~その6~ 新たな味方?
龍二さんの部屋を出て、一臣さんの部屋の前を通り過ぎ、自分の部屋に入った。
一臣さんのさっきの態度は、演技なんだよね。そうわかっていても、なんだか、一臣さんの部屋に行く勇気が持てない。
「シャワーだけ浴びようかな」
今日も蒸し暑かった。シャワーだけでも十分かもしれない、と自分に言い聞かせ、自分の部屋でシャワーを浴びた。
髪を乾かし、バスルームを出た。さっき、部屋に戻ってから、30分以上は時間がたっている。前だったら、一臣さんが「何をしている」とか言いながら、私の部屋のドアを開けるのに。
「はあ」
暗いなあ。お役に立てるだけでいいとか言いながらも、ちゃんとかまってほしいって、そんな我儘なことを思っている。
これじゃあ、龍二さんと同じかな。龍二さんも私も、素直に「かまってほしい」と言えない。
ううん。言ってみる?
でも、忙しくしていたら、迷惑なだけ。
だったら、同じ部屋にいるだけでもいいかな。
そんなことを思いながら、勇気を出して、ドアをノックした。すると、一臣さんがドアを開けながら、携帯で電話をしていた。
「こんな時間まで残業してもらって悪いな、細川女史。ああ、じゃあ、もう少し矢部の観察を続けてくれ」
一臣さんはそう言うと、電話を切った。
細川女史と電話?矢部さんの観察?なんだろう、いったい…。
不思議そうに私が一臣さんを見ていると、一臣さんは私に近づき、
「弥生、なんでもうパジャマなんだ?風呂にもう入ったのか?」
と聞きながら、私の髪を撫でた。
「はい。自分の部屋でシャワー浴びました」
「なんだと?」
「あの…。シャワーだけでもいいかなって思って」
「なんで勝手に浴びているんだ。なんのために俺が早くに帰ってきたと思ってるんだよ!」
うわ。いきなり怒った。
「弥生と一緒に風呂に入って、思う存分いちゃついてやろうと思っていたのに」
え?
そうだったの?
「なんだよ…、ったく。しょうがない。風呂に入ってくるから、少し待ってろ。寝るなよ。寝ていたとしても襲うからな」
ええ?!
そして一臣さんは、クローゼットに着替えを取りに行った。でも、クローゼットから現れた一臣さんは、また携帯で電話をしていた。
「そうか。じゃあ、やっぱり俺が睨んだとおりだったってわけですね、辰巳さん」
辰巳さんって、総おじ様の秘書だよね?辰巳さんと電話をしているの?
「え?今からですか?…はい。じゃあ、5分後に応接間で…」
一臣さんは沈んだ声でそう言うと、電話を切り、は~~~~っと深いため息を吐いた。
「抱くのはおあずけだ、弥生」
「え?」
「悪いな。辰巳さんがもう車でこっちに向かっているらしい。あと5分で到着すると言ってきた」
「総おじ様の秘書の方ですよね?」
「ああ。早くに打ち合わせがしたいって、屋敷まで来たらしい。多分、話しこんだら長くなると思うから、弥生は先に寝ていていいぞ」
「……」
うわ。がっかりだ。思い切り気持ちが沈んだ。
「寝ているところを襲ったりしないから、ゆっくりと休めよ」
一臣さんはそう言って私にチュッとキスをすると、颯爽と部屋を出て行ってしまった。
がっかり。寝ているところ襲ってもらってもいいくらいだったのに。
って、何を私は考えているんだ!
