~その2~ 2度と会えない?!
私はそのまま、お屋敷には入らず、亜美ちゃんたちと一緒にお屋敷の裏手にある寮に向かった。
寮と言うよりも、2階建てのちょっとお洒落なアパートか、ペンションといった感じの建物だ。
「布団部屋というのは、今はないんですよ」
先を歩いている日野さんがそう言った。
「え?そうなんですか。じゃあ、私、どこで…」
「わたくしの部屋は、大学に行っている妹と一緒に住んでいるのですが、狭くなってしまいますがよろしかったら、わたくしの部屋で…」
日野さんがそう言うと、
「私とトモちゃんの部屋でも構いません。ベッドだったら、私のベッドを貸します。私は床に布団敷いて寝ますから」
と亜美ちゃんまでがそう言い出した。
「はい。是非、私たちの部屋に来てください」
トモちゃんも目を輝かしてそう言ってくれた。
「それでは、弥生様のお部屋がないではありませんか。どうぞ、わたくしたちのところにいらしてください。娘が嫁いでから、ひと部屋余っている状態なんです。娘がいた部屋を使ってください」
喜多見さんがそう言うと、みんな静かに頷いた。
「はい。では、よろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀をすると、喜多見さんは優しく微笑み、
「荷物を持ってきましょうね。亜美ちゃん、103号室に弥生様をお連れしてね」
とそう言って、お屋敷の方に戻っていった。
「……弥生様」
「え?」
「会社は行かれるんですよね」
「…と思います」
「あの、今日はお屋敷に戻れないと思うので、もう一臣様にも会うことはないと思うのですが、明日は会社でお会いになるんですよね」
「…はい。って言っても、一臣様が庶務課に来られでもしない限り、会えるかどうかも…」
そうだった。お屋敷の中には入れないということは、一臣様にも会えないんだ。まさか、一臣様が従業員の寮に来るとは思えないし。
「そうですか!お会いしないかもしれないんですね。良かった」
あれ?なんで亜美ちゃん、ホッとしているのかな。
「良かったです。なるべくだったら、一臣様にお会いしないように気をつけてくださいね」
今度はトモちゃんがそう言ってきた。
「えっと、なぜですか?」
私はキョトンとしながらそう聞いた。すると今度は日野さんが、
「一臣様は怖い方ですから。なんて言って叱られるかわかりません」
とそう言ってきた。
「え?叱られる?」
「はい」
「え、そうか。そうですよね。一臣様、怒りますよね。皆さんに迷惑もかけて」
「わたくしたちは、慣れていますから一臣様に怒られても平気ですが」
「え?皆さんのことも一臣様、怒るんですか?あ、そうか。私のせいで、皆さんまでが一臣様に叱られるんですね。すみません。本当に軽はずみなことをしてしまいました」
「いえ。いいんです。わたくしたちは。ただ、弥生様はまだ、慣れていないだろうし、もし、お屋敷内でのことでしたら、わたくしたちもフォローしたり、弥生様を元気づけることもできるんですが、会社では…」
「え?もしかして、それを気にかけてくれていたんですか?!」
私は思い切り、感動してじ~~んとしてしまった。
「だ、だ、大丈夫ですよ。庶務課も、優しい方ばかりなんです。いつも私のこと、心配してくれる…。それに、宅配便のアルバイトの方も優しいし…。だから、心配しないでください」
私がそう言っても、まだみんなの顔は暗かった。
「あ、ほら!樋口さんも、すっごく優しいんです。私が落ち込んだ時には必ずと言っていいほど、励ましてくれるんですよ」
「樋口さんが?」
「あ、そうか。樋口さんがいてくれるんだったら、大丈夫かも」
日野さんと亜美ちゃんがそう言い出し、やっとみんなの顔が明るくなった。
それから、寮に入り、私は喜多見さんのおうちにお邪魔した。中には、コック長の喜多見さんが待っていた。
「先ほど、執事の国分寺さんからお話は伺っています。どうぞ、狭いところですが、自由にうちを使ってください」
喜多見コック長は、物静かにそう言った。
「こちらこそ、お世話になります」
私はぺこりとお辞儀をして、玄関の中に入った。
中に入ると、玄関のすぐ奥がキッチンとダイニングで、その横には洗面所があった。
ダイニングの奥には、部屋が二つあり、一つは和室で一つは洋室だった。
「和室は私たちが使っている部屋です。洋室が娘の使っていた部屋で、こちらの部屋をどうぞ使ってください」
