~その12~ へそ曲げた?
突然、菊名さんが酔って、私たちの部屋に来た。なんのために来たのか、私には理解できなかったけど、菊名さんが一臣さんのことを慕っているのはわかる。本当に仕事のことで相談があったのかどうかはわからないけど、一臣さんに気に入られたいと思っているのは、前から感じていたことだ。
ただ、それがことごとく、一臣さんを怒らせることになっているのは、当の本人にはわかっていないのかもしれない。今日もまた、一臣さんは菊名さんに頭に来ている…。というか、呆れているような顔つきになった。
「それはあれか。噂の仮面フィアンセのことを言っているのか」
一臣さんは、呆れかえった声でそう聞いた。
「あ、そうです。やっぱり、そうなんですね。それをわざわざ、私たちの前でも演技しないでもいいですよ」
「…演技?」
「仲のいい演技。一緒の部屋に泊まるだなんて、そんな嘘つかないでもいいです。これから、上条さん、隣の部屋に行くんですよね?もう、戻ったらいかがですか?一臣様は、お風呂に入られるそうですし」
「菊名。お前は勘違いをしている。という前に、なんだってそんな噂を真に受けて信じているのかが俺にはわからん。とにかく、弥生は隣の部屋に泊まることもないし、お前と風呂に入ることもない」
「……でも」
「でももくそもない。弥生とこれから俺は風呂に入るんだよ。だから、お前は邪魔なんだ。さっさと部屋に戻れ」
わ~~~。とうとう切れた。切れたとはいえ、何を言い出すんだ。一臣さんは!
「あの、えっと。ここ、二つ和室があって。この奥にもあるんですよ。部屋が」
とっさに私はそんなことを言い出した。はれ?なんでそんなことを私は言ったんだ。多分、恥ずかしさのあまり口から出ちゃったんだ。
でも、何が恥ずかしいんだろう。一臣さんと同じ部屋で暮らしているんだし、フィアンセなんだし、一緒の部屋で寝ようが、それがばれようが、そんな恥ずかしがることでもないのに。でも、さすがに一緒にお風呂は恥ずかしいよ。
「なんだ。じゃあ、別々の部屋で寝るんですね」
菊名さんは納得しようとしたが、一臣さんがまた、
「弥生と一緒に寝るに決まっているだろう。フィアンセなんだ。屋敷でも同じ部屋で寝泊まりしている」
とばらしてくれた。
菊名さんは私を恨めしそうに見て、そのあと一臣さんを切なそうな目で見た。
どうやら、菊名さんは相当酔っている。一臣さんのほうににじり寄り、一臣さんの顔から視線をなぜか胸元に向けた。
あ。肌けている胸元を見ている。そのあとちょっとうっとりとした。
ダメ。見ないで。うっとりと一臣さんの色っぽい浴衣姿見たりしないでよ。それに、一臣さんだって、他の女には見せないって言っていたじゃない。
ブチっと私の中で何かが切れそうになった。でも、どうにか冷静さを取り戻そうとした。だけど、
「一臣様、私…」
と菊名さんがさらに一臣さんににじり寄り、とうとう胸に手を当て顔をうずめそうになり、私の中で何かがとうとう切れてしまった。
ブッチン。
「菊名さん!本当にもう、部屋に戻ってください。仕事の時間は終わったんだし、今は、私と一臣さんのプライベートの時間なんです」
思わず、切れてそんなことを言っている自分にびっくりした。
一臣さんは、私が切れると同時くらいに、さっと菊名さんを避け、座布団からさっさと立ち上がった。菊名さんは突然、体をあずけようとしていた一臣さんによけられ、体制を崩しそうになっていた。
「菊名、部屋に戻れ。俺を本気で怒らせるなよな」
一臣さんの突き刺すような冷たい視線と、冷たい言葉。あれ、私に冷たいキスをした時にも、あんな目をしていたっけ。あれって、相当頭に来ている時だ。
トントン。とその時、またドアをノックする音がして、
「お食事お済ですか?片付けに参りました」
と言いながら、仲居さんが入ってきた。
「あ、こちらにいらしたんですか。お客様、お声をかけても返事がなかったので、まだ、片付けていないんですよ。あとで、片付けに行ってお布団敷きますね」
仲居さんは菊名さんに向かってそう言うと、私たちの食べ終わった食器を大きなお盆にどんどん乗せはじめた。
