~その3~ 酔っ払いの私
美容院に着くと、一臣様は、
「悪い。祐さん、こいつにメイクしてあげてくれる?」
と、綺麗な顔立ちの30代くらいの男の人にそう言った。お店には他にお客さんもいなくて、他の美容師さんは片付けをしていた。
「あら?珍しい子を連れてるのね、タイプ替えした?一臣君」
うわ。君付け?っていうか、男の人なのにこの喋り方、仕草って、もしや。
「タイプ替え?なんだ、それは」
「今まで大人っぽい女性か、派手な顔つきの子が好みだったでしょう?」
「……どこで見たんだ。いったい」
「何度かデートしているところを目撃してるのよ。都内でデートしていたら、バレルの当たり前でしょ?」
そう言いながら、その人は私のことを椅子に座らせた。
「泣き顔?嫌だ、一臣君、泣かせたの?」
「俺じゃない…。いや、俺かもしれないけど、でも別に、いじめて泣かせたわけじゃない…」
一臣様は、ちょっと曖昧な言い方をして、勝手に美容院の奥に入り込み、コーヒーを入れた。
「弥生も飲むか?」
「い、いえ」
「弥生ちゃんっていうの?へ~~~~。名前を呼び捨てなの?珍しい~~~」
「うるさいなあ。祐さん、さっさとメイクして。レストランの予約の時間に間に合わなくなるから」
「え?弥生ちゃんとレストランに行くの?じゃ、ヘアーもしてあげましょうか?」
祐さんという人は、鏡に映った私を見ながらそう言った。
「いい。そんな正式ばったレストランに行くわけじゃないから」
「そうなの?ふ~~~~ん」
そしてようやく、祐さんは黙り込んで、真剣な目をして私のメイクをし始めた。
「肌、すごくきめ細かいのね。でも、ちょっとかさついているし、指先もササクレがある…」
うわ。見られた。
私は慌ててグーにして指を隠した。
「エステでも紹介してあげましょうか?弥生ちゃん」
「いえ。そ、そんなエステだなんて贅沢は…」
「祐さん。紹介して。それ、この近く?」
一臣様が、今までお店の奥の椅子に腰掛け、雑誌を読みながらコーヒーを飲んでいたのに、立ち上がってこっちにきながら聞いてきた。
「ええ。この近くよ。私も行ってるの…。一臣君、弥生ちゃんをエステに通わせたいの?」
「え?あ、ああ。肌がかさついているのも、ドレスとか着たら目立つよな?」
「そうねえ…」
「ドレス?ドレスって!?」
私がびっくりすると、
「婚約披露パーティで着ることになるぞ。あ、その時のヘアメイクも、祐さん、任せるから」
と、一臣様は淡々と答えた。
「婚約!?え?じゃ、この弥生ちゃんって子が、上条グループのお嬢なわけ?!」
祐さんが目を丸くしてそう叫んだ。
「そうだけど。なんでびっくりしてるんだよ、祐さん」
「だって、イメージしていた子とあまりにも違うから」
「…ああ、清楚で大人しいお嬢様だと思ってた?祐さんも?」
「逆よ、逆。上条グループって言ったら、中学卒業したら家から出て、高校は寮に入れられるんでしょ?でも、大学ではマンションあてがわれて、自由に遊んでいるって思っていたわよ」
「ま、マンション?」
私のほうがびっくりだ。狭いアパートにしか住んだことがないのに。
「そうよ。豪華なマンションを親に買ってもらって、そこで自由自在に遊んで暮らしてるって。だから、一臣君のフィアンセも、男をマンションに連れ込んで、遊びまくっているお嬢なのかと思っていたけど、めちゃくちゃ純情そうな、男なんて全く知らないって感じの女の子じゃないよ!」
祐さんは、ベラベラと一気にそう早口で話した。
「なんだ、その噂。どっから聞いたんだ?祐さん」
「一人暮らしをしているおぼっちゃま、お嬢ちゃまっていったら、そういうイメージあるじゃない」
「ああ、勝手な祐さんの妄想か」
ガ~~~ン。なんなんだ、その妄想。
びっくりして目を点にして、鏡に映った祐さんを見た。すると、
「こんな純情な子が、一臣君の相手をしないとならないの?かわいそうに」
と、同情されてしまった。
「だから、なんでそういうものの見方するんだよ、祐さんは…」
一臣様はふうって溜息を吐くと、
「そろそろ行くぞ。もうメイク出来上がったんだろ?」
と祐さんに聞いた。
「……まだ、男も知らないような、こんな可愛い子に、一臣君、手なんて出したらダメよ」
「はあ?」
「気をつけるのよ。この男は手が早いって有名なんだから。それも、平気で女をとっかえひっかえ遊ぶような酷い男なんだから、騙されちゃダメよ。女の敵よ、敵」
「おいおい。なんだよ、その、騙されちゃダメってのは」
一臣様は両手を腰に当て、もっと呆れたっていう声を出した。
「もう~~。こんな純情そうな可愛い子が、一臣君の毒牙にやられないよう、注意しているんじゃない」
