら、いつもの祐さんだった。
「さあ、ヘアメイクしちゃいましょ。そのあと、着付けだから」
「着付けも祐さんが?」
「いいえ。ちゃんと着付けのプロがいるから大丈夫」
メイク室に移動した。結婚式場もついているホテルで、式用のメイク室だ。そこには、祐さんの美容院で働いている助手の人が二人も待機していた。
鏡の前に座り、早速メイクが始まった。祐さんは途端に真剣な顔になり、さっきよりさらに男らしさが倍増した。仕事をしだすと祐さんは、男の顔になるんだなあ。
「一臣君のリクエスト通り、薄化粧にしたわ。でも、振袖が赤だし、口紅は朱色、頬紅も赤めに…」
わあ。私がもし、頬紅を赤くしようとしたら、おてもやんみたいになっているところだ。だけど、祐さんがするメイクだと、とっても可愛らしくなるんだなあ。
それに、何よりもアイラインの書き方が素晴らしい。いつものぼやけた目じゃなくて、ちゃんと存在感のある目になっちゃうもんなあ。
メイクが終わると、次はヘアアレンジをしてくれた。私はボブカットで、結えないので、可愛い花のかんざしを髪にさしただけだが、それでも、華やかになった。
そして、隣の部屋の和室に移動して、振袖に着替えた。すでに着物は前もってホテルに届けておいた。
着付けのプロは、ホテル専属の人たちだった。50代くらいの女性二人が、あっという間に振袖を着せてくれた。さすがプロだ。
準備は整い、
「よし、完璧」
と、祐さんにウィンクされ、私と祐さんは控室に向かった。
控室にはすでに、細川女史が待機していた。細川女史は紺色の綺麗なフォーマルドレスを着ていた。
「まあ、上条さん、綺麗。お人形さんみたい!」
そこに大塚さんもやってきて、私を見て喜んだ。大塚さんは水色の可愛いフォーマルドレス姿だった。
「ありがとうございます」
「そこ座って。お茶を淹れるわね」
「はい」
椅子に腰かけ、淹れてもらったお茶を飲んで、少しのんびりした。
そのうちに、控室にいろんな人がやってきた。龍二さんと京子さんも到着して、
「弥生さん、とっても綺麗」
と京子さんも褒めてくれた。
そんな京子さんは、薄いローズピンクのドレスだった。それがとても似合っていた。
「兄貴はまだ来ていないんだな」
龍二さんが、きょろきょろとあたりを見回してそう言った。
「はい。まだみたいです」
控室には、お母様やお父様も現れた。私に優しく声をかけてくれ、そのあと椅子に座り、お茶を飲んでのんびりとしている。
本当に一臣さん、遅いなあ。と、そわそわと一臣さんを待っていると、ようやく一臣さんが現れた。
わあ。黒のタキシードだ。かっこいい。かっこよすぎる!
「一臣君、待っていたわよ。どう?弥生ちゃん、可愛いでしょ?」
祐さんが控室の入り口に走り寄り、一臣さんに聞いた。
「ああ。うん。さすが祐さんだ」
一臣さんは目を細めながら私を見て、それから近づいてきた。
「似合っているぞ、その振袖」
「あ、ありがとうございます」
一臣さんが私の隣に腰かけた。良かった。一臣さんが来てくれて、心底ほっとした。
「支度に時間がかかったんですか?」
「いいや。ホテルの入り口でとっつかまっていたんだ」
「誰にですか?」
「取材陣だ。たかが婚約パーティだっていうのに、取り囲まれた。正直びっくりしたぞ。弥生は大丈夫だったか?」
「はい。だあれもいませんでした」
「まあ、お前は顔、知られていないからなあ」
そうか。一臣さんって、そんなに有名なんだなあ。
それから、上条家のみんなも控室に来た。おばあ様は私を見て、とっても喜んだ。父や祖父は総おじ様と話し出し、一臣さんはなぜか、如月お兄様と意気投合して話し込んでいた。聞いてみると、仕事の話だった。
「弥生さん、おめでとう」
卯月お兄様が、雅子さんと一緒に来ていた。雅子さんは今日、着物だ。とっても似合っている。顔が和美人だから、ドレスより着物が似合うのかもしれない。
「お、馬子にも衣装…」
現れて唐突にそう言ってきたのは、もちろん葉月だ。
「葉月は彼女一緒じゃないの?」
「まだ、正式に婚約もしていないからさあ」
ちょっとムッとしながら聞き返すと、葉月はそう言ってから、
「良かったなあ、弥生。無事に婚約できて。だけど、今日へまするなよ。上条家の恥になるからな」
と、また腹が立つことを言ってきた。
「だ、大丈夫だもん。ちゃんと大人しくするし、一臣さんが隣に座っているだけでいいって言ってくれたし」
「一臣氏って、実は寛大?」
「そうだよ。なんで?」
「こんな弥生を嫁にしようとするくらいだから」
ムカ。ムカムカ。頭に来ていると、そこに一臣さんが来て、
「やあ、葉月君」
と声をかけた。
