~その13~ 龍二再び
ダイニングでは、今までと違った緊張感がある。メイドさんたちが、気を張り詰めているのが感じられた。
そんな中、お母様と龍二さんがやってきた。国分寺さんはいつもと同じように、穏やかに給仕をしているが、亜美ちゃんやトモちゃんは、顔つきがこわばっていた。
「へえ。兄貴の前の席に座れたんだ」
私を見て龍二さんがそう言った。私は何も答えず、ちらっと一臣さんを見た。一臣さんは、とってもクールな表情で、少し遠くを見ていた。
「龍二、6月いっぱい東京にいるなら、ちゃんと会社にも出て、仕事を覚えろよな」
一臣さんは、クールな表情のまま、目だけは鋭くさせ、龍二さんにそう言った。
「うるさいな。兄貴に指示される覚えはない」
わあ。思い切り龍二さん、ふてくされた。
「龍二。社長からもそう言われていますよね。そのつもりで社長は6月いっぱい東京に残ることに許可したんですよ」
「……は~~あ。大学を卒業してしばらくは、ゆっくりしてもいいじゃんか」
「何を言ってるんだか。どうせアメリカでもゆっくりとしていたんじゃないのか?」
「うるせえって言ってるだろ!アメリカでゆっくりしていただと?何も知らないくせに偉そうな口きいてるんじゃねえよ!」
わあ。今度は切れた!なんだか、龍二さん、荒れてる?この前、お屋敷にいた時、ここまで荒れていなかったよね。
私はちょっとびっくりして、龍二さんを見てしまった。すると、そんな私の視線に気が付いたのか、
「そういえば、あんたも緒方商事にいるんだっけね」
と私に話しかけてきた。
「はい」
「何部?どんな仕事してんの?」
「……ひ、秘書です」
「兄貴の?」
「はい」
「へ~~。何、じゃあ会社でも家でも兄貴、婚約者殿と一緒にいるんだ」
龍二さんはにやりと笑いながら、一臣さんに尋ねた。でも、一臣さんは何も答えない。
「で、会社では仲いいふりをして、仮面フィアンセって呼ばれているんだ。でもさあ、そういう噂があるってことは、仲良くないってこと、みんなにばれてるんだろ?笑えるよな。だったら、表でも、どこでも、仲悪いところ見せちゃえば?親父とおふくろみたいに」
「そういうわけにはいかないんだよ」
一臣さんが、静かに答えた。
「どうせみんなにばれているって言うのに…。なんだってそんな演技するんだろうな」
違うもん。仲悪い演技をあなたの前でだけしているんだもん。
心の中で呟いた。それにしても、仮面フィアンセっていう噂をどこで聞いたんだろう。
「お前も知っているんだろ?誕生日パーティでも親父が言っていたのを聞いていただろ」
一臣さんが冷ややかな目をして、龍二さんに聞いた。
「緒方財閥の危機?そいつと結婚しないとやばいって話だろ?政略結婚だってのも、一族の連中知ってるんだから、仲悪かろうがなんだろうが、かまわないんじゃないの?兄貴がいやいや婚約したのだって、みんな知ってるんだから。それなのに、仲のいいふりしているほうが、わざとらしくておかしいって」
そう言ってから、龍二さんはくすりと笑った。そして私を見ると、
「あんた、本当に気の毒な人だね」
と、にやつきながら言った。
ムカ。この人ってどうしてこうも、人の勘に触ることばかり言うんだろう。
「そういうお前にも、婚約の話があるんだろ?」
「俺?大金麗子だったらお断りだ。でも、向こうも兄貴がダメだから、次は次男で手を打つってほど、バカじゃないみたいだぞ」
「…大金麗子に断られたのか」
「おふくろに聞けよ」
龍二さんはそう言うと、出てきた食事にようやく手をつけた。
「……」
一臣さんも食べ始めた。私もお母様も黙って食事をした。そして、食事が終わると、一臣さんは静かにお母様に話しかけた。
「龍二と大金麗子は婚約しないんですか?」
「向こうから断られました。あなたとの婚約をできなかったことで、相当プライドを傷つけたようですね」
「大金銀行との取引は大丈夫なんですか?」