でも…。一臣さんに愛されたら、不安も何もかも一気に吹っ飛んでいきそうだったのに。
「はあ…」
ため息をつきながら、私はベッドに座った。今日も寂しく一人で寝るんだな。
ううん。一臣さんは戻ってくる。ちゃんと、一臣さんのぬくもりは感じられる。それだけでも、嬉しいことじゃない、弥生。
それに、一臣さんは、今、何か大きな問題を抱えている。きっと、大変な時なんだ。そんな時に、寂しがったり、いじけたり、すねたりしている場合じゃないよ、弥生。
我慢だよ、我慢。一臣さんだって、私と一緒にお風呂に入ったり、抱き合ったりするのを望んでくれていたんだから。
ゴロンとベッドに横になった。シーツから一臣さんのコロンの香りがした。胸がキューンとする。
「はあ…」
私も一緒にお風呂に入りたかった。抱きしめてほしかった。一臣さんのぬくもりが恋しいよ…。
そのまま、私は寝てしまった。また、一臣さんがいつ部屋に戻ったのかもわからないまま。そして、朝、目が覚めると、隣に一臣さんはいなかった。
カチカチと、パソコンを打っている音がして、ベッドから顔を上げ、一臣さんのデスクのほうを見てみた。一臣さんはすでにYシャツとスラックスを履き、パソコンを操作していた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
私を見て一臣さんはそう言うと、またすぐにパソコンの画面を見た。
「まさか、徹夜ですか?」
「いいや。ちゃんと寝たぞ」
「そうなんですか…」
そっと私の寝ていた横を手で触れてみると、かすかにぬくもりが残っている。
う…。寂しいかも。朝目覚めたら、隣に一臣さんが寝ていると思ったのに。それも、私に抱きつきながら。
「弥生、悪いが今日俺は早めに出る。お前はいつも通りの出社でいいからな」
そう言うと、一臣さんはパソコンの電源を切り、椅子から立ち上がるとクローゼットに入って行った。
「もう出るんですか?」
ベッドから立ち上がり、私もクローゼットのほうに行くと、一臣さんは上着を羽織りながら出てきて、
「ああ。俺は樋口の車で行くから、弥生は等々力の車で行けよ」
と言ってきた。
「はい」
気持ちが滅入る。でも、ここはすっきり気持ちを切り替えて、明るく見送らないと。
「いってらっしゃい」
笑顔を作りそう言うと、一臣さんは私を一回ハグして、颯爽と部屋を出て行った。
キュキュン。ちょっとハグしてもらって、一臣さんのコロンを嗅いだだけでも、胸が締め付けられた。
寂しいよ~~~。
ちょっとだけでも、一臣さんとべったりできたらいいのに。
ああ、私、ものすごく一臣さんが恋しくなっているんだ。
自分の部屋に行って着替えをしながら、引出しの奥に仕舞い込んだガーターベルトが気になった。
「つけてみようかな」
大塚さんが、頑張れって言ってた。あ、そういえば、龍二さんも、頑張れば?って冷めた口調とはいえ、そう言っていたっけ。
これをつけて、何をどう頑張ったらいいのかわからないけど。とりあえず、頑張って、ガーターベルトをつけてみようかな。
だからって、何がどうなるわけでもないかもしれない。だいいち、一臣さんは忙しいんだから、オフィスでだっていちゃつく時間もないかもしれない。
でも、鴨居さんに向けられる一臣さんの視線が、私のほうに向いてくれたら。
って、何を考えているの。そうじゃなくって。一臣さんがガーターベルトをつけたら、きっと喜ぶから。
って、そうじゃなくって。ああ、もうわけわかんないけど、何をどう頑張ったらいいかすらわかっていないけど、今はこれをつけることしか思い浮かばない。
ガーターベルトを着けて、ストッキングを履いて、パンティを履いた。それを何気に、鏡に映して見てみた。
「うわ…」
とても色っぽいとは言えない。色気のない太もも。へんてこな格好にしか見えない。
「こんなの、喜ぶのかなあ。それに、こんなことしたからって、一臣さんの気持ちがこっちに向いてくれるのかなあ」
そんなことを思いつつも、スカートを履いた。スカートを履いてしまえば、その下にガーターベルトを着けてるとは思えない。
ダイニングに行くと、お母様と京子さんがすでにいた。
「おはようございます」
「おはよう。一臣は随分と早くに出かけたようね」
「はい」
「お忙しいんですね、一臣様」
京子さんは、ちょっと悲しげな顔をしてそう言った。
「そうですね。お屋敷にいたって、顔を合わすこともないくらいですね。京子さんも、お屋敷にいる間、一臣にはなかなか会えないかもしれないですね。あの子、夕飯だって一緒に食べる時間ないみたいですし」
「では、昨日の夜は珍しかったんですか?」
「ええ。京子さんが来るから、早めに帰ってきたのかもしれないですね」
お母様の言葉に、京子さんの顔が明るくなった。
「そうですか」
そしてほんの少し、頬を赤らめた。
そうなのかな。京子さんに会うためだったの?
