~その9~ 乾杯
一臣さんと如月兄が、やけに親しくなり、信頼関係ができているのには本当に驚いた。
「葉月、父さんたちと酒飲んでいたんだろ?」
瑠美ちゃんの話が落ち着くと、如月お兄様が葉月にそう聞いた。
「うん。まだ父さんはじいちゃんと酒飲んでいると思うよ」
「じゃあ、僕らは僕らで乾杯するか」
「え?まだ飲むんですか?お兄様、披露宴の席でもけっこう飲まれてましたよね」
「飲んだことは飲んだけれど、酔えなかったからなあ」
そう言いながら兄は、冷蔵庫から缶ビールを持ってきた。
「ビールでいいかな?ワインやウイスキーがいいなら、今から持ってこさせるが」
「ああ。ビールでいいよ、如月」
トミーさんがそう言うと、一臣さんも頷いた。
「じゃあ、乾杯だ」
兄はみんなに缶ビールを渡し、私にはノンアルコールのビールをくれた。そして、みんなで乾杯をした。
「卯月の結婚に乾杯!」
「乾杯」
なんでだか、卯月お兄様のいない席で乾杯をすることになるとは。
「それから、僕らの信頼関係に乾杯」
トミーさんがそう言って、なぜか手にしていた缶ビールを一臣さんのほうに近づけた。一臣さんは片眉を上げ、しょうがないなといった表情を見せながら、自分の缶ビールをトミーさんの缶ビールに軽くぶつけた。
トミーさんは軽く缶ビールをひと缶開けてしまい、そのあともうひと缶、冷蔵庫から持ってきた。そしてどんどん陽気になっていった。飲むと明るくなる人なんだな。いや、もともと明るい性格をしているんだろうなあ。
「僕はさ、オミ。君に初めて会った時、とんでもないやつだって思ったんだ。こりゃ、弥生との婚約を如月が反対するのも無理ないってね。弥生は可愛いし、絶対にこんな男にはもったいない。だったら、僕が弥生を幸せにしよう。如月の大事にしている妹を僕が幸せにするんだ。なんて、そう思っちゃったんだよね」
「なるほどな」
一臣さんは冷静な顔をしてそう答えた。一臣さんはお酒を飲んでも変わらない。とってもクールなままだ。
「僕は弥生みたいな女の子に弱いんだ。純粋で穢れを知らない。ルミもそうだった。僕の話に夢中になって、目をキラキラ輝かせて聞いていた。可愛かったんだけどね」
「やっぱり、引きずっているんじゃないのか?トミー」
如月兄がそうトミーさんに聞くと、トミーさんは首を横に振った。
「なかなか弥生みたいな女の子はいない。特にアメリカにいるとなかなか出会えない。本当に可愛い。なのに、もうオミに汚されてしまったなんて、ショックだ」
そうトミーさんは言うと、わざとらしく両手で天を仰いだ。
「汚したわけじゃない。女と男が愛し合えば、必然的にそういう関係になるだろう」
またクールに一臣さんはそう言った。
「そういえば、さっき言っていたこと、スルーしそうになった。でも、思い出したぞ。オミ、セックスは好きじゃないって言っていたよね?なのに、なんで弥生に手を出したりしたんだ」
「弥生は特別だ」
「どういう理由なんだよ」
トミーさん、だんだん一臣さんに絡みだしたかも。
「もともと俺は淡白なほうだった。女と遊んでいるって言っても、深入りしたこともないし、いつもあっさりとした付き合いしかしていなかった。酒飲んだりすると、一緒にいる女がうざくなったり、引っ付いてくるとうっとおしくなったりもした。だから、酒飲んだあとにセックスはほとんどしない」
「へ~~。ものすごい女好きなやつかと思ったけど、違うのか」
トミーさん、ちょっと目がすわってきている?
