~その6~ 憐れむ噂
翌日から、私と一臣さんの婚約パーティの準備が始まった。秘書課の人たちも、パーティの受付や、案内係などをすることになったようだ。
パーティはホテルの会場を借りる。いったいどれだけの人が集まるんだろう。さすがの私も、ドキドキしてきてしまった。
でも、一臣さんはまったく緊張の色も見せず、パーティの準備は樋口さんと細川女史、青山さんに任せ、私を引き連れ、工場視察をしたり、緒方財閥の子会社を回ったりしていた。
樋口さんは、パーティの準備で忙しいので、ボディガードは日陰さんだった。工場や子会社の見学をして、内情を聞き、改善点を見出し、工場長や子会社の社長に何かしらの希望を与え、社に戻った。
それにしても、一臣さんはかなりご機嫌だ。
助手席に日陰さんがいようと、やっぱり私の太ももを触り、ご機嫌そうな顔つきで座っている。
「弥生はどこに行っても受けがいいな」
「は?」
「この分なら、婚約発表しても、みんなに祝福されるな」
「………。みんなにって、緒方財閥のみなさんっていうことですか?」
「そうだ」
「だったら、とっても嬉しいです」
「ん?自信がないのか」
「はい」
「なぜだ?緒方商事でも、お前のことを支持している人間、多くなったと聞くぞ」
「ですが、どっからどう見ても、お嬢様っぽくないですし」
「だから、いいんだよ。つんとすましたお嬢様だったら、嫌われるところだ」
「そうでしょうか。たとえば、京子さんみたいに物静かなお嬢様だったら…」
「龍二と婚約するんだから、それはそれでいいだろ?」
「……。あの…」
「なんだ?」
「その、噂なんですけど。今朝、ちょっと秘書課に顔を出した時に、大塚さんが教えてくれたんです」
「何をだ?」
「一臣さんのフィアンセは、何やら頑張っているようだけど、報われないでいるらしい。気の毒にって」
「…報われない?どういうことだ?」
「ですから、一臣さんになんとも思われていないらしいって」
「なんだ?それは。これだけ、年中一緒にいて、こんなに仲良くしているのに、どこをどう見てそんなことを言うやつがいるんだ。なあ?日陰。お前はそんな噂、聞いたことあるか?」
「ありますよ」
日陰さんは、一言そう答えた。
「本当か?」
「はい。弥生様を応援する社員が増え、特に女性社員に応援されているようですが、どこか、同情しているふうなところもあるようです」
ど、同情?!
「憐みってやつか?ってことは、俺と弥生が仲いいところを見せているのに、仲がいいと思われていないってことだな?」
「まだまだ、仮面フィアンセの噂は根深いようですよ」
そう日陰さんが答えると、一臣さんはう~~~んと唸った。
「仕方ないな。これからも、うんと仲いいところを見せつけていくか」
「いえいえいえ。うんと仲いいなんて、無理です」
「なんで無理なんだよ?」
「だって…」
人前でうんと仲良くしてみせるんでしょ?今だって、けっこうべったりしているのに、これ以上ってことでしょ?
「ふん。弥生も俺にうんと甘えたり、べったりしてきたらいいんだ。そうしたら、みんな、憐れんだりしないだろ」
「え?」
「たとえば、上野とかみたいに」
「上野さん?」
「あいつは、あっちから勝手によく腕を組んで来たり、引っ付いて来たりしていたからな。うざかったが、弥生だったら全然いいぞ」
「無理です」
「なんでだよ?!」
「は、恥ずかしいですっ!!!」
真っ赤になってそう答えると、
「弥生様ははじらいがあって、可愛らしいですねえ」
と等々力さんが笑った。
「何がはじらいだ。ストーカーだったくせに」
「ち、違います~~~」
もう、またそんなことを言うんだから。
車は会社に着いた。一臣さんはわざと正面玄関から降り、私の腰に腕を回して、ビルに入った。
「べったりしているところを、見せつけないとな?」
そう耳元で囁き、一臣さんはロビーを、私を引き連れ闊歩した。時間はもう5時半を過ぎ、帰る社員もロビーに大勢いた。
「あ、一臣様とフィアンセよ」
「仲いいように見えるけど…、やっぱり、どこか不自然よね」
「だいたい、一臣様って、あそこまで女の人とべったりしていなかったし」
「付き合っていた人に聞いたら、案外一臣様って、あっさりしているんだって。べったりするのも嫌いだったらしいわよ」
「それじゃ、あれはいくらなんでもやり過ぎね。わざとらしいわよね。だからこそ、なんだかフィアンセが可哀そうになってくるわ」
「本当ね。ほら、真っ赤になって顔を引きつらせている。きっと困っているのよ」
そりゃ、困っています。そんなことを、聞こえるように話されちゃ…。
それとも、こっちに聞こえないと本気で思っているのかな。ああいうひそひそ声って、けっこう聞こえるものなんだけど。
「弥生が挙動不審だから、あんなことを言われるのか」
ぼそっと一臣さんはそう呟き、来たエレベーターに乗り込んだ。エレベーターには誰も乗っていなかった。これは、まずい。また、一臣さんが変態な行為をしてくるかもしれない。