「ええ。大金銀行の頭取はバカじゃありません。上条グループと提携を結んだ緒方財閥は、今や最強ですからね。みすみす、大きな取引先を逃すようなことはしませんよ」
「それならいいが…」
一臣さんは、静かにそう答え、水を飲んだ。
「じゃあ…、龍二の結婚相手は?」
ちょっと間を開けてから、一臣さんはまたお母様に尋ねた。
「俺が誰と結婚しようが、兄貴には関係ないだろ」
「関係はないが…。だが、お前も大阪支社の次期社長なんだ。結婚相手が誰でもいいってわけじゃないだろ」
「うっせえな。兄貴は上条グループのお嬢様と結婚しないとならなかったかもしれないが、俺は関係ないんだよ。緒方財閥を背負って立つ人間じゃないからな」
また、龍二さんが悪びれた言い方をした。
「お前は、大阪支社を背負って立つ人間だ。まったく関係ないわけじゃないぞ」
「…じゃあ、親父が俺の結婚相手も決めるってのか?」
「そうだな。親父に見つけてもらったらどうだ?適当な相手を」
「兄貴、大金麗子は気に入ってたわけじゃないんだろ?一番は鷺沼京子だよな。鷺沼京子が体が弱いって聞いて、やめたんだよな?跡継ぎとか関係なかったら、京子を選んでいたんだろ?」
「…そうだと言ったら?」
「俺が京子と結婚するって言ったらどうする?」
口元を緩ませながら、龍二さんが聞いた。
「どうするも何も、京子さんは体が弱いんだ。子供も産めるかわからないし、お前との結婚だって無理だろう?」
「はん!俺には跡継ぎなんか必要ないんだよ。だってそうだろ?緒方商事のあとを継ぐのはどうせ、兄貴の子供だろ?それで、元気に子供を産めそうな、上条弥生を選んだんだろ?」
「……それだけじゃない。上条グループと緒方商事が…」
「わかってるって。でも、弥生が体弱くて子供も産めなかったら、さすがに弥生と結婚はしないんだろ?」
「そうだな。親父も考えが変わったかもな」
「俺には跡継ぎは必要ないなら、京子と結婚できるってわけだ」
「……俺への当てつけか?俺が京子さんと結婚できないからって、お前が結婚してみせるのか」
「そうだよ。兄貴、相当入れ込んでいたんだろ?」
「…そう見えたのか?」
「違うのか?だけど、京子だけ特別扱いしていたよな?」
「…京子さんは、俺のこと軽蔑しただろ?女に手が早く、最低な男だって思ったはずだ」
一臣さんがなぜか、そんなことを言い出した。顔は無表情で、話し方もすごくクールだ。
「それは本当のことだろ?京子は兄貴を勝手に美化していたようだけど、兄貴の本当の姿を知って、そりゃ軽蔑もしただろうね」
「…まあ、いい。軽蔑されようと、それで京子さんが俺と結婚することを諦められたなら…」
え…。何を言い出しているの?一臣さんは。えっと、これも演技だよね。なんか、京子さんにわざと自分は軽蔑されるように仕向けたかのような口ぶり。
「へえ。京子さんにわざと嫌われるように仕向けたってことか?」
ほら。龍二さんもそういうふうに解釈した。って、そうか。そう龍二さんに思わせているのか。
「お前も、俺が最低な男だって、京子さんに思わせたかったんだろ?お前、わざと俺と京子さんの仲を引き裂くように仕向けていたんだろ?そのくらい、俺だって見抜くことはできる。それも、弥生とくっつけるよう、仕向けていただろ」
「あんた、兄貴にばらしたのか?」
龍二さんが私を睨んだ。
「弥生がばらさなくたって、俺はわかっていた。お前の行動くらい、予想もつく」
「どういうことだよ。わかっていて、乗ったってことか?」
「……京子さんを選べないんだったら、他のどの女でも変わらないしな。まあ、その中でも大金麗子がましかなって思ったりもしたけど、麗子さんは、かなり我儘なお嬢様だったし、結婚したら大変だったかもしれないしな」
え、えっと。一臣さん、何を言い出したの?なんか、京子さんのことが心残りだ…みたいな口ぶり。
「俺は最低な男だ。俺みたいなやつと結婚しないで正解だ。そう京子さんが思ったんだとしたら、それはそれでいい。お前と結婚しようが構わない。だが、結婚するなら、ちゃんと大事にしてやれ。京子さんは体も弱いんだから」