「あのねえ。祐さん、やられるとかそういう問題じゃないの。こいつは俺の結婚相手。騙すも騙さないもないんだよ。いずれは俺の子供だって生むんだからな」
「きゃ~、そうじゃないよっ!大変」
「何が、きゃ~~、大変だよ。ったく…。ほら、弥生。行くぞ」
そう言うと、一臣様はテクテクと美容院のドアに向かって歩き出した。
「弥生ちゃん。いつでも、何かあったら味方になってあげるから、私に連絡ちょうだいね。これ、名刺」
祐さんは私に名刺をくれた。
「あ、ありがとうございます」
私はそれを受け取って、席をたとうとすると、また、
「ギュルルル~~~」
と、お腹が思い切り大きな音を立てて鳴ってしまった。
う…。今の、祐さんに聞こえた。
「あら…」
私が真っ赤になっていると、祐さんが私を見てくすくすと笑った。
「弥生!早く来い。お待ちかねの中華だぞ」
「は、は、はい!」
私はもう一回、祐さんにぺこりとお辞儀をして、一臣様の元に駆けていった。
一臣様はドアを開けて待っていてくれた。
そして、美容院の駐車場に停めてあった車に乗り込もうとすると、
「一臣君。確か、婚約嫌がっていたのに、気が変わっちゃったんじゃない?」
と祐さんもお店から出てきて、一臣様にそう言った。
「……」
一臣様は何も言わず、私に、
「さっさと車に乗れ」
と言って、私が車に乗り込むと、ドアをバタンと閉めてしまった。そして、何か祐さんと話をして、車をグルリと回って、反対側のドアから後部座席に乗ってきた。
「待たせたな。ホテルに向かってくれ」
「はい」
一臣様がそう言うと、等々力さんは車を発進させた。
「さすが、田端様ですね。瞼の腫れも目立たなくなりました」
バックミラーで私の顔を見た樋口さんがそう言った。
私は名刺を見てみた。メイクアップアーティスト、You・Tabataと書いてあった。
「ああ、その名刺の名前は本名じゃないぞ。祐さんの本名は、田端祐二郎。演歌歌手みたいで嫌だって言って、自分で勝手に田端祐って名乗ってるんだ」
そ、そうなんだ…。
「田端様の腕は素晴らしいですよ」
また、樋口さんがそう言った。
「そうですね。鏡を見ていたら、みるみるうちに顔が変わっていったから、びっくりしました」
「……気に入られていたなあ、お前」
「え?」
「祐さんは男のほうが好きだから、女にはあんまり興味を示さないんだけど」
「…じゃ、もしかして、祐さんも一臣様のことを好きなんですか?」
「俺?いや。祐さんはもっと、純情可憐な可愛い男が好みだから…って。なんだ、その、祐さんも…の、「も」は。誰のこと言ってるんだ?まさか、俺も祐さんを好きだって言いたいのか?」
「ち、違います。そうじゃなくって、わ、私…みたいに、祐さんも一臣様のことを…」
「なんだ。俺が男を好きだって、誤解しているのかと思ったぞ…」
そう言ってから、一臣様はなぜか、
「ははは」
と笑い出した。
「?」
「純情可憐って点ではお前、祐さんの好みだもんな。それで気に入られたんだな」
「私が、純情可憐?!」
「そう。一途で健気?まあ、一歩間違えたら、ただの変なストーカーだけどな」
「う…」
一臣様はすごく意地悪そうな口調でそう言うと、また「ははは」と声に出して笑い出した。
褒められているのか、けなされているのか、そのへんが今いち把握できない。でも、バックミラーに映った樋口さんや等々力さんの顔がとても優しくて、なんとなく私も優しいあったかい気持ちになった。
そういえば、一臣様の笑った顔や笑い声、大学ではよく見たり聞いたりしたけど、会社に入ってからは、あんまり見たり聞いた事がなかったなあ。
大学時代と変わらない、素敵な笑顔だ。
ほわわん。私はなんだか、とっても幸せな気分になってしまった。
そして、ホテルに到着した。都内でも有名な大きなホテルだ。車はホテルのエントランスの前に停まり、中からすぐにベルボーイが現れた。
「緒方様、お待ちしていました」
「ああ。今日は荷物もないから、気を使わないでいいぞ」
車から降りると、一臣様はそう言って、とっととホテルの中に入っていった。私も慌てて後ろを追いかけようとすると、
「あ…」
と、一臣様が立ち止まり後ろを振り返った。
ドスン!いきなり立ち止まったから、ぶつかってしまった。
「いたた」
一臣様の胸に思い切りオデコをぶつけた。
「……はあ」
なぜか一臣様は小さな溜息を吐き、
「ほら…」
と私の背中に手を回してきた。
「え?」
「お前のこと、エスコートし忘れた」
「は?」
「今日は、誰が見ているかわからないんだから、妙な行動だけはやめてくれよな」
「は、はい」
誰が見ているか、わからないって?
