~その13~ 元気の源は一臣さん
朝、一臣さんの腕の中で目覚めるのが好きだ。それも、今日は二人とも裸。一臣さんの肌を直に感じながら目を覚ました。
一臣さんはまだ寝ている。いつも、威張ったりしている一臣さんが、この時だけは幼い子供に見える。
一臣さんって、会社ではいつも、偉そうな態度だ。役員のみんなに対してだって、へりくだったりしない。でも、お客様に対しての態度はきちんとしていた。謝罪もすぐにしていたし、丁寧で迅速だった。
そして、喜多見さんや樋口さんには甘えている。愚痴をこぼすし、平気で拗ねたり駄々をこねたりする。あれって、気を許しているからだろうな。私にも、こんな可愛い寝顔を見せてくれるんだから、思い切り気を許しているってことだよね。
そう思ったら、胸の奥がキュンってした。
「弥生…」
「はい?」
スー。
あ、寝てた。今の寝言なんだ。寝言で呼ばれると、ますます胸がキュンってしちゃう。なんだってこうも、胸がキュンキュンしちゃうんだか。
あ~~~~~~~~。幸せだ。一臣さんのぬくもりが嬉しい。一臣さんのコロンの香りが嬉しい。
しばらく幸せに浸っていると、アラームが鳴り、一臣さんが目を覚ました。
「ん~~~~~~~~~~。弥生?なんだ、起きていたのか?」
「はい。寝顔見ていました」
「俺の?」
「はい、可愛かったです」
「………誰の寝顔が可愛かったって?」
「だから、一臣さんの」
そこまで言うと、いきなり一臣さんが上に覆いかぶさってきた。
「きゃ?」
「可愛いなんて言うなよな。襲うぞ」
「なんでですか?」
「なんででもだ」
可愛いって言われるのが嫌いなのかな?
チウ~~~~~~~~。あ、胸にキスマークつけてる。
「よし」
満足気にそう言って、一臣さんはベッドから起き上がった。
「汗かいているし、シャワー浴びてくる。弥生も一緒に浴びるか?」
「いいえ」
「そうか?」
一緒に行ったら、また一臣さんに襲われそうだしな。
一臣さんがバスルームに入ってから、私は一目散に自分の部屋に戻った。そして、簡単にシャワーを浴びた。
体をバスタオルで拭きながら、鏡に映った自分の姿を見た。ああ、ばっちりキスマークがついている。
はう。それにしても、昨日はいっぱいいっぱい、一臣さん愛してくれたなあ。
ダメだ。思い出しただけで、意識がどこかに行っちゃいそうになった。
バスローブを羽織り、顔を洗い、歯を磨き、ちゃんと目を覚ました。それから着替えも済ませ、髪をとかし化粧もして、ダイニングに行った。
「おはようございます」
ダイニングにはすでに、お母様と京子さんがいた。
「おはようございます」
私は席に着いた。すると、慌てながら一臣さんも、食堂にやってきた。
「あら。一臣、今日は朝食を召し上がるんですか?」
「いや。コーヒーだけです」
一臣さんはそうお母様に答え、手にしていた新聞を広げた。
「どうしました?いつもはお部屋でコーヒーを飲むんでしょう?あ、京子さんがいらっしゃるからですか?」
「…たまには食堂にも顔を出しますよ」
一臣さんは静かにそう答え、出てきたコーヒーを一口飲んだ。
「あれ?珍しく兄貴もいる」
そこに、龍二さんがやってきた。しっかりYシャツを着て、髪も決まっている。
「おはようございます。京子さん」
龍二さんは京子さんにだけ挨拶をした。どうやら、私のことは無視するようだ。
「おはようございます」
「京子さん、僕と一緒に会社に行きますか?」
「…龍二さんとですか?」
「兄貴の車には、フィアンセ殿が乗るでしょうし」
龍二さんの言葉に、京子さんは一臣さんを見た。でも、一臣さんは新聞を読み、まったく京子さんのほうを見ようとはしなかった。
昨日の夕飯の時には、あんなに京子さんに話しかけたりしていたのになあ。
