~その6~ トミーさんにつかまる
披露宴が無事終わった。私は高仁おじ様と瑠美ちゃんが、一臣さんのところに向かって来ているのを見て、慌てて一臣さんの手を引き、
「終わりました。帰りましょう」
と会場を出ようとした。だが、一臣さんは、他の親戚のおば様たちにつかまってしまった。
「初めまして、弥生ちゃんのフィアンセの緒方一臣様でいらっしゃいますよね?」
一番に声をかけてきたのは、父の妹の寿美子おば様。
「はい。初めまして」
一臣さんは、時々見せる思い切りよそ行きの笑顔を作りそう答えた。
「一臣さん、父の妹の寿美子おば様です」
私はすかさず、おば様を紹介した。このおば様は話好きで、おば様が話をしている間は高仁おじ様がそばに来ることはない。どうやら、高仁おじ様は寿美子おば様が苦手らしい。自分の妹だというのに。
「正栄さんから話を伺っていましたわ。まだお若いのにしっかりとした方だって」
「上条不動産の社長ですね?」
「ええ。何度か面識があると言っていましたわ」
「はい。上条不動産の社長も大変素晴らしい方ですね」
他の親戚のおば様も話に加わり、若い女性陣までが集まってきて、一臣さんはあっという間に上条家一族の女性たちに囲まれることになった。
「弥生ちゃん、素敵な方ね~~。ハンサムだし、お優しそう」
「素敵な方と弥生ちゃん、婚約されたのね~~」
一臣さんの横にいた私にも、みんなが声をかけてくる。そんなおば様たちと一緒に私と一臣さんは会場を出て、ホテルのロビーに向かって歩き出した。
この分なら、なかなか一臣さんをみんなは離してくれないだろう。その間は、高仁おじ様も瑠美ちゃんも一臣さんのそばに来ることはないよね。
ドキドキしながらも、ほっと胸を撫で下ろしていると、
「申し訳ない、奥様方、一臣氏と話をしているところ、本当に申し訳ないが、そろそろ一臣氏を解放してあげていただけませんか?実は大事な仕事の話を、一臣氏とさせてほしいんですが」
と、如月お兄様が、女性たちの前に立ちはだかり申し出てきた。
「あら、如月さん、披露宴のあとまで仕事の話ですの?」
「実の弟が結婚されたというのに、お忙しいんですのね」
「はい。大変申し訳ないですが…」
「一臣さんとはお茶でも一緒にと思っていましたのに」
え。寿美子おば様とお茶?そんなことになったらきっと、何時間も一臣さんを離してもらえなくなっちゃう。それは困る。
「お、おば様、ごめんなさい。一臣さんも兄もとっても忙しい方なので、休日でもお仕事をされることが多いんです」
私はつい、そんなことを寿美子おば様に言ってしまった。
「そうなの?弥生ちゃん。じゃあ、弥生ちゃんもなかなかフィアンセとデートできなくて、寂しいわね。弥生ちゃんだけでも、私たちと一緒にお茶をしていかない?」
「い、いえ。私は…」
「いいじゃない?1時間だけ。一臣さんが仕事の話をされている時だけでいいから。いいかしら、一臣さん」
「…はい。じゃあ、弥生。1時間したらこのロビーで落ち合おう」
「はい…」
よくない。私も本当は一臣さんと一緒に行きたかった。
そんな私の思いなんか一臣さんは知る由もない。とっとと如月お兄様と一緒にどこかに消えてしまった。
がっかりだ。それに心配だ。兄と仕事の話があるのだから、多分大丈夫だとは思うけれど、高仁おじ様と瑠美ちゃんに一臣さんがとっつかまることはないだろうか。
不安な気持ちを抱えながら、私は寿美子おば様たちとラウンジにお茶をしに行った。そして、質問攻めにあってしまった。
「一臣さんって、どんな方なの?お優しい?」
「一臣さんとのご結婚はいつ?」
「か、一臣さんはとても優しいです。結婚は12月です」
「本当に素敵よね。弥生ちゃんの思い人なんでしょう?」
「そうそう。大成お兄様に聞いていたわよ。弥生ちゃんが一目見て惚れ込んじゃって婚約したって」
うわあ。お父様ったら、何を寿美子おば様に話しちゃっているんだ。
「あれだけ素敵な方だったら、一目ぼれしちゃうのも頷けるわ」
「そうよね~~」
「羨ましいわ。弥生ちゃん、あんな素敵な方と婚約して」
そんなことを言い出したのは、独身の女性陣だ。この中に瑠美ちゃんがいなくてほっとしている。
「お父様から私も聞いているわ。お仕事もできる頼もしい方だって。弥生ちゃんより先に、私が出会っていたかったわ」
え?