一臣様は私の背中に手を回したまま、さっきよりも歩く速度を落として歩き出した。私は、緊張してかたまったまま、歩いていた。
「ここは、取引先の人も、うちの会社の連中も、食事に来たり、泊まりに来ている可能性も十分あるからな。祐さんも言っていたけど、都内のホテルだと、知ってる奴もたくさんいるみたいだしな」
「え?」
「これからは、都内はやめよう。もっと、都心から離れたところに行くとするか…」
一臣様は小声でそう言うと、エレベーターホールに行き、やっと私の背中から手を離した。
う、うわ~~~。思い切り緊張した。背中に心臓が回っちゃったかと思うくらい、ドキドキした。
「あ、そういえば、樋口さんは?」
「ああ。樋口と等々力は帰った」
「…どこにですか?」
「屋敷にだ。樋口も等々力も、屋敷内の寮に住んでいるからな」
え?じゃ、誰が帰り、送ってくれるのかな。あ、タクシーとかで帰るのかな。
「ほら、ぼ~~っとしていないで、エレベーターが来たぞ」
「はい」
また、一臣様は私の背中に腕を回した。
カチン!背中に一臣様の手が触れただけで、緊張してしまう。
エレベーターに乗ったのは私たちだけだった。一臣様は3階を押した。
「ここの最上階にあるレストランだったら、夜景が綺麗に見えたんだがな」
「え?」
「スカイツリーも綺麗に見えたぞ。だが、そのレストランはフレンチだからなあ」
「すみません。私がコース料理苦手なばっかりに」
「…まあ、いいけどな。夜景だったら部屋からも見れるし」
「そうなんですか?」
部屋って、お屋敷の部屋じゃないよね。あそこからは、夜、真っ暗な庭しか見えないし。ああ!そうか。オフィスか。一臣様のお部屋には行ったことがないけれど、15階だから、きっと夜景が綺麗に見えるんだ。
そしてエレベーターから降りると、すぐ目の前に中華のレストランがあり、一臣様がお店に入ると、支配人らしき人がすっ飛んできて、
「お待ちしていました。緒方様。どうぞ、こちらに」
と自ら案内をかって出た。
さすがだ。名前を言わないでも、どこでも顔パスなんだなあ、一臣様って。
「どうぞ」
案内されたところも、個室だ。それも、二人にしてはやたら大きい部屋だ。VIPルームってやつなのかしら、ここって。
上条家で、こういうお店に来る時は、たいてい、家族や親戚も一緒だから、個室だとしても、大人数で入る感じで、こんなふうにはなったりしない。
それも、VIPルームに入ったことすらない。
「お飲み物は何になさいますか?」
「そうだなあ。ビールが飲みたい気分だから、ビールを持ってきてくれ。そのあとは、いつもの紹興酒だな」
「はい、かしこまりました」
「お前も飲むだろ?」
「え?私?」
「まだ、頭、痛むのか?」
「いいえ、全然大丈夫です」
「じゃあ、グラスは二つ持ってきてくれ」
「はい」
支配人らしき人は、丁寧にお辞儀をして部屋を出ていった。
「ここって、VIPルームですか?」
「そうだ。だから、誰かに見られることもないから、がっついて食べてもいいぞ」
そういう意味で聞いたわけじゃないんだけどなあ。
「あの、私…」
「なんだ」
「お酒、弱いんです…けど」
「そうか」
そうか?それだけ?