「あ、このたびは、おめでとうございます」
「ありがとう」
なんだよ、葉月。一臣さんの前じゃ、静かになっちゃうんだなあ。
「そろそろ、パーティが始まります」
ホテルの人が呼び来た。一臣さんは、私の背中に優しく手を回し、そして会場に移動した。
私と一臣さんは広間の前で待たされた。そして、他のみんなが広間に入ってから、司会の人の私たちを紹介する言葉が聞こえ、私と一臣さんは中に入った。
みんなから、一斉に拍手が起こり、フラッシュを浴びせられ、そんな中、私たちは椅子に腰かけた。広間は人で埋め尽くされ、丸テーブルが何個かあり、そこにお料理が並んでいた。
私と一臣さんの前に、グラスが用意され、みんなも各自グラスを持つと、まずは総おじ様の挨拶があり、乾杯をみんなでした。
「おめでとうございます!」
広間のみんなが、そう私たちを祝福してくれた。それから、立食パーティが始まった。私と一臣さんも、少しお料理を食べたが、総おじ様やお母様に呼ばれ、椅子から立ち上がり、みんなに挨拶に行った。
俺の隣に座っていたらいいから。と言われていたのに、会場内を歩き回ることになり、いろんな人に私は紹介された。そりゃ、もういろんな人にだ。
すごいのは、一臣さんがほとんどすべての人の顔と名前を知っていたことだ。驚きだった。
いや、ちゃんと覚えないとならないってことだよね。これから、頑張って覚えていかないとなあ。
一通り回ると、一臣さんはいろんな人に声をかけられ、連れて行かれた。私はぽつりと一人きりになり、グラスにジュースを注いでもらい、それを隅っこで飲んでいると、
「弥生さん」
と、お母様もグラスを持って私の横にやってきた。
「大丈夫?」
「え?はい」
「いろんな人に会って、疲れたでしょう?」
「お母様は、皆さんのお顔をご存じなんですか?」
「全員はわからないわ。でも、主要な人物は覚えておくといいわよ。まず、あそこにいる派手なドレスの太った女性いるでしょ?」
耳元でこそこそとお母様は話し出した。
覚えておくといい主要人物とその奥様、それから、いろいろとうるさい要注意人物、仲良くしておくといい人物など、事細かに教えてくれた。
お母様は、いろんなパーティに出席をしているらしく、こういう席は慣れているようだ。だから、顔も広く、いろんなことを知っていた。どの人とどの人は仲が悪いだの、緒方財閥の中にも派閥があり、奥様の間でも対立しているだの、そんなことまで教えてくれた。
はあ…。派閥だの対立だのって、あんまり興味ないなあ。
「弥生さんは、どこにも属さないでもいいわよ。わたくしも入っていません。なにしろ、私たちは緒方財閥の総帥…、いわば、皆の中の頂点なわけですから、どの派にも属したりしませんからね」
「はあ…」
「何かもめごとがあったり、争いごとに巻き込まれたら、いつでもわたくしや、社長に言って。一臣でもいいわ。あの子、強いから、あっという間にそんな争いごと、消してしまうわ」
「え?」
「社長も緒方財閥で怖がられているけど、一臣もすでに怖がられているのよ」
「そうなんですか…」
「そんな一臣の嫁になるんですもの。そんなに心配しないでも大丈夫だと思うけれど。でも、何か他の奥様方や、お嬢様方にいじめられたら、わたくしや社長や、一臣に相談してね」
「はい」
いじめ…。緒方財閥の奥様や、お嬢様たちから?でもなあ、たとえ、いじめにあっても、私、きっと屁でもないと思うんだよねえ。あ、今のはちょっとお下品な表現だったかも。いけない、いけない。
パーティが始まり、1時間もすると、だんだんとお料理を食べる人も少なくなり、
「では、これから一臣様に、ピアノを演奏していただきます」
という司会の人の言葉で、広間は一瞬静まり返った。
そして、一臣さんがピアノの前に座ると、女性陣が、
「今日も一臣様のピアノが聞けるなんて」
と、あちらこちらで目を輝かせ、喜んでいた。
私とお母様に、ホテルマンが椅子を持ってきてくれた。その椅子に座り、私はお母様の横で一臣さんのピアノを聴いた。
ショパンの雨だれだ。私がリクエストしたのを弾いてくれた。ああ、やっぱり、一臣さんのピアノの音色は素晴らしい。
うっとり。弾いている姿も麗しくて、私は見惚れていた。私だけじゃなく、会場内の女性ほとんどみんなが、一臣さんをうっりと見ていた。給仕をしていたホテルの女性のスタッフさんも、みんなして仕事の手を止め、一臣さんを見ている。
演奏が終わると、甘いため息が会場内に漏れ、そのあと拍手が起こった。
「素敵ねえ」
「一臣様、本当に麗しいわ。でも、上条家のご令嬢のものになってしまうのね」
「だけど、噂では、仲がいいわけではないみたいだし」
