~その9~ 緒方商事の裏組織
一臣さんの膝の上で、しばらく抱きしめられながら、幸せを満喫していた。一臣さんは私の後頭部に頬ずりしたり、うなじにキスをしたりしている。
こんな時間は久々だ。
グ~~ギュルル…。
「あ!」
また、いいところだったのに、お腹が鳴って台無しに!
「お前の腹時計、直ったようだな。ちょうど今12時だ」
「…そうですか」
「腹減っただろ?俺も減ったから、樋口に弁当買って来てもらうか」
一臣さんは私を膝の上からおろした。
私はがっかりしながら、ブラウスのボタンを閉め、スカートを履いた。
「樋口、俺と弥生の弁当買って来てくれるか?樋口の分も一緒に買ってきていいぞ」
インターホンで一臣さんはそう言うと、くるりと私のほうを向き、
「なんだよ、スカート履いたのか」
とがっかりしていた。
「え?」
「ガーターベルト、色っぽかったのに」
「どこがですか?私の太ももなんて、どこも色っぽくないし」
「その、むちっとした太ももに真っ白のガーターベルトがそそるんだ」
一臣さんはまた私を抱きしめ、スカートをまくしあげた。
「だ、ダメです」
「いつも、履いていろよ。な?」
「そんなわけにはいかないです。だいいち、一つしかないし」
「なんだ。なんでもっと買っておかないんだよ。今度揃えておけよ」
一臣さんはそう言って、私の耳たぶにキスをしてきた。
「で、でも、あまり、会社ではしないほうがいいかと思います」
「なぜだ」
「なぜって。だって、お仕事中ですし」
「そんなの、関係ないだろ」
「関係あります」
「いいんだよ。遅くまで働いて、屋敷でお前のことを抱けないんだから、空いた時間使ったっていいだろ」
「でも…」
「でももくそもない。お前はずっと俺に抱かれないでもいいのか?寂しかったんだろ?」
「はい…」
「だったら、素直に喜べ」
う…。それはそうなんだけど、なんだかいけないことをしているような気がして、後ろめたい。
でも、誰に後ろめたいのかな?今、働いている社員のみんなにかな?
14階で働いている秘書のみんなにも悪い気が…。あ、そういえば、一臣さん、鴨居さんがショックを受けていたことに対して、なんにも答えてくれなかったけど、どうするんだろう。
「鴨居さん、ショック受けていましたよね。一臣さんのこと、優しくて紳士な人だって言っていたし、一臣さんの秘書になりたいとまで言っていたから」
「そんなことを言っていたのか?」
「…はい」
そういう話は、直接聞いたりしていないのかな。
一臣さんが、またソファに座り、私を膝の上に乗せた。
「そうか。俺の秘書ねえ…」
「もし、鴨居さんが望んだら、一臣さんの秘書になれるんですか?」
「まさか。俺の秘書になるための第一条件は、お前のことをちゃんと守れるかどうかだ」
「え?」
「樋口はお前のことも、大事に思っている。それに、細川女史も」
「細川女史?」
「ああ。だから、俺の秘書になってもらうんだ」
「細川女史は適任だって、私も思います」
「だろ?」
一臣さんはすりすりとまた、私の後頭部に頬ずりをした。
「あの…。鴨居さんの、ショックを受けていた件に関しては、どうするんですか?」
まったくさっきから、その話に答えてくれないけれど。
「別にどうもしない」
「え?」
「どうでもいいことだろ?勝手にショックを受けようがなんだろうが、俺には関係ない。だいいち、俺はセクハラもしていないし、自分のフィアンセといちゃついていて、何が悪いんだ」
「鴨居さん、私が一臣さんのフィアンセだってことも知らなかったみたいですね」
「そうだな。秘書課で弥生が俺のフィアンセだって知らないとはな」
一臣さんはそう呟いた。
「弥生」
「はい?」
「もう、誰かの言った言葉に惑わされるなよ。俺は弥生に惚れているんだ。前にも言ったよな?俺が惚れるのは、弥生だけだって。初恋もお前だし、大学の時に惚れそうになった女だって、お前だった」
「……はい」
ギュ。一臣さんが抱きしめる腕に力を入れた。
「もし、グルメ料理に例えるなら、俺は今までA級グルメをうまいと思ったこともないし、好きになったこともない。飽きたからB級グルメを試したわけでもない」
「はい」
「お前しか食いたいとは思わないからな」
「……」
今の、意味深。
「な?」
「はい」
「だから、他のを試したいなんて、思っていないからな」
「…」
鴨居さんのこと?