「はい。ありがとうございます」
とは言ったものの、すぐ隣にご夫婦の部屋があるのも、なんだか申し訳ないような気がする。
私は、とりあえず、洋室の中に入った。しばらくすると、喜多見さんがスーツケースを持ってやってきた。
「こちらに当面使えそうな服と、下着を入れてきました。足りない分はまた持ってまいりますので、いつでも言ってください」
「すみません。ありがとうございます」
私はまたぺこりとお辞儀をして、スーツケースを受け取り、洋室の中に入れた。
それから、洋室のベッドに座り、
「は~~」
とため息をついた。
「弥生様、わたくしたちはお屋敷に戻って仕事をしますので、何かあったら、携帯にお電話ください。携帯の番号はテーブルの上に置いておきます」
「あ、はい。ありがとうございます。いってらっしゃい」
私は慌てて、ドアを開けて顔を出した。でももうおふたりは、玄関を開け、いそいそと出て行ったあとだった。
「ああ。なんか、いっぱい、いっぱい、みんなに迷惑かけてる…」
ドス~~~ン…。
あ、やばい。落ち込んだ。
一臣様に私が怒られることをみんな心配してた。でも、怒られるのが当たり前なんだ。怒られるような馬鹿なことをしたんだから。
ダメだ。さっきの元気はどこへやら…。一気に落ち込んでしまった。
私ってば、怒られるとわかっていても、なんだか一臣様に会いたくて、今すぐに一臣様のあの、イヤミったらしい言葉も声も聞きたくなった。
会いたい。でも、今日会えないんだ。
それどころか、もしかすると明日からも、ずっと会えないかもしれないんだ。
あれ?そういえば、なんかお母様が大変なことを言っていた気が…。
ハッ!そうだ!!
わたくしも一臣も、この結婚には反対しているんですって、そう言ってた。
それからもう一つ、なんかものすごいことを言ってた気が…。
ハッ!そうだ。一臣様にふさわしい女性を、もう決めているって。
ふさわしい女性を?それも、近いうちにお屋敷にくるって言っていたような…。
ドスンドスンドスンドスン。
重い岩が頭の上を何個も落ちてきた…みたいになった。
もしかしてもしかすると、もう一生、一臣様に会えないかもしれないんだ。
ボロボロボロ…。な、涙が溢れてきた。昨日は一臣様のベッドで一緒に寝ていたっていうのに。なんだって、たった1日でこんなことになっているんだ。
亜美ちゃんが、私が子供の話をしたら、顔を暗くさせていたのも、もしかするとお母様や一臣様が私との婚約を反対していることを知っていたからかもしれない。
そうか。それで、あんな言葉を濁した感じの言い方をしたのか。
それに、何があっても味方ですなんて、まるでこうなることを知っていたかのような口ぶり。
ああ、それだけお母様や一臣様が、私のことを嫌がっているって知っていたってこと?!
ボロボロボロ。と流れる涙も、あまりにも落ち込んでしまい、一気に引っ込んだ。多分、魂がどこかに抜け出たかもしれない…と思えるほど、私は落ち込んでしまった。
あっという間に時間は過ぎ、外が暗くなった。その時、玄関のドアをノックする音が聞こえた。
「喜多見さんかな。あ、そういえば、私は夕飯どうしたらいいのかな」
そんなことを考えながら、笑顔を見せようと顔を一回両手で叩き、それからドアを開けた。
「おかえりなさい」
すると、ドアの外に立っていたのは喜多見さんではなく、樋口さんだった。
「あ、樋口さん。お仕事おしまいですか?おかえりなさい」
「いえ。一旦、戻ってまいりました」
「え?そうなんですか?お忙しいんですね。あ!もしや、一臣様もご一緒ですか?」
「はい。車で待っております。外は肌寒いので、何か羽織って来てください」
「え?」
「一臣様がお待ちです」
「え?私を?」
「はい」
そ、そうか。怒りに来たのか。
「はい、ではすぐに行きます」
私は部屋に戻り、スーツケースの中からカーディガンを取り出して羽織り、すぐにまた玄関から外に出た。樋口さんは私のことを待っていてくれたようだ。
「あの、ここにいることは誰から?」
「執事の国分寺さんから、すぐに一臣様に連絡は来ていましたが、今日も一臣様は忙しかったので、来るのが遅くなりました」
「……今、何時ですか?私、時計も見ないで出てきちゃって」
「7時です。お腹空かれたんじゃないですか?まだですよね?」