「上条不動産と緒方商事は前から取引があったし、お父様が一臣さんのことを褒めていた時に、婚約者候補として私、立候補するって言えばよかった」
え?え?
「ふふふ。正栄さんは、娘を溺愛しているから、妃美子ちゃんの頼みなら聞いたんじゃない?そうしたら弥生ちゃんとライバルになっていたわねえ」
寿美子おば様。笑い事じゃないよ~~。そんなことになっていたら、私、妃美子ちゃんには絶対に適わないもん。
正栄おじ様の娘の妃美子ちゃんは、私より二つ下。おじ様から溺愛され、大事に育てられたのが滲み出ている可愛らしい女性だ。ちょっと舌足らずな話し方や、上目遣いで人を見る仕草が、多分男性のハートをつかむのは間違いなしだ。
「今からでも、アプローチしちゃおうかしら。私」
「ええ?」
私が顔をひきつらせ、真っ青になると、
「冗談よ、弥生ちゃん。そんなに焦らないで」
と妃美子ちゃんは笑った。
「そうよ~~。妃美子ちゃんったら。もう弥生ちゃんと一臣さんは婚約されているのよ。一臣さんの誕生日パーティで、弥生ちゃんと婚約するって、そう緒方商事の社長が発表したらしいし」
「その話、私も聞いたわ。なんでも、多くの婚約者候補がいたらしいわね。ね、弥生ちゃん。その中で弥生ちゃんが選ばれたんでしょ?」
「え…」
えっと。あの時一臣さんが選んだのは私じゃなくって、大金麗子さんで。でも、それは演技で。でも…。あ~~、頭が混乱する。なんて答えたらいいんだ。
「上条グループと提携を結んだから、弥生ちゃんと婚約したって。だけど、弥生ちゃんにとっては、ラッキーよね」
「ラッキー?」
何を妃美子ちゃんは言い出したの?
「だって、あんな素敵な人と結婚できるんだもの。私だったら、世間が政略結婚だのなんだのって言っていても気にしないわ。結婚しちゃったら、こっちのもんよね」
「……」
妃美子ちゃん、箱入り娘のお嬢様の発言とは思えない…。
「は~~あ。私も、婚約者候補の一人になりたかったわ。だって、あんなに素敵な人なんだもの」
「妃美子ちゃん、一臣さんと会ったのは今日が初めてなんじゃ」
私は妃美子ちゃんにこわごわ聞いた。やけに一臣さんにこだわるけれど、まさか瑠美ちゃんみたいに前に会ったことがあるってわけじゃないよね。
「そうよ、初めてお会いしたわ。弥生ちゃんが一目ぼれするのも無理ないって思うわよ。だって、ルックス、スタイル、性格、どれをとっても一流でしょう?育ちもいいし、緒方財閥の御曹司よ?どこをとっても不足はないわ」
「そうよねえ。完璧だわよねえ。でも、どこか欠点があるのかしら。ねえ?弥生ちゃん」
「え、えっと」
短気です。怒ると怖いし、それにスケベです。かなりのスケベ。それに、結婚式すら面倒だって言うくらいの面倒くさがりです。それに、口も悪いし、俺様だし、なぜ、一臣さんを一目見て、性格もいいと思うのかが不思議。あ、そうか、よそ行きの顔をして猫かぶっているからか。
ここは、本当のことを言わないほうがいいよね。笑ってごまかそう。
「えへへ」
と、笑ってみた。すると、
「もう~~。弥生ちゃん、幸せそう」
と、背中を思い切り寿美子おば様に叩かれた。
痛い。本当に寿美子おば様は強烈だ。若い頃は大人しく、つつましい女性だったと祖父が言っていたけれど、本当かなあ。私が知っている限りじゃ、いつも元気で明るいおば様だったけれど。
「あの、私、そろそろロビーに行って一臣さんのことを待っていますので、お先に」
私は、ちらっと壁にかかっている時計を見てそう言った。まだ、1時間もたっていないけれど、このままだと延々に一臣さんとのことを根ほり葉ほり聞かれそうだ。これ以上いろいろと突っ込まれる前に退散しよう。
「あら、もう行っちゃうの?残念。もっと一臣さんとのこと聞きたかったわ」
妃美子ちゃんが残念がった。
「お、お先に」
私はそそくさと、その場を去った。ラウンジのウェイターさんが、
「ありがとうございました」
と深々と頭を下げたので、私もびっくりして頭を同じくらい下げてから、ロビーに小走りで向かった。
みんな一臣さんを見て、きっと目をハートにするだろうと予測はしていた。でも、妃美子ちゃんみたいに惚れ込んじゃう人まで現れるとは思わなかった。
ドキドキ。妃美子ちゃんがもっと前に一臣さんと出会っていなくって本当に良かった。本当にライバルになるところだった。
でも、はたしてライバルになるかどうかもわからないよね。どう見たって、妃美子ちゃんのほうが可愛らしい。一目見て一臣さんは私じゃなくて、妃美子ちゃんを選んでいたかもしれないもの。
それに、瑠美ちゃんのことも…。
さっきは、瑠美ちゃんに挨拶されても、一臣さんの態度は、どうでもいいって感じだったけれど、もし、婚約者候補者になっていたら、わからないよね。
ああ。上条家から候補者が私一人で良かった。
そんなことを思いつつロビーの椅子に座ろうとすると、後ろからぽんと肩を叩かれた。
誰?一臣さん?それとも…。
私は振り返った。すると、
「弥生、会えてよかったよ」
と、トミーさんがにこやかに笑っていた。
うわ。トミーさんに会っちゃったよ。なんでここにいるの?
