~その18~ 一件落着したけれど
瑠美ちゃんの言葉に、トミーさんはしばらく呆けていた。
「じゃあ、瑠美ちゃんもトミーのことが好きだったってわけか」
兄がそう言うと、瑠美ちゃんは、ハンカチをバックがら取り出して涙を拭きながら、頷いた。
「それなら、何も問題はないだろう。トミーがあんたと結婚したらいい」
「そんなわけには…」
瑠美ちゃんは一臣さんの言葉に、慌てて言い返した。
「上条家の家訓を守るんだったら、トミーと瑠美さんが結婚するしかないですよね?」
一臣さんはそう高仁おじ様に尋ねた。
「う、うむ。しかしだな…」
「何か問題でも?」
今度は総おじ様が、高仁おじ様に聞いた。
「い、いや。しかしだな…」
「トミーには将来、上条グループのアメリカ支社を任せようと思っています。今も僕の片腕として、仕事を補佐してくれているとても優秀で頼もしい人材ですよ」
如月お兄様がそう言うと、高仁おじ様は、
「そうか」
と一言言って、トミーさんの顔をまっすぐに見た。
「責任を取ってもらうからな。瑠美を大事にすると約束してもらおう」
「お父様、勝手なこと言わないでください」
「勝手じゃないだろ。大事な娘に、それも、まだ20にもなっていない娘に手を出したんだからな」
「でも、トーマスの意思も聞いてください。トーマスにだって、恋人や、結婚しようとしている女性がいるのかもしれないし」
瑠美ちゃんは必死に高仁おじ様に訴えた。
「ルミ、僕にはそんな女性はいないよ」
「トーマス」
「すみませんが、少しルミと二人で話をさせてもらってもいいですか?」
トミーさんはそう言うと、瑠美ちゃんと一緒に応接室を出て行った。
「……あの、赤坂って男は本当に信用できるんだな?如月君」
「はい。もちろんですよ」
兄は、強く頷いた。
「あの男は、女癖が悪いとか、そういったことはないんだな?」
「ないですよ。ちゃんと瑠美ちゃんを大事にすると思います」
「だったらいいが…。こう言ったらなんだが、一臣君との結婚ははっきり言って、不安だったんだ。女癖が悪く、何人もと付き合っているという噂も聞いていたしね。だが、弥生ちゃんは大丈夫なのか?大成がよく弥生ちゃんみたいな子を君と婚約させたな」
「失礼ですけど、ちゃんと弥生を大事に思っていますよ、僕は」
一臣さんは、少し不機嫌そうに高仁おじ様にそう答えた。高仁おじ様は一臣さんの言葉に何も反応せず、ドアの向こうにいる瑠美ちゃんのことを気にしているようだった。
それから、10分ほどしてトミーさんが、
「失礼します」
とドアをノックした。総おじ様がソファから立ち上がり、ドアを開けた。ドアの向こうには、顔を赤くしてまだ、目を潤ませている瑠美ちゃんと、その瑠美ちゃんの肩を抱いているトミーさんの姿が見えた。
「トミー、話は済んだのかい?」
兄が聞くと、トミーさんはにっこりと微笑み、
「ルミさんと結婚します。ちゃんと責任は取りますから、安心してください」
と、高仁おじ様に向かって、はっきりとそう告げた。
「……そうか」
高仁おじ様は、それだけ言うとソファから立ち上がり、
「一臣君、悪かったね。いろいろと迷惑をかけて。社長も忙しい中時間を割いてもらって申し訳なかったです」
と、総おじ様と一臣さんに謝った。
「いいえ。無事、一件落着といったところですね」
総おじ様はにこやかな表情で、高仁おじ様に答えた。さっきとは別人のようになっている。ううん。こっちの顔が私にとっては、親しみのある総おじ様だ。
「それでは、これで失礼するよ。瑠美、帰ろう。赤坂君とはまた別の日に、ぜひいろいろと今後のことを話したい」
「はい」
「一階まで秘書に送らせますよ。車はハイヤーを呼びましょう」
総おじ様は、辰巳さんを呼んで車の手配をさせ、高仁おじ様と瑠美ちゃんを、一階まで送るようにと申し付けた。
そして、高仁おじ様と瑠美ちゃんは、応接室から出て行った。
「は~~~。やれやれ」
一臣さんが、私の腰から手を離し、ほっとしながらお茶をすすった。
