~その5~ 如月兄現る!
朝食が終わり、私は着替えをしに寝室の方に行った。一臣様はまだ、ソファに腰掛け、新聞を読んでいた。
時計を見ると、もう8時半。いいのかなあ。こんな時間になっているけど。
それにしても…。なんで、この部屋、ツインなのに、一臣様は私と同じベッドで寝ていたんだろう。
いや、もしかしてもしかすると、私が一臣様のベッドに潜り込んじゃったとか、抱きついて離れなくなっちゃったとか。
サ~~~~~~。血の気が一気に引いた。何しろ、記憶がない。なんか、とんでもないことしていないよね、私。
「今、樋口と等々力が着いたみたいだ。お前は等々力の車で、屋敷に戻れ」
一臣様が、隣の部屋からやってきてそう言ってきた。
「え?会社は?」
「しばらく謹慎…。っていうか、療養」
「でも、私、元気です」
「親父にしばらく弥生は休ませるって言っちゃったんだ。だから、休め」
「……はい」
休んでいる間に、クビになっていたりしないよね、私。
あ!目の前で一臣様、バスローブ脱いで着替え出しちゃった。あわあわ。
私は慌てて、隣の部屋に移動した。ああ、びっくりした。
しばらくすると、着替えもすみ、ネクタイもちゃんとして、髪型も整えた一臣様がやってきた。バスローブ姿も色っぽくて惚れ惚れしたけど、やっぱり一臣様にはYシャツが似合う。
「あの…。一つ、変な質問をしてもいいですか?」
「嫌だ」
う。断られた。なんで同じベッドで寝ちゃったのか、勇気を持って聞こうとしたのに。
「変な質問じゃなかったら、受け付けるぞ」
「…えっと。じゃあ、質問じゃなく、確認です」
「なんだ?」
「あの…、ツインなのになんで同じベッドだったのかなって。もしかして、私、寝ぼけて一臣様のベッドに潜り込んだとか」
「ああ。俺だ。俺が弥生の寝ているベッドに潜り込んだ」
え?!
な、なんで~~~~~~~~~~~?!
めちゃくちゃ驚いて、目を丸くして一臣様を見ていると、
「ああ、残念ながら手なんて出していないぞ」
と、ものすごくクールに言われてしまった。そ、そうか。今一瞬、ちょっとだけそんな想像をしてしまった。それはそれで、恥ずかしいかも。
「じゃあ、なんででしょうか?」
「お前のことをベッドに寝かせて、俺も、もう一つのベッドに寝たんだが…。なかなか眠れなくてな」
「まさか、私のイビキがうるさくて、とか?」
「…そうだな。うるさかったな」
「ごめんなさい」
「それが原因で眠れなかったわけじゃない。多分、いつものことだ」
「え?」
「言ったろ?不眠症なんだ」
あれ?
「でも、朝、ぐっすり寝たって言ってた気が…」
「そうだ。だから…。なぜかお前のすぐ隣で寝ると、ぐっすりと眠れるんだ。それで、昨日もお前の寝ているベッドに潜り込んだ」
「え?」
「そうしたら、グーグーイビキかいているお前の横で、あっという間に眠れたんだ」
え?え?え?
「なんでだろうな。隣にこう…、あったかくって柔らかくって、ほわほわしたのがいるから安心できるのかな」
それ、褒められてる?なんか、もしかして…。
「犬か猫みたいですね、私って」
「ああ!そうだ。それだ!だから、安心するんだ」
「は?」
「昔、小学生の頃に犬を飼っていた。コーギーって知ってるか?足が短い犬」
「はい」
「すごく元気で、いっつも走り回っていて。だから、ランって名前にした」
「ラン?お花の?」
「走るを英語でランって言うだろ。ランニングのランだ」
あ、なるほど。
「ランと一緒にいると、安心した。だから、ベッドにも入れて一緒に寝ていた。犬臭くなるし、ベッドが犬の毛だらけになるから、よく喜多見さんには怒られていたんだけどな」
へえ。喜多見さん、怒っちゃったりするんだ。一臣様のこと。
「あったかくって、柔らかくって、ふわふわしてて、心臓の音とか、息遣いとか、すぐ横で聞こえてきて、すごく安心できた。朝までぐっすり眠れた」
「その、ランちゃんは今は…?」
「俺が10歳の時に死んだ。病気になってあっという間に…」
「…ご、ごめんなさい」
「いいさ。犬の寿命の方が短いんだ。ただ、なかなかランの死をちゃんと受け止め切れなくって、しばらく引きずって…。もう、生き物を飼うのはやめた」
そうだったんだ。そんなことが…。って、あれ?