「ああ。女好きなわけじゃない。だが、弥生は別だ」
「どう別なんだ?興味あるな」
如月兄まで身を乗り出して聞いてきた。
嫌だな。葉月もにやにやしながら私を見ている。私、今もしかして真っ赤かもしれない。
「弥生は…。一緒にいるほうがいい」
「他の女はうっとおしいし、うざくなるけど、弥生はそうならないってことか」
トミーさんがそう聞くと、一臣さんは黙って頷いた。
「まあな。わかるよ。弥生は可愛い。隣にいるだけで、こう、癒されるっていうか、胸があったかくなるもんなあ。だから、天使だって言ったんだ」
トミーさん、そんなふうに思っていたのか。私、ただただ、からかわれているのかと思ってた。
「へえ。トミーもそんなふうに感じていたのか」
「オミもか?」
「俺は天使だとは思っていないが、そうだな。犬か、狸か、もしくはレッサーパンダだな」
「か、一臣さん、またそんなことを言って」
酷いよ。と嘆こうとしていると、隣でげらげらと葉月が笑った。
「狸!あはははは」
やっぱり。葉月なら笑うと思っていた。
「オミ、自分の惚れた女にそれはないだろう。弥生は天使だ。僕には可愛い天使に見える」
「……そっちのほうが怖いぞ。どこが天使に見えるんだか」
ああ。一臣さん、だんだんと口が悪くなってきた。いや、いつものことなんだけど。
それから、一臣さんはいつもの嫌味たっぷりなジョークを言ったりして、葉月を笑わせた。葉月は楽しくなってきたのか、どんどんおしゃべりになった。
トミーさんも如月お兄様も、楽しそうに話しだし、あっという間に時間は過ぎて行った。
「一臣さん、もう、9時を過ぎています」
「ん?本当か」
「はい」
「あ~~~。飲み過ぎた。車で帰るのも面倒くさい」
ああ。面倒くさがりの一臣さんだ。本当にいつもの、素の一臣さんになっちゃっているなあ。
「泊まって行けば?部屋なら空いているだろう。上条グループの令嬢が泊まるって言えば、スイートルームを取ってくれるはずだぞ、弥生」
「そうだな。弥生、泊まって行こう。等々力には電話する」
兄の言葉に一臣さんは、即決した。
「ずっと等々力さん、待っていたんじゃないですか?」
「いや。一回屋敷に帰らせた」
そう言って一臣さんは携帯を取り出し、さっそく電話を入れ、等々力さんに朝、ホテルまで迎えに来るようにと伝えた。
「すごいなあ。オミは運転手がいるんだなあ」
トミーさんが感心している。
「上条家には運転手はいないのか?」
「いないね。僕らは自分で運転するか、もしくは普通に電車で移動するからね」
「危なくないのか?誘拐にあいそうになったりしたことは今までないのか?」
「あるよ。だけど、上条家の家訓の一つに、自分の身は自分で守れって言うのがあってね。それで子供の頃からみんな武道を習わされるんだ。まあ、ちゃんと武道を習って自分の身を守れるくらい強くなったのは、うちの兄弟くらいだけどね」
そう如月兄が答えると、一臣さんはなぜかものすごく興味深そうに私や葉月を見た。
「葉月も強いのか?」
「うん。でも、兄さんたちにはかなわないかもなあ」
葉月は真面目にそう答えた。
「弥生も武道を習っていたのかい?」
トミーさんが私に質問をしてきた。私は「はい」とすぐに答えた。
「弥生が一番強いだろうな」
そう言いだしたのは如月兄だ。
「そんなことないです。やっぱり、一番は如月お兄様です」
「いいや。弥生は基本、戦わない。自分の身を守るため、もしくは大切な人間を守るためになら、戦うことがあるかもしれないが、相手を傷つけたりすることをしないから、戦ったりはしないけれど、いざとなると一番強いだろう」
「そ、そんなことないですっ」
一臣さんだって聞いているのに、あんまり武道が強いとかそういう話はしてほしくない。そりゃ、一臣さんを護るためだったら、全力を出すけれど、いつもはぽわんとしていて、そんなに強いわけじゃないし。
「弥生は何を習っていたんだい?」
「柔道も空手も、合気道も習っていました」
「そりゃ、頼もしいね」
トミーさんがそう言って笑った。
「合気道は、弥生にはとても勝てないね」
「でも、合気道は戦うために弥生は習っていたわけじゃないんだよね?」
葉月の言葉に如月兄がそう私に聞いた。
「はい。護身術です」
それから、誰かを守るためです。というのは言わなかった。一臣さんを守るためになんて言ったら、また一臣さんはふくれちゃうかもしれない。
