~その15~ 動き出したスパイ
この前、久世君に一臣さんを悪く言われてから、久世君が信じられなくなった。なんだって日吉さんに気を付けてなんて言うんだろう。第一、なんだって、日吉さんのことを知っているんだろう。
なんだか、もやもやする思いを抱えたまま、私は大塚さんと江古田さんとビルに戻った。
「今日は食事をするのをやめておく?」
大塚さんにそう言われ、私は「はい」と頷いた。このまま、お屋敷に戻ったほうが無難かもしれない。多分、久世君のことは日陰さんが追っ払ってくれたと思うけれど。
「じゃあ、私はこれで帰ります」
「気を付けてね、上条さん」
大塚さんと江古田さんと一階のロビーで別れた。
二人がエントランスから出て行った。私は携帯を取り出し、等々力さんに連絡を取ろうとしたが、その時、
「上条さん」
と、後ろからポンと肩を叩かれた。
振り返ると日吉さんがにこやかに立っていた。
「あ…」
思わず、久世君の言葉が浮かんだ。
「大丈夫だった?」
「え?何がですか?」
「さっき、もと宅配便のバイト君につかまっていたでしょう?」
「なんで知っているんですか?」
「あ、たまたま、私もあの近くに用があって…。急いで戻ってきたの。あの人、ストーカーみたいね。前にもビルの前で上条さんともめていたでしょ?気になって、一臣様に連絡したわ」
「え?」
一臣様に?
「そうしたら、一臣様が一緒に帰るって言うから、駐車場まで送って行くわ」
「一臣様が?じゃあ、役員専用の駐車場に…」
「ううん。一般の駐車場のほうよ。上条さんが外から帰ってくるってわかっていたでしょ?役員専用のは、一回15階まで行かないとならないし、大変でしょう?きっと、すぐに帰れるようにしてくれたのよ」
「そうなんですか?あ、でも、いつもそういう時には、正面玄関に車を回してくれるんですけど…」
そう言いながら、私は日吉さんに連れられ、エレベーターホールの方に歩いて行った。
ロビーにある受付を通り抜け、そのまま進むとエレベーターホールがある。そこを左に曲がり、さらに進むと、貨物専用のエレベーターがある。そのエレベーターの前に、駐車場に行く入り口がある。
私と日吉さんは、エレベーターホールの先を左に曲がった。すると、
「弥生!どっか行くのか?!」
と、後ろから龍二さんの声が聞こえてきた。
振り返ると、龍二さんが京子さんと一緒にいた。どうやら今、エレベーターから降りてきたようだ。
「はい。帰るところです」
「じゃあ、飯、一緒に食べに行くか?京子さんと行くところなんだ」
「お知り合いですか?」
日吉さんが私に聞いてきた。
「え?はい」
そう日吉さんに答えると、日吉さんはとても丁寧に、
「上条さんは、これから一臣様と帰るところなんです」
と、そう龍二さんに答えた。
「兄貴に?でも、なんで一般の駐車場に行くんだ?そこ、役員専用の駐車場じゃないだろ?」
「…弟さんですか?もしや、龍二様?」
「…ああ。俺のこと知ってるの?あんた、誰?弥生をどこに連れて行くんだ?」
龍二さんが私の方に向かって、早歩きで歩いてきた。
「どこにって、一臣様のもとにです。駐車場の車でお待ちなんです」
「嘘言うなよ。兄貴だったら、まだ15階にいる。親父たちと話し込んでいる最中だ」
え?