「じゃ、もしかして私って…」
「ああ。今気がついた。お前、ランに似てるよ。元気で、食い意地がはってて、お腹とかぽっこりと出てて、ホワホワしてて。そっくりだな」
「………」
絶対に褒められていないよね。
「隣にいると、すごく安心する…」
一臣様?
一臣様はそう言って私をじっと見てから、ぱっと視線を外し、
「さて、今夜からだよなあ。問題は」
とポツリと言った。
「問題?」
「やっと、不眠症を解消してくれるペットが現れたのに、お屋敷追い出されちゃったから。一緒に寝れなくなった。また、俺は不眠症に逆戻りだ」
ペット…。私のこと?だよね…。
「おふくろ、まじで怒っていたからなあ。お前、当分屋敷には戻れないよなあ…。ずっとホテル暮らしでもするか?それもありだけど」
「そ、そんな贅沢な。私だったら、寮で全然平気です!」
「お前じゃなくて、俺が困るんだ」
「…ペットがいなくて?」
「そうだ」
「………。あ、そういえば、私も、喜多見さんのおうちにお邪魔してるの、申し訳ないような気もしていたんです。って、昨日、寮に戻らなかったから、喜多見さんが心配しているかも」
そう気がついて、一臣様に言うと、
「大丈夫だ。ちゃんと樋口が喜多見さんには、俺と一緒にホテルに泊まること、言ってあるから」
とそうクールに教えてくれた。
「あ。こんな時間か。10時から会議があるんだ。いい加減に行かないとな」
一臣様は時計を見ると、スーツの上着を持って、
「ほら。行くぞ」
と、私の背中に手を回してきた。
うわ~~、ドキドキ!また、エスコートしてくれるのかな。でも、緊張する!
そして、一緒にエレベーターを降りて、それから一臣様はフロントのカウンターに行った。
「緒方様。いつもありがとうございます」
私はその場にいていいかどうか、迷ってしまった。でも、一臣様が背中に腕を回したままだし…。
あ…。一臣様、カードだ。それも、ブラックカード!
お父様も持っていた。一臣様もブラックカードなんだ。って、そりゃそうか。緒方財閥の御曹司なんだもんね。
なんだか、今気がついたけど、このフロントに緊張が走っていない?さっきまで、他の用事をしていた人や、後ろを向いていた人まで、こっちを向いて、姿勢を正してる。
「弥生じゃないか」
ん?聞き覚えのある声…。
ぐるりと振り返ると、そこには兄がいた。
「あ!如月お兄様!!!!」
うわ~~~!何ヶ月ぶりに会うかなあ!
「上条家の、弥生様ですか?」
ホテルのフロントの人が、びっくりした目で私を見た。
「え?はい」
なんで?