と、身構えていると、一臣さんは私の腰に回した手も離し、両腕を組んで考え込んでしまった。
「う~~~~~ん。どうやったら、仮面フィアンセの噂は消えるんだ?もとはと言えば、日吉が撒いた噂だ。だけど、みんながそれを信じ込み、今じゃ疑いもしない。お前へのやっかみは消えたのに、仮面フィアンセの噂だけは残っているのはどうしたらいいんだ。なあ?弥生」
「さ、さあ?」
そんなことを言われても…。
「婚約パーティで、熱い接吻でもしてみせるか?」
「まさか!!!!!まさかですよね!?!!!」
「ダメか?結婚式だったら、するだろう?誓いの接吻」
「するかもしれないですけど、熱い接吻はしませんから」
「そうか?腰が抜けるようなのをしてもよかったんだぞ?」
「ダメです~~!!!」
もう~~~。どこまで、本気で言っているのかわからないところが怖い。
「は~~~あ。もう、なんだか疲れたぞ。人の噂も49日だったか?そのうち消えるだろ。ほっとくか」
日数が違っていると思うけど…。つっこむところ?まあ、いっか。
「あ、でも、海外事業部のプロジェクトには影響ないんですか?」
「婚約をちゃんとしたら、問題ないだろ」
「婚約…。一臣さん、私、なんだか緊張してきました」
「大丈夫だ。司会もいるし、弥生はなんにもしないで、俺の隣にいたらいいだけだ」
「何もしないでいいんですか?」
「ああ。酒も飲むな」
「飲みませんけど…。スピーチとかないんですよね?」
「ああ。俺はあるけどな」
「あるんですか?」
「一応な。社長と俺の挨拶はある。お前は黙って座っていたらいいと思うが…。司会進行は任せてあるから、もしかしたら、一言…とか言われるかもな」
ひょえ~~~。やっぱり?緊張だ~~~。
ドキドキしてきた。大丈夫だよね?なんか、へましたらどうしよう。
「着物着るんだろ?」
「はい」
「そうか。夜が楽しみだな」
「……はあ?」
「パーティ終わったら、さっさと帰るぞ」
「……」
なんだって、またそんなことばっかり楽しみにしているんだろう。人がこんなに緊張しているって言うのに。
一臣さんはオフィスに戻り、すぐにアタッシュケースに必要な書類を入れた。そして、簡単にデスク周りを片付けると、
「帰るぞ、弥生」
と言って、部屋を出て行こうとした。
「え?もう?」
「ああ。帰ったら、家族そろって夕飯だ」
「…龍二さんや京子さんも…ていうことですよね?」
「そうだ」
そうか!一臣さん、本当に龍二さんのこと大事にするって、思っているんだな。
「龍二が大阪に行ったら、こんな機会、そうそうないだろ?」
「そうですよね!」
なんだか、嬉しい。思わず、一臣さんの腕にしがみついた。でも、ストーカーって言われそうで、すぐに腕を離すと、
「引っ付いていていいぞ?いつも、そうやっていろよ」
と、一臣さんは言ってくれた。
「…はい」
もう一回一臣さんの腕にしがみついた。
樋口さんはオフィスにいなかった。一臣さんは等々力さんに、
「正面玄関にそのまま待機だ。すぐに弥生と行くから」
と、そう連絡をしてオフィスを出た。
私も、一臣さんの腕に引っ付いたまま、廊下を歩いた。そして、エレベーターに乗り込むと、一臣さんは私にキスをしてきた。
「!!」
チン!
エレベーターが止まった。一臣さんはすぐに唇を離したけれど、私は真っ赤なまま。下を向いたまま、一臣さんの腕に引っ付いていた。
エレベーターには、男性社員が二人乗り込んできたが、一臣さんがいるからか、黙り込んですぐに入り口のほうを見た。
「弥生」
ひょえ?一臣さんが話しかけてきちゃった。また、へんなこと言い出すんじゃないよね?
「今日視察した工場、ちゃんとレポート出せよ。明日までの宿題だからな」
「え?!明日までですか?」
「ああ。帰ったらパソコン使っていいから、ちゃんと書けよ」
「はい…」
とほほ。仕事の話とは…。まあ、変態発言よりましだけどさあ。
「ここ数日、他のメンバーも視察に行っているから、来週に一回ミーティングを開くか」
「はい」
次々にエレベーターには社員が乗ってきた。みんなは、一臣さんがいるから黙りこくって、エレベーター内は一臣さんの声だけが響いた。それも、ずっと仕事の話…。
「そろそろ、次の段階に進まないとな。視察だけ行っていても仕方ないからな」
「そうですよね」
「弥生もちゃんと、考えろよ。お前の意見も重要なんだからな」
「はい」
「…そうだな。今日は早くに帰って時間もあるし、二人で今後のスケジュールでも考えるか」
「スケジュール?」
「ああ。具体的に決めて行かないと…。これからも忙しいぞ?弥生」
「はい。大丈夫です。頑張りますから」
「体力だけはあるもんなあ、お前」
「……」
し~~~んと静まり返るエレベーターで、そんなことを言われてしまった。えっと~~。なんか、もっとみんなに同情されたりして。だって、まるで体力しか認めてもらっていないみたいじゃない?今のって。
なんだって、みんながいる時に、そういうことを言うかな。もっと、いい雰囲気のところを見せるとかしないわけ?