もう一人仲居さんがドアから顔をだし、
「失礼します。お布団敷きに参りました」
と言って、部屋の中に入ってきた。
「ああ、奥の部屋に頼む」
一臣さんがそう言うと、仲居さんはすすすと足音も立てず、奥の部屋に入って行き、早業で布団を2枚、ぴったりとくっつけて、敷いてくれた。
でも、一つでいいのになあ。
「あ、2枚敷いたのか…。まあ、いっか」
一臣さんは隣の部屋を覗き、そう呟いた。
「え?おひとり分で良かったんですか?では…。もう1枚はそちらの部屋に敷きますか?」
仲居さんがそう聞くと、まだ部屋の隅に佇んでいた菊名さんが、突然目を輝かせ、
「やはり、ここには一臣様おひとりで泊まるんですね」
と、早とちりをしてくれた。
「え?では、どちらにお布団敷きましょうか」
仲居さんが私に聞いてきた。
「いい。2枚敷いたのならそれでも」
一臣さんは眉間にしわを寄せ、仲居さんにそう言った。菊名さんのことはもう、無視をしているようだ。
「そう言われましても…」
仲居さんが困った表情を見せると、一臣さんは片眉をあげながら私の隣に来た。そして私の腰に腕を回し、
「いいって言ってるだろ。どうせ、一つの布団でこいつと寝ることになるから、1枚だけでもよかったのにと思っただけだ」
と、まったく照れることもなくそう言ってのけた。
どうしてこうも、恥ずかしいことをべらべら喋っちゃうのかな、一臣さんは。
「あ、そ、そうでございますか。では、一人分、お布団あげましょうか?」
仲居さんは、ちょっと困った顔を見せながら、布団をあげようとしゃがみこんだ。
「いい。自分たちでするから、もう出て行っていいぞ」
仲居さんは、そそくさとお盆を持って、「失礼します」と襖を閉めて出て行った。でも、まだ菊名さんは部屋にとどまっている。
「お前も部屋に戻れよ。俺たちは風呂に入るんだよ」
「……。一つの布団って…」
「ああ。こいつが一緒の布団で寝たいって言っていたからな。いつもはダブルベッドで寝ているから、布団1枚は狭いと思うんだけどな」
「え?一臣さん、やっぱり、嫌なんですか?」
気になり、ものすごく小さな声で私は聞いた。
「いいや。どうせ、俺はいつもお前のことを抱きしめて寝ているんだ。一つの布団で充分だろ」
うわ。今の声、大きかった。まるで、菊名さんに聞こえるように言ってたよ。
あ、わざとか。わざとそんなことを言っているのか。
「いつも抱き合って?」
菊名さんの顔が引きつっている。
「そうだ。何か文句があるか?」
「い、いいえ」
菊名さんはようやく、重たい足取りで襖を開け、
「おやすみなさい」
と言って、部屋を出て行こうとした。でも、なぜか、一臣さんが、
「待て」
と言って菊名さんを引き留めた。
「はい?」
菊名さんは何かを期待したように顔を上げた。
「これから、風呂にお前も入るのか」
「…一人では露天風呂は怖いから、どうしようかと」
「じゃあ、露天風呂はやめて、シャワーにしろ。それにお前、相当酔っているようだから、風呂は危ないぞ」
「え?」
「シャワーぐらいにしないと、風呂入ってぶっ倒れても、誰も助けられないからな。わかったな」
「はい。心配してくださるんですか?」
「いいや。いい迷惑だから、忠告だ。それに…」
一臣さんはもう一言何かを言おうとして、私の顔をちらっと見ると、
「なんでもない。とにかく露天風呂はやめておけ。入るなら明日の朝、アルコールが抜けてから入れよな」
と、念を押した。
「は、はい」
菊名さんは、いい迷惑だと言われたことに傷ついたのか、顔を曇らせ部屋を出て行った。
「よし」
一臣さんは、小声でそう言って頷くと、襖を開けて、ドアに鍵をかけた。それから、戻ってくると、勢いよく私を抱きしめた。
「あの!?」
「これで菊名は露天風呂に入らない。ってことはだ。声を出しても聞かれないぞ?いや、聞かれてもいいか。お前と一緒に風呂に入るとばらしたし、お前と仲がいいこともばらしてやったしな」
と、にやついた声でそう言った。
え?まさか、それが目的で、菊名さんに露天風呂に入るなって忠告したの?
