~その4~ 龍二さんと一臣さん
一臣さんはその日、部屋でのんびりとコーヒーを飲み、私は一人でダイニングに行った。
「おはようございます、弥生さん」
「おはようございます」
あれ?もう8時過ぎているのに、まだお母様がいた。それとも、今日はお母様も遅かったのかな。
「昨日は大変でしたね。怪我はなかったですか?」
「はい。私は大丈夫ですけど、でも、龍二さんが」
「龍二は大丈夫ですよ。何針か縫いましたけど、けろっとしていましたから」
「え?」
「昨日、京子さんと病院に行っていたんです。京子さんに任せて、わたくしだけ昨日のうちに帰ってきましたけど」
「あ、そうだったんですか。私、一臣さんとこれからお見舞いに行こうかと思っていて」
「……そう。一臣もお見舞いに行くって?」
「はい。一臣さんにとっても、龍二さんは大事な弟だから。一臣さんもそう言っていました」
「一臣が?本当に?」
「はい。昨日、龍二さんの前で、はっきりとそう言っていました」
「ああ、それでなのね。龍二の顔が、なんだかすっきりとしていて。怪我をしたっていうのに、嬉しそうにしていたわ」
お母様はそう言うと、優しく微笑んだ。でも、
「弥生さん、これからも気を付けてね。緒方財閥を狙っている連中は、他にもいますからね」
と、真面目な表情をしてそう言った。
「はい」
一臣さんも、危ないことが何度もあったんだろうな。もしかして、お母様にもかな。
「串揚げ屋、一臣や龍二も連れて行きましょうか」
「え?」
「用心棒に、ボディガードも連れて行かないとね」
「樋口さんとか、等々力さんですか?」
「そうね」
「はい。あ、私もちゃんと、皆さんのことは守ります」
「弥生さんは守られる方でしょう?」
「いいえ!守ります。頑張ります!」
「ふふ。面白いわね、あなたは。でも、無茶はダメですよ。あなたは次期緒方商事の社長夫人になるのですから」
「はい」
和やかに朝食を食べ、私は2階に上がった。後ろから、亜美ちゃんが飛んできて、
「弥生様、腕の跡、大丈夫ですか?」
と聞いてきた。
「はい、大丈夫です。もう痛くないですし。でも、目立っちゃうかな。長袖を着たほうがいいですね」
「……。あの、龍二さんと二人でさらわれたと聞いたんですけど」
「はい。龍二さんが私を助けてくれようとしたんです」
「あの、龍二さんがですか?」
「亜美ちゃん。もう龍二さんと一臣さんだったら、大丈夫ですよ」
「え?」
「私、もう龍二さんの前で、一臣さんと仲の悪い振りもしません。亜美ちゃんも、もう心配しないで大丈夫だから」
「…はい」
亜美ちゃんは、ちょっとまだ、不安そうだった。でも、きっと龍二さんが退院して来たら、わかるよね。
部屋に戻り、長袖に着替えた。それから、一臣さんの部屋に行った。一臣さんも着替えを済ませ、ソファで新聞を読んでいた。
「あれ?長袖で行くのか?暑くないか?」
私を見て一臣さんが聞いてきた。
私は一臣さんの隣に腰かけ、
「縛った跡が見えちゃうから、長袖にしました」
と答えた。一臣さんは、
「ああ、そうか。ロープで縛った跡なんか見られて、俺と弥生が変なプレイをしていると思われても困るしな」
と言いながら、私の肩を抱いた。
「変なプレイってなんですか?」
「だから、縄で縛ったりっていう、SMプレイ…。ん?興味あるのか?まさか、してほしいとか」
「そんなことあるわけないじゃないですかっ。あ。まさか、一臣さんが興味あるとか?」
引き気味にしてそう聞くと、一臣さんは私の太ももを撫でながら、
「そんな変態プレイ興味ない。俺は弥生の体中にキスしまくったり、撫でまわす方がいい」
と囁いた。
「十分、変態です」
「なんでだよ。お前だって、俺にキスされるのも、触られるのも好きだろ?」
「す、好きってわけじゃ」
「気持ちいいんだろ?」
ぎゃわ~~~~~~~~。もう、そんなこと聞かないで。それも、耳元で…。