はむっと、耳を甘噛みされた。
「ひゃ」
「お弁当を買ってきました」
その時、インターホンから、樋口さんの声が聞こえた。
私はそそくさと一臣さんの膝から降りて、ドアを開けてお弁当を取りに行った。
「樋口さんも一緒に食べますか?」
「いいえ。わたくしは、早めに食べて、社長室に行きますので」
「そうなんですか」
ぺこりと樋口さんがお辞儀をした。私もお辞儀をして、一臣さんの部屋に戻った。
「午後、辰巳さんと打ち合わせがあるんですよね?」
「ああ。お前も一緒に来い」
「なんの打ち合わせですか?」
「食べながら話す」
私はお茶を入れ、ソファに座った。一臣さんは、お弁当を食べながら、話し出した。
「Aコーポレーションが、子会社を乗っ取ったことは知っているよな?」
「はい」
「他にも、緒方財閥関連の工場も、乗っ取られている」
「え?」
「緒方商事にスパイがいる。それも見当がついてきた。どうやら、身近にもスパイが潜んでいるようだ」
「身近?」
「ああ。俺らの身近にいる」
「え?!まさか、秘書課にも?」
「……。その辺をずっと調査してきたんだ」
「あ!もしかして、一臣さん、矢部さんを疑っていますか?試すようなことを言っていましたよね?」
「矢部?」
「はい。でも、矢部さんは違います」
「なんでわかるんだ」
「だって、矢部さんは信頼できます」
「…矢部は、自分のミスのせいでお前が怒られてから、細川女史にも俺にも謝ってきたぞ」
「え?一臣さんにも?」
「細川女史を通してだけどな」
「……」
「もう、お前に迷惑はかけないと言っていた」
「はい。細川さんから聞きました」
「そんなに矢部は信頼できると思うか?」
「はい!」
「仕事もできるか?」
「はい。あの時のミスが初めてでした。それまでは、ミスがなくて完璧だったんです」
「細川女史からも聞いている。それに、臼井課長からもな」
「臼井課長の推薦なんですよね?」
「ああ。だから、俺も信頼している」
「え?」
「矢部には、お前の秘書になってもらおうかと思っている。だから、試したんだ」
「私の!?」
「ああ。弥生と俺が結婚したら、弥生にも秘書をつけたいって話しただろ?」
「はい」
「細川女史が言っていた。矢部はお前のことを尊敬しているんだってな?」
「私にも、そう言ってくれました」
「そうか」
一臣さんはお茶を飲んでから、ふっと息を吐き、
「まだ、あと半年あるから、それまで様子は見るけどな」
と口元をゆるめてそう言った、
「はい」
そうだったんだ。そんなことを一臣さんは考えていたんだ。何も知らなかった。
「まだ、矢部には話すなよ。他の奴にもだ。確定したわけじゃないからな」
「はい」
「さて…。そろそろ、親父の部屋に向かうとするか」
「え?総おじ様も、打ち合わせに同席するんですか?」
「いや。親父は他の仕事でいない。ただ、親父の部屋から、辰巳さんに会いに行くんだ」
「あ、そういえば、総おじ様の秘書の方は、秘書課とは違うところにいるんですよね」
「ああ。それも、辰巳さんは特別なところにいる」
「あ、あの、監視室ですか?でも、それだったら、総務課の奥ですよね」
「あそこにも、辰巳さんはよく顔を出すが、また別のところだ」
「そうなんですか」
「お前も連れて行ってやるから。ただ、今回のことにあまり首を突っ込むなよ。かなり、相手はやばい会社だから、辰巳さんたちに任せておくんだぞ」
「辰巳さんたち?秘書の人たちってことですか?」
「いいや。まあ、一緒に来い。案内がてら話すから」
「はい」
っていうことは、やっと私、蚊帳の外じゃなくなるの?
でも、首を突っ込むなって言われた。じゃあ、一臣さんは?一臣さんは関わっているの?
危ないってことなんだよね。だから、私に首を突っ込むなって言っているんだよね。でも、一臣さんは危なくないの?