「一臣君かな?一緒にいるのは」
「……上条グループの次期社長の、如月さんですよね?」
一臣様の顔が、一気に引き締まった。
そして一臣様も姿勢を正し、丁寧にお辞儀をした。
「弥生。このホテルに宿泊かい?」
「え、えっと」
もう、チェックアウトなんだけどな。どう答えたらいいものか。
「如月さん、確か今はアメリカ支社の企画開発部に勤務していると聞きましたが、いつ日本にいらしたんですか?」
「昨日だよ」
「え?如月お兄様、今、アメリカに住んでいるの?じゃあ、家族とは別々に?」
「いや、家族全員でアメリカに行ったよ。4月にね、アメリカ支社に転勤になったんだ。そんなことも弥生の耳には入っていないのかい?なんだか、寂しいなあ」
「はい。知りませんでした」
「しばらくは、日本にいるよ。とはいえ、2週間くらいかな」
「お仕事でですか?」
「ああ。そうだ。ところで、弥生、アパートは引き払ってしまったようだね。今、どこに住んでいるんだい?」
「今、今は」
「緒方家の屋敷に来てもらっています」
一臣様が、また、丁寧に兄にそう言った。
「そうなのか。あれ?でも、なんで今日は、ここに泊まるんだい?」
「これは、その。昨日、ここの中華レストランに一臣様と来て、それで、私、お酒を飲んで…」
「また、寝ちゃったのか。まさか、レストランで?」
「………はい。一臣様にはものすごく、迷惑を」
「一臣君!妹が本当に迷惑をかけた!申し訳なかった」
「い、いえ」
兄が勢いよくそう言ったので、一臣様の方が、びっくりしてしまったようだ。
「弥生。急いでこれから、本社に行かないとならないんだ。でも、昼ご飯は一緒に食べられそうだ。また、昼に会えるかな?」
「…え、えっと」
「いいよ、弥生。行っておいで。車だったら、等々力に運転させていいから」
「はい。ありがとうございます」
そこに、ちょうど、等々力さんと樋口さんも現れた。
「じゃあ、あとでな、弥生」
兄がそこから立ち去って、エントランスを出て行くと、ホテルマンがいっせいに兄にお辞儀をして見送った。
「あれ?」
ホテルの人みんなが、かしこまっていたのは、一臣様がいたからじゃないの?
「弥生様でしたか。申し訳ありませんでした。何も気がつかず」
そう言って、カウンターの中から、一番偉そうな人がやってきた。
「え?」
「一臣様もおっしゃってくださったら、ホテルの宿泊費も、レストランの代金もいただかなかったのですが…」
「…ここはもしかすると、上条グループの?」
一臣様がそう聞いた。
「はい。さようでございます」
ホテルマンはそう言って、私に向かってお辞儀をした。周りにいる人もみんな、お辞儀をしてきた。
「え、えっと」
困った。え?どういうこと?
「なんだ。じゃ、あれか。弥生はここのホテルの、お嬢様ってことか」
「え?」
「お前、知らなかったのか?ここは、上条グループのホテルなんだそうだぞ」
「ええ?!」
びっくりしながら、私と一臣様はホテルを出た。その間も、ホテルマンはみんな、私にお辞儀をして、
「いってらっしゃいませ」
と見送ってくれた。
「等々力、弥生を頼む。それと、昼には上条家の如月氏と弥生は昼食を一緒にとるらしいから、車で送ってくれないか」
「はい、かしこまりました」
「じゃあな、弥生。くれぐれも屋敷に入るなよ。今日は多分おふくろ、屋敷にいてお前が屋敷に入ってこないように見張っているぞ」
「え?は、はいっ」
「樋口、急ぐぞ。会議に間に合わなくなる」
「はい、かしこまりました」
一臣様は樋口さんが運転してきた車に乗り込み、私はその後ろに停まっていた、等々力さんの車に乗り込んだ。
ああ、びっくりした。兄にばったり会っちゃうなんて。
「このホテルって、前からありましたっけ?」
気になり、等々力さんに聞いてみた。
「いえ、最近ですよ。確か4年前くらいですね、このホテルが建ったのは」
そうか。4年前じゃ、わからないな。でも、上条グループって、商業ビルや、マンションなどは持っていたけど、ホテルまで経営していたっけなあ?
