~その2~ 一件落着
「龍二を離せ。龍二は緒方商事の人間じゃない。龍二を傷つけたって、なんにもならないぞ」
一臣さんは、すごく冷静な口調でそう社長に言った。
「くっくっく。役立たずのはみ出し者というのは、本当のことのようですね。緒方財閥にはいてもいなくてもいい存在ですか?龍二殿は」
「…そうだ。だから、龍二は離せ」
一臣さんがそう言うと、龍二さんは「うう!」と唸りながら、大男の中で暴れようとした。
「暴れるな」
大男はそう言って、腕に力を入れた。
「いらない人間なら、傷つけようが何をしようが、かまわないんじゃないですか?」
そう言って社長は、龍二さんに近づき、割れたビール瓶の先を龍二さんの顔に近づけた。
「やめて!」
思わず私は大声をあげた。
「どこに傷を作りましょうか?」
社長はそう言って、また不気味に笑った。
ジリジリと、侍部隊が体を動かしている。
「動くと、龍二殿の首根っこをひっかきますよ」
社長が龍二さんの首にビール瓶を近づけた。
みんなは、立ち止まった。そして、腰を低くし、いつでも動ける体制にしている。
あ。いつの間にか、伊賀野さんと日陰さんがいない。どこかに隠れているんだ。どこだろう。私はそっと辺りを目だけ動かして見てみた。
伊賀野さんは、いつの間にか大男の後ろにある棚の影に隠れていた。日陰さんの姿は見えない。もしかすると、私の後ろまで来てくれているかもしれない。
だったら、なんとかなるかも。一か八か。
「社長!私はあなたと結婚なんか絶対にしない」
「……おや、弥生殿。ずいぶんと威勢がいいですね」
社長が私のほうを見た。
「あなたみたいな、危ない人間、冗談じゃない。それに、上条グループは緒方商事との提携を取り消したりしない」
「くっくっく。今ここで、一臣殿にあなたとの婚約を破棄させて、提携も白紙に戻されてもかまわないんですよ」
「そんなことできるわけないじゃない。あなたなんかに何ができるのよ」
私は大声を上げてそう言った。
「あなたなんか、今すぐに日陰に引きずり込ませるわ」
そう怒鳴りつけると、社長は私を睨みつけた。
私の言葉に、一臣さんの目が動いた。どうやら、日蔭さんの姿を確認したようだった。
「そんな口をきいていいんですか?」
社長は龍二さんから離れ、ビール瓶を私のほうに向けた。
「そんなに傷つけてほしいんですか?」
今だ!!!!
私はかかとで、私を捕えていた男の脛を蹴った。一瞬男が痛がった隙に、男の顎に頭突きをくらわした。そして男の腕が私から離れた瞬間、男を社長に向かって投げ飛ばした。
「うわ!」
ズダン!
男は社長のすぐ横に飛ばされた。
惜しい!もう少しで社長の上に、男を飛ばせたのに!
社長は。体制を崩しかけた。だが、よろよろとしながら龍二さんの近くに行き、
「くそ~~」
と悔しながら、ビール瓶を振りかざした。
ズシャッ!
龍二さんの腕から血が流れた。それと同時に、龍二さんを羽交い絞めにしていた大男の腕からも血が流れた。ビール瓶は龍二さんの腕と大男の腕、両方をスパッと切っていた。
「う!」
痛がって、大男は龍二さんから腕を離した。龍二さんはその場に倒れかけたが、伊賀野さんがものすごい速さで駆け寄って龍二さんを支え、大男は、物陰から音もなく日陰さんが現れ、あっという間にとらえてしまった。
「よくも龍二をっ!!」
一臣さんは、まだビール瓶を持っている社長に走り寄り、社長に回し蹴りをした。社長の体が宙を浮き、ビール瓶も社長の手から離れ、宙を浮いた。
ガシャン!ビール瓶は床に叩きつけられ、社長も床に飛ばされた。
「この野郎、よくも大事な弟を傷つけたな!」
一臣さんはそうすごみ、床に倒れた社長の胸ぐらを掴んで、思い切り社長を殴り飛ばした。
「グフッ」
社長は口から血を出しながら、またドッサリと倒れこんだ。
「お兄さん!」
日吉さんが悲痛な声を上げたが、侍部隊に抑えられ、動けないでいた。
戸田さんも他の男たちも、侍部隊がとらえていて、龍二さんは伊賀野さんが素早く止血をしていた。
「だ、大事な弟ですと?さっきは、役立たずのいらない人間だと言いましたよね?」
床に這いつくばったまま、社長は一臣さんにそう聞いた。