「だが、いくら弥生が強いと言っても、どんなやつに絡まれるかわからないんだ。弥生には絶対にボディガードをつける」
そう一臣さんは強く言い放った。
「じゃあ、今はオミが弥生のボディガードをしてくれ。部屋が取れたけど、階が下だ。そこまで弥生をちゃんと無事に連れて行ってくれよ」
電話で部屋を如月兄が取ってくれた。それから間もなくして、わざわざ部屋までボーイさんが、キーを渡しに来てくれた。本当に至れり尽くせりなんだなあ。
「俺も泊まって行っていい?家まで帰るの面倒だ」
「ああ。いいぞ、葉月。隣の部屋のベッドを一つ使えよ」
「うん。あれ?でも、トミーさんは?」
「僕は10階に部屋を取ってある。ここみたいなスイートルームじゃない。ごく普通の部屋だ」
そう言ってトミーさんはソファから立ち上がり、
「じゃあ、エレベーターまで一緒に行こうか、弥生、オミ」
と、一臣さんの肩をぽんと叩きながらそう言った。
「そうだな。じゃあ、邪魔したな、如月」
一臣さんはクールにそう言うと、軽く如月兄と葉月に手を振り、私の背中に腕を回すと部屋を出た。
「オミはいつでもそうやって、女性をエスコートするのかい?」
「ああ」
「さすがだね。僕もアメリカに留学してから、そういうことをするようになったよ。日本人はなかなか、女性をエスコートなんてしないからね」
「そうだな。俺もしなかったさ。だが、会社に入ってから、そういうことをうるさく言ってくる女性がいたんだ」
「付き合っていた女性かい?」
「いいや。社長の秘書だ。いずれ緒方商事の社長になるんだから、ちゃんと女性をエスコートするくらいのこと、できるようになれと、そう言われてしぶしぶするようになった」
「しぶしぶ?でも、今もすごく自然に弥生をエスコートしているじゃないか」
「……。そうだな。弥生だからだな。他の女性だと、どうも面倒くさくてな」
また、面倒くさがってる。あ、でも、私には面倒だって感じないんだ。嬉しいな。
「弥生だと、なんで自然にそういうことができるんだい?」
「そりゃ、弥生の背中や腰を触っていたいからだ。それだけだ」
ガク。その理由、なんなんだ。がっかりだ。まったくもう。
呆れた顔で一臣さんを見た。でも、トミーさんは「あはは」と笑い、
「そうか。セックスが好きじゃないっていうから、ちょっと心配したけど、オミも普通に男なんだね」
と、そう一臣さんに言った。
あ~あ。もうちょっとロマンチックなことを言ってくれるかと期待したのに。一臣さんにいたっては、そんなことを期待するほうがバカなのかな。
エレベーターに乗り、私と一臣さんは一つ下の階で降りた。
「おやすみ、弥生、オミ」
トミーさんは明るくそう言い、私は「おやすみなさい」と返したが、一臣さんは「ああ」と頷いただけだった。
クールだ。お酒を飲むと陽気になるトミーさんとは対照的だ。
そういえば、女の人がうっとおしくなるんだっけ。お酒を飲むと、一臣さんは静かになったり、テンション下がったり、クールになったりするんだろうか。
あ、思い出した。まだ豊洲さんがいた頃、一緒に飲みに行ったけど、一臣さん静かだった。
じゃあ、今夜は一臣さん、静かになるのかな。あ、旅行に行った時は、弱気になっていたっけ。今日はどうなんだろう。
カードキーを差し込み、一臣さんはドアを開けた。そして私を先に通して、ドアを閉めた。
「わあ。ここも夜景がきれいに見えるし、素敵なお部屋ですね」
「ああ。そうだな」
一臣さんは、キーをテーブルに置いて、そしてネクタイを外し、シャツのボタンを第2ボタンまで外すと、ソファに座り込んだ。
「飲み過ぎたな…」
「水、入れましょうか?」
「ああ、頼む」
冷蔵庫を開け、ペットボトルの水をグラスに注いで、私は一臣さんに手渡した。
一臣さんは一気にそれを飲む干すと、
「弥生。着物、脱ぐんだろ?」
と、熱い視線で私に聞いてきた。
「え?はい」
「脱いでいいぞ。ここで」
「な、何を言い出すんですか?隣の部屋で脱いできます」
「いいから、ここで脱げ」
もう、いきなりエッチになってる。それも、俺様になっているし。おかしいなあ。お酒飲んだから、弱気になると思ったのに。
「は、恥ずかしいからやっぱり向こうで」
「恥ずかしがるなよ。見たいんだよ、俺は」
スケベ!心の中でそう叫んだ。でも、一臣さんがソファから立ち上がり、私のすぐそばまでやってきたから、胸が高鳴ってしまい、言えなくなってしまった。
ドキン。帯、ほどこうとしている?