「トミー、本当に瑠美ちゃんと結婚するつもりでいるのか?」
「もちろんだ、如月」
「それでいいのか?」
「僕は今日、感動したよ。ルミがあの頃のままで」
「え?」
「確かに、何人かの男性とお付き合いもしただろうけど、ルミは僕が愛したルミのままだった」
「…そうか。やっぱりトミー、ずっと瑠美ちゃんを引きずっていたんじゃないのか?」
兄の言葉に、トミーさんは肩をすぼめて、
「そうかもね」
と苦笑した。
「瑠美のことは解決した。だが、気になるのは久世だな」
一臣さんは静かにそう話し出した。
「それと…。あ、いや。弥生、お前はもう秘書課に戻っていいぞ」
「え?でも…」
「トミーと如月と話があるんだ。仕事のことでだから、弥生はまた秘書課で事務仕事の手伝いをしてくれ。あ、そうだ。アヒルの入力のチェックがあるだろう」
「アヒル?」
「カモのことだ」
鴨居さんのことか。すっかり一臣さん、アヒルって呼ぶようになっちゃったんだな。
「はい。じゃあ、14階に行ってきます」
「昼も、何時に打ち合わせが終わるかわからないから、悪いな。大塚か誰かと食ってくれ」
「はい」
私はとぼとぼと、一人で応接室を出た。
そして、廊下もとぼとぼと歩き、一臣さんのオフィスの前を通り、エレベーターホールに行った。
なんだってまた、私だけ追い出されたんだろう。
ううん。わけはわかっている。きっと、何か問題でも起きて、そのことについて、一臣さんと兄、そしてトミーさんは話をするんだよね。私はまた、蚊帳の外だ。
「は~~あ」
ため息を漏らしながら、エレベーターを待っていると、15階にチン!とエレベーターがやってきた。そして、ドアが開いたので乗り込もうとすると、中から人がニュッと現れ、
「あ、弥生だ」
と、いきなり私の腕を掴まれた。
「え?」
下を向いていたので、誰かはすぐにわからなかった。でも、パッと顔を上げて、私は思い切りがっかりしてしまった。私の腕を掴んだのは、龍二さんだったのだ。
ああ。やっと瑠美ちゃんのことが解決したと思ったのに、また問題が現れたよ。
「龍二さん、なんでここに?」
「なんでって、本社に行くって言ってあっただろ?今まで、副社長と挨拶回り行かされていたんだ。午後は親父に部屋に来いって言われているんだよ。それより、弥生は一人でどこに行くんだ?兄貴の秘書しているんだろ?それとも、会社でもあんた、兄貴に相手にされていないのか?」
ムカ。
もう~~~。なんだっていっつも、嫌味な言い方をするのかなあ。
「一臣さんは今、社長室で仕事の打ち合わせをしています。私は、これから秘書課に行って仕事をするんです」
「邪魔だからって、追い出されたのか?」
う。図星。
「あはは。やっぱりな。あんた、兄貴の秘書だとか言われているけど、実際、邪魔ものにされているだけじゃないのか?婚約してしばらくしたら、あんた、仕事もほされて、屋敷に閉じ込められるかもな。そうしたら、兄貴、また自由になって、前みたいに女をとっかえひっかえして遊ぶんじゃないの?今は、大人しくしているみたいだけどさ」
ムカムカムカ。
「人前でだけ、仲いいふりしているんだろ?可哀そうだよなあ、あんたって。同情しちゃうよ」
「私、急いでいますから」
そう言って、掴まれた腕を振り払おうとした。でも、離してくれない。
「離してください」
「あんた、もし京子が屋敷に来たら、京子の前でも兄貴と仲良くしろよ」
「え?」
「兄貴が京子を口説こうとするかもしれないだろ。それだけは阻止しろよ」
「そんなこと、一臣さんはしません」
「あははは!本気でそう言ってんの?まさか、あんた、兄貴に好かれているとでも勘違いしてるわけ?」
ムカ。
「もし、兄貴がもうあんたに手を出していたとしても、勘違いしないほうがいいよ。子供ができたら、あとは用済なんだからさ」
それだけ言うと龍二さんは私の腕を離し、笑いながら廊下を歩いて行った。
むかつく。なんだって、龍二さんは15階に普通にやってこれるわけ?エレベーターのカードキーを持っているってことだよね?