なにしろ、緒方財閥の方は必死になって勉強していたけど、上条グループのことはまったく勉強していないからわからなかった。
そして、お屋敷に戻ると、執事の国分寺さんが待っていてくれた。
「お帰りなさいませ、弥生様」
「…すみません。あの、昨日は…」
「大丈夫ですよ。外にお泊りになったことは、奥様にも他の者にも内緒にしてあります。わたくしと喜多見さんしか知りませんから」
「え?」
「喜多見さんのお部屋にお泊りになったことにしてあります。さ、どうぞ。喜多見さんのお部屋でお休みください」
「すみません」
重ね重ね、いろんな人に迷惑をかけていると思う、私。
あれ?っていうことは、メイドの人たちは、私が喜多見さんの部屋で寝てて、一臣様と一緒にいたっていうことを知らないってことか。
うん。そうだよね。酔っ払って寝ちゃって、ホテルに一泊したなんてこと知られたら、一臣様や上条グループの恥にもなるだろうし、それをもしお母様が知ったら、もっと私の印象悪くなっちゃうよね。
「黙っとこう…」
そうっと、私は寮の中に入り、喜多見さんの部屋に行った。
「お帰りなさいませ、弥生様」
うわ~。喜多見さんがいた。まさか、帰ってくるのを待っていてくれたのかな。
「ごめんなさい。昨日は、ご迷惑とかご心配とか、色々と私…」
「いいえ。大丈夫ですよ。樋口さんから全部聞いていますから」
全部?って?酔って寝ちゃったこともだよね?
「一臣おぼっちゃまがレストランとホテルをちゃんと予約していたと…。奥様にも、他のメイド達にも、この部屋に弥生様はいたということになっていますから」
「そ、そうなんですか。あれ?ホテルの部屋も予約していたっていうことですか?もしかして」
「はい。一臣おぼっちゃま、奥様に弥生様が怒られたこと、とても心配なさっていたようですよ」
そうなの?それでレストランに連れて行ってくれたり、ホテルも予約しててくれたの?
私が酔って寝ちゃったから、部屋をとってくれたわけじゃないんだ。
「では、わたくしは仕事をしてまいりますので、弥生様はゆっくりしていてくださいね」
「あ、お昼に兄と会う約束をしてて、また出るんですが」
「はい、かしこまりました。お兄様というと、すぐ上のお兄様ですか?」
「いいえ。上の兄の、如月お兄様です。アメリカから帰国しているらしくって、今朝、ばったりホテルで会っちゃったんです」
「まあ、そうなんですか。では、お二人でお会いするのも久しぶりなんじゃないですか?どうぞ、ごゆっくりしてきてくださいね」
「はい。ありがとうございます!」
喜多見さんは寮から出ていった。私は誰もいなくなった喜多見家のダイニングの椅子に座った。
「はあ…。とはいえ、暇なんだよなあ」
寮って、何かあるのかなあ。
なんて気になり、ドアを開け、フラフラと私は寮の周りを歩き出した。
ちょっとだけ、探検。お屋敷の方に行かなかったら、お母様に見つかることもないよね。
トボトボと歩いていると、発見!寮の中庭のようなところにベンチがあり、ちょっとした花壇もあった。
それから、その中庭の前はどうやら、みんなで集まれる休憩室のような部屋になっている。
テレビと、自動販売機、それに冷蔵庫と電子レンジが置いてあった。それからテーブルと椅子が並び、休憩室のドアからは、お屋敷内にあるキッチンに繋がっている渡り廊下もある。
もしや、キッチンで作ったまかないを、ここに持ってきて食べるのかな?!
いいな~~。私もあのでっかいダイニングじゃなくって、ここで食べたいなあ。
私はそうっと、休憩室の中に入った。自動販売機は、飲み物と、パンの自動販売機だ。
「メロンパン、美味しそう。あとで買っちゃおうかな。あ、このミルクティ、濃厚ミルクだって。美味しそう」
ワクワクしちゃうなあ。
「はあ、お屋敷よりこっちがいいなあ」
椅子に腰掛け、私は思わず溜息をついた。
そんなこと言ったら、一臣様が怒っちゃうかなあ。そんなことを思いながら、ぼ~~っと私はしばらく椅子に座っていた。