「披露宴は終わったの?まだ、如月から連絡が来ないんだけど」
「あ、お兄様と待ち合わせですか?」
「うん。まあね。披露宴が終わってから、仕事の打ち合わせもかねて、お茶でもって言っていたんだけどな」
「トミーさん、もしかしてこのホテルに泊まっているとか?」
「そうだよ。だって、上条グループのホテルだし、如月が一緒ならタダになるしね」
「………」
それが目的?
「まあ、如月がいつも部屋を取ってくれるんだけどね。ところで、今日は婚約者殿は一緒じゃないのかい?」
「一緒です。でも、今…」
兄と一緒なんだと言ってもいいのかな?
「婚約者をほっておいて、どこかに行っているの?あ、もしや、綺麗な女性と一緒にいたりしてね?」
「そ、そんなことないですっ」
私は頭に来て、そう大きな声で言い返した。もう、一臣さんのこと、トミーさんは誤解しているよ。
「弥生、可愛いねえ。そんなにむきになって」
「え?」
「やっぱり、弥生は僕のタイプだなあ」
トミーさんはそう言うと、私の肩を抱いた。
「や、やめてください!」
私はトミーさんの腕から抜け出し、一人掛けのソファに腰かけた。
トミーさんはにやにやしながら、ソファのアーム部分に座り、私の肩に手を回してきた。
しつこい。やっぱりトミーさんは女ったらしだと思う。
「あの…。一臣さんと待ち合わせしているんです。ここにトミーさんがいたら、きっと怒り出すから離れてくれませんか」
「甲斐甲斐しいねえ。そういうところが好みだなあ」
しつこい~~~。
「私は、もう一臣さんと婚約しているんです」
「正式な発表はまだだよね?今からだって、婚約破棄できるんじゃないのかい?」
まるで、久世君みたいなことを言う。
そういえば、一臣さん、久世君とトミーさんには近づくな。危険だみたいなことを言っていなかったっけ。久世君も要注意人物だけど、トミーさんもそうなのかな。
あれはただ単に、やきもちで言っていたのかな。どうなんだろう。
「弥生、僕は自信があるよ」
「は?」
何?何を唐突に…。
「一臣氏より君を幸せにする自信。あんな女癖の悪いやつを夫にしたら、不幸になるよ?」
はあ?どう見たって、トミーさんも女癖悪そうだけど。
「一臣さんは女癖悪くないです」
私ははっきりとそう言い切った。
「あれえ?弥生、彼を信じているわけ?彼の悪い噂は聞いているよね?それに、仮面フィアンセの噂も」
「如月お兄様から聞いていないんですか?私と一臣さんは仮面フィアンセっていうわけじゃ」
「ああ。如月はうまくだませたかもしれないね」
「はあ?!」
何を言っているの?
「ど、どうしてトミーさんは、私と一臣さんを引き裂こうとするんですか?そういうことになったら、緒方財閥は困るんです。緒方財閥を困らせたいんですか?上条グループとのプロジェクトを、ダメにしたいんですか?」
「まさか!そのプロジェクトの一員なんだよ?ダメにしたいわけないじゃないか。ただ、弥生を不幸にしたくないのと…、弥生に惚れちゃったからっていうだけだよ」
やっぱり、トミーさん怪しいかも。なんだって如月お兄様は、こんな人を信頼しているの?
「ねえ、弥生。まだ今なら間に合うよ。婚約破棄にして、アメリカに来ないかい?一度、一臣氏と婚約破棄して、アメリカに来るって話になっていたんだよね?僕はその時、どれだけ喜んだか」
「アメリカって言っても、カリフォルニアに行く予定でした」
「僕を頼っていいのに」
はあ?なんだって、トミーさんを?