ああ。まだ、ムカムカする。
私は頭に来たまま、14階に降りた。そして秘書課に行って、黙々と、鴨居さんと矢部さんの入力のチェックをした。
ああ、また、鴨居さん、ミスが多い。それを直すのも、イライラする。矢部さんはきっと今回も、間違いがないんだろうな。と思いつつ、矢部さんの入力のチェックはさささっと済ませた。
12時になると、秘書課に大塚さんが戻ってきた。そして、私、江古田さん、大塚さんの3人でまたランチをしに出かけた。
今日は、前のビルではなく、他のビルまで足を運んだ。そのビルの地下にある洋食屋さんに私たちは入った。
「ここには、そんなに緒方商事の人間は来ないから」
大塚さんはそう言って、椅子に腰かけた。
店員さんがメニューとお水を持ってやってきた。メニューを見ると、美味しそうな洋食の写真が並んでいた。
「わあ。何にしよう。どれも美味しそう」
「やっと元気になった?弥生」
大塚さんが、呼び捨てにした。あ、そうか。オフィスも出たし、ここにはあまり、会社の人間もいないしね。
「私、元気なかったですか?」
「元気ないって言うか、ちょっと暗い感じがしたから」
そうか。顔に出ていたんだな。
「ちょっと、嫌なことがあって。でも、大丈夫です」
「嫌なこと?相談に乗るよ」
「そうですよ。また、誰かが変なこと言ってきたんですか?」
江古田さんも真剣な表情でそう言ってくれた。
「いいえ。大丈夫です。もう、気持ちはすっきりしたし。私、オムライスにします」
注文するものを決めると、大塚さんが店員さんを呼んだ。そして、大塚さんはハヤシライス、江古田さんはハンバーグのランチ、私はオムライスをオーダーした。
水を一口飲んだ大塚さんは、テーブルに肘をついて手の上に顎を乗せると、
「嫌なことってもしかして、鴨居さんのこと?」
と私に聞いてきた。
「え?」
「鴨居さん、なんだか、一臣様に贔屓されているもんね」
「鴨居さんが贔屓ですか?」
「ミスしても怒られなかったし、セクハラにあった後も、変に一臣様優しくしていたし」
「最近の一臣様、前より穏やかになったし。あまり、怒るのもやめたんじゃないんですか?」
大塚さんの言葉に江古田さんはそう切り替えした。
私も、一臣さんが穏やかになったんだとそう思いたい。けして、鴨居さんを特別視しているわけじゃなく。それに、私が怒らないようにと言ったから、ああやってミスしても怒らないでいるんだと、そう思いたい。
「弥生のことは最初、一臣様怒っていたけど、でも、途中からかばうようになったし、守るようになったじゃない?三田さんたちのことは、辞めさせちゃったし」
「はあ」
「あの頃みたいだなって思ったのよね。鴨居さんと弥生がだぶって見えちゃって」
「え?」
「ちょっとほら、鴨居さんと弥生って、明るいところが似ているし」
「………」
私は、何も言えなくなってしまった。
「似ていますか?私にはそう思えませんけど」
江古田さんは、大塚さんにさっきから反論している。もしかして、私が鴨居さんを気にしていることを、気が付いているのかもしれない。
「それで暗くなっていたんじゃないの?弥生」
「……」
暗くなっていたのは、龍二さんが原因だ。でも、確かに鴨居さんのことも気になっていた。
「ねえ。実際のところ、一臣様とどうなの?」
声を潜めて、大塚さんが聞いてきた。
「え?」
「もう、関係あるの?」
ひょえ~~。そっちの質問か!
「それは、あの、その」
「一臣様、手が早そうだから、もう、あるよね?」
大塚さんは、ちょっと上目づかいで聞いてきた。江古田さんは、いきなり黙り込み、そっぽを向いてしまった。
なんで?ここでも、何か大塚さんに言って、話を食い止めてほしかった。
「だけど、弥生も頑張らないと」
「頑張る?って何をですか?」
「一臣様に飽きられないようにするとか、他の女に目を向けさせないようにするとか」
「そ、そ、それって、どう頑張ればいいんですか?」
私はつい、夢中になって大塚さんに食いつくように聞いてしまった。
「なんだ。やっぱり、いろいろと気にしていたんじゃない」
はっ!ばれちゃった。
「お待たせしました~~」
そこに、注文したものが揃い、
「とにかく、さっさと食べちゃおう」
と、大塚さんは、その先を教えてくれず、バクバクとハヤシライスを食べだした。
「はい」
私もオムライスを食べた。付いてきたミニサラダもたいらげ、
「ごちそうさま」
と、スプーンとフォークを置くと、
「よし。じゃあ、買いに行こうか?」
と、大塚さんはそう言って席を立った。
「買いに行くって何をですか?」
私もナプキンで口を拭いてから席を立つと、
「もちろん、一臣様の心を繋ぎとめておくためのアイテムをよ」
と、大塚さんはにやりと笑った。
ちょっと怖い。そのアイテムってなんだろう。と思いつつ、私は江古田さんと共に大塚さんの後ろを追いかけた。
大塚さんは、そのビルのエスカレーターを乗り継ぎ、2階まで上がった。そのビルは3階までが商用スペースで、4階からオフィスになっている。
「こっち、こっち」
レディスものの洋服屋や、靴屋、アクセサリー店が並ぶそのフロアーの奥に、ランジェリーショップがあった。その店に、大塚さんは迷いもなく、どんどん入って行った。
ランジェリーショップで買うものっていったら、そりゃ、ランジェリーだよね。
「お、大塚さん。いったい何を買うんですか?」
私の後から江古田さんもついてきて、
「もしや、勝負下着?」
と小声で呟いた。
「え?勝負下着って?」
私はその言葉に反応した。もしかして、スケスケやら、紐のパンティかな。それだったら、もうすでに、一臣さんにお見せしちゃってるんだけど。
「これよ、これ。弥生はやっぱり、純白が似合いそうよね」
「それ、なんですか?」
大塚さんが手にしたものを見て、私は首を傾げた。私の隣で江古田さんが、
「そ、それは、ちょっと、いきすぎなんじゃあ…」
と顔を赤らめた。
「江古田さん、知っているんですか?」
「一応知っているけど、持っていないし、つけたことも一回もないですよ~」
慌てながら江古田さんは、首を横に振った。
「いいから、いいから。私は黒のを持っているの。元彼に見せたら、すごく喜んだのよ。きっと、一臣様も喜ぶと思うのよね」
「これを?」
「そう。ガーターベルト」
ガーターベルト?これが?