「ち…。すぐ来て!」
いきなり、日吉さんはそう大きな声で言った。
「今、誰に言ったんだ?!」
龍二さんが日吉さんのもとに駆け寄り、日吉さんの腕を掴んだ。
「邪魔が入ったわ!」
また、日吉さんが叫んだ。すると、駐車場の入り口から、黒のスーツを着た図体のでかい男が、一人入ってきた。
「逃げろ、弥生!」
そう龍二さんが叫んだ。龍二さんはまだ、日吉さんの腕を掴んだままだ。
男が、龍二さんを後ろから羽交い絞めにした。
「逃げろって!」
「でも!」
私は、龍二さんを羽交い絞めにした男の手を掴み、龍二さんから離そうとした。すると、入り口から他にもう二人、でかい男が勢いよく走ってやってきてしまった。
「弥生、俺のことはいいから逃げろ!」
そう龍二さんが言った時にはもう遅かった。私まで、あとから来た男に捕まってしまった。
「離して!離してったら!」
その男の腕の中でもがいた。
「離せ!」
龍二さんも思い切りもがき、男の足を蹴り上げ、みぞおちに肘鉄をくらわした。
「う…」
男がひるんだ隙に、龍二さんは男から離れ、
「京子さん、早く逃げて!」
と、後ろを向いて思い切り叫んだ。
私も振り返った。私を捕まえた男の影で、よく見えなかったが、もう一人の男が京子さんに向かって走って行っていた。その男を龍二さんが追いかけ、後ろから男に飛びついた。
「龍二様!弥生様!」
バタバタとロビーから、伊賀野さんともう一人、痩せた男の人が走ってきた。多分、忍者部隊の一人だ。
「京子さんを守れ!」
龍二さんが、飛びついた男の背中にしがみついたまま、そう叫んだ。
私も思い切り抵抗をして、私を取り押させていた男のすねを蹴っ飛ばした。一瞬ひるんだ隙に、思い切りスーツの襟をつかみ、その男を投げ飛ばした。
ドスン!男が宙を浮かび、床に投げ飛ばされた。
「龍二さん!」
龍二さんは、しがみついた男に逆に取り押さえられ、動きを封じこまれていた。
「龍二様!」
そこに伊賀野さんが駆け付けた。すると、もう一人の男が、伊賀野さんに向かって行った。
京子さんは無事、忍者部隊に保護されている。私も龍二さんを助けに行こうとしたが、
「その男は緒方龍二よ。そいつも捕まえて!」
と日吉さんが叫び、龍二さんは男に思い切りみぞおちを殴られた。
「ぐっ!」
龍二さんはその男の腕の中で沈み込んだ。伊賀野さんは、もう一人の男と戦っていて、龍二さんを助けられないでいる。
「龍二さん!」
私は龍二さんのもとに駆け寄った。でも、私が投げ飛ばした男が立ち上がり、私の後を追って来て、腕を掴まれた。
邪魔くさい。こうなったら、動きを封じ込める!
そう思い、振り返ってその男の懐に入り、腕を掴もうとした瞬間、何やら口に当てられ、一瞬のうちに私は気が遠くなってしまった。
「早く!行くわよ!」
日吉さんの声がした。
「龍二様!弥生様!」
伊賀野さんの声もした。でも、そのあと、私は意識を失った。
「弥生…」
遠くでかすかに誰かの声がする。
「弥生、大丈夫か?」
誰だっけ、この声。ちょっと一臣さんに似ている。でも、違うような…。
「おい、弥生!」
あ…。龍二さんだ。
私は目が覚めた。でも、頭がぼ~~っとして、目がかすみ、よく見えなかった。
「弥生?!気が付いたのか!?」
「………龍…二さん?」
「大丈夫か?!」
だんだんと辺りが見えてきた。でも、頭がくらくらして、ぼ~~っとしている。
どこだろう、ここ。部屋?違う。倉庫みたいだ。薄暗く、天井が高い。
「まだ、ぼ~~っとするのか?」
龍二さんが聞いてきた。声のする方を見ると、龍二さんが縛られていた。
「ここは?」
「どこかの倉庫だ。俺も目隠しされて連れてこられたから、どこだかわからない」
私は床に横たわっていた。そして、私の体にもロープが縛られている。両手を後ろにされ、ロープがグルグルと何回か体を縛り、腕が動かせなかった。でも、どうにか私は体を起こし、その場に座った。
龍二さんは私から1メートルくらい離れたところに座っていた。私と同様体をロープで縛られ、身動きが取れないでいる。
「龍二さんは、大丈夫ですか?」
「ああ。みぞおちくらったが、どうにか大丈夫だ」
「…京子さんは?」