私の肩にあったトミーさんの手を払いのけた。すると、またトミーさんはしつこく肩を抱いてきた。
「ね、弥生。うわべだけ仲良く見せて、一臣氏とは冷めた関係なんだろ?一臣氏、弥生に冷たいんだろ?」
「は?」
「結婚したら、跡継ぎを産ませるために弥生を彼は抱くかもしれない。でも、それでいいの?弥生」
「ち、違います。一臣さんはちゃんと…」
私の言葉を遮り、トミーさんは私の耳元まで顔を近づけ、
「これから僕の部屋に来ない?関係性を持てば弥生はもう、一臣氏と結婚しないでもすむよ」
と、とんでもないことを言い出した。
「はあ?何を言っているんですか?よっぽど、トミーさんのほうが女遊びしているじゃないですか」
「僕が?遊んだことなんかないさ。いつでも真剣だ。ちゃんとお付き合いをさせてもらっている女性を大事にしているよ」
嘘だ。じゃあ、なんだって、いきなり部屋に行こうだの、関係を持とうだの言ってくるの?
「今は弥生に真剣な気持ちで向き合っている。僕と結婚したら、弥生をないがしろになんかしない。大事にするよ。あんなやつよりも、弥生を幸せにできる」
「離れてください」
ぐいっとトミーさんを押した。でも、離れてくれない。
「弥生。きっと君も僕を好きになる」
そう言ってトミーさんは私の頬にキスをしようとした。でも、その時、
「おい。俺のフィアンセに何をしている」
という、低い怖い声が背後から聞こえてきた。
「一臣さん!」
一臣さんが私の肩にあるトミーさんの腕を捻りあげた。
「アウチ!」
トミーさんはやっと私の肩から腕を離し、ソファのアームからもお尻を上げた。
「痛いなあ…」
トミーさんは苦笑いをした。でも、そんなトミーさんを一臣さんは睨みつけ、それから私をソファから立たせて、グイッと腰を抱いた。
「弥生、こいつには近づくなと言っただろ」
「はい。でも、勝手にトミーさんが…」
「どういうつもりだ?弥生は俺のフィアンセだ。そのフィアンセになんだって言い寄っているんだ」
一臣さんはまた低い怖い声でそうトミーさんに言ってから、ぐるっと後ろを向き、
「如月さん!あんたの部下が俺のフィアンセに手を出していたぞ!どういうことだ!?」
と、そう叫んだ。
「トミー!」
走りながら如月お兄様は、トミーさんに声をかけた。
「ちゃんとトミーには話しただろ?弥生と一臣君のことはとっくに認めたんだよ」
「OH!如月は本当に人がいい。なんだって簡単に、一臣氏を認めちゃうんだ。だまされたに決まっているのに」
「トミー。一臣君は大事なプロジェクトの一員だ。トミーもだろ?それに、弥生の大事な結婚相手だ。弥生のことをちゃんと大事にすると約束もした。僕は彼を信頼したんだ。だから、トミーも彼を信頼したらどうだ」
「…詰めが甘いよ、いつも如月は。弥生が不幸になるのは目に見えていると言っていたのは君のほうだ」
「だから、緒方家の屋敷にまで泊りに行って確認をしたんだ。弥生と一臣君は仮面フィアンセなんかじゃない。それは僕がこの目で見て、納得したんだ。それをトミーが口出しすることじゃない」
「僕よりもこいつを信じると言うのか?如月」
「トミー。僕は、信頼できるとそう納得できたら、ちゃんと信頼するんだよ。いや。彼は信頼に値する人間だ。トミーがわかっていないだけだ」
如月お兄様はそう言って、トミーさんの肩に手をポンと置いた。
「トミーもわかる。彼とちゃんと話をすれば…。仕事のことだって、彼は信頼できる。いや、プロジェクトを成功させるための大事なパートナーなんだ。信頼関係がなかったら、やっていけない。僕とトミーに信頼関係があるように、僕と一臣君も、そして、トミーと一臣君もちゃんと信頼関係を持ったほうがいい」
「はあ?俺にトミーと信頼関係を持てと?」
眉間に思い切りしわを寄せ、一臣さんがそう聞いた。
「そうだ。トミーは僕の大事な部下だ。仕事をしていくうえでも、一臣君とトミーはこれからも、関わっていくことになるんだからな」
「……」
一臣さんはまだ、眉間にしわを寄せたまま、疑いの目でトミーさんを見ている。
「自分のフィアンセに手を出そうとしているやつを、そうそう簡単に信頼はできない。悪いが、しばらくはトミーさんと距離を置かせてもらう。弥生、行くぞ」
そう言って一臣さんは私の腰に回した腕に力を入れると、歩き出そうとした。だが、そこに鬼の形相をした高仁おじ様と瑠美ちゃんがやってきてしまった。
ああ。最悪だ。このままどうにか高仁おじ様に見つからず、お屋敷に戻れると思っていたのに…。