「もうお見舞いに行きましょう、一臣さん!」
そう言って私は、ソファから立ち上がった。
「ちっ。逃げやがったな」
一臣さんは舌打ちをして、広げていた新聞をバサバサと畳んだ。
今日は、今にも雨が降りそうな天気。それに、外は蒸し暑い。
亜美ちゃん、トモちゃんたちに元気に見送られ、私と一臣さん、樋口さんを乗せた車は発進した。
「弥生様、一臣様、ご無事で何よりです」
等々力さんが、バックミラーで私たちを見ながらそう言った。
そうか。昨日一臣さんと私は、忍者部隊の車に乗って帰ってきたから、等々力さんには会えていなかったっけ。
「等々力さんにも心配かけて、ごめんなさい」
「日吉っていう人が、一臣様が車で待っていると嘘をついたとか…」
等々力さんの言葉に頷くと、
「そういう時には、私にすぐ連絡をください」
と、力強い声でそう言った。
「はい。ごめんなさい」
「弥生、いざという時には信頼できる人間だけに頼れ。俺、樋口、等々力、会社だったら青山や、細川女史、辰巳さんや、日陰、伊賀野…。そのへんは信頼できるからな」
「はい」
「あとはエロだけど、目黒専務、副社長、臼井課長…」
「え?エロ専務も?」
「セクハラなんかしているけど、あのエロ専務も侍部隊の出だからなあ」
うそ。あの、セクハラ親父が?
「え、じゃあ、侍部隊にいたってことですか?」
「まあな。親が侍部隊にいたんだ。だから、目黒専務も侍部隊の訓練を受けている。でも、仕事もできるから専務として働いている」
セクハラ親父の癖に、仕事ができるだなんて。
「だから、セクハラなんかしていても、辞めさせないでいまだに働いているんだ。俺は、とっとと裏組織に入れさせて、セクハラも何もできないようにさせちゃえばいいのにって、思っているんだけどな」
そうだったんだ。あ、だから、普通に社長室に入れたのかな。
「他にも役員の中に、そういう人はいるんですか?」
「いや。役員ではエロ専務だけだ。だが、いろんな部署や緒方商事以外の緒方財閥の会社で働いているのもいる」
へえ。そうなんだ。
「じゃあ、侍の末裔が、緒方財閥でいっぱい働いているってことですか?」
「ああ、侍だけじゃなく、忍者もな」
へえ。そうなんだ。
「わたくしも、樋口さんもそうですよ」
「え?侍部隊?」
「侍の末裔です」
そうなんだ~~~~~~。
そんな話をしている間も、一臣さんは私の太ももを撫でている。そして、私の手を握りしめてきた。
「う~~ん」
何で唸ったのかな。
「やっぱり、中毒だよな」
「え?」
「お前のどこかに触れていないと、落ちつかない」
あ。弥生中毒って言ってたあれか。
そして、握っていた手を離すと、今度は腕を肩に回し、私の体を引き寄せた。
「うん。落ち着く」
「……」
一臣さんは落ち着くのかもしれないけど、私はけっこうドキドキしちゃうんだけどなあ。でも、嬉しいけど。
病院に着いた。ここって、私が脳震盪で倒れた時に入院した病院だ。
「ここ、京子さんのお父様の病院だったんですね」
「ああ。行くぞ」
一臣さんは私の背中に腕を回し、歩き出した。
病院に入ると、特に受付にもいかず、樋口さんはエレベーターに向かい、私と一臣さんはそのあとに続いた。
そして、最上階を押し、エレベーターは昇りだした。
「最上階なんですか?」
「ああ。病室からの景色も最高だし、夜景も綺麗だぞ」
「一臣さんも入院したことがあるんですか?」
「高校の頃、事故った時にな」
あ、ユリカさんと事故を起こした時かな、もしかして。
「俺はたいした怪我もなかったから、ただの検査入院だ。ユリカは長いこと入院していたけどな」
やっぱり。
エレベーターが着いて、私たちは病室に向かった。
「ここだ」
一臣さんが個室の前で立ち止まり、一瞬ドアを開けるのを躊躇した。でも、ガラリとドアを開け、無言で中に入った。