あ、そうか。昨日龍二さんに、私のそばにいるってそう言ったから、今朝もダイニングまでやってきたのか。
「一臣、新聞はやめなさい」
「……日課ですから。今しか読む時間もないですし」
お母様の言葉に、一臣さんは冷静に答えた。そしてまた、新聞を読みだした。
し~~~ん。ダイニングは静まり返っている。この変な雰囲気に、メイドさんたちも戸惑っている。
「弥生、食い終わったら会社に行くぞ」
「え?はい」
びっくり。ダイニングで一臣さんが話しかけてくるなんて。
私は慌ててトーストを食べ、紅茶を飲んで席を立った。一臣さんはすでにコーヒーを飲み終わり、新聞も畳んでいた。
「慌ただしいわね、一臣」
「今日は早くに出社したいんで…」
一臣さんは一言だけそう言うと、席を立った。
「あなた、特に朝は愛想がないわね。低血圧だった?」
「僕ですか?いいえ、そういうわけではありませんが…。朝からそんなに、テンションはあがらないものじゃないんですか?」
ものすごい冷めた口調で一臣さんはそう言うと、ダイニングを颯爽と出て行った。私も、
「ご馳走様でした」
と言って席を立った。
「弥生さん、一臣はあんなだけど、我慢してね」
「え?」
「朝から機嫌が悪いでしょう?車の中でもムスッとしているんじゃない?弥生さんも気分悪いかもしれないけど、我慢してね」
「はあ…」
どう答えていいかわからず、曖昧な相槌を打ってダイニングを出た。
車の中ではいっつも、私の太もも触ってにやついているスケベな一臣さんだし、だいいち、朝からどこの誰がテンション低いっていうのだろうか。今朝だって、朝っぱらからキスマークつけていたし。
そんなことを思いながら階段を上ると、一臣さんが待っていた。
「今朝は龍二の奴、くっついてこなかったな」
「え?はい」
グイッと一臣さんは私の腰を抱き、そのまま私を部屋に入れた。
「さて。のんびりするか」
「え!?会社に早くに行くって…」
「あんなの本気にしたのか?さっさと部屋に戻りたかっただけだ」
「もしかして、龍二さんに私のそばにいるって言ったから、今朝もダイニングに来たんですか?」
「ああ。また、俺がいない間に、お前に近づかれても困るからな」
そう言って一臣さんは私を連れて、ソファに座り、私を膝の上に座らせた。そして、
「まだ、新聞だって半分しか読めていない」
と、新聞を広げ、読みだした。
そうか。一臣さんにとっては、部屋でのんびりとコーヒーを飲みながら新聞を読むっていうのが日課なんだ。でも、今日みたいに息の詰まる朝食は、私も嫌だな。龍二さんが来てからは、亜美ちゃんたちも私に声をかけてこなくなっちゃったし。心配そうにしているのはわかるんだけど、私からも声をかけずらい。
一臣さんは真剣に新聞を読んでいる。…と思ったら、私の後頭部に頬ずりをした。そして、新聞をバサッと床に落とすと、私の太ももを触り、もう片方の手で胸を触ってきた。
「あの…、新聞は?」
「もう読んだ」
え?そんなに時間たっていないけど、もう読めたの?
「弥生…」
「はい?」
「今日はガーターベルトじゃないんだな」
「一つしか持っていないって言ったじゃないですか?」
「そうだったな。絶対にもっと買い揃えておけよ」
まったく。朝からしっかりとスケベなんだけど…。
「お母様にはあんなことを言っていたのに」
「ん?なんのことだ?」
「朝からハイテンションにはなれないって」
「そうだ。ハイテンションになっていたら、今すぐ押し倒してるぞ」
え~~~。そういうこと?
「まあ、朝から押し倒す元気くらい、あるにはあるけどな」
「え?!」
「でも、そろそろ行かないとならない時間だしな」
一臣さんは私を膝からおろし、背伸びをした。
「ん~~~。昨日は弥生を思い切り抱けたし、やっとすっきりできたな」
すっきり?
