~その12~ 何でも来い!
一臣さんよりも先に、お屋敷に帰った。着物を脱ぎ、シャワーを浴びて、洋服に着替えた。着替える時に胸元のキスマークが見えて、一臣さんのぬくもりやキスを思い出した。
「早く帰ってこないかな」
寂しい気持ちのまま、しばらく一臣さんの部屋のソファでぼ~っとした。
外が薄暗くなり、お屋敷の中は静まり返り、寂しさは増していった。
そして、ようやく一臣さんが戻ってきた。
「疲れた~~~」
そう言いながら部屋に入ってきた一臣さんに、私は思い切り駆け寄りハグをした。
「おかえりなさい!」
「……」
あれ?反応なし?もしかして、疲れているのに抱き着いたりして悪かったかな。と思っていると、一臣さんは私の背中に両腕を回し、しばらく黙って私をぎゅうっと抱きしめた。
「あの…。何かあったんですか?」
「ああ。思い切り面倒くさいことが重なって…」
そう言うと一臣さんは、は~~~っと深いため息をついた。
「お前の親父さんは、話のわかる寛大な親父さんなのに、その弟はなんだってあんなに頑固で、偏屈で、頭の固いやつなんだ?」
「もしかして、瑠美ちゃんのことでまた、高仁おじさん何か言ってきたんですか?」
「ああ…。とりあえず、水が飲みたい…」
一臣さんは私の腰に腕を回すと、部屋の奥へと移動した。そしてジャケットを椅子に脱ぎ捨て、冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して、ソファに座った。
「弥生も座れよ」
「はい」
一臣さんの隣に座った。一臣さんは水をゴクゴクと飲み、
「は~~~~」
とまた、息を吐いた。
「あの…。瑠美ちゃんのことですよね」
「ああ」
一臣さんは眉間にしわを寄せたまま、そう答えた。
「弥生の親父さんと一緒に、親父のところに来たんだ。それで、俺も呼び出された」
「え?!」
じゃあ今まで、お父様や高仁おじ様と話をしていたの?
「まったく。親父もいろいろと忙しいって言うのに、あの高仁って親父は、くどくど長々と文句を言いやがって。俺は身に覚えもないし、弥生との結婚は決まっているし、瑠美って女と結婚なんかできないって言っているのに、責任取れだのなんだのって。娘から真相をちゃんと聞けって言っても、言い逃れをする気かと言って、聞きやしない」
一臣さんはそこまで一気にまくしたて、また水を一口飲んだ。
テーブルにペットボトルをドンを置くと、また一臣さんは話を続けた。
「挙句の果てに、お前の親父がいる前で、弥生より、うちの娘のほうが優れているだの、緒方財閥の一族だって、弥生よりうちの娘を気にいるだの、そのくせ、うちの娘をお前みたいな最低な男にくれてやるのは悔しいだの…。支離滅裂なことまで言いやがって」
え?
「お前の親父さんも呆れてた。だけど、お前の親父さん、俺と弥生がもう関係を持ったって、知らないでいるんだな」
「そ、それはもちろん、言っていませんから」
「如月からも報告を受けていないんだな。俺の親父は知っているけどな」
「まさか、国分寺さんがそんなことまで報告を?」
「俺の部屋で弥生が寝泊まりしているっていうのは、報告してるだろ。そうしたら察しつくだろう。普通はな。でも、お前の親父さんは、鈍感なのか?それとも、お前が結婚まで操を守り通していると、本気で思っているのか?」
「はい。多分、本気で思っていると思います」
「………」
一臣さんは私の顔を覗き込み、
「…結婚前に、そういうことをするとまずいのか?」
と、心配そうな顔をして聞いてきた。
あれ?いつに無く弱気?
「いいえ。ただ、父は、私がそういうことを守り抜きそうな性格をしていると思っているのかも」
「なるほどな。確かに、天然記念物か、国宝ものになりそうな感じあるもんな」
どういう意味だ。
「高仁おじさんってのも、そう思っているのか?だから俺がいくら、家訓を守るっていうのなら、弥生も同じ立場だって言っても、鼻で笑って聞き入れなかったんだな?」
「鼻で笑う?」
「ああ。かなり失礼なオヤジだよな。まあ、でもしょうがないって言えばしょうがないか」
「何がですか?」
「俺の誕生日パーティで、俺がお前以外の女を選んだこととか、親父に言われてしぶしぶお前との婚約を承諾したとか、そういうことまで知っていて、だから、弥生と婚約する気なんか、本当はないんだろうとか言われても、仕方ないんだろうなって…」
「………」
なんか、一臣さんが弱気。ちょっといつもと違う気がする。まさか、そういうことを言われて、瑠美ちゃんと結婚することを決めちゃったわけじゃ…。
「まったく。他にも色々と面倒なことがあるっていうのに、このくそ大変な時に…」
一臣さんはそう言うと、水をまたゴクゴクと飲んだ。
「そういえば、おふくろ帰ってきていたか?」
「いえ。まだ会っていません」
「そうか。メイドたちも何も言っていなかったか?」
「はい」
「じゃあ、まだ帰ってきていないんだな」
そう言うと、一臣さんはふっと軽くため息をつき、
「おふくろがお前のことを認めていて良かったよ。でなかったら、瑠美って女を気に入って、瑠美との結婚をすすめてくるかもしれなかったからな」
と、私の肩を抱きしめながら言った。
「瑠美って女、おふくろが気に入りそうだろ。一見、おしとやかなお嬢様に見えるもんな」
「…そうですよね。美人だし、頭もいいし、語学もできるし、スタイルもいいし」
「………」
一臣さんはじいっと私を見た。あ。またほっぺた、つままれちゃうのかな。
「う~~~~~~~~ん」
唸りだした?なんで?