「龍二はまだ、緒方商事で働いているわけじゃない。だから、緒方商事の人間じゃない」
一臣さんは、這いつくばっている社長にそう言った。
社長は、体をなんとか起こそうとした。でも、一臣さんが社長の横にしゃがみこみ、背中を手で押さえ、動けないようにした。
「確かに龍二は、緒方財閥にとって、まだ役立たずかもしれない。だがな、それでも俺のたった一人の兄弟だ。大事な弟だ」
「…くっくっく」
社長がそれを聞いて笑った。
「何がおかしい。弥生も龍二も俺にとっちゃ、大事な存在なんだ。ほら、立てよ!」
一臣さんは社長の腕を引っ張り上げ、その場に立たせた。そして、
「これでAコーポレーションもお前も終わりだな。誘拐の罪は重いからな」
とものすごくクールにそう言った。
そこに、倉庫の入り口から数人の男の人が駆け寄ってきた。
「あとは、警察と辰巳さんに任せる」
一臣さんはそう言って社長を警察の人に引き渡し、くるりと振り返り、私のもとに駆けてきた。
「弥生!」
ギュウっと私を抱きしめ、
「怪我はないか?大丈夫か?」
と一臣さんは聞いてきた。
「はい。でも、龍二さんが…」
「ああ。龍二のことは、すぐに病院に連れて行く。辰巳さん、1台パトカー、龍二のために使われてもらってくれ」
「は!龍二様のことは、押上さん、頼みましたよ」
「はい」
いつの間にか押上さんも、その場にいた。そして、伊賀野さんと一緒に龍二さんに寄り添った。
「龍二さん、大丈夫ですか?」
私は心配になり、龍二さんに聞いた。龍二さんは、痛そうに顔をゆがめながら、
「ああ、なんとか」
と、一言そう息を漏らしながら答えた。
「ごめんなさい。守れなかった」
「あほか。俺の方こそ、役立たずで悪いな」
龍二さんはそう言ってから、一臣さんのほうを見た。そして、
「だけど兄貴、今は役立たずだけど、役に立てるようになるからな」
と、一臣さんに告げた。
「え?」
一臣さんは驚きながら龍二さんを見た。
「大事な弟って言われて、正直びっくりした」
龍二さんはそう言って笑おうとしたが、
「いてて」
と、腕の傷が痛むのか、また顔をゆがめた。
「早く病院に行って、手当してもらえ。何針か縫うことになるかもしれないぞ、龍二」
「ああ。でも、弥生じゃなくて俺でよかったな」
「……弥生を守ってくれて、ありがとうな。龍二」
「守れてねえよ。弥生のほうが俺より強かった。何人の男を弥生が倒しちまったことか。強い女だよな、弥生は」
龍二さんはそう言うと、押上さんと伊賀野さんに抱えられながら、倉庫を出て行った。
「弥生。すまなかった。怖い思いをさせただろ?」
一臣さんがまた、私を抱きしめながらそう優しく言った。
「いいえ。大丈夫です。こういうのは慣れていますから」
「慣れていちゃ困る。いいか。これからは、絶対に逃げろ。わかったな?」
「……でも、私も大事な人は守りたいんです」
「…大事な?」
「龍二さんのことです。私にとっても大事な弟になる人です」
「龍二か」
「一臣さんにとっても、龍二さんは大事な弟ですもんね?」
「……。そのようだな」
「え?」
「どうやら俺にとっても、たった一人きりの大事な兄弟みたいだな」
そんな言い方をして、照れくさいのかな。
「……それにしても、弥生様。ここに来た時にはすでに、数人の大男が動けない状態でしたけれど、あれはまさか、弥生様と龍二様が?」
樋口さんがそう私に聞いてきた。
「はい。大事な人を守るために、武術を戦いに使ってしまいました。おじい様にはちゃんと報告をしないと…」
「弥生が、倒したのか?」
「捕まった時にはへまをしました。さっさと動きを封じればよかった」
「……。弥生が、倒したのか?」
「はい」
なんで、何回も聞くのかな。
「本当に弥生がか?でも、どうやって?」
「だから、急所を突いて…」
「…そうか。あれ?でも、じゃあ、なんだって俺にはそういうことをしてこなかったんだ?」
「は?」
「俺が襲った時に」
「え?まさか、一臣さんを倒そうなんて思いませんし、それに…」
「ん?」
「か、一臣さんに近寄られただけで、心臓バクバクで、とてもじゃないけど、力も出なくなるっていうか」