「はい。夕飯どうしようかと思っていたんです。作っても良かったんですけど、勝手に作るのは申し訳ないかなあって」
「一臣様がレストランを予約されていますので、そちらに行きましょう」
「え?!」
私は驚きながら、樋口さんのあとを追いかけた。樋口さんは、寮の裏手から外に出られる裏門を通り、道路に出た。すると、そこに一臣様の車があった。
「どうぞ」
樋口さんがそう言って、後部座席のドアを開けた。車の中にはムッとした顔をした一臣様が乗っていた。
ああ、思い切り怒っている。でも、また会えたのが嬉しくて、私はもうすでに涙が出ていた。
「お前、おふくろを怒らせたのか」
一臣様は私が車に乗ると、とっても怖い声でそう聞いてきた。
ボロボロ。私は泣いてしまって、何も答えられなかった。
「ふん。泣くほど怖かったか。それとも、使用人の寮にいるのが嫌で泣いているのか?」
「い、いいえ。か、一臣様にまたお会い出来て、う、嬉しくって」
「……は?」
「だから、か、一臣様にもう、2度と会えないかもって思っていたから、嬉しすぎて…ヒ~~~ック」
そこまで言うと、言葉が出ないくらい、私は声を出してヒックヒックと泣き出してしまった。
「アホか?お前は」
一臣様が呆れた声を出し、
「レストランに行く前に、美容院に行ってくれ」
と、運転手の等々力さんに言った。
「び、美容院?」
「お前の顔、ひどいからな。俺が行く美容院には、ちゃんとしたメイクも出来る奴がいるから、メイクしてもらえ」
「う、ヒック。そんなに酷いですか?」
「ああ、ボロボロだ」
「……」
そういえば、さっきも部屋で泣いちゃったっけ。
「で、いったい、どんな妄想を膨らませて、一人落ち込んでいたんだ」
「え?」
「だから、どうして俺ともう2度と会えないって、そう思ったのかと聞いているんだ」
一臣様の声は、怒っていなかった。怒るどころか、ものすごく優しい。
「……お、お母様に思い切り反対されて」
「ああ、おふくろは俺とお前の結婚に、最初から反対しているからなあ」
「…お母様が言っていたんです。一臣様も反対しているって」
「ああ、俺も思いっきり抵抗していたからなあ」
「そ、それに、一臣様にはもう、一臣様にふさわしい女性がいてって…」
「俺に?おふくろがそんなことを言っていたのか」
「はい」
「誰だ?いったい」
「もうすぐ、お屋敷にも来られるって」
「もうすぐ?」
一臣様が首をかしげた。すると、助手席に乗っている樋口さんが、
「頭取のご令嬢ではないでしょうか」
とそう静かに言った。
「ああ。大金銀行の頭取のご令嬢、大金麗子のことか」
「銀行のご令嬢?」
「関西で一番の銀行だ。でも、あのご令嬢は、龍二と婚約することになっているだろう?なあ?樋口」
「はい。初めは一臣様の婚約者として候補に挙がっていましたが…」
「え?そうなんですか?」
「お前以外にも、数名候補がいたんだ。おふくろの一押しはその頭取のご令嬢だ。お前と同じ歳で、どっからどう見てもお嬢様ってタイプの女性だよ」
「……どっからどう見ても?」
「俺も一回しか会ったことはないが、清楚で品がよく、見るからにいいところのお嬢様っていうのが、滲み出てた。アメリカにも留学経験が有り、語学も達者で、確か、バイオリンが得意なんだそうだ」
「……お、お嬢様って、何かしら楽器をしていらっしゃるんですね」
「お前もしていたんだろう?プロフィールに書いてあったぞ。確か、琴だったっけ?」
「え?ご存知なんですか?」
「ああ。俺も一応、目を通した。結婚する相手がどんなやつか知りたかったしな」
そうなんだ。でも…。
「私のプロフィールって、どんなのでしたか?」
「知らないのか」
「はい」
「誰が作ったんだ?で、琴は本当にできるのか」
「はい。中学の頃まで、祖母に習っていました」
「じゃあ、書道、華道、茶道、日本舞踊が出来るっていうのも本当か?」
「はい。日本舞踊は、幼稚園の頃、園で教わっていましたし、お習字は祖母から、お花とお茶は大学卒業してからですけど、ほんのちょっと。他に習い事というと、小学生の頃は、合気道とか…」
「騙された!誰が作ったんだ、誰が!あのプロフィール…ほとんど詐欺じゃないか!」
「は?」
「成人式の写真と一緒に、親父が見せてくれたんだ。純和風の、今時にしては珍しい、おしとやかな大和撫子だと、親父は言っていたぞ」
「え…」
私のどこが?!