「はあ?何それ。そんなに兄貴は京子さんのことが大事なわけ?あははははは!まさか、未練たっぷりだったりしているのかよ。だったら、弥生と結婚した後、愛人にでもする?」
「そんなわけにもいかないだろ。相手は、大学病院の院長の娘だ。愛人にできるような女じゃない」
「ははははは!わかったよ。俺が結婚してやるよ。それで、大事にしたらいいんだろ?」
「お前、本当に大事にできるのか?」
「ああ。俺は兄貴みたいに、最低な人間じゃないからな。平気で好きでもない、どうでもいい女と結婚して跡継ぎ産ませてほったらかすような、そんなことしないから安心しろよ。兄貴の分まで、大事にしたらいいんだろ?」
そう言ってから、龍二さんはくすりと笑った。そして、
「ああ。いい気味だよな。俺はやっぱり、長男に生まれなくて良かったよ。だってそうだろ?もし、俺が長男だったら、好きでもない、弥生みたいな女と結婚しないとならないわけだし。まあ、せいぜい、頑張って弥生に跡継ぎ産ませるんだな」
と、嫌味たっぷりの口調でそう続けた。
ギリギリギリ。歯ぎしりの音が私のすぐ後ろから聞こえた。亜美ちゃんだ。一臣さんの後ろでは、あの穏やかな国分寺さんですら、眉間にしわを寄せている。
だけど、一臣さんは無表情だ。それに、お母様も。
「さてと。時差ボケで、頭がくらくらしてきた。もう俺は寝る。明日、親父に会社に来るよう言われているから、仕方ないから行ってやるか」
龍二さんはそう言いながら席を立ち、
「お先に!」
と私に向かって厭味ったらしい笑顔を振りまき、ダイニングを出て行った。
龍二さんの足音が消えてから、一臣さんは一気に顔の表情を変えた。
「むかつく野郎だ。弟ながら最低なやつだな。ああ、もう、とっとと京子とでも麗子とでもいいから、結婚しちまえ。それで、とっとと大阪に行け」
そう呟くと、一臣さんは水をゴクンと飲んだ。
「一臣、龍二がこっちにいる間は、ちゃんと龍二にも仕事を覚えさせて…」
「今、それどころじゃないですよ。いろいろと面倒なことが起きていて、忙しいんです。龍二の秘書になる人間に任せたらいいじゃないですか?確か、副社長の秘書をしていた人間が、龍二の秘書になるんですよね」
「ええ。そうですけど…。何か、会社で問題でも?」
「大有りですよ。それだけじゃない。弥生とのことでも、いろいろとあるっていうのに」
「弥生さんと?喧嘩でも?」
「俺と弥生が?まさか。は~~~~あ。なんだって、龍二を東京に戻したりしたんですか。また、俺は屋敷で、弥生と仲の悪いふりをしないとならない」
一臣さんはそう言って、眉間にしわを寄せた。
「弥生にだって、また嫌な思いをさせないとならない」
「わかっていますよ。弥生さん、ごめんなさいね。龍二が大阪に行くまでの辛抱ですから。それと、串揚げ屋に行くのも、龍二がいなくなってからにしましょう。私とあなたが仲いいところを龍二が知っても、変に思うかもしれませんからね」
「はい…」
お母様が優しい表情でそう言ってくれて、私はほっとした。なにしろ、お母様はずうっと無表情でいたから。
「立川、それと小平」
「はい?」
「龍二の言葉に、よく耐えてくれたな。これからも、あいつは弥生のことで傷つけるようなことを言うかもしれないが、どうにか耐えてくれ。それから、俺がいないところで、弥生が傷ついていたら、俺に教えてくれ」
「はい」
一臣さんの言葉に、二人は大きく頷いた。私はそんな一臣さんの言葉が嬉しかった。
そして、その一臣さんの言葉に、なぜかお母様がびっくりしているような表情を見せた。
「…あなた、本当に弥生さんのこと大事にしているのね」
「当たり前です。フィアンセですからね」
一臣さんはそうきっぱりと言うと、
「念のため、俺は先に部屋に戻る。弥生は、あとから自分の部屋に戻れよ。いいな?」
と私にそう言って、席を立った。