「ああ。仮面フィアンセなんでしょ?結婚したら、仮面夫婦。じゃあ、そのうち、一臣様、他の女性と付き合いだすかしら。それって、私にも可能性あるかしら」
「あなた、一臣様の愛人、狙っているの?」
「あなただってそうでしょ?」
ひそひそとそんな声が聞こえてくる。そっとその声のする方を見てみると、綺麗なドレスを着たお嬢様たちだ。緒方財閥の人かなあ。
「気にすることないですよ、弥生さん。一臣は本当にあなたのことは気に入っているんですから」
その話し声がお母様の耳にも聞こえていたらしく、そっと私にそう言ってくれた。
「はい、ありがとうございます」
うん。大丈夫。前は不安だった。いつか、私は一臣さんに飽きられちゃうんじゃないかとか、また他の女性と付き合っちゃうんじゃないかとか、そんな不安がいつもあった。だけど、一臣さんに何度も、「お前だけだ」と言われたからか、今はそんな不安もない。
ピアノの演奏が終わり、私は司会の人に呼ばれて、一臣さんとテーブル席に着いた。そして、司会の人が私たち二人に質問をしてきた。
婚約指輪を見せてくださいと言われ、私は左の薬指を高めにあげた。
なんだか、照れる。そっと一臣さんの顔を見た。一臣さんは、満足そうな顔をして、私の指を見ていた。
そのあとの質問はというと、
「結婚式はいつになりますか?」
とか、
「これからの緒方商事、または緒方財閥の行方を一臣様はどう考えていらっしゃいますか?」
とか、
「上条グループと提携を結ぶことで、今後どう変わっていくと思われますか?」
などの、仕事関係の質問ばかりで、私たち二人のことについては、まったく質問されなかった。
そして最後に司会者が、
「弥生様は、一臣様とご婚約され、今はどんな思いでいらっしゃいますか?」
と、私に質問がふられた。
「え?あ、はい。とても嬉しいです」
驚きながら、そう答えると、司会の人は何も言わず、まだ私をじっと見ている。
あれ?言葉が足りなさすぎたかな。
「あ、あの…。一臣様のお役にたてるよう、頑張りたいと思っています」
そう、慌てて付け加えると、ようやく司会の人は私から視線を外し、
「最後にお二人に盛大な拍手をお願いします」
と、会場内のみんなにそう言った。
会場内は、拍手の音が響き渡った。私と一臣さんは席を立ち、一臣さんが挨拶をして、そしてパーティは終わった。
「なんなんだ。あの質問は。わざとらしいくらいに、俺と弥生の話題には触れなかったな」
帰りの車内で、一臣さんはそうぼやきだした。
「どう思う?樋口」
「司会の人との打ち合わせは、副社長がしていました。多分、緒方財閥の人間がたくさん来るんだから、プライベートな質問より、今後の緒方財閥のための質問をするようにと、言われていたんじゃないでしょうか?」
「ああ、しまったな。俺が司会と打ち合わせをしたらよかった。そうしたら、俺がどんなに弥生と仲いいか、みんなに知らしめてやれたのにな」
「ですが、あんまり、そんなことばかりを発言すると、かえって、わざとらしいと思われてしまうかもしれませんよ」
「じゃあ、どうしたらよかったんだよ、樋口」
「いいんではないですか?今日の質問で。今後、一臣様が弥生様一筋で、浮気などもせず、女遊びもせず、仲睦まじくされていたら、仮面フィアンセだの、仮面夫婦だの言う連中もいなくなりますよ」
「……はあ?」
一臣さんは、樋口さんの言葉に片眉をあげた。
「どうなされましたか?」
樋口さんはバックミラーで、一臣さんの顔を見ながらそう尋ねた。
「俺が浮気だの、女遊びをするとでも、お前は思っていたのか?」
「いいえ。めっそうもない。弥生様一筋だと思っていますよ」
「当たり前だろっ!俺がどれだけ惚れていると思っているんだ。頭にくるなあ」
「では、大丈夫ですよ。本当にお二人が、仲がいいのでしたら、みなさんもいずれ、わかっていくと思いますよ」
樋口さんがそう優しい口調で言うと、等々力さんまで、
「そうですね。わたくしもそう思います」
と、にこやかにそう言った。
「ふん!そうだな。これからも、社内でも屋敷でも、どこでも弥生といちゃついてやる。そのうち、演技じゃないってわかってくるよな」
え?どこでも、いちゃつく~~~?もう!またそんなこと言ってるし。
一臣さんは、口を尖らせ、一瞬むすっとした表情を見せた。でも、私の顔を見ると、顔をにやつかせ、
「弥生、お前、やっぱり着物が似合うぞ」
と耳元で囁いた。
「夕飯まで時間もあるし、部屋でいちゃつこうな?」
もっと小さな声で、耳に口をつけ、一臣さんはそう言った。
きゃあ。また、スケベな一臣さんになってる!
そして、一臣さんは、ご機嫌になった。