「さあ、入るぞ!」
一臣さんは意気揚々と私の肩を抱き、パウダールームに連れて行った。
「あの、あの…。下着とか持ってこないと」
「いらないだろ?裸で出てきたっていいんだから」
裸で?裸で部屋までいくの?全裸で?なわけないよね。あ、バスタオルとか巻いたらいいんだし。
私がぼけっとしていると、一臣さんはさっさと私の浴衣の帯をほどいてしまった。
「あ!え?!」
びっくりしていると、するっと一臣さんは私の浴衣を脱がせ、
「あ。紐パンに履きかえるんだったっけ。それは見たかったな」
と、ほんのちょっと悩みだした。
「う~~ん。こんなことなら、今日紐パンを履いてきたらよかったのに…」
そう言ってから、一臣さんは私を抱き寄せた。
ドキン。
それから私の肩にキスをした。
うわ。もっと胸がドキドキしてきた。
一臣さんは髪を優しくかきあげ、私の耳たぶを甘噛みし、それから優しい目で私を見つめ、優しくキスをしてきた。
わ~~~~~~~~~~~~~~~~。
うっとり………。
うっとりとしている間に、一臣さんは私のブラジャーのホックをはずしていた。そして肩ひもをするっと肩からはずすと、バサッとブラジャーが床に落ちた。でもまだ、一臣さんは私にキスをしている。
ダメだ。腰ぬけそう…。
「弥生、腰抜かすなよ?」
う…。言われてしまった。でも、もうすでに足がガクガク。立っているのもやっと。
一臣さんは私の背中に腕を回している。それもギュッと抱えるように。だから、なんとか持ちこたえているけど、腕を離されたら、へなへなと座り込みそう。
「確か、シャワールームから露天風呂につながっていたよな」
「はひ…」
「だから、お前、キスくらいで腰抜かすな。露天風呂でおぼれるなよ」
「……じゃあ、大人しく入りましょう。ほら、せっかく渓谷が見えるんだから、自然を満喫しながらゆったりと露天風呂に入るっていうのはどうでしょう」
「…ふん。そうだな。じゃあ、そうするか」
あれ?意外と簡単に引き下がった。
どうしたのかな。私が露天風呂でおぼれたら困るからかな。それとも、自然を満喫しながら、ゆっくりとお風呂に入りたくなったのかな。
とりあえず、ほっと私は胸を撫で下ろした。
一臣さんは、
「腰抜かしていないよな?」
と私に聞き、私が頷くと私から離れ、自分の浴衣を脱ぎだした。
うっとり。
はっ!ダメだ。また見惚れてた。慌てて私は後ろを向いてから、鏡に映った自分の姿を見て、自分がどんな姿でいたのか気が付いた。
うきゃあ。パンツ一丁だ。それも今日は、たいして色気もないパンツだ。まさかと思うけど、この姿を見て一臣さんは、欲情できなくなったんじゃ…。
「……かもしれない」
ドスン。さっきはゆっくり露天風呂に入れると、ほっとしたけど、なんだか落ち込んでしまった。
ああ~~。もう。私は…。やっぱり、一臣さんにかまってもらっていないと、すぐに不安になっちゃう。
「弥生、何してるんだ。さっさとパンツ脱いでこっちに来いよ」
「え?」
あ。一臣さん、すでに全裸。シャワールームのドアを開けて、私のことを待っている。
「それとも、俺に脱がされたかったのか?」
「ち、違います!」
私は先にタオルを手にした。それから、一臣さんに背中を向けて下着を脱ぐと、タオルで隠して俯きながらシャワールームに向かった。
私がシャワールームに入ると、一臣さんはドアを閉め、シャワーを出した。冷たい水がはじめ、シャワーから飛び出し、私の足にかかり、
「ひゃあ!」
と飛び上がると、一臣さんは笑った。
「タオル邪魔だ。体洗えないだろ?」
「今日は自分で洗います」
「へえ、そうか」
あれ?また簡単に引き下がった。
「じゃあ、俺は俺で洗うぞ」
え?私の体を?