「瑠美って女は、美人なんだろうけど、どうしてか魅力を感じないんだよなあ」
「は?」
「お前は別に、美人ってわけじゃないんだよなあ。だけど、なんだってこうも…」
そこまで言うと、一臣さんは黙った。それから、私を抱き寄せた。ぎゅ~~っとしばらく抱きしめた後、はあっと満足そうに息を吐いた。
「えっと?」
何かな。
「やっぱりあれか。美人は3日で飽きるってやつか」
「はあ?」
「まあ、いいか。とにかく弥生は心配するな。俺の親父も、弥生の親父さんも、あの高仁おじさんの言うことなんか聞き入れたりしないから。それに、トミーがなんとかするって言っていたしな。それより、久世のやつのことが気になる」
「久世君?」
「ああ。瑠美って女とグルなのかもしれないし。今、探りを入れさせているところなんだが…」
「探り…?」
「いい。お前は心配するな」
まただ。また、心配するなって言うだけで、私に何も言ってくれない。
「私は何かお役にたてることないですか?」
「ない」
また、きっぱりと言われた!それも、一臣さんの目、怖い。
「で、でも、何かお役にたちたいんです」
ひるまず、そう聞いてみた。でも、一臣さんはただ私を見ているだけだ。
「一臣さん一人で、いろんなこと抱えないでください」
「役にだったら立っている」
「え?」
「もう、ここに弥生がこうしているだけで、俺は救われている」
救われている?
ギュウ。また一臣さんは私を抱きしめた。
「ほらな。お前を抱きしめるだけで、癒される」
ドキン。
「不思議だよな」
「え?何がですか?」
「いろんなプレッシャーや、面倒なことは今までもあった。それに押しつぶされそうになって、精神的にマジでやばかった。睡眠障害にまでなった。だけど、今はお前がそばにいるだけで、すべてが一気に消える。こうやって抱きしめるだけで、心が救われる」
「……」
ギュウ。私も一臣さんを抱きしめた。
「私、いつだって一臣さんのそばにいます。いつでも、こうやって一臣さんを癒します。辛かったり、苦しい時は、どんどん弱音吐いていいです。甘えていいです。泣いちゃってもいいです」
「あははは」
あれ?笑われた。
「だけど、もうすでに弱音は吐いているし、お前に甘えているぞ?」
「……」
やっぱり?
「だけど、もっともっといいです。いくらでも受け止めます!」
「頼もしいな」
「はい!私、こう見えても、あ、見た目どおりかもしれないですけど、頑丈ですから」
「そうか…」
一臣さんはまた私をギュって抱きしめた。
「弥生…」
「はい」
「着物、脱いじゃったんだな。残念だ」
「………」
もう。何を言い出すんだ。でも、まあ、いいかな。こういうことを言い出したってことは、いつもの一臣さんになったってことだもんね。
「で、でも、私今、生足です」
ちょっと短めのフレアースカートを、私は履いていた。
「へえ。俺に太もも撫でられたかったのか?」
「違います。そうじゃなくって、一臣さんが撫でたいんじゃないかって…」
ひゃあ。なんか今、私変なこと口走った?
「俺のために?サービス精神旺盛だな」
「う…」
そういうわけじゃ…。
一臣さんが、私の太ももを撫でてきた。うわあ。やっぱり、変なこと言わなかったらよかった。撫でられても、ダメだとか、やめてくださいとか、言えなくなっちゃった。
一臣さんが私の耳たぶを噛んだ。それから首筋にもキスをしてきた。
ドキドキドキドキ。
「一臣様、弥生様!夕飯の準備が出来ました!」
その時、亜美ちゃんの元気な声がドアの外から聞こえてきた。
「……」
一臣さんは私の首筋から唇を離し、
「ちっ。今、弥生を食おうとしていたところなのに…」
と、文句を言った。
「わかった!すぐに行く」
大きな声でそう答えると、一臣さんは私から離れた。
「続きは飯食ったあとでだ」
そう言うと一臣さんはソファから立ちあがり、私の手を引き部屋を出た。
っていうことは、まさか、今夜も?