一臣さんがダイニングを後にすると、お母様が静かに笑い、
「一臣、あなたと会ってから本当に変わったわね」
と私に話しかけてきた。
「奥様、一臣お坊ちゃまは本当に穏やかになられましたよ」
そうお母様に言ったのは、喜多見さんだ。
「そのようね。会社のことも真面目に考えているようですし、ほっとしましたよ。問題が残っているのは、龍二ね」
お母様はそう言ってから、ふうっとため息をつき、
「京子さんは、龍二のことを変えられるかしらね」
と、そんなことを呟いた。
「え?」
「龍二、一臣が京子さんを気に入ったから、わざと京子さんと結婚するようなことを言っていたけど、あの子はあの子で、きっと京子さんを気に入ったんだと思いますよ」
「そうなんですか?」
「京子さんに対しての態度、けっこう真面目でしたからね」
ちゃんと見ていたんだ。びっくり。
「京子さんのほうは、龍二をどう思ったかわからないですけれど。なにしろ、かなり彼女は一臣に入れ込んでいましたし、一臣が自分の思ったような人じゃなかったことに対して、相当ショックを受けていたようですから」
「お母様はそういうことも、わかっていたんですか?」
「ええ。麗子さんにも、京子さんにもあとで手紙を出しました。婚約者として選ばれなかったことに対して申し訳ないと。麗子さんは、プライドを傷つけられたと怒りの返事がきましたけれど、京子さんは、一臣に対してショックを受けたと、そんなお返事が来ましたよ」
「そうだったんですか」
そうか。ちゃんとお詫びをしたのか。さすがだ、お母様。
「一臣は、大学時代から、女遊びがひどくて、最近までそうだった。婚約者が決まるっていうことで、やっと大人しくなったけれど、あなたのような純粋な方には相応しくない。もっと誠実な方と結婚されたほうはいいですと、京子さんには正直に申し上げておきましたよ」
……。う、うん。ある意味、本当のことだもんね。
「わたくしの見る目がなかったと、嘆いていましたね。でもまあ、一臣を嫌ってくれたほうがありがたいってものです。変に一臣に対して未練を残されても、困りますからね」
わあ。お母様も、クールだ。
「弥生さん」
「はい」
「何か、困ったことや、悩みがあったら、相談に乗りますよ。これでも、あなたの義理とはいえ、母になるわけですし。弥生さんは、お母様を亡くされているんですから、わたくしに頼っていただいてもいいんですからね」
「は、はい」
うわあ。嬉しくて、今、熱いものが込み上げてきた。
「一臣も、仕事のことで頭がいっぱいになると、あなたのことまでフォローできなくなる可能性もありますしね。いつでも、相談に乗りますよ」
「ありがとうございます」
「串揚げ屋、楽しみにしていますよ」
お母様は優しくそう言うと、席を立ってダイニングを出て行った。
「弥生様、良かったですね。奥様に大事に思われて」
亜美ちゃんがそう言ってくれた。
「はい」
私は思い切り頷いた。
「ですが、龍二さんは本当にひどいです。頭に来ました。弥生様、私たちは弥生様の味方ですから。いつでも、味方ですからね」
トモちゃんが鼻息を荒くしながらそう言ってくれた。
「はい。みんな、ありがとう」
喜多見さんや、国分寺さん、日野さんも優しく私を見ながら、頷いている。
お屋敷はいつでも、あったかい。みんな家族のようだ。それに、お母様も優しい言葉をかけてくれて、本当に嬉しかった。
負けないぞ。龍二さんの嫌味だって、傷ついたりしないんだから。だって、私はそんなに弱くない。
「大丈夫!亜美ちゃん、トモちゃん、私は負けません。みんながついていてくれるし、いつだって、頑張れますっ」
そう言ってガッツポーズをすると、亜美ちゃんとトモちゃんも、同じようにガッツポーズをした。
「ファイト!」
と言ってくれながら。
あ。そうだった。もしかすると一臣さんが、私が部屋に戻るのを待っているかも。と、そう思い、
「ご馳走様でした。美味しかったです」
と、元気に私はそう言って、ダイニングを去った。
それから、元気に2階に駆けのぼり、階段の上で、龍二さんが私を待ち受けていて、遭遇してしまった。
うわあ。つかまったか。
「あんたさあ…」
また、何か嫌味を言ってくるの?それとも、今度は何?!身構えていると、龍二さんは、
「気を付けたほうがいいよ」
といきなり、そんなことを小声で囁いた。
「な、何をですか?」
どうせ、ろくなこと言わないんだろうけど、一応聞いてみた。
「俺がなんで、東京に戻ってきたか、理由、教えてあげようか」
「な、何か理由があるんですか?」
どうせ、ろくなことは言わないだろうけど。
「やばいだろ?今、緒方財閥も、上条グループも」
「え?」
「まさか、聞いてないわけ?親父からも、兄貴からも?」
「な、何をですか?」
「Aコーポレーション。アメリカにいる俺にですら、ちょっかい出してきそうになった。兄貴と結婚するあんたも、かなりやばいはずだ」
「やばいって?」
「裏で危ないことしている連中だって親父から聞いた。兄貴にも接触して来てるんじゃないか?あんたも気をつけろよ。一応忠告しておく」
「……え?」
なんか、ものすごく真面目な話?
「それもあって、俺は本社に来るように親父に呼ばれた。兄貴はそれで俺が呼ばれたって、知らないみたいだけどさ」
「ちょっかいって?何かされたんですか?」
「いや。向こうで、次期緒方商事の大阪支社副社長になる俺に、直に話がしたいと、そう申し出てきて、何度かしつこく言ってきたんだよ。Aコーポレーションの秘書っていうやつがさ」
「…それで?」
「俺はまだ、大学出たてほやほやの人間だし、俺と話をしても無駄だ。兄貴のところか、親父のところに行けって言って追い返した。でも、それを親父に言ったら、身辺に気をつけろっていきなり言い出してきたんだ」
「身辺に?」
「危ない連中だから近づくな。何をしでかすかわからないってさ。たとえば、さらわれたり、怪我させられたり、命まで狙われたりとか?」
「ま、まさか、そんなことまで?」
「それだけ、やばい連中だってさ。親父の周りの警備も厳重になっているみたいだし、兄貴も注意しているだろうし、俺やおふくろの周りにもボディガードが増えた」
「……そ、そうだったんですか」
それで、俺が弥生を守るとか、心配いらないとか、お前は何もしないでいいとか、一臣さんは言っていたの?
「そういうのに、巻き込まれるのが嫌なら、今のうちに婚約破棄したら?」
「え?」
「なんてできないか。あんたに、緒方財閥の一族の前で、決まっちまったんだもんな」
この人、私の心配してくれてるのかな、もしかして。だって、わざわざ忠告してきたってことは。
「………。兄貴、小学生の頃、まじで誘拐されられそうになって、やばいことがあったんだよね」
龍二さんはさらに声を潜め、そう私に言ってきた。
「あ、そういうこと、聞いたことがあります」
「……そう。一応、緒方財閥って、忍の人間抱えているし、強いボディガードもついてはいるんだけど」
そういうこと、龍二さんも知っているんだ。
「まあ、今では樋口さんや、ボディガード兼、お抱え運転手もいるわけだし、そうそうさらわれたりしないと思うけど…。まあ、あんたも気をつけな」
「…心配して、忠告してくれたんですか?」
「うっせえな。あんたのことはどうでもいいんだよ。ただ、あんたに何かあったら、上条グループとの契約とか、いろいろとやばいだろ?緒方財閥が安泰でいないと、俺までとばっちりくうからな」
「…」
そういうことか。
「わかったな?忠告はしておいたからな?」
小声でそう龍二さんは言うと、部屋に入って行った。
そうか。そんなに大変な会社だったのか。Aコーポレーションって。
一臣さんが、なんだか、変に神経質になっていたのもわかったような気がする。
「一臣さんのことも、緒方財閥も、なんとしてでも守らないと」
そんな思いを胸に秘めつつ、私は自分の部屋に戻った。