「どうやって、この帯はほどくんだ?」
「それは、あの…」
私は結局自分で帯をほどいてしまった。
「しわにならないよう、ちゃんと畳まないと」
「ああ」
一臣さんは私が帯を畳んでいる横で、黙って突っ立っている。
「畳んだ帯はここに置いておけ」
一臣さんはソファを指差した。私は言われたとおりに、帯をソファに置いた。
「着物もしわになると困るんだろ?」
「はい」
頷きながら、私は腰ひもを取った。そしてするっと着物を脱いだ。
「…や、弥生」
「はい?」
「き、着物もちゃんと畳むんだよな?」
「はい」
私は着物もちゃんと畳み、ソファの上にそっと乗せた。
ギュ!
「きゃ!」
いきなり私の後ろから、一臣さんが抱きしめてきた。
「あ、あの?」
「お前、色っぽすぎ」
「え?」
「その長襦袢、色っぽいんだよ」
ひゃ~~!いきなり胸元から手を入れてきた!
「か、一臣さん」
「隣の部屋に行くか」
そう言って、一臣さんはひょいっと私を抱き上げた。そして、お姫様抱っこをして、隣の寝室に入って行った。
ドキン。ドキン。ドキン。どうしよう。お風呂だって入っていないのに。このままだと、このままベッドに寝かされて、そのまま私、一臣さんに…。
「お風呂、入ってきちゃダメですか」
ベッドに寝かされる前にそう聞いた。
「ダメに決まっているだろう」
「え?」
「言っただろ?裾よけ姿のお前を抱くって」
「で、でも、私いっぱい汗かきました」
「俺は気にしない」
「で、でも、でも、でも」
「どうした?やけに恥ずかしそうだな」
一臣さん、お酒飲んだのに全然強気!
「あ、あの」
ドサ。ベッドに寝かされ、そのまま一臣さんが私の上に覆いかぶさってきた。
「弥生」
「は、はい?」
「今日は、足袋は脱ぐのか?」
「あ、脱ぎます」
私が慌てて起き上がろうとすると、
「いい」
と言って、一臣さんは私の足を掴んだ。そして、足袋を脱がしてしまった。
わあ。足袋を脱がされただけで、ドキドキした。今日の私、なんだってこんなに胸が高鳴るんだ。
ああ、そうか。鴨居さんのことや、瑠美ちゃんのことで、かなり凹んだりしたから、一臣さんにこうやって、抱きしめられたり、触られただけでも、胸が高鳴ったり、恥ずかしくなったりするのかもしれない。
だけど、心の中は、喜んでる。一臣さんに触れてもらえてうれしいって。それに、私も一臣さんに触れたい。抱きしめたい。キスだってしたい。
ギュウ。私は足袋を脱がして、また私に覆いかぶさってきた一臣さんを抱きしめた。
「弥生?」
「一臣さんの、体温、感じたかったんです」
「俺の体温?」
「はい。直接こうやって」
私はまだ、一臣さんの背中に両腕を回したまま、そう言った。
「まだ、直接じゃない。俺と弥生の肌がまだ、直接触れ合っていない」
一臣さんはそう言うと、体を起こした。そして、自分の着ているシャツを脱ぎ捨て、それから私の長襦袢を脱がし始めた。
長襦袢を脱がせると、肌襦袢の紐を一臣さんはほどいた。この前は、どこをどうやっていいかわからない様子だったけど、もう一臣さんは肌襦袢の脱がせ方を覚えたらしい。あっという間に脱がせてしまった。
そして、私の上にまた覆いかぶさると、ギュッと私を抱きしめた。
「ほら。これで、直接肌と肌が触れ合えた。どうだ?俺の体温、ちゃんと感じられたか?」
「はい」
あったかい。それに、一臣さんのいつものコロンの匂いがして、胸がきゅんってなる。
「弥生は、柔らかくて気持ちいいな」
「え?」
「それに、あったかいな。癒されるぞ」
「……」
一臣さんも私の体温で、癒されているんだ。
そう思うと、もっと胸がきゅんってなった。
今、私と一臣さんはお互いの体温を感じあっている。そして、お互いの温もりで、心の奥まであったかくなっている。
「一臣さん」
「なんだ?」
「大好きです」
「ん?大好きなだけか?」
「愛してます」
「ああ。俺も、愛しているぞ?」
一臣さんは優しくそう耳元でささやき、そして熱くて甘いキスをしてきた。
ちょっとお酒臭い。でも、一臣さんの舌は、私の思考をストップさせ、私はすっかりスイッチが入ってしまった。