一臣さんが、前に言っていたことがあったっけ。
「これって、どうするんですか?」
「これをつけて、ストッキングを履くわけ。そして、その上からパンティを履く」
「え?」
「ストッキングを脱がないでも、パンティだけ脱げるから、トイレに便利だし、パンティストッキングじゃないから、お尻周りも蒸れないし、夏場はいいわよ」
「へえ。そういうためにあるものなんですか」
そう言いつつ、私は黒のガーターベルトも見つけて見てみた。
「あ。こういうのは見たことあるかも」
どこで見たかは覚えていない。何かの雑誌か、テレビか、映画か…。とにかく色っぽい女性の履いているスカートのスリットから、黒のガーターベルトが覗き、網タイツを履いていて、やたらとセクシーだったのを覚えている。
本当にセクシーだった。顔つきも体つきもセクシーな女性だったし。
「これはもっとセクシーな人がつけないと、意味がない気がします」
私は正直にそう大塚さんに言った。
「そんなことないわよ。そりゃ黒だったらそうかもしれないけど、白だったら、似合うって。ううん。弥生みたいに無垢な感じのまだあどけない女性が、こういうのをつけるっていうのが、ギャップがあっていいんじゃないの」
「………ギャップ?」
よくわからない。私がつけても、色気も何もないってまた、一臣さんはがっかりするだけじゃないのかなあ。
前に、バスローブ姿を見ても、色気も何もないって言われたし。
「買っちゃいなよ。それで、ミニスカートを履いて、ちらっと見せちゃうの。悩殺だよ、きっと。一臣様、喜ぶって」
悩殺?私がこれをつけたら?
ないない。もっと色気がある女性なら悩殺できても、私じゃ無理だよ。
「とにかく、買ってきな」
大塚さんは、私の手を引きレジに連れて行った。そして、
「これください」
と、勝手にガーターベルトをカウンターに置き、自分はさっさと逃げるようにその場を去って行ってしまった。
あわわ。取り残された。
「はい。ご自宅用ですか?」
「え!?」
「プレゼント用ですか?」
ななな、なんだ。家で使用するのか、外でするのかって聞かれているのかと思った。
「ご、ご自宅用です」
私は小声でそう答えてから、プレゼントと言えばよかったと後悔した。だって、私がそれをつけるんですって、バレバレになっちゃったじゃないか。
店員さんは袋に入れ、会計をすまし、
「ありがとうございました」
とにこやかにお辞儀をした。
「はい」
私は、店員さんと目を合わせることもできなかった。
逃げるように私は、大塚さんと江古田さんのもとに駆けより、すぐにお店を出た。
「よし。さっそく、明日にでもつけてね」
大塚さんはそう言ってから小声で、
「そして、一臣様が喜んだか、報告してね」
と言ってきた。
私は、ぐるぐると首を横に振り、
「ほ、報告なんて無理です」
と断った。思い切り首を振ったので、頭がふらふらしてしまった。
「まあいいや。でも、ちゃんとつけて、一臣様にせまってね。鴨居さんに取られないよう頑張って、弥生」
大塚さんはそう言うと、私の手をぎゅっと握った。江古田さんはというと、さっきから無言だった。我関せず、何も口出しできず…といったふうに。
ああ。なんだか、ものすごいものを買ってしまった。どうしよう、これ。
ガーターベルトと、お揃いのかなり布の少なめのパンティの入った袋を両手で抱えながら、私は大塚さんと江古田さんと一緒に、緒方商事のビルに戻って行った。