「欲求不満になっていたからなあ。お前、俺が帰ってくると寝ていたし…」
「ごめんなさい」
「まあ、いい。俺の帰る時間が遅かったんだから」
一臣さんはチュッと私にキスをすると、ネクタイをしにウォークインクローゼットに入って行った。
朝からスケベな一臣さんだけど、そっけなくされるよりずっといい。私も今朝は爽快な気分だ。
二人で部屋を出て、1階に行くと、亜美ちゃんやトモちゃんがロビーで待っていた。
「龍二は?」
「はい。もう京子さんと会社に行きました」
トモちゃんが元気にそう答えた。
「そうか。龍二も京子もいないのか」
一臣さんはそう言うと、私の腰を思い切り抱き寄せ、
「小平たちにも気を遣わせて悪いな」
と、そうトモちゃんに向かって言った。
「いいえ。わたくしたちはいいんです。ただ、弥生様が心配で」
「大丈夫です、私のことなら」
そう答えたが、亜美ちゃんはまだ心配そうに私を見ている。
「ダイニングにいる時の弥生様、あまり元気がないように見えるんですけど、本当に大丈夫ですか?」
「はい。私だったら元気です」
「龍二が大阪に行くまでの辛抱だ。あ、でも、これからは龍二の前でも弥生と一緒にいることにしたからな」
「え?そうなんですか?」
「ああ。でないと龍二の奴、弥生に手を出しかねないからな」
一臣さんはそう亜美ちゃんに言うと、私の腰を抱いたまま玄関を出た。
「いってらっしゃいませ!」
亜美ちゃん、トモちゃんが元気に見送ってくれる中、私と一臣さんは車に乗り込んだ。
「行ってきます!」
私も二人に元気に答え、等々力さんがドアを閉めてくれた。
「弥生様、朝からお元気ですね」
等々力さんは運転席に乗り込むと、私にそう言った。
「はい!」
「やっぱり、弥生様は一臣様と一緒にいらしたほうがお元気ですよね」
うわ。等々力さんに恥ずかしいことを言われてしまった。でも、図星だ。
「俺がいないと弥生はそんなに萎れているのか」
「はい。しばらくお日様にあたっていない花のようになっていますよ」
等々力さん~~~。そんなことをばらさなくても!
「ははは。弥生の元気の源は俺だからなあ」
一臣さんは笑って、私の太ももを触ってきた。
「それは、一臣様もですよね」
等々力さんはバックミラー越しに一臣さんを見て、そう言った。一臣さんは、片眉を思い切り上げ、
「……まあ、そうかもしれないけどな」
と、ちょっと照れくさそうに呟いた。
「弥生様がおそばにいないと、一臣様は拗ねて、わたくしにあたりますからね。大変なんですよ、弥生様」
「う、うるさいぞ、樋口。そんなことより、今日のスケジュールだ。ちゃんと読み上げろ!」
一臣さんは、ほんのちょっと耳を赤くして、樋口さんにそう怒鳴った。ああ、これも照れているんだろうな。
樋口さんは、くすっと笑ってからスケジュールを読み上げた。ふだん、ほとんど笑わない樋口さん。でも、車内ではいつも穏やかだ。それに等々力さんも、いつも優しい表情をしている。
朝の、会社に行くまでのこの時間も好きだ。なんだか、癒される。最近は一臣さんの手が私の太ももを触っているほうが、気持ちが落ち着くくらいになってきちゃった。
会社に着くと、一臣さんは自分のオフィスに向かい、
「弥生は午前中、秘書課で仕事をしていろ。昼飯は一緒に食えるからな」
と、私は14階でおろされた。
少しがっかり。でも、まるまる1日一緒にいられないわけじゃないんだし、秘書課で頑張って仕事をしよう。
鴨居さんには、また一臣さんがファイルを持ってきて、直に仕事を任せていた。鴨居さんは、昨日ほど一臣さんを警戒していなかった。
細川女史は相変わらず江古田さんに仕事を教えていて、大塚さんと他の秘書の人は、ほとんど秘書課の部屋にいないで、会議の準備や、応接室のお茶出しに追われていた。
矢部さんはというと、大量のデータ入力を任せられ、真剣な目でずっとパソコンを打っている。多分、本来なら鴨居さんが打つべきデータ入力も、矢部さんがしているんだろう。なにしろ、鴨居さんが打ちこんでいるものは、架空のデータファイルだからなあ。
午前中は、矢部さんの打ったデータのチェックをずっとして、あっという間に時間が過ぎた。そして12時を少し回った頃、一臣さんが部屋にやってきた。
バタンと勢いよくドアを一臣さんが開けた。
外回りから帰ってきて、デスクでほっとしていた町田さんが、一臣さんが現れるとたちどころに背筋を伸ばし、緊張した。矢部さんも、一臣さんのほうを見て緊張をし、鴨居さんは、自分に声をかけられると思ったのか、一臣さんのほうに顔を向けた。