って。そんなの、私が恥ずかしくってダメだけど。
一階に着いた。私は知らないうちに一臣さんの腕から手を離していた。多分、人が乗ってきて、途中で恥ずかしくなったからだ。一臣さんは、アタッシュケースを持っていない手で私の腰を抱き、歩き出した。
「彼女は仕事の補佐役なんだな」
ぼそっと若い男性社員の声が聞こえた。
「一臣氏に信頼されているってことなんだな」
そんな声も聞こえてきた。
そうか。そんなふうに思ってくれたのか。
「一臣氏と一緒に暮らしているって聞いたが、屋敷帰っても、仕事の続きなのか?大変だな」
あれ…。
だよね。そう思うよね。でも、家まで仕事のことを持ち帰ったことなんか、今迄一回もないんだからね。こんなの珍しいことだもん。
お屋敷に帰ると、大広間からハープの綺麗な音が聞こえてきた。
「おかえりなさいませ」
トモちゃんと亜美ちゃんが出迎えに来てくれたので、
「ハープは京子さんですか?」
と聞いてみた。
「はい。龍二さんのために弾いています。とても綺麗な音色が聞こえてきて、私たちもついうっとりと聞いてしまって…」
「うっとりと聞いている場合じゃないだろ。夕飯の準備はできているのか?」
一臣さんが亜美ちゃんにそう言うと、亜美ちゃんは一気に緊張の表情をして、
「は、はい。してまいります」
と、トモちゃんと走ってダイニングに行ってしまった。
「あ、せっかく、京子さんの演奏を聞いていたのに…」
そうぼそって言うと、一臣さんは、
「2階に行くぞ。二人の邪魔しちゃ悪いだろ」
と、私に小声で言って、階段を上りだした。
「二人の邪魔をしないように、亜美ちゃんにあんなふうに怒ったんですか?」
「いいや。早くに飯食って、さっさと弥生と風呂に入りたかったからだ」
「…え。でも、仕事は?」
「するぞ。だから、早く部屋に行くぞ」
「あ、はい」
そうか。それは本気だったのね。
そして、一臣さんと私は着替えを済ませ、一臣さんの部屋のソファに座り、今日行った工場や子会社について、あれこれお互いの感想や意見を言い合ったりした。それから、私はデスクに向かい、レポートを書き、一臣さんは今日子会社からもらってきた資料に目を通していた。
「今日行った工場も、このまま行くと危ないな。赤字、かなり続いているしな」
「はい」
「子会社のほうは、なんとか持ちこたえていたな。若い社長だが、なかなか頑張っているようだった」
若いと言っても、42歳。一臣さんよりも、かなり上だけど…。
「弥生、明日は鶴見の工場に行ってみようと思っている」
「え?もしかして、豊洲さんがいる?」
「そうだ。浩介の様子も見てみたいしな」
「そうですね」
実はあまり会いたくないけど。
「報告によれば、けっこう真面目に働いているらしいぞ」
「豊洲さんがですか?」
「ああ。あの工場の研修は、かなりはまりそうだからな。あいつですら、面白いと感じたんじゃないのか」
「やっぱり、豊洲さんのために、あそこに移動させたんですね?」
「あいつのためっていうわけじゃない。浩介でも面白みを感じるようだったら、かなりすごい研修なんだろうなと思ったからだ。まあ、実験みたいなもんだな。浩介が、モニターみたいなもんだ」
「そうなんですか?」
本当は、ちゃんと豊洲さんのことを考えていたんだと思うなあ。だって、気にしているみたいだし。
「俺が行ったら、あいつは嫌な顔をするだろうな」
「え?」
「俺が飛ばしたと思っているからな。まあ、俺が飛ばしたみたいになっているけれど、移動を考えたのは、親父だしな」
「え?そうだったんですか?」
「お前に手を出しそうだったから、近寄らせないようにしたってのもあるが、あいつの親父さんから、親父が頼まれていたんだよ。逞しく鍛えあげてくれってな」
「それで、工場に?」
「あの工場がいいんじゃないかっていう提案は、俺がしたんだけどな」
やっぱり、一臣さんが…。じゃあ、単に怒って飛ばしたわけじゃないんだなあ。
トントン。
「夕飯の準備が整いました」
亜美ちゃんが呼びに来た。
「ほら、弥生。お待ちかねの夕飯だ。待ちわびただろ?」
「え?」
「さっき、腹が鳴っていたの、聞こえたぞ」
聞こえていたか。何も言われなかったから、聞こえていないのかと思っていたのに。
「たまには、楽しく食べような?」
「家族そろって…ですね?」
「ああ」
なんだか、一臣さんが嬉しそうだ。
私は一臣さんの腕に引っ付き、るんるんで階段を二人で降りた。