「あ、一臣様」
中には京子さんがいた。それから、ベッドに龍二さんが座っていた。
「龍二さん、大丈夫ですか?」
一臣さんの後ろから顔を出し、龍二さんに聞いた。最後に入ってきた樋口さんがドアを閉めた。
「なんだよ。わざわざ見舞いに来なくたって、午後には退院するのにさ」
「午後までかかるのか」
「ああ。診察を午前中にして、そうしたら帰る予定だ」
一臣さんの質問に、龍二さんはぶっきらぼうに答えた。
あれれ。なんか、今迄と変わらない。二人とも、ぶっきらぼうな話し方だし、愛想もない。
「退院してお屋敷に帰る時には、わたくしが付き添いますから大丈夫ですよ、一臣様」
京子さんが、甲斐甲斐しく龍二さんのそばに寄り添いながら、そう言った。
「京子さん、龍二との婚約引き受けることにしたんですか?」
「ええ」
京子さんは、頬を少し赤らめ頷いた。
「そうですか。それはよかった。正式に婚約する時には、婚約パーティを開くことにしましょう。僕と弥生も、6月末にパーティをする予定です」
「もうすぐなんですね」
「その時には、龍二と京子さんも出席してください」
「はい。ぜひ…」
京子さんは物静かに頷いた。
なんだか、もう一臣さんには未練がないって感じだな。さっきから、京子さんは時々ちらちらと龍二さんの表情を伺いながら話をしている。
「兄貴、話があるんだけど」
「え?」
「ちょっと、弥生と京子さんは席外してもらえない?」
「はい」
私はすぐに病室を出た。京子さんもしずしずと病室から廊下に出てきた。樋口さんも最後に出てくるとドアを閉め、
「わたくしは、車を正面玄関に回すよう、等々力さんに言ってきます」
と、廊下を歩いて行ってしまった。
「弥生さん」
「はい?」
廊下に出ると、京子さんが声をかけてきた。
「その…。一臣様は、やはり、わたくしが思っていたような方ではなかったんですね」
「え?」
「優しくて、紳士な方だと思っていました。あ、あんな、会社で、それもエレベーターで、あんな…」
あ。そうだった。京子さんには見られちゃったんだった。
「弥生さんは平気なんですか?」
「え?何がですか?」
「ですから、あ、あんなことを一臣様にされて…」
「えっと」
大丈夫ですとも言いにくいなあ。
「龍二さんが、一臣様は女癖の悪い最低な男だ。京子さんが思っているような男じゃないと、ずっと言っていたんです。それが、ずっと信じられなかったんです。でも、本当のことだったんですね」
「…」
ここも、頷いていいのかどうか。
「弥生さんは、平気なんですか?そんな女癖の悪い人と結婚なんて」
「一臣さんは、女癖悪くないです。あ、前はそうだったかもしれないけど、今は違います」
「でも、エレベーターで…」
「あれは、あの。その…」
どう言ったらいいものか。
困っていると、一臣さんが病室から出てきた。
「弥生、帰るぞ」
「あ、はい。お話はもう終わったんですか?」
「ああ」
一臣さん、穏やかな表情だ。良かった。なんの話をしていたか、気になるけど、立ち入って聞いたりしたら悪いよね。
一臣さんはすぐに私の背中に腕を回した。そして、グイッと私を京子さんのいる前で抱き寄せた。
「京子さん」
「え?はい」
なぜか、一臣さんが京子さんに話しかけた。
「龍二が大阪に行くまで、屋敷にいると聞きましたが」
「はい。まだ怪我も治っていませんし、お屋敷で龍二さんのお世話をさせていただきます」
「そうですか。じゃあ、今からちゃんと言っておいたほうがいいですね」
「…はい?」
なんだろう。一臣さん、改まって、なんの話をするのかな。京子さんも、ちょっと不安げな顔をしている。
「僕…、いえ、俺はもう、京子さんの前でも龍二の前でも、普段通りにしますよ」
「え?」
「いろいろと装ったりもしません。弥生とも、二人がいなかった頃と同じように振舞います」