だけど一臣さんは、
「弥生、飯に行くぞ」
と一言だけ言って、すぐに部屋から出て行ってしまった。
「な、なんだ。びっくりした」
そう言いながら、一気に肩の力を抜いたのは町田さんだ。矢部さんもほっとしたのか、安堵のため息をして、鴨居さんは少し寂しげな表情を見せた。
「あの、お昼に行ってきます」
私は細川女史にそう告げて、部屋を出た。すると廊下で一臣さんが待っていて、
「何を食いたい?」
と、にこやかに聞いてきた。
嬉しい。一緒にお昼ご飯を食べに行けるだけでもルンルンだ。
「何でもいいですっ。一臣さんは何がいいですか?」
「ははは。飯食いに行くとなると、途端に目が輝くよなあ」
違います~~。一臣さんと一緒だからですって、何度言ったらわかるんだ。あれ?口に出して言っていなかったかな。
「一臣さんとランチに行けるから嬉しいんです。一臣さんがいるから目が輝いているんです」
私はちゃんと口に出してそう言ってみた。
「ああ、なるほどな。お前の原動力だもんな?俺は」
「はいっ」
「ははは」
一臣さんは嬉しそうに笑い、私の背中に腕を回して歩き出した。
「じゃあ、ベトナム料理でも食いに行くか」
「え?ベトナム?」
「食ったことないのか?」
「はい」
「そうか。少し離れたビルにあるから、そこまで食いに行くぞ。時間もあるし、散歩がてらな?」
「二人きりでですか?」
「ああ」
一臣さんはそう言ってエレベーターに乗り込み、
「まあ、二人きりと言っても、外出時は見えないガードがいるんだけどな」
と呟いた。
「忍者部隊?」
「そうだ。特に今は…。ああ、やっぱりあんまり離れたビルは、歩いて行かないほうがよさそうだな。かといって、車で行くのも危なそうだしな」
え?車でも?
「近場にするか。どこかうまい店知っているか?弥生」
「真向いのビルのパスタ、美味しかったです。和食屋さんも美味しかったし」
「そうか。社員もいそうだが、まあ、いいか」
一臣さんはそう言うと、私のことをもっと自分の体に引き寄せた。すると、エレベーターが10階に止まり、ぞろぞろと社員が乗ってきた。
私と一臣さんを見て、社員は私たちを避けるように立った。それから、みんな黙り込み、エレベーターの中はし~んと静まり返っていた。
各階で次々にエレベーターに社員が乗ってきたが、一臣さんがいるからか、みんな黙っている。そんな中、ようやく1階に着いた。
やっと解放されたと思うのか、みんなエレベーターを降りると喋り出した。口々に私と一臣さんのことを小声で話しているが、いつものように丸聞こえだ。
「仮面フィアンセって、ほんと?」
「表向きだけ、仲がいいのかしら」
「だとしたら、上条さん可哀そう。本当に仲良くなってほしいわよね」
「今迄みたいな、高慢ちきな女性じゃなくって、上条さんって普通っぽいところがいいわよね」
「そうそう。どこにでもいそうな感じで親しみやすいわ。今迄一臣様のそばにいた女性って、性格悪そうだったけど、上条さんは良さそうだし」
ん?なんか、いつもと違った声が聞こえてきたぞ。
「へ~~え。お前の株、すっかりあがってるんだな」
一臣さんがビルを出てから、そんなことを言ってきた。
「普通っぽいところがいいとか、性格良さそうとか…。良かったな、弥生」
「はい。でも、なんでいきなり?」
「久世のやつに啖呵切ったことで、周りの評価が変わったんだろ」
「あんなことで?」
「あんなことじゃないだろ?お前の健気さがみんなに伝わったってことだ」
そう言うと一臣さんは、ふんっと鼻で笑い、私の腰を抱いて横断歩道を渡った。べったりと二人してくっついているものだから、周りの人から注目を浴びた。
だけど、やっぱり、前みたいな言葉はなくなった。パスタのお店に入ってからも、
「あ、一臣様とフィアンセの上条さんよ」
「上条さん、一臣様のハート、ちゃんと掴めたのかしら」
「仮面フィアンセじゃなくって、本当に仲のいいフィアンセになれたらいいわよね」
なんて、今迄じゃ考えられないようなことをいっぱい言われた。
「ふん。仮面じゃなくって、本当に仲がいいんだけどな」
一臣さんは、それでもみんなの言葉が気に入らないようだ。片眉を上げそう呟き、出てきたパスタを食べだした。
「美味しいですか?」
「ああ、うまい」
良かった。
私は、他の人の言葉よりも今は、目の前に一臣さんがいることがただただ嬉しい。
幸せをかみしめながら、私もパスタを食べだした。