「無事だ。ここに連れてこられたのは、弥生と俺だけだ」
「……まさか、日吉さんがスパイだったなんて」
「兄貴に聞いていなかったのか?」
「え?龍二さんは知っていたんですか?」
「いいや。でも、親父がだいたいの見当はついたと言っていた」
「……。久世君の言っていたこと、本当だったんだ」
「久世?久世正嗣のことか?あいつもここの仲間じゃないのか?」
「わかりません。でも、日吉さんに気をつけろって言っていたから」
「仲間割れか、それとも、久世は仲間じゃなかったのか…」
龍二さんはそう言うと、はあっとため息をついた。
「悪かったな、助けてやれなくて。でも弥生、俺が逃げろって言った時になんで逃げなかったんだよ」
「龍二さんが危なかったから」
「アホだな。ああいう時はさっさと逃げろよ。俺だって、兄貴同様、少しは武術を習っているんだし」
「私もです。でも、油断しました。ごめんなさい…。龍二さんを助けられなかった」
「はあ?!弥生に助けられるわけがないだろ。あんな大男3人いたんだぞ」
「はい」
もっと早くに動きを封じこめばよかった。
「今度はもうあんなへましませんから」
「だから、あんたに何ができるっていうんだよ。アホだなあ。そんなことより、チャンスがあったら逃げろ。わかったな?」
「……私たちをどうしようというんでしょうか。日吉さんは」
「人質かもな」
「人質?」
「危ない連中みたいだから、本気でやばいぞ。銃は持っていないようだったけど、何をしでかすかわからない連中みたいだ」
「……。龍二さん、そこの柱まで動けますか?」
「柱?」
「あの柱、木でできているから、もしかしてロープを切れるかも」
「無理だろ」
「わかりません。やってみます」
私は足とお尻を動かして、なんとか柱までたどり着いた。そして、柱の角にロープをこすり付けた。
「おい、そんなことしたって無駄だ。それより、今頃もうこっちに助けが向かっている頃だ」
「え?」
「ちゃんとGPSが俺にも弥生にも取り付けてある」
「どこにですか?」
「服とか、靴とか、アクセサリーとか。とにかく身に着けているもののどっかに取り付けてあるんだ。あんた、屋敷にあった服着てるんだろ?アクセサリーもそうだろ?」
「はい。一臣さんが選んだものです」
「それに、くっついているんだ。兄貴の服にもついているし、俺のにもついている」
「そうなんですか?」
初めて知った。
「携帯や時計なんかは、捕まった時に取られる可能性があるからな」
「じゃあ、すぐに助けが来ますね。でも、その時、すぐに脱出できるように縄抜けしておかないと」
「……弥生は本当にワイルドだな。こういう時、普通のお嬢様だったら、泣くだろ」
「そうなんですか?でも、泣いている暇なんかないし、泣いたってしょうがないし」
私はまた、柱にロープをこすり付けた。さっきよりも思い切り力強く。腕にロープが食い込み痛かったが、それでも、何度もこすり付けている間に、ロープが緩んできた。
「龍二さん、腕抜けました」
片方の腕をどうにか縛ってあったロープから外すと、ロープがもっと緩み、両手が抜けた。
「待ってくださいね。龍二さんのロープも今ほどきます」
そう言って、私は立ち上がり、すぐに龍二さんの後ろに回った。だが、硬すぎてなかなかほどけない。
「あ、あれを使おう」
倉庫の中にビール瓶が転がっているのが見えた。私はそれをガシャンと割って、かけらを持って龍二さんのもとに戻った。
「本当に弥生って、ワイルドだな…」
龍二さんが目を点にしてそう言った。
「いいから。今からロープを切りますから、手を動かさないで下さいね」
そう言って、龍二さんのロープをガラスのかけらでなんとか切った。
「いい考えがあります。もし、ここに誰かやってきたら、私たちをまたロープで縛ると思うんです。だから、縛っているふうに見せかけましょう」
そう言って、私は切ったロープを簡単にほどけるように結びなおした。
「このロープの先を持って、引っ張ってください。すぐにほどけます」
「じゃあ、弥生のも軽く縛っておくか」
「いいえ。私はロープが切れているわけではないので、この中に両腕を通して、すぐに抜けるようにしておきます。ほら、こうやったら、ね?わかんないですよね?」