「………」
一臣さんは私の腰を抱いた。
「お前が強いのはわかった。だけど、これからは危ない真似はするな。それに、俺にちゃんと守らせろ。いいな?」
「はい」
「今回は俺の腕の見せ所がなかったじゃないかよ」
「いいえ。社長に回し蹴りをしたの、かっこよかったです。あれって、カンフーの技ですか?」
「中国拳法だな」
「龍二さんも回し蹴りしていました。私にも教えてください」
「ふん」
一臣さんは鼻で笑った。それから、私の頬にキスをすると、
「これ以上強くなられても、困る」
と耳元で囁いた。
「帰るぞ、弥生」
一臣さんは私の腰を抱きながら、歩き出した。
「はい」
これで、一件落着。
緒方商事や上条グループにいたスパイも、すぐに会社を辞めさせられた。Aコーポレーションの今までの悪事は、警察で暴かれた。
久世君は、日吉さんたちにいいように使われていただけだった。そのことに、自分自身がショックを受け、私の前に姿を現すこともなく、すぐにアメリカに行ってしまった。
久世君はアルバイト時代から、緒方商事の人とよく話をしていた。いろんな人から噂を聞き、そして、一緒に飲みに行くことも多かった。そんな中に、菊名さんがいた。
日吉さんは、久世君がアルバイトを辞めてから近づいた。菊名さんと一緒に久世君と会っていたようだ。
久世君が私に近づき、一臣さんにアルバイトをクビにされたことをどこかで嗅ぎつけ、日吉さんは久世君を利用しようと近づいた。あれこれ、一臣さんのよくない噂を久世君に吹き込み、私にモーションをかけるようせっついていたようだ。
久世君は、真に受けて、私を一臣さんから守ろうとした。なんとか私が一臣さんと婚約しないで済むように、私に説得しようとしたり、瑠美ちゃんのことを知ってからは、瑠美ちゃんに一臣さんと婚約するよう話を持ちかけたりした。
ところが、瑠美ちゃんも上条グループの人間だから、瑠美ちゃんと一臣さんが婚約しても、Aコーポレーションにはありがたくないことだった。そこで、戸田さんが久世君に近づき、瑠美ちゃんと一臣さんが婚約しないよう、なんとか話を持っていった。
久世君は、戸田さんのことを調べた。Aコーポレーションの名前がそこでわかり、戸田さんに対して怪しいと感じ、その戸田さんと日吉さんが会っているところを目撃して、日吉さんも疑いだしたというわけだ。
日吉さんは菊名さんが、一臣さんに気があるようだとわかり、利用することにした。ちょうど、プロジェクトメンバーにも菊名さんは選ばれていたので、日吉さんもプロジェクトメンバーに加わり、菊名さんにも私と一臣さんが不仲だと言い、一臣さんに積極的にアタックするよう助言していた。
それに、日吉さんは自分の大学の後輩だった鴨居さんに、鴨居さんが大学時代の時から、利用しようと目をつけていた。そして、大学時代先輩だった古淵さんが、同じ部だったこともあり、仲間に引きずりこんだ。
鴨居さんもやっぱり、日吉さんに言いように動かされていた。
そして、私と一臣さんの仮面フィアンセの噂を流したのも、日吉さんだった。
日吉さんにとって、私は邪魔な存在だった。わざと、仮面フィアンセの噂を流したり、上条グループのお嬢様はとんでもないお嬢様だと噂を流したりして、私を陥れようとしていた。だけど、私はみんなからも応援されられるようになったり、一臣さんとの仲も、けして悪くならないので、もっと私は日吉さんにとって邪魔な存在になったようだった。
私と一臣さんは、忍者部隊の車でお屋敷まで送ってもらった。
私は相当気を張っていたのか、車に乗るとすぐに一臣さんの肩にもたれかかり、寝てしまった。
そして屋敷に着くと、一臣さんは私をひょいっとお姫様抱っこして、屋敷内に入った。
「おかえりなさいませ。弥生様!」
「弥生様、ご無事で何よりです」
どうやら、私と龍二さんのことは、お屋敷のみんなも知っているようだ。トモちゃん、亜美ちゃんは涙目で、私を出迎えてくれた。
「弥生様、お怪我なさったんですか?」
「いいえ。一臣さん、おろしてください。私、歩けます」
「いいや。部屋まで抱っこしていってやる。お腹は空いているか?」
「はい。空いています」