そして、ビールは私のグラスにも注がれ、
「ほら、乾杯だ」
と、勝手に一臣様は、何に対してかわからない乾杯をしてビールをググッと飲み干した。
「は、はい」
私も、一口飲んだ。う、美味しい。実は、お酒の味は好きだ。ただ、弱いってだけで…。
よく、大学時代(成人してからです、もちろん)アパートで大家さんや、アパートに住む住人たちと飲んだりした。
そして、だいたいがすぐに眠くなり、大家さんの部屋で朝までグースカ寝るというパターンだった。だけど、大家さんの部屋ですぐに寝ちゃえるから、安心して飲んでいた。
外で飲んじゃって、一回、お店で寝ちゃって友達にすごい迷惑をかけてしまった事があり、それ以来、なるべく外では飲まないようにしている。
それも、
「弥生ちゃん、お酒飲むと、変わっちゃうから、男の人と飲んじゃダメだよ」
と友達に言われていた。
ほとんど覚えていないから、どう変わるのかわからない。アパートの住人も、みんなグデングデンに酔っ払い、翌日何も覚えていないって人がほとんどで、私が酔うとどうなるかを、結局みんな覚えていなかった。
唯一、飲んでも酔わないザルの大家さんだけが、
「弥生ちゃんは、飲むと可愛くなるから」
とそう教えてくれた。
可愛くなる…。すぐ寝ちゃうってことかな?って、そう私は解釈していた。
寝ちゃうから、危ないから、男の人と飲んじゃダメって、そういうことを友達は言ってくれているんだと思っていたし…。
中華料理は次々と運ばれてきた。どれも美味しくって、私は大喜びしていた。
そのうちに、紹興酒という中国のお酒も、一臣様は飲みだした。
「お前も飲んでみるか?」
「どんな味なんですか?」
「飲んだことないのか?」
「はい」
私は興味本位で飲んでみた。
一口…のはずが、ビールですでに酔っていたからか、どんどん飲んでしまったようだ。
「す、すみません、一臣様」
「どうした?」
一臣様が、私の顔を覗き込んだ。
「なんか、眠いんですけど」
「酔ったか?ああ、お酒弱いんだっけ?お前」
「はい。さっき、そう言いました」
「そうだったな。じゃあ、そろそろ行くか」
「…か、一臣様」
「なんだ」
「今にも、寝ちゃいそうなくらい、眠いんですけど」
「もう少し待て。部屋に行ってから寝ろ」
「………部屋」
どこの?ああ、お屋敷の…。
「でも、私、お屋敷追い出されました」
「屋敷のじゃない。ホテルの部屋だ」
一臣様はそう言うと、席を立った。私も席を立ったが、
「おい!弥生?」
と一臣様に、すぐに抱きしめられた。
うわ。なんだって、一臣様は抱きしめてきたんだ?でも、一臣様の腕の中、気持ちいい。
それに、一臣様から、あのコロンの香りがする。
ギュ~~~~。一臣様に抱きついた。
「おい。ちゃんと自分の足で歩け!」
一臣様にそう言われたが、一臣様に抱きついたまま、私はふわふわした幸せな気分を味わっていた。
「緒方様、お連れの方、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。上に部屋もとってあるしな。悪い。いつもの部屋だ。明日、カードでここの分も一緒に払う」
「はい、かしこまりました」
さっきの支配人と、一臣様はそんな話をしていた。
はれ?上の部屋?上の部屋って、何?
上野?う、上野さんが、いるの?
「一臣様」
一臣様とエレベーターに乗った。
「なんだ」
「上野さんに会うんですか?」
「上野?会わないぞ、なんでだ」
「だって、今、上野って…」
「上の部屋って言ったんだ。上野とは関係ない」
「でも、一臣様は上野さんとデートするつもりじゃなかったんですか?」
「いや。お前がおふくろから屋敷を追い出されたと聞いて、レストランと部屋を予約したんだ。別に上野とデートしようなんて、思っていないぞ」
「………部屋?」
「しっかりしろ。部屋に行ったら寝てもいいから、今はちゃんと起きていろよ。全体重かけられたら、めっちゃ重いぞ!」
「はい」
エレベーターがチン!と鳴って、どこかに着いた。一臣様にほとんど抱えられながら、私はふわふわする絨毯の上を歩いていた。
「一臣様」
「なんだ」
「ここのカーペット、ふわふわですね」
「そうか?」
「気持ちいいです」
「ああ、そうか。俺は重いぞ!」
「一臣様」
「なんだ!?」
「眠い」
「まだ寝るな!あと部屋までほんのわずかだ!」
「抱っこ」
「はあ?!」
「抱っこ…」
「しょうがねえな~~~~、もう~~~!」
一臣様の呆れ返った声の後、ふわっと私は一臣様にお姫様だっこされ、
「大好きです~~~」
と言って私は一臣様の首にしがみついた。
「苦しいから、しがみつくな、弥生」
「嫌です~。大好きなんです」
「わかったから、しがみつくな、弥生」
「本当に、大好きなんです…」
「………わかったから」
「だから、上野さんとはデートしないでください」
「……」
「ほ、他の人とも…」
そう言ってまた、ぎゅーって抱きついた。
「わかったから。だから、泣くな…」
ふえ~~~~ん。抱きついて泣いて、そして私は、寝てしまった。