と思って、ドキッと胸を高鳴らせると、一臣さんは自分の手にしていたタオルに石鹸をつけると、自分の体を洗い出した。
ああ。自分の体を洗うことか。
そうか、私の体は洗ってくれないんだな。って、自分で言っておいて何をがっかりしているんだ、私は。
私もタオルに石鹸をつけて洗い出した。シャワールームは二人入っても十分なほどの広さ。シャワーは一つしかついていないけど、先に一臣さんが体を流し、髪もワシャワシャと洗うと、
「ほら、石鹸流してやる」
と私の体にシャワーのお湯をかけた。
「キスマーク、ちゃんとついてるな」
一臣さんはそう言って、私の胸元を見ている。
「あ、あんまり見ないでください」
恥ずかしくて胸を隠しながらそう言うと、一臣さんは片眉を上げた。あ、また、今さらだとか言うのかな…。でも、今日の一臣さんは言葉数が少ない。何も言わずに、シャワールームの隅にあった椅子を手にして私の前に置いた。
「髪、洗うから座れ」
「はい」
なんか、ずっと命令口調。それに、口数も少ないし、怒っているのかなあ。
でも、髪を洗う手はいつものように優しい。そして、髪を洗い終えると、タオルで私の髪を拭き、
「さあ、露天風呂に入るぞ」
と私の手を引っ張ってシャワールームを出た。
「ひゃあ。ちょっと寒い」
外は冷たい風が吹いていた。
「そうだな」
一臣さんは一言そう答え、さっさと露天風呂の前に行くと、私よりも先に中に入った。
「ああ、ちょうどいい湯だ」
私も後に続いて中に入った。
「本当だ。気持ちいい」
こんこんと露天風呂には、お湯が注ぎ込まれている。
「ふわ~~~~。気持ちよくって、眠くなりますね」
「寝るなよ」
「はい。寝ませんけど…」
肌寒く感じたけど、こうやってお風呂に入るとちょうどいいかも。
「弥生、前を見てみろ」
「え?」
そう言われ、私は半分閉じかかっていた目を開けた。
「なんですか?」
「あたりは真っ暗で、渓谷なんか見えやしない。どこを見て自然を満喫したらいいんだ?」
「でも、木はなんとなく見えます。それに、川のせせらぎも聞こえます」
「なんとなく見える木を見ながら、自然を満喫するのか」
「……」
もしや、怒ってる?私が言った言葉に対して怒っちゃったとか?
「えっと…ですね」
困った。一臣さん、へそ曲げるとちょっと大変なんだよな。
空を見上げてみた。
「あ、ほら。星があんなに綺麗に」
「ああ、そうだな。あれを眺めながら、ずうっと静かに露天風呂に入っていたらいいのか」
言い方が嫌味っぽい。絶対に怒ってる。
「俺は、何のために、菊名に露天風呂に入らないよう釘を刺しておいたんだ。こんなことなら、お前、あいつと風呂入ってくるか?俺は俺で、一人でゆったりと入るぞ」
「え!?」
うそ。今の本気?
「そ、それは、その」
寂しすぎるよ。ただゆったりと二人で入っているだけじゃだめなの?
「あの…」
悲しくなってきちゃった。一人で入りたいのかな、本当に。
「私、邪魔…ですか?一人のほうがのんびりと入れますか?」
こわごわ聞いてみた。すると、一臣さんは片眉をあげ私を見ると、
「そうだな。一人でだと、のんびりできるだろうな」
と、ちょっと冷めた口調で言った。
「……」
どうしよう。私、出たほうがいいのかな。う…。なんか、涙出そう。
一臣さんをちらっと見た。一臣さんは空を見上げていた。
ちょっと冷たくされると不安。それはいまだに変わらない。特にこんな風につき放された時、どうしていいかわからなくなる。
黙って一臣さんを見ていた。あたりにはそよそよと風が吹き、川のせせらぎが聞こえてきて、とっても静かだ。
一臣さんは目を閉じ、「ふう」とため息を吐いた。そのため息にすら、反応してまう。今の、何の溜息?
え~~ん。もう泣きそうだ。