そんなことを思いつつ、廊下を歩き、階段を降りようとすると、1階の正面玄関にめがけて、メイドさんや国分寺さんがバタバタと走っていくのが見えた。
「ああ、おふくろだな」
一臣さんはそう言うと、繋いでいた手を離した。
「おかえりなさいませ」
正面玄関の外から、メイドさんたちの大きな声が聞こえてきた。一臣さんは玄関の外には行かず、中で私と待っていた。
「ただいま、戻りました」
お母様の威厳のある声が、ドアの外から聞こえてきた。そして、
「やっと着いた。疲れた!おい、そこのお前、俺の部屋の風呂、急いで沸かして来い。それから、夕飯、俺の分もあるよな?」
という、聞き覚えのある憎らしそうな声も…。
「龍二か?」
一臣さんの片眉が思い切り上がり、さっと私から離れた。そして、玄関のドアを開け、
「なんで、龍二がここにいるんだ?大阪に行くんじゃなかったのか?」
と、そうクールに聞いた。
「おやおや、兄上まで俺の出迎え?」
「ふざけるな。お前、大阪に行くんだろう?どうして、ここに戻ってきたんだと聞いているんだ」
「俺の家に戻ってきたら悪いのか。大阪には兄貴の婚約パーティが済んでから行くよ。あれ?ちゃんと婚約者どのも、この屋敷に住んでいるんだ」
龍二さんはずかずかと玄関から入ってくると私を見つけ、そう言った。
「おふくろ、なんだって龍二が…」
一臣さんのそんな声が聞こえた。でも、お母様は何も答えず、
「わたくしも夕飯を食べますから、準備が済んだら声をかけてください」
と、それだけ国分寺さんに告げると、すたすたと階段を上って行ってしまった。
「なんだっけ、あんたの名前」
「弥生です」
「ああ、そうそう。俺のお姉さまになるんだよな?今後ともよろしくな?」
憎らしそうに龍二さんはそう言ってから、なぜか「ははは」と愉しげに笑い、
「あのさあ、あんたと兄貴って、仮面フィアンセなんだって?外では仲良く見せているんだってな?愉しいよなあ~。ほんと、愉快だ」
と、そんなことを言いながら階段を上って行った。
一臣さんは、ダイニングに行くと私に小声で、
「龍二には近づくなよ」
と、そう一言言って椅子に座った。
「弥生様は、私たちが守ります」
亜美ちゃん、トモちゃんが私にそう言ってくれた。
「はい」
私は一臣さんにも、亜美ちゃんにもトモちゃんにも頷いたが、内心、自分で自分のことは守ろう。ううん、一臣さんや、亜美ちゃんたちのことも守るんだ!と思っていた。
そのあと、お母様、龍二さんの夕飯が、ものすごい速さで準備された。その間、私と一臣さんは、
「申し訳ありません。もう少しお待ちください」
と国分寺さんに言われ、待たされていた。
「いい。俺らが先に食ったら、どうせおふくろの機嫌を損ねるんだろ?」
「申し訳ないです」
また、国分寺さんが謝った。
「いいって、謝らなくても。ただ…」
一臣さんは片眉を上げ、はあっとため息を漏らした後、
「これからは、しばらく弥生と二人で飯が食えないんだな」
と呟いた。
「そうですね…」
「は~~あ。なんだって龍二まで帰ってきたんだ。俺はまた、屋敷内で弥生といちゃつけないのか。あ、お前らも気をつけろよ。俺と弥生が仲がいいってこと、あいつには悟らせるな」
「はい」
亜美ちゃんたちが返事をすると、一臣さんは私のほうを見て、
「やっかいごとがまたやってきたな。いつになったら、平和になるんだろうな」
と小声で言った。
「そうですね…」
私は頷いて下を向いた。龍二さんは苦手だ。どう接していいかわからない。やっぱり、近づかないのが一番のようだ。
ふと、一臣さんの優しい視線に気が付き、私は前を向いて一臣さんを見た。
「暗くなるなよ。二人でいる時は、いちゃつけるんだから。な?」
「…は、はい」
よかった。優しい一臣さんだ。
こんなふうに、一臣さんが優しい目で見てくれると一気に安心できる。それに、力も湧いて来る。
大丈夫。私には一臣さんがいるんだもん!
そう思えてきて、こうなったら、なんでも来い!っとこの時は、心でガッツポーズをしていた。怖いものなんてない。なんでもかかってきやがれ!そのくらいの勢いが私にはあった。