なんだか、すっごく気になる。一臣さんが危険な目に合わなければいいんだけど。
私は一臣さんと一緒に、社長室に向かった。その途中、ちょうど部屋から出てき目黒専務に会った。
「もう、上条不動産の社長は、帰られたんですか?」
一臣さんがそう聞くと、
「30分も前に帰ったよ。今から、社長室に報告に行くところだ」
と専務は答えた。
「親父はいませんよ。だから、辰巳氏か、もしくは僕が聞きますが」
「そうか。じゃあ、一緒に行くとするかな」
目黒専務はそう言いながら、一臣さんの隣に並んだ。
「あの、正栄おじ様、まだいらしたんですか?」
「うん。あの後僕の部屋で、さらに詳しく話を聞いていたんだ。14階の会議室は誰が聞いているかもわからないからね」
「え?」
目黒専務に聞きかえすと、一臣さんが、
「念には念を入れている。15階は誰も入ってこれないからな」
と、そう教えてくれた。
「そうだったんですか」
「詳しい話は、もっと誰にも聞かれない部屋で聞きますよ」
そう一臣さんは言うと、社長室のドアの前でIDカードをかざした。
そうなのか。誰にも聞かれては困るような、機密事項は15階まで来てもらって話を聞くんだ。それも、もっと機密なことになると、社長室まで行って話をするんだな。
そこに私も連れて行ってくれるんだ。じゃあ、私のことはちゃんと信頼してくれているんだよね。
ドアを開けると、一臣さんはデスクの電話を取り、
「一臣だ。辰巳さんは?」
と聞いた。中から青山さんが現れ、
「目黒専務と弥生様もご一緒ですね。辰巳氏は今、会議室で樋口さんと話しています」
と、一臣さんに教えた。
「じゃあ、目黒専務には、会議室に行ってもらうか。辰巳さんに報告をしてくれ」
左側のドアを一臣さんは、IDカードを使って開けた。そこは、7~8人は入れそうな会議室だった。
「辰巳さん、目黒専務から報告があるそうだ」
「じゃあ、一臣様との打ち合わせは、そのあとでもいいですか?」
「ああ。俺は先に弥生を、裏に案内する」
「弥生様を?」
辰巳さんが怪訝そうな顔をして私を見た。
「辰巳さん、弥生にもいろいろと事情を知ってもらってもいい時期だと、俺は思っている」
一臣さんがそう言っても、辰巳さんはまだ怖い顔をしている。
「ですが、あまり内情を知っても、危ないかと…」
「内情を知らないでも危険な状態です。だったら、知ってもらったほうがいいと思うますよ、わたくしも」
そうクールに言ったのは、樋口さんだった。
「……。そうですか。では、のちほど、目黒専務の報告を聞いた後、私もそちらに向かいます」
会議室を樋口さんも一緒に出た。樋口さんは背広の襟をただし、ネクタイも曲がっていないか確認した。いつもより顔つきが険しい。目つきもちょっと怖く見える。
「樋口、裏の顔になってるな」
「は?」
「お前、いつも裏に行く時には、顔つきが怖くなるよな」
あ。一臣さんも気が付いていたんだ。っていうか、『裏』ってなんだろう。
もしや、『裏の組織』とかあったりして。なんてね。
「そりゃ、裏では怖い顔をしていないと、裏の仕事が務まりませんから」
怖い表情を一切変えず、樋口さんがそう言った。
「弥生がびびってるぞ、樋口」
え?私、もしかして、怖がっているのが顔に出てた?
「弥生様、これから行く裏の組織では、わたくしはこんなふうに変わりますが、お気になさらないでください。外ではサングラスもかけますが、それも気になさらないように」
「サングラス?」
「もっと怖くなるぞ。真っ黒のサングラスをかけた樋口は」
一臣さんがそう言って、くすっと笑った。
あれ?今何気にスルーしちゃったけど、『裏の組織』って言った?
え?やっぱり『裏の組織』なわけ!?
「さて。じゃあ、弥生、行くぞ。かなり怖そうなやつがいっぱいいるから、びびるなよ」
一臣さんはそう私に言ってから、一番左側にあったドアにIDをかざした。ビッと言う音とともにそのドアが開き、そして長い廊下が現れた。
「廊下…ですね」
その廊下の奥にはエレベーターがあるだけで、他にドアも何もなかった。
「ああ。裏の組織は下にある」
「あ。あの監視室とは違うんですか?」
「そこにも、このエレベーターで行ける。だが、裏の組織は地下にある」
「…………」
ゴクン。生唾が出た。いったい、緒方商事ってどんな会社なんだ。あの監視室だけでも、びっくりしたけど。裏の組織があるの?何その、『裏の組織』って。
怖い顔をしたままの樋口さんが、エレベーターのボタンを押した。エレベーターはすぐに開き、一臣さんを先頭に中に入った。そしてボタンを見ると、1FとB1、B2、B3のボタンが並んでいた。っていうことは、このエレベーターは、15階と1階と地下1階、地下2階、地下3階だけ止まるってこと?
一臣さんは迷わず、地下2階のボタンを押した。エレベーターのドアが閉まり、ウイン…とかなり速い速度でエレベーターが降り始めた。
「このビルの地下って、役員専用の駐車場じゃないんですか?」
「そうだ。駐車場には普通の管理室がある」
「普通のって?」
「雇われ警備員と、ビルの管理をしている会社の人間が、監視カメラを見ているところだ」
「え?そこにも監視カメラがあるんですか?」
「ああ。廊下やロビー、エレベーター、駐車場だけが見れる。所謂一般的な、管理室だ」
「はあ…」
「それと地下1階には、裏の駐車場もある」
「う、裏の?」
「裏の連中が使ったり、親父が使う駐車場だ。役員専用の駐車場とも違う」
「はあ…そうなんですか」
だから、総おじ様に出会う機会って、少なかったんだな。
「地下2階が裏の組織の本部、地下3階は挌技場、裏の組織の人間の寝泊まりできる部屋やシャワールームなんかがある」
「え、挌技場?」
「お前、今、目が輝いたな。だから、教えたくなかったんだ。お前まで練習に参加するとか言い出しそうで」
「練習?」
「武道のな」
「武道家さんたちが、集まっているんですか?裏の組織って?」
「いいや、猛者が集まっているところだ」
「猛者?!」
ますます、どんなところなんだ。裏の組織って!