「悪いが、俺の部屋まで夕飯を持ってきてくれるか?国分寺。弥生も俺も疲れているから、部屋でのんびりと食べたいんだ」
「はい、かしこまりました」
国分寺さんはそう言うと、ダイニングに行った。
「疲れているなら、私をおろしてください。私、重いですよね」
「重くない。それに、こうやって抱いていたいんだから、いいだろ」
一臣さんは私を軽々と抱っこしたまま、階段を上りだした。どうしたんだろう、いったい。
「弥生、風呂も一緒に入るからな?」
「え?あ、はい」
「どこも怪我がないか、ちゃんと見てやるからな」
「はい…」
一臣さん、もしかして、相当私のこと心配しているのかな。
一臣さんの部屋の前で、一臣さんは私をおろした。そしてドアを開けると、私を抱きかかえながら中に入った。
「夕飯の前に風呂に入るか。あの倉庫は冷えていただろ?」
「はい」
お風呂は喜多見さんがあたためていてくれたようだ。私は一臣さんと一緒にバスルームに行った。そして、一臣さんの横で、洋服を脱ぐと、
「あ。ロープで縛られた跡がついているじゃないか」
と、一臣さんが私の腕を見てそう言った。
「あ、これは」
多分、ロープを柱にこすり付けた時にできたものかも。
「うっすらと、胸にも跡がついているぞ」
本当だ。赤くなってる。
「弥生」
一臣さんが私をギュッと抱きしめた。
「弥生…!」
また、一臣さんが私の名前を呼んだ。そして、私の顎を持つと、熱いキスをしてきた。
ああ。一臣さんだ。さっきは、あの気持ちの悪い社長に顎を持たれて、背筋がぞっとした。一臣さんのキスもぬくもりも、なんて嬉しいんだろう。
腰が抜けそうになった。でも、一臣さんに抱えられ、それから優しく体や髪を洗ってもらい、ジャグジーバスに入った。
「気持ちいいか?」
「はい」
一臣さんは私をジャグジーバスに入れた後、自分の髪や体を洗い出した。
「一臣さん」
「なんだ?」
「龍二さんのことなんですけど」
「……。弥生のことを、ちゃんと守ろうとしてくれたんだな」
「はい。私に逃げろって言ってくれて。倉庫でもそうでした。6人も大男に囲まれていたのに、俺が相手をするから、その隙に逃げろって」
「ふん。弥生にいいところを見せやがって」
一臣さんはそんなことを言って、それからシャワーでシャンプーを洗い流した。
そして、ジャグジーバスに入ってくると、私のことを後ろから抱きしめた。
「龍二が、まさか弥生を守ってくれるとは思わなかった」
「え?どうしてですか?」
「お前に危害を加えることはあっても、守ってくれるとは思えなかったんだ。京子に関しては、あいつも気があるみたいだったから、守るかもしれないと思っていたけどな」
「ごめんなさい」
「なんだよ。なんで、謝ったんだ?」
「隠していたことがあるんです」
「俺に?」
「本当にごめんなさい。ちゃんと一臣さんには言えばよかった。でも、怒られるかなって思って」
「なんのことだ?龍二のことか?」
「はい。私、龍二さんに信頼されていて、味方になってもらっていたんです」
「………」
一臣さんは黙り込んだ。そして、数秒たってから、
「は?味方?」
と聞き返してきた。
「はい。龍二さん、一臣さんに信用されていないこととか、俺はこの家に不要なんだとか、すごく悲しそうに言っていたんです。それで、なんかこう…、私は味方になるって、そんなことを私の方から言ってしまって」
「………弥生から?」
「はい」
「それで?」
「私って、裏表がないアホでバカだから、信用できるって、そう言われて」
「あいつがそんなことを言ったのか」
「そ、それで、龍二さんも私の味方になるって言ってくれて。久世に気をつけろとか、何かあったら俺に相談しろとか、けっこう気にかけてくれていたんです」
「あいつがか?」
「はい。それに、一臣さんに私が嫌われていると思い込んでいて、密かに応援していてくれたんです。だから、わざとけしかけてみたり」
「ああ。そんなこともあったな」
そう言ってから、一臣さんはまた黙り込んだ。
顔が見えないから、今、いったいどんな表情をしているのかがわからない。
まさか、ものすごく怒ってしまったのかな。