「え?どういうことですか?」
「婚約者候補がいた時には、かなりみんなにいい顔をしました。気も使いましたし…。あ、こんな言葉使いも、普段はまったくしません。いいですか?普段通りの話し方をしても」
「…はい」
京子さんは、不安げに頷いた。
「京子さんはどうやら、俺を美化していたようだけど、でも、龍二にあれこれ吹き込まれて、もう俺の正体もわかってると思うし」
「お、女癖が悪いとか、そういうこと…ですか?」
まだ、京子さんは不安げだ。ううん。ちょっと怯えている。
「それは、弥生と婚約することを受け入れる前だ。それに、そんなに怯えなくても、京子さんを襲ったりしないから、安心していい」
「……あ、はい」
一臣さんは、まだ私を抱き寄せたままだ。べったりくっついて、離してくれない。
「俺は、弥生と婚約することを承諾した時点で、もう弥生以外の女と付き合うのはやめた。全員と手を切った。だから、今は弥生だけだ」
「…。弥生さんだけ?」
「ああ。弥生を大事に思っている。エレベーターで、俺と弥生がいちゃついているところを見たよな?いつも、あんなだ」
「え?」
「わあ。なんだって、そういうことを一臣さんはばらすんですか?」
私が真っ赤になって慌てると、一臣さんは、
「いいだろ、別に」
と、しれっとした顔でそう言った。
よくない。もう~~~。恥ずかしいよ。
「いつも、あんなって?」
「だから、俺と弥生は二人でいる時はいつもあんなだ。京子さんや龍二のいる前では、仲いい素振りは見せなかったけどな」
「お二人でいる時は、いつも?」
「そうだ。これからは、堂々と屋敷でも仲良くさせてもらう。それだけだ」
一臣さんは、私を抱き寄せたまま、廊下を歩き出した。
それだけだって、わざわざ、いちゃつく宣言をしなくてもいいのに。あ、まさかと思うけど、まさか。
「龍二さんの前でも、いちゃつくって、龍二さんにも言ったんですか?」
「ああ。言った」
「ええ?!」
「なんだよ。弥生と仲のいいのも隠さず、これからは堂々といちゃつくからなって、そう言っておいた。悪いか?」
もう。なんだって、そう恥ずかしいことを。
「龍二、俺と弥生が仲いいってわかって、なんだか喜んでいたぞ」
「え?」
「あいつ、俺に、弥生を大事にしろ。俺はあいつの味方だから、あいつを泣かせたら承知しないだなんて言ってきやがった」
「話って、それですか?」
「ああ。なんなんだ。なんだってお前、龍二にあんなに気に入られているんだ?」
「さ、さあ?」
「弥生を泣かせるようなこともしないし、大事にしている。それに、お前の前でもいちゃついてやるって言っておいた」
わあ。わあ。聞いてて恥ずかしい。でも、嬉しい。
「だから、もう屋敷で振りをしないでもいい。弥生も俺も、堂々と仲良くしていような?」
「はい」
「会社でもな?」
「はい。あ、でも、もう応接室やエレベーターで迫るのだけはやめてくださいね」
「……」
一臣さんにそう言うと、一臣さんはエレベーターに乗りこみ、いきなりキスをしてきた。
ひゃあ。だから、こういうところでしないでって言っているのに。いくら、誰も乗っていないからって。
チン。エレベーターが止まった。一臣さんはすぐに唇を離し、平然とした顔をして前を向いた。
一人の看護士さんが乗ってきた。
あ~~~~。私の顔はまだ赤いし、腰も抜けそうになってた。看護士さんがすぐに前を向いたから、赤いのもばれずにすんだけど。
一臣さんは私の腰に回した手に力を入れた。そして、1階に着きエレベーターを降りると、耳元で、
「二人きりのところだったら、どこでも迫るから、覚悟しておけ」
と囁いた。
うひゃあ。もう!なんだって、そういうことを言うんだか。
顔を赤くしたまま、私は俯いて病院のロビーを歩いた。一臣さんは涼しい顔をしている。
これからも、一臣さんにもしかして、振り回されちゃうのかなあ。