ううん。違うよね。一緒に風呂に入っていちゃつくために早く帰ってきたって、そう一臣さん言っていたもん。
そんなことを思いつつ、もんもんとしているところに龍二さんが現れた。今朝は昨日と違い、ちゃんとスーツに着替え、髪型もしっかりと決まっている。
「おはよう、京子さん」
龍二さんは京子さんに挨拶をした。京子さんは、おはようございますと返したけれど、緊張した顔で笑顔はなかった。
「おはよう、龍二」
「おはようございます」
私とお母様の挨拶には、龍二さんは特に何も答えず、さっさと席に着いた。
それから、みんな黙って朝食を食べると、
「京子さん、わたくしちょっとお時間がありますから、庭園をお散歩でもしましょうか」
と、お母様は京子さんを誘った。
「はい」
そして二人は先にダイニングを出て行った。
あ。龍二さんと二人残された。その途端、私の後ろにすすっとトモちゃんと亜美ちゃんが来て、他のメイドさんや国分寺さんまでが、龍二さんを警戒し始めた。
「兄貴は?」
「もう出かけました」
「へえ。あんた、置いていかれたわけ?」
「………はい」
「今、大変なことが起きているから、仕方ないって言えば仕方ないか」
「大変なこと?龍二さんは知っているんですか?」
「まあな。関わってはいないけどな。あんたも、兄貴にとっては邪魔だろうし、関わって欲しくないんじゃないのか」
グッサリ。邪魔って…。
「信頼できる人間にしか、兄貴は頼らないし。あんたも俺も信頼されていないんだから、仕方ないって言えば仕方ないよな」
また、龍二さんはそんなことを、諦めた口調で言い、ガタンと席を立った。
「あんた、どの車で行くんだ?俺と一緒に行くか?」
龍二さんがそう私に聞いてくると、
「等々力さんのお車で弥生様は行かれますので、大丈夫です」
と国分寺さんが、すかさずそう言った。
「ああ、そう。とりあえず、運転手は置いていったわけだ」
龍二さんはそう言ってから、しばらくその場に立っている。
「あんた、もう会社に行くんだろ?」
「え?はい」
あ。まさか、私が席を立つのを待っていたのかな。私が席と立つと、龍二さんはゆっくりとダイニングから出て行った。その後ろを私もついて行こうとすると、
「気を付けてくださいね」
と、亜美ちゃんが耳打ちしてきた。
「大丈夫です」
そう答えて、私もダイニングを出た。龍二さんは階段をゆっくりと上っている。そして、2階に辿り着くと後ろを振り向き、
「おい」
と私に声をかけた。
「はい?」
「昨日、俺の味方だって言っていたよな」
「…はい」
「あれ、冗談じゃないよな」
「はい」
「今から気が変わったって、言ったりしないよな」
え?
「は、はい」
一瞬たじろいでしまった。
「ふん。そうか」
龍二さんは腕を組み、じっと私を見つめると、
「よし。じゃあ、俺もあんたの味方になってやるよ」
と言い出した。
「え?!」
「そんなに驚くことないだろ。あんたは裏表ない人間なんだろうから、信頼してやってもいいって言っているんだ」
「あ、はい」
「兄貴のことでもなんでも、何かあったら俺に言え。相談ぐらい乗ってやるし…。あと、変なこととか、やばいことに巻き込まれたら、すぐに俺に言え。なんとかできることならしてやるし、兄貴が忙しかったら、俺が誰かに助けを求めに行ってやる」
え?
「わかったな?一人で何とかしようとするなよ。いくらあんたが逞しいとは言え…」
「あ、はい」
「ああ。そうだ。忘れてた。昨日あんたといた男、久世正嗣ってやつだろ?」
「…知っているんですか?」
「あいつ、やばいかもしれないから、近づかないほうがいいぞ」
「え?!」
「一応、忠告しておいたからな」
そう龍二さんは言うと、自分の部屋に入って行った。
久世君がやばいって?それに、助けを求めてやるとか、いったいなんのことなんだろう。
わけがわからない。でも、私の味方になってくれるみたいだ。それって、信じてもいいんだよね。