「そうか!親父がはめたのか。ちきしょう。あの時、猛烈に反対していたら、こんなことには…」
グサ…。こんなことって?!
「一臣様。こんな事と言うのは?」
樋口さんが、静かにそう聞いた。
「だから、こんな妙ちくりんなやつを…。やつをだな…」
一臣様はそこまで言うと、言葉を濁し、
「まあ、いい。それより、これからどうするんだ、お前は。まさか、本気で使用人の寮に居座る気じゃないだろうな」
と聞いてきた。
「……妙ちくりんな、私と、婚約することもなく、もっと見るからにお嬢様っていう、ザ、お嬢様と婚約できていたんですね」
「は?なんだ、それは」
「………こんなことには、ならないですんだんですね」
そう暗く私が言うと、一臣様は私の顔を一回覗き込み、ため息をつくと、
「まだ、しつこくそこにこだわっているのか?あ、もしかして、思い切り落ち込んだか?」
と聞いてきた。
「……」
「またあれか。お前のパワーが切れたのか」
「……」
なんか、何も言い返せないくらい、ちょっと落ちてる…かも。
「2度と会えなかもしれないと思った俺に会えたんだから、パワー出ただろ?気持ち上がったんだろ?嬉しかったんだろ?」
「はい。そうですけど…」
「じゃあ、いいだろが、それで!それもこれから、ホテルのレストランでディナーだぞ」
「え?フランス料理のフルコースですか?」
「…お前、そういうの苦手そうだから、フランス料理ではなく中華にした。すごく美味しいレストランだぞ」
「中華?」
「そうだ。嫌いか?」
「いえ。大好きです!」
グググ~~~~!ギュルルル~~~~。
「あ!」
しまった。なんてタイミングの良さでお腹がなるんだ!!!
「あはははは!そうか。中華大好きなのか。そりゃよかった。一気に元気になって、食欲も出たな?」
「………はい」
クスクス。運転席と助手席からも、笑い声が聞こえてきた。うわ~~。すごく恥ずかしい!聞かれた!
「ははは。樋口、等々力、こいつ、最高だろ?」
「そうですね」
まだ、くすくすと笑いながら、樋口さんが答えた。
酷い。みんなして笑ってる。それも、なんだか一臣様は馬鹿にしている気がしなくもないんですけど。
「ああ、そっか。樋口はとっくに弥生のことを気に入ってるんだっけ」
え?
「はい」
樋口さんは笑うのをやめて、静かにそう答えた。
「わたくしもですよ」
運転席からバックミラーを見ながら、等々力さんがそう言った。
「等々力もか?でも、昨日と今日しか会っていないんじゃないのか?」
「一目見て、弥生様の良さはわかりました。あの喜多見さんも、弥生様のことはよく思われているようですよ」
「…お前、喜多見さんとも仲良くなったのか?そういえば、お前がおふくろに怒られたのは、庭でピクニックをメイド達としていたからなんだってな」
「き、聞きましたか?」
「国分寺さんが教えてくれた。まったく、みんなで仲良く、芝生の上でお弁当を食べていたらしいじゃないか」
「う…。すみませんでした。私の軽はずみな行動で、もう少しでみんながクビになっちゃうところでした」
「だから言ったろ!おふくろは怖いって。これに懲りたら、少しは大人しくするんだな」
「はい…」
怒られた。でも、そんなに一臣様、怖くない。喜多見さんたちのことも怒っていないみたいだ。
ううん。それよりも、なんだか、機嫌が良く見えるのはなんでかな。
「ピクニックか。あははは。面白いよなあ。それも、メイドたち、お前のためにおふくろに文句言ったんだってな?」
「文句ではないですが」
「ああ、お前もたてついたんだってな?おふくろに」
「すみません。母のことを言われたので、つい…」
一臣様は怒るわけでもなく、優しく私を見ると、
「おふくろは古くて堅苦しい人間なんだ。悪かったな。お前のお母さんを悪く言ってしまって。俺からも謝るよ」
とそう謝ってくれた。
????
なんだか、一臣様が、いつもの一臣様じゃない?
やっぱり、2重人格。いや、そんなことないか。だって、さっきは、嫌味言ってたし、いつもの一臣様だった。
どっちが本当?
ううん。きっと、一臣様の内面は、やっぱり、とっても優しいんだ…。