そう言って、私は両腕をまた体を縛っているロープの中につっこんだ。
「ああ、そうだな」
「じゃあ、もといた場所に戻ります。あ、このガラスのかけらは見つかったら大変だから、隠しておきます」
そう言って私は、また両腕を出して、何やら段ボールが散乱している間にかけらを仕舞い込み、もといた所に戻って座り込んだ。
そして、両腕を後ろに持っていってロープにつっこみ、何事もなかったように、横たわった。すると、数分後に倉庫のドアがガラガラと開き、誰かが中に入ってきた。
倉庫の外は暗かった。今、何時頃なんだろう。龍二さんが言うように、私は腕時計を外されていた。
「お目覚め?上条さん」
そう言いながら、カツンカツンとヒールの音が倉庫内に響いた。この声は、日吉さんの声じゃない。
でも、もう一人、女の人が後ろから倉庫の中に入ってきた。
「手荒な真似はしたくなかったのよ。上条さん。でも、久世のアホが、私の名前を出したばっかりに、こうするしかなかったの」
今の声は日吉さんの声だ。
そして私の真ん前まで、二人は来た。日吉さんと戸田さんだ。ううん。戸田さんっていうのは偽名で、本当の名前はわからない。
「あなたがバカをしたんでしょ?私と一緒にいるところを久世正嗣に見られたから」
「お姉さんが怪しまられていたからよ。私のせいじゃないわ。久世に近づいて、せっかく一臣様が弥生さんを苦しめているって情報を流したっていうのに、横からしゃしゃり出て、久世に上条瑠美を一臣様と結婚させるななんて、吹き込むから」
「久世が上条弥生と一臣氏の結婚を阻止できたら、それでよかったのよ。上条瑠美と一臣氏がくっついたって、意味がないわ。結局上条グループと繋がるじゃない。それは、阻止しなくっちゃ」
「そんなことしなくたって、結局上条瑠美は一臣様とくっつかなかったんだから、ほっときゃいいのに」
日吉さんはそう言うと、私の前にしゃがみこんだ。
「わ、私と龍二さんをどうするつもりですか?」
「そうねえ。本当は、誘拐なんかする予定なかったんだけど、私がスパイだってこともばれそうだったし、裏でこっちのこと探っているようだし、早いとこ、手を打っておかなくちゃならなくなったのよ」
「手を打つって何をするつもりだ」
龍二さんが日吉さんに向かって、低い声で聞いた。かなりすごみのある声だ。
「あなたまで誘拐するつもりもなかったんだけどね。でもまあ、いい人質にはなるかしらね」
「何をするつもりだって聞いているんだ」
「私たちは、上条グループと緒方財閥の繋がりを断ちたいの。うちの社長と上条弥生が結婚でもしてくれたら、それが一番なんだけど」
「そ、そんなの絶対に無理です」
「そう?たとえば、もうすぐ社長が到着するから、力づくであなたのことを手に入れるっていう方法もあるのよねえ」
「何をバカなことを言ってるんだ!」
「あら。あなた、一臣様と仲悪いって聞いたわよ。上条弥生がどうなったって、龍二さんには関係ないんじゃないの?」
「………」
龍二さんが黙り込んだ。
私も龍二さんも、今なら女二人だし、なんとか逃げられるんじゃないかと考えていた。倉庫のドアも開いたままだ。ただ、外に見張りや、あの体のでかい男が何人もいたら、また捕まってしまう可能性がある。
「緒方財閥を潰したいんですか?」
「そうよ。産業スパイを送り込んだり、工場や子会社乗っ取ったり。でも、上条グループとの提携の話は進んでいくし、あなたと一臣様の婚約話も進んでいっちゃうから、上条グループが邪魔になったのよねえ」
「じゃあ、上条グループが欲しかったわけじゃないんですか」
「まさか、あんな歴史の浅い小さいグループいらないわ。私たちが欲しかったのは、緒方財閥よ」
そう言ったのは、戸田さんだ。あ、偽名だけど。
「お嬢様、社長がお見えです」
倉庫の入り口から、野太い男の声がした。やっぱり、ちゃんと倉庫の外にいたんだな。
「お兄さん、早かったのね」
そう日吉さんが言って、入り口のほうに歩いて行った。
お兄さん?Aコーポレーションの社長の妹だったの?
そして、日吉さんと一緒に、Aコーポレーションの社長